Not Only Sharpness.

   〜 忘れ去られた“味わい” 〜


 近頃、昔(1950年代頃〜?)に作られたレンズの描写が見直されてきているようです。…と言うと、「新しい方がいいんじゃないの?」などと、思われませんか?


 実はかく言う私自身、かなり最近まで「レンズは新しいほど良い」と思っていたところがありました。最新の技術で設計・加工されたレンズの方が、きっと優れているに違いない…と。

 例えば(スチルの写真ではありませんが)最近のTVドラマなどを見ると、映像が非常にきれいなことに驚かされます。もちろん、これは機材の発達のおかげでしょう。ただ、キレイ過ぎて逆に空気感がないというか、却って雰囲気が感じられないなどと思ったことはありませんか?…これと反対に、昔の映画などは、機材のスペックなどは明らかに今より劣っているはずなのに、結果としていい"味"を出しているものが少なくありません。

 スチルカメラのレンズでも、多分、同じことが言えるのではないでしょうか。

 レンズの解像度(被写体の細かい部分まできっちりと写し込む能力)がすごく高くなって、例えば人物の肌の細かい皺・肌理が全て写ったからといって、良い写真が撮れる訳ではないでしょう。大切なのは、例えば首筋のうぶ毛が逆光の中で輝いて見える“感じ”といったような、肉眼で見た存在感に近いものが表現できるか、といったことでは?

 最新のレンズに皆が飽き足らなくなりオールドレンズの描写が見直されてきている理由は、多分この辺にあるのでしょう。解像度が高く歪みもない、といったレンズの“数値的な性能”は、ある意味では「平面の複製」のためのスペック。人物を始めおよそ世の中のものは立体なのであって、これらを撮影して「作画」をするのであれば、チャートテストで優秀だったレンズが最高だとは限りません。つまり、コンピュータで設計は進歩し、加工の精度も向上したが、総体としては「コピー向き」レンズの方向に近づき、味わいを失ってしまった。そのことに、自分も含めて、皆が気付き始めたということではないでしょうか。


 でも、考えてみれば、これって逆説的というか、難しい話です。

 モノを作る以上は、良いものを作りたいと思うのは当然でしょう。そして、良いか悪いかを判断するには、比較できる数値で性能を評価するのが解りやすい。しかし、売れ線の商品ばかりを皆が並べるようになったら、どの店に行っても同じものしかなくなってしまいます。レンズは写真を撮るためのものなのに、何時の間にか数値の追求が目的のようになり、面白みがなくなってしまった。

 数値だけを追いかけていると、何時の間にか本質を見失ってしまう。どんな物事についても、同じことがいえるのかも知れませんね。


 ただ、気を付けなければいけないと思うのは“レンズの描写力は、従である”ということ。

 当たり前のことですけど、クラシック・レンズを手に入れたからといって良い写真が撮れる訳ではないし、「このまろやかな描写は流石○○」といった類のある種の信仰にも似たレンズ評論は、写真の本質とは何の関係もありません。レンズの差、というものは確かに存在しますが、決定的な瞬間を捉えることは、レンズ付フィルムを使ったって可能なことです。レンズ描写の特徴は飽くまで隠し味程度に考えて、それにおんぶに抱っこのような姿勢にならないよう、気を付けたいものですね。