臥待月  〜お侍 習作

 
 季節は豊饒の秋を迎えており、たいがいの里が実りの喜びに満たされているはずが。今時はどこへ行っても例外なく、自嘲にも似た諦め半分の、苦いお顔しか見られない。炎天下であろうと風雨が強かろうと、毎日当たり前に田畑へと出ては、お天道様の加減を見ながら骨身を惜しまず働いて。そんな労苦の末の、豊かで見事な恵みの結実を見るのは誇っていいことでもある筈なのに、なんとなく気の重いことになる矛盾。

 戦乱の時代に功名目指して戦いし歴戦の勇者たちも、その戦が終わってしまえば不要の長物。頼もしい膂力や練達の技、殺気への集中とそれへと研ぎ澄まされし歪んだ感覚などなども、直接の命のやり取りの必要がなくなった世界にあっては意味をなさない、いやさ粗暴さから遠巻きにされかねぬ、適合性のない特性に過ぎなくなり。その身を機械の体へと特化した者は尚のこと、文字通り 身の置きどころに困りもし。そんな彼らが生きてゆくためのよすが、兵糧という意味のみならずの甲斐にと求めし道は、どうしたって限りがあって。刀を操る腕を買われての用心棒か、若しくは。鍬は持っても牙は持たぬ農民たちが懇切丁寧に作りし作物を、自慢の“力づく”にて奪う“野伏せり”になることくらい。

 重労働に費やされるその生涯のほとんどで 腰をかがめ続けるせいでか、足腰は頑丈ながら、身の丈の小さいまんまという大人が多い。そんなためか家々の軒も低く、視線を少しでも上げればすぐにも視野へと飛び込んで来るのはあっけらかんと広がる空であり。見上げた真昼の穹はあまりに高くて遠く、風は乾いて余所余所しい。


  ――― そんな鄙びた農村へと、彼らはやって来た。





            ◇



 周辺に他の誰ぞという村人の姿がなくたって、彼らは揃って一際上背があったので。紛れたところできっと、頭の先が飛び抜けてもいたろうし。そうでなくとも彼は、文字通り異彩を放つ存在でもあり、生気の薄い、単色で塗り潰されたようなこの里の中にあっては、ただ立っているだけでも人目をひいてしまう身となる筈が。戦さ場で会得したものか、消気の呼吸というもの、その身へしっかと馴染ませており。驚くほどに気配を感じさせないことが出来る男でもある。

  “存在感はあるのだがな。”

 もしかして、情報収集や潜入工作といった単独任務が専門だったのだろうかとは、後に任せた斥候ぶりの任の見事さからも感じたことだったが。それではこうまで剣にこだわる身にはなるまい。暗殺者にしてもそう。華々しい武勲や功名、外からの評価へは寡慾そうなという点ではそちらへの可能性もまた無きにしもあらずだったが、そもそもの馴れ初めがそれを否定する。動向を探るべき相手を訪れ、いきなり刀を抜けと斬ってかかった直情的な態度を取った彼であり。忍耐力はそれなりにあっても随分と偏った代物、忠心よりも自身の価値観、殊に剣への求道を優先する人性であり、謀議・謀殺には向いていないとすぐにも知れた。




 仮眠や申し送りの場に使う“詰め所”として用意されたは、集落のやや外れたところに空いていた家だったが、そこへと一時に何人もが腰を落ち着けているような時間帯は稀だった。何せ時間が足りないのが現状。相手は何十里でもあっと言う間に移動出来る、機械化した身の野伏せりたち。どこか遠方にあるらしい本拠“本殿”にて情報を整理し陣営を整えて、それからやおら駆けつけるとしても、さして日数はかかるまい。それを思えば、何をするにも休む間も惜しんでの作業となってしまうのが、ある意味で“人情”というものかもしれないが、気が逸るばかりでいては、いざ対峙という段になって疲労困憊、集中力も皆無、などという憂き目に遭いかねず。かといって、作業の要所を固め、進行を見守っているお侍の陣営は、そうそう代わりもいないこととて。常人よりは桁の高い体力や忍耐力、鋼をも切り裂く意志の強さと集中に任せ、多少は無理をして長丁場な監督役をこなしていたりもするのだが。そういえば遠路はるばるお越しなそのまま、ずっとずっと立ち尽くしてのご指導を下さる彼は、いい加減 限界でもあろうからと。怖々の及び腰ながら“少しはお休み下さい”と勧めると、整い過ぎた面差しがいかにも鋭利な印象の寡黙な若い侍は、無言のままながら、それでもこちらの意を酌んでか、ほんの僅かに瞬きをしてから、半時で戻るとぼそりと告げると、ずっと立っていた指導役の場からやっとのことで離れてくれて。やたら威圧感を撒き散らかすお人ではなかったが、それでも、あんなに身の細いお方だってのにさすが威容や存在感は只者ではなかったなと、ついの弛緩から口をついてしまう何人かを、年長の男らが窘め、ワラづと目がけての弓の鍛練はつつがなく続けられてゆく。




 漆黒の帳
とばりの遠くから、さざ波のような音が間断なく聞こえて来るのは。まだ刈られぬ稲穂が揺れて擦れ合う音か。そろそろ朝が近いのか、だが、黎明の青はまだ感じられない。日暮れの早い秋の夜長は、冬に向け、明け方のほうの尺までが徐々に遅くなって伸びるから。びっくりするような時間帯でも、まだまだ夜陰の漆黒が満ちており。作業場以外は灯火のない暗い中、唯一の明かりの月だけが、空の高みから冷酷そうに見下ろして来る。そんな月の施し、ともすれば妖冶な明るさの中、まだ警戒はさほどには要らぬものが、足音も少なくひたひたと歩むはもはや身についた性なのか。場合が場合でなければ、亡者か幽鬼のように見えたかもしれない、その痩躯にまとった長衣の紅蓮の赤も、今は月光の無慈悲な蒼に染まり、褪めた彩りに沈んで見える。

  “そういえば。”

 遠浅な海に住まう魚は、それは鮮やかな色彩をまとっていると聞いたことがある。目立っては危険なはずがどうしてまた自然の海でそんなことがと、怪訝に感じて海人たちへ話の先を促せば。滋味豊富な遠浅の海棚周辺海域は、黎明の青をたたえたような照度を常に保つため、地味なはずの黒や灰色は真っ黒な固まりと映ってしまい、却って目立つ。そこで水の色に近い色合いをした種のものだけが生き残って来た訳だけれど、それらを陸へと釣り上げて姿を陽に晒させると、海の中で知らずまとっていた青みが除かれるため、どれもがそりゃあ鮮やかな色みを顕らかにするのだとか。陽のあるときは挑発に満ち、闇が訪れると元からその静謐の中の住人であるかのごとく、月光さえも従えて夜陰に馴染んでしまうとは。寡黙で冴えた印象のある彼には、

  “らしいと言えばらしいか。”

 ただ唯一、月光を集めた冠のようにその頭を覆う金の髪だけは、闇にも浮いてしまうことだろうなと思われて。自分には馴染みの槍使いの髪もまた、同じような色合いではあったけれど、あちらの彼の場合は当人の軽妙でしゃれた気性を含んだような、それは優しく淡い色。それに比してこちらの彼のは…今ちょうど降りそそぐ月光と同じで、どこか冷たい褪めた色。そして、もそっと間近になれば、もう一つの色が鮮明になる。鋼の硬さを冷たくたたえた、切れ長の紅い双眸。

  「…キュウゾウ。」

 声をかければ造作なく、とはいえ、肩越しという不遜な態度で振り返る。何か用向きか? 鋭く削いだような赤い眸が、双刀を収めた鞘越し、こちらへと向いており。その視線の色だけでそうと問う。剣呑なのではなく、極力 無駄を厭った結果の、これが彼の常態であるのだろうことは とうに把握してもいたカンベエだったので。こちらもそのままの無造作で、仮眠なら詰め所へゆけとわざわざ念を押す。彼のような孤高の男には、人の気配が中途半端な近場にあると却って落ち着けないものか。ここに来てからというもの、森の深みや岩陰などで、人目を避けるようにして休んでいるらしいと察していたからで。だがまあ、それへの答えも予測はしており、
「………。」
 無言のまま、向かいかかっていた方へと顔を戻し、その痩躯は詰め所とは逆へと家並みから出て行きかかる。場合が場合だが、彼ほどの手練れ、しかも戦いに慣れもあろう人物へ、無理強いをするほどのことでもないかと、苦笑混じりに見送れば、

  「…っ。」

 何やら灼熱に近いものにでも触ったかのような。本人も思いも拠らなかった何かからの反射を思わせる、そんな素早さでもって、降ろされていた手が撥ねて。そこから今度は後方足元へ、勢いをつけてぶんと振られた手から落ちたは…何やら紐の端切れのような存在だったが。そこからわさわさ悍
おぞましい動きのままに去ってゆく姿から、
“…ムカデ、か。”
 じっと這いつくばっていたものが、思わぬ間合いで触れられて、向こうだって驚いたに違いなく。となれば、
「どら。」
 ただ触っただけならああまでの反応は見せなかろう。それが証拠に、月光の明かりの下、降り払ったほうの手を気にしてか、顔近くまで持ち上げて眺めている。声を張らずとも届くまでの間近にまで、さしたる抵抗や警戒の意識も向けられぬまま歩みを運べていたその延長。あと数歩を詰めるように歩み寄り、自分のよりはやや小ぶりで線の細い、相手のその手を無造作に掴み取る。

  「あの手の蟲は、そろそろ石の下へ籠もる時期も間近い筈なのだがな。」

 村の熱気やただならぬ空気に起こされたか、それでうろうろしていたのだろう。男のそんな軽口が半ばで途切れたのは、その口が別な用向きにて塞がったから。有無をも言わさず利き手を取られたのは、この男へと、今は一応 警戒なぞ構えていなかったからだったが、
「…っ。」
 小指がわの側線へ出来た傷口へと暖かなものが触れ、まだ出血には至っていなかったのに、少しきつく吸われて…ああ毒出しかと。機転への能書きが脳内で完結するのと競うほど、その身が迅速な行動を取れるキュウゾウにしては、かなり遅れてから理屈が追いついたところの、的確な処置とやらを取られており。毒と共に吸い出した、僅かほどの血を足元へ。少し顔を背けるようにして吐き捨てる所作もまた、流れるようで様になっている。添えられたままの手が暖かい。おおよそは防御のための革の手ぶくろ越しだのに、相手の人性の厚みが体温となってそこへと含まれているものなのか。それともこちらが素手のままだから、よくよく拾い上げることが出来てのことか。かつての同僚も手袋を常備していたが、こんな風に手を取られたこと自体がなかったから、どんな温みであったかなんて、そういえば知らないキュウゾウであり。
「素手では怪我も多かろう。」
 何も芸術家ではなし、文字通りの切った叩
ったが仕事のサムライ、道具でもある手が傷むことを恐れていては詮無いが、傷ついたことで剣を振るうのへまで支障があっては困ろうにと、そんな意を告げた彼なのは伝わって。だが、

  「邪魔だ。」

 却って来たのは、相変わらずに端的で直截な応じが一言。あまりに端的であったがため、男が紡いだ助言や構いだてが邪魔とも解
れなくはなかったが、掴まれたままな手は微動だにしないのでそれはなかろう。そちらが邪魔なら振りほどけば良いのだ。それこそ、衒いなく。
「………。」
 すげない物言いをした青年は、それにしては意を込めた眼差しを、じっとそこへと据えている。手際よく手当てされた自分の手を見ているのか、それとも。掴んでいる側、カンベエの手のほうを見ているものか。音もなく降りしきる月光の青に染まった白い手と、同じ光をなのに褪めた白に弾いているかのような、革の手ぶくろと。大きめで骨張った、いかにも男の頼もしさを感じさせる大ぶりの手をくるむ“それ”は、よく言って使いこなされた、悪く言って擦り切れる寸前ではないかというほどにもくたびれたものであり。柔らかな感触がし、体温を間近に伝えもするものの、地肌ではなく。
「…っ。」
 それへと、青年のもう片方の手が伸びて来て。避ける間もなく…そんなつもり自体がなかったが、こちらの手首までを逆手に降りて来ると、そこへと指を立て、手ぶくろを引き剥がそうとし始めた。手際がいいとは思えぬ強引さでかかられたのへ、抗うほどのことでもなし、むしろ手伝うように力を抜いていると、ややあって目的は達せられ。二つの手の狭間にあった薄皮が除かれる。甲へと染まされた六花弁が、乾いた夜気に晒されたその一瞬、ひやりと冷たい感触がし。ささやかながら防寒の役も果たしていたらしいと今になって気づいたものの、
“…。”
 むしり取った強奪品には関心を見せなかった相手がそのまま、あらわになった手へと重ねて来た若い手に。ますますの冷ややかさを覚えて、つい苦笑を零す。彼の得物である双刀は、引っ掛かりの少ない金属の柄
つかだ。それをなめらかに順手・逆手と操るこの手は、熱を留めおくことさえ切り捨てているものか、切り結びの最中ででもない限り、いつだってこれ以上に暖かだった試しはなく。
「…どうした。」
 互いの手の間に立ちはだかっていた手ぶくろもまた、彼には“邪魔”であったらしい。自分であらわに剥いてやった男の手を検分でもしているものか、それにしては関心なぞなさそうな相変わらずの味気のない顔のまま、時折角度を変えたりしつつ、あちこち視線をそそいでいたが。
“………おや。”
 そんな風に関心を外へと向けて、そっぽを向いている彼だのに。そんな彼を見やっていた、こちらからの視線をこそ意識していてのことだろう、頬の線の堅さに気がついた。思わぬ可愛げへと、男の胸の奥底がほのかな甘さで擽られる。見栄えの玲瓏さが、だがそのまま玻璃のような冷たい酷薄さにもつながるほどに、強い武者以外へは、人であるという最低限の関心さえ寄せない、そんな彼が。こちらからの、何という意識も籠もらぬ注視を見切ることが出来ないとは。

  “ならば。”

 こちらももう一方の手が空いている。それを相手の背へと回し、見下ろしていた薄い肩をくるむようにして。了解も得ぬまま、懐ろへまで掻い込めば。虚を衝かれての反射、拒絶の抵抗が出るでもなく。肩口から懐ろへまで、ゆるく降ろしてあった襟巻きの、重なり合ってた辺りへと、月の蜜を吸った金絲の冠ごと、彼の頭がぽそりと落ち着いた。

  「………。」

 言葉を紡がないのならば読むしかないこちらに対して、読み違えがあったなら、袖にすれば良いだけのこと。何へだって凛と構えて毅然とした態度を取れるだけの、気立てと腕のほどを持ち合わせた青年なのだ。情
れなく振られればそれまでのことと、呑気にも待ってみたものの、拒絶を差し向けるような動きはない。それどころか、

  「…。」

 何を確かめていたものか、さっきまで男の手をもてあそんでいた白い双手が、こちらの胸板、するりと這い登ると。顎の下、おとがいの縁やら髭を辿り、再び降りて、喉の真ん中、ひたりと止まる。利き手を預けるよりももっと無防備に、他者へと急所を晒せるは、相手にそれだけの信頼があってのことか…それとも。こうまで迫られての凶刃をさえ躱せるという、自らへの自負があってのことなのか。

  『お主を斬るのは、この俺だ。』

 その若さで会得したとは信じ難いほどもの、剣戟における巧みと度量と。冷徹にして容赦のない苛烈な凄腕を、一目見るなり是非ともほしいと切望されたその応じ。他の輩には斬らせまいぞと示すことで、先に受けた仕事が済んだら立ち会うからという条件を、飲んでくれたらしい紅眸の剣客は。時に気が逸ってか、熱に浮いたような眼差しをしもするが。今宵は別なむずがりに、総身が震えてならないらしい。それが証拠に、

  「これも邪魔だ。」

 喉から降りたその手がかかったは、彼が鼻先や頬を埋めていたカンベエの襟巻きで。その下の着物の襟にまで、指先は届いており。ぐっと引く手の持ち主の、だが、見上げる眼差しはまだ冷然と強いのへ、

  「そうか。」

 短く応じた男が見せた、ゆるやかな笑み。感情がないはずの月さえも、おもてを緋に染め惚れ惚れするほど、重厚感のある精悍な深みを匂わせて。青年からの挑発も、やわく抱きとめ受け流す。野ざらしの骨のよに夜陰でこそ目立つ、そんな白さえ恐れずまとう。枯れたと見せて図太い彼へ。成就よりも破綻に縁の深い陰を見ながらも、視線を、その手を、延べねばいられぬ自分へと、ほのかに笑んだキュウゾウだった。





  〜Fine〜  06.11.19.


  *寄り添い合えるのはほんの一時。
   幻のような刹那でもいいと温みを分け合う価値ある相手。
   明日にも修羅場へ、業火の中へと、この身を投じる彼らなればこそ。
   真摯な想いを晒し合う。

   とうとう書いちまいましたよ、Hさんvv
   どうしましょうね?(訊かれても・笑)
   でも、一過性だと思います。
   だって原作というかオリジナルには、エンドマークが出ておりますし。
   早く全話コンプリートして、追いついてね〜vv
(こらこら勝手な・苦笑)


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