Why!?

 〜 何故、“クラシック・カメラ” なのか 〜


 クラシック・カメラボディは、最新のAF(オートフォーカス)・AE(自動露出)カメラとは、対極の位置にあるカメラです。

 ピントを自分で合わせるのは勿論のこと、シャッタースピードも絞りも自分でセットしなければなりませんし、露出計が内蔵されていない場合には、先ずは自分で露出を決めなくてはいけません。第一、フィルムの装填すら自分でしなければ…。つまり、何でも自分でやらねばならず、結果を誰のせいにもできない、ということですね。すべてが自動化され、撮りたいものにカメラを向けてシャッターボタンを押すだけでよい現代のカメラを使い慣れた方から見れば「なんでそんなことまで…」という感じで、“ワザワザ”クラシックカメラを使う理由など全く理解できないのではないでしょうか?


 カメラは、決して一部のプロだけの為に存在する訳ではありません。誰もが気軽に写真を楽しんでいい。でも、せっかく楽しみにしていた写真が、現像してみたら失敗だった…そんな残念な思いをしたアマチュアは、自分を含めて、たくさんいらっしゃるでしょう。ですから、失敗をしない、誰もが簡単な操作で確実に撮れるカメラを作りたい、というのは、カメラ開発に携わる技術者の一つの夢だったことと思われます。そして、露出制御もピント合わせも自動化された現代のカメラは、既に行き着くところまで行ってしまったと言っても過言では無いでしょう。

 ただ、カメラの新技術が発達するに連れ、本来は操作を簡単にし撮影を補助するためのカメラの機能にユーザ自身がすっかり慣れ、“カメラ頼み”になってしまった。構図・シャッタースピード・絞りを選択することは作画上大変重要なことですが、撮影者がこれをコントロールしない。つまり、撮影者自身が意思を放棄し始めたのです。その傾向が強まるに連れ、カメラの機能も多様化し、いつしか過剰となっていったように思われます。

 しかも、現在36枚撮りネガフィルム一本のプロセスにかかる費用は、プリントまで含めて500円程度。昔(といっても、せいぜい20年程度ですが)に比べて、“普通に”写真を楽しむことにかかるコストは、驚くほどに下がりました。それだけ皆が気軽に写真を撮るようになったということでしょう。ただ、一般化しコストが下がるのと一緒に、本来写真が持っていた“重み”のようなものまでもが無くなりつつあるように感じられるのは、ちょっと残念なことです。


 一方で、ここ十年ほどの間クラシックカメラ・ブームと言ってもよい状況が現出しているようです。ボディが人間工学に適った?デザインとなりプラスチックが多用される傾向の中にあって、古い、金属の塊のようなカメラの質感・操作感が“懐古的”に好まれた部分も、一つの大きな理由と思われます。が、全てのユーザが簡単操作のカメラを望んだ訳ではなかった、ということもまた一つの理由でしょう。

 ともあれ私自身は、写真を撮る為に必要な幾つかの操作を苦としてはいません。ただ、誤解して欲しくないのは、決して“手間を掛けることが(却って)喜びなのだ”とかいったような、幾分かの不自由さを楽しみとするような考え方なのではない、ということです。別の言い方をすれば、AF・AEのカメラよりもその操作が自分に合っている、ということだし、AF・AE機ならモノにできたシャッターチャンスを逃してしまったのでは、わざわざ古いカメラを使っている意味が全くない、ということです。


 ということは…こんなHPを作っていること自体、自ら背負ってしまった重い十字架なのかも…(笑)。