残り香 〜お侍 習作の2


 まるで、よくよく踏み固められた三和土
(たたき)の土間と、土足厳禁となる板張りの住居部分とを区別するかのように。上がり框を境に設けられる高い段差は、温暖多湿な和国独特の気候に合わせた言わば工夫で、床下に空気を通すためのもの。馬房に住んででもいない限り、豪商の館であろうが貧農の住まいであろうが、その形態にはさほど違いはない。足腰が弱くなる年寄りには場合によっては辛くもなろうが、夏は湿気を逃がし、冬場は囲炉裏で温めた空気を溜めてと、理にかなった仕組みでもあり。段差を緩衝するべく置かれる、沓脱ぎの大石を避けてその縁へと座すれば、上がり込むほどでもない用向きの客人が腰掛けるのにも丁度いい。

  「………。」

 彼もまた、ある意味では自然なこととて、入って来るとそのまま、そんな上がり框へと足を運んで、そこへと腰を下ろしはしたものの。その風情はどちらかというと、家人が居ないところへ来合わせてしまった間の悪さへの少々の戸惑いとそれから。炭による暖が絶やされぬ囲炉裏の傍ら、とある人物が大概はそこに座していたのを覚えていればこそ、今は居ないのを幸いに引き寄せられるように近づけた…というところかと。何も近寄れば叱られる訳でもないし、顔も見たくはないほど嫌悪している訳でもないが、そうかと言って馴れ合う必要もないからと。誰に対してでも距離を置くのが習慣になっている彼であり。ついでに言えば、人の集まる場ではつい、座の外縁へと身を置いてしまうのが常。端的に言えば、座への外からの急襲に備えるためであり、それと同時に、用向きがあって集
(つど)っただけのこと、同座した顔触れへは関心が沸かないからでもあり。よって、自分にとってはそれは特に珍しい感覚ではないはずなのだが、

  ――― ならば…何故だろうか。

 誰も居ないことがむしろ幸いであったかのように、引き寄せられるように足を運んだその先。まだ陽も高いうちであることからの、じんわりとした明るみのある空間。腰を下ろした框から、ほんの半尋の丈ほどもないところへと、無造作に丸めて置かれてあったものから…視線が外せずにいる彼であり。指先が落ち着かないのは、それへと触れてみたいと思っているキュウゾウだったから。

  「………。」

 この年若な侍が常日頃 表情薄く冷然として見えるのは、何もわざわざ本意を隠し、無理から無表情にて塗り固めてのものではなくて。言ってみれば必要に迫られて…いやいや、必要がなかったからという奇っ怪な“当然”がもたらした結果のようなもの。この痩躯のどこにあれほどの膂力や脚のバネ、胆力が隠されているものか。雷電や紅蜘蛛級の野伏せりの、巨きな鋼の身体でさえ、ほどよく熟れた柿の実のように、するりと難なく斬ってしまえる凄まじさ。そうまでの力を発揮して、なのに、熱くなりもせず冷然とした態度のままで居られる彼は。かと言って酷薄にも冷淡にと意識している訳でもないらしく、親切にも手間暇を尽くされれば“忝
(かたじけ)ない”と礼も言う。

  ――― 強いて言えば剣技にしか関心のない青年であり、
       他を全く知らないだけのこと。

 人とのかかわり、人への意識を、均等に“持たないようにする”ことで、自分を取り巻く万物への感応が研ぎ澄まされ、持ち前の戦闘本能がいつでもなめらかに起動出来る。戦闘形態が進化し切り、思想よりも戦果を優先して求められていた末期の戦さ場では、年若い兵にとってそうでいることが最も合理的でもあったし、それがまた、刀という…極めれば極めるほど無敵の可能性をその手へ引き出せもする、何とも奥深いウェポンツールを操る身には相性がよく。最も身近にいた少し年嵩の同輩なぞは、そんな心得を吸収すればするほど、その飛び抜けた冴えが増すキュウゾウであることに気がついてからというもの。まるで孤高でいるのを助長するべく、繁雑な瑣事は全て肩代わりしていてくれたほど。よって、もしかすると…熱い寒いもどうだって良く、多少の痛みも不便だと思うくらい。決して傲慢なのではなく、根本的なところで足りないものの方が多すぎるままな青年なのも、その後遺症なのかも知れず。ますますのこと、人との接し方に疎くなり、感受性の全てを剣技の錬磨へのみ偏らせた結果、人との関わり合いが必要だとするような認識も、皆無に等しいほど薄れていた彼だったのだが。
「………。」
 そういえば。その元同輩と袂を分つこととなったのも、この、仄かな微熱のようなものが原因ではなかったか。そんなこんなをぼんやりと思い、彼にしては珍しいほどの逡巡の後。そんな躊躇が差し挟まれたとは到底思われぬ、流れるような所作で伸ばされた手が、あつものにでも触るようにそろりと触れたは。どれほど風雨に晒されたものやら、すっかりと褪めて生気のない白を、それを置いた床板の濃色にまで滲ませた、我らが首魁殿の常に羽織し上着である。
「…。」
 冷たい板の間に伏してあったのに、手のひらへと伝わるほのかな温みの残るのは。着ていた本人の体温というよりも、すぐ傍らの囲炉裏のせいだろか。滅多に脱がぬこれを捨て置いているとは、一体何があったものやら。だがまあ、此処で何かしらの…例えば敵の斥候が気を逸らせての襲撃でも敢行したとして。そんな騒ぎがあったなら、多少なりとも場を掻き回された痛々しき痕跡や、若しくは場違いな何か、不整合な気配が残るもの。そんな空気なぞ微塵も残ってはいないし、それに。視線を巡らせることもなく、文箱のように蓋のある、小さな箱がやはり囲炉裏端に見つかって。丁寧に使い込んでいることを表すつやが縁に光り、きっちり閉ざされていない蓋の陰から、ささやかながら覗く緋色が愛らしい。手製だろう針山や柄にくくりザルのついた握りバサミなどが収めてあるところから察して、巫女のきらら辺りが持ち込んだ針箱なのだろうと思われる。自分も外衣の袖を繕ってもらった覚えがあったので、大方どこぞかに目に余る鉤裂きでも見つけられ、彼女の手になる補修のためにと脱がされたもの…というコトの順序もすぐに知れた。
「…。」
 日頃は眸にするだけの白。戯れに懐ろの深みへと掻い込まれても、そういえば。頬や手が触れるのは、胸が合わさるのは、内胴衣の胸元か襟巻きの方へで。しかも、そのすぐ下から伝わって来る…充実した筋骨の質感と懐っこい温み、つまりは島田カンベエ本人へと、意識は容易くも搦め捕られてしまうので。意外なことながらも今初めて手に触れた、そのざらつき荒れた手触りは、だが。持ち主の佇まいというものを、実にあっさり彷彿とさせもする代物でもあって。
「…。」
 漆黒からは少々色味の抜けた感のある蓬髪は、もとからの癖があってのことかそれとも、放ったらかしていたことから荒んでのことか、ゆるやかに波打ちながら背にまで降りて。昏い深色の眸、少し立った頬骨と、それがため顎までを鋭角にてすべりおりる頬。能弁だが肝心なことは語らぬところが歯痒い口許。少し枯れた響きもなくはない声は、どんなに低められていても聞き流せぬ胆力に満ち、だのに胸板越しに聞けば柔らかくなるのが不思議で。
「………。」
 一見すると、覇気を削ぎ、何物かへの固執さえ一切持たぬ感のある、ともすれば世捨て人のように思わせる風貌だが、強かに鍛え上げたままな肢体と、それに見合うだけの太々しい性根は いまだ健在であり。どんな窮地に鉢合わせようと、緩急自在な応用・対処をその身の裡
(うち)からひょいと取り出してしまえる、良く言って柔軟な、悪く言って老獪な、百戦錬磨の“もののふ”で。

  『お主に斬られるその前に、儂には果たさねばならぬことがある。』

 一応は腕に覚えのある顔触れを、敢えて騒ぎへと発展させない“事もなげ”に次々に打ち払い、片っ端から撃退したという痩せ侍に関心が涌いたのがコトの始まり。剣戟をぶつけ合い、その手ごたえの深さを認めるのと同時、身の裡
(うち)にて立ち騒ぐざわめきが、戦さの後には久しく覚えなかった昂揚感であると気がついて、だが。その相手は、先約があるので今はまだお前に斬られる訳にはいかんのだと、面と向かってとんでもないことを言い出して。そして…どうしてだろうか、それを飲んでやった自分が、ここにいる。居ても立ってもいられぬほどの熱情へと感覚が弾けそうになるのを押さえ込み、その時が来るのを今はただただ待っている。我慢なんてする必要なぞ、そもそもないはずだったけれど。今や奇跡なほど邂逅の難しい、ここまで歯ごたえのある対手。後へと取って置いたほうが楽しみは深まるというものなのかも知れない。それに、相手の意識が瑣事へと分散しているようでは詰まらない。

  ――― 刀を振るうこと。それによって何物であれ凌駕すること。

 今の自分にはそれにしか関心がない。そんな偏った身となったこと、いまさら悔いることはないはずが。その男を知ってしまい、唯一 自身を満たす狂おしい熱を、だが、もう滅多には呼び起こせぬ、そんな無聊をかこつ身となっていたこと、あらためて思い知らされた。虹雅峡の場末にて、刀を合わせ、切り結んだ時に伝わって来た手ごたえは生半なものではなく、これをいつもの如く、荒々しい一瞬の斬戟にて潰えさせるのは正直惜しいと思いもしたほど。しかも、そんな驕りの匂いの乗っかった感慨なぞあっと言う間に四散して。何か考えていられるような余裕をかき消すほどの。息を継ぐ暇もないような。その場にあった空気ごと、ざっくり裂いて身に迫る、畳み掛けるような攻勢が容赦なく返って来たから…嬉しいくらいに尋常じゃあなくって。一瞬の油断もならぬ状況下になだれ込み、だのにどれほどのこと、胸が躍ってしまったことか。この男、絶対に斬って叩き伏せてやるとの意欲を立ちあげ、喜々としてその動線を追ったなど実に久しく。追ってもまたは払っても、何段にも次の手が繰り出される攻勢への手際の豊かさは、今にして思えば周到さというよりも熟練者に備わったる勘のようなものだったのだろうが。そんなことはどうでも良かった。あっさりとは方がつかない手ごわさが、今時の…ちまちまねちっこい小細工を弄されて、それを薙ぎ払うがための手間がかかってのことではなく。これ以上はないほど直裁的な刀の打ち合い。躍動的で油断も隙もない、体術を交えた切り結びの畳み掛けと駆け引きの、ただそれだけ。それだけだということが、だからこそ爽快で堪らなかった。怯んで腕が縮んでの逃げではなく、絶妙な間合いでの躱し方をされ、向こうからすりゃその腕を請うている相手だのに、容赦なく降りかかる攻勢の強かさといったら半端ではなく。それへと呼吸を合わせ、隙あらば乗じようと感覚のゲインを目一杯引き上げることの出来たあの快感。どれほどぶりにこの身に起きた、歓喜の熱狂であったことか。その時に首条へと負った浅い金創が塞がるより先に、こちらの意は既に決まっていて。

  「………。」

 そんな立ち会いをもう一度、何もかもが片付いたら正面切って対峙して、お望みの決着とやら着けてやると約束されたから。だから、ついて来た自分であり。この上着の持ち主を、下らぬ輩の手で勝手にこの世から消されては堪らないから。なかなか難儀な仕事とやらにも、手を貸してやっているまでのこと。とはいえ、

  「………っ。////////

 引き寄せたそのまま、膝の上から懐ろへ。何の気なしに持ち上げてその身の間近に寄せたその途端、仄かに届いた匂いが確かにきこえて。さして癖やら特徴やらのあるものでもない、単なる男臭い匂いにすぎない筈が、その途端に身の裡
(うち)へと起こったざわめきに思わず…白い頬が朱に染まる。息を詰め、薄い唇を噛みしめる。形のないただの匂い。なのにどうして、温みや声まで、彼そのものが彷彿と蘇る? 肌の下、見えない何かがさぁっと総身へ駆け抜けてゆき、頬やうなじへのみならず、指先や爪先まで到達してのち、淡いしびれを身の裡へとじんわり残して消えた何物か。もしもここに彼(か)の男がいたらば、きっと。

  『儂がいない時にそのような顔をしおって。』

 そんな矛盾だらけの不平を鳴らし、一応は苦笑混じりと誤魔化しつつも、その実、そりゃあ残念がったに違いない。そんなまでに明確な、何とも判りやすい含羞みのお顔を、選りにも選って…そうなったのを招いた上着へと伏せてしまい、
「〜〜〜〜〜。////////
 ますますのこと、耳まで赤くなってしまった辺り。やはり…体術や刀の扱い以外へはあまり要領のよろしくない、どこかが大きく偏ったまんまな、お侍さんであるようです。






            ◇



 招集といっても大仰なものではなく、村のあちこちに分かれて様々に繰り広げられている、各々作業の進行状況をまとめた上での、最終的な布陣への打ち合わせ。申し送りのようなもの。よって、手が空き次第とだけ伝えられていたので、一斉にという顔出しにはならなかった訳でもあったが、
「…? どうしたのだ?」
 長老からの使いが来たのに呼び出され、きららと共にしばし場から立っていたカンベエが。詰め所とされた空き家までを一人で戻って来ると、戸前に佇む見慣れた長身が目に入った。特長のある髷を見ずとも、背格好だの空気だのでも彼だと判ろうほど付き合いの長い“古女房”シチロージであり、それが…何をしているものか。家の中を覗き見て、何とも言えぬ苦笑を浮かべては、その余燼をすっきりと整った顔容へ、いつまでも淡く滲ませているのが何とも意味深。こそりと気配を秘めていたので、こちらもそれへと倣ってみつつ、足早に近づいてみれば、声をかける前から気づいていた彼が造作なく振り返って、それから。
「いえね。愛らしいもんだと思いまして。」
 軽く立てた人差し指で、戸の傍ら、少しほど上にある明かり取り、横に長い連子窓を差して示す。ますます訳が判らないまま、それでもそぉっとそこから中を覗けば、

  「………ほぉ。」

 依然として まだ他の顔触れは参じていない家の中。上がり框から立ち上がっている金髪痩躯の若侍の、その鞭のような体躯の輪郭が。どうしてだろうか、いつもよりも尚のこと小さく見えたのは。肩の幅も厚みも合ってはいない、大きな上着を羽織っているから。その背中へは彼の得物のあの双刀を背負ってもおり、その上へと重ね着ているのにも関わらず。着慣らされての張りのなさ、柔らかさをもってしても、いかにも大きいそれであるがため、肩口が二の腕へとずり落ちかけているのは明らかだったし。裾は足首までもを覆うほどで、彼の着る紅の長衣は、それを着ていることを知って見るなら裾の端が辛うじて見え隠れしているのが判るというところ。それより何より、着ている本人が…これも珍しい感情のあらわれ、慣れた者には却って剣呑にも見えるほど、目元を眇め、薄い口元を歪めつつ、ほのかに不満げな様相で彼が見下ろしていたのは。白い指先が半ばほどしか覗いていない袖口の方。両の手を胸元まで上げて“それ”なのだから、手を降ろしてしまえば完全に隠れてしまい、爪の先だって覗くまい。
「ありゃあ自分でも、カンベエ様とああまでの体格差があるとは思ってなかったようですな。」
 着るものの大きさとなると身長だけの差が出るものではない。体の厚みは勿論のこと、身ごなしまでもが反映されるから、ひょろり細いと思っていた男子のシャツが、思いの外 大きくて、ちょっぴり驚いた経験はどなたにもおありかと。大人の着物をいたずらしている子供のようでもあり、一丁前に不満そうなところがあまりに可笑しくてそれで、中に入らず此処にいたシチロージであったらしく。
「もうちょっと待っててやりましょうよ。」
 あんなところを見られては、きっとバツが悪いに違いない。そう、少し離れてから、気配もありありと近づき直してやるとかねと言いながら。それにしてはカンベエにだけ見せて差し上げた、彼ならではの心遣いを示す槍使いの青年へ、
「そうだな。」
 こちらもまた、こんな折に何とも和めるものが見られたことへと、擽ったげな苦笑が止まらぬらしき首魁殿。いざとなったら大嘘ついて素っ惚けるのも得意な“タヌキ”である自覚もあったが…そうは言っても、面と向かっての一対一で向かい合い、果たして見なかった振りが通せるものかと。自身の辛抱にこそ危うさを覚えては、ほころんでやまぬ口許を誤魔化すように、その下の顎や髭なぞ撫でて見せ。誰ぞが来ぬうち早く我に返ってくれぬものか。見慣れぬ色をまといし細い背中へ、ついつい囁きかけてたカンベエ様でもあったそうな。





  〜Fine〜  06.11.22.


  *偏り過ぎてる紅眸の子の不器用さが可愛いからと、
   カンベエ様がついつい構いつけるのがデフォになってるという、
   ズボラというか不親切な設定で進めててすいません。
   睦み合うだけの対象だとは思ってないです、お互いに。
   まだまだ、つい向き合ってしまうだけの距離、つか間合いはあるかと。
   とはいえ、
   寝首かかれてもそりゃ自分が油断してたからだろと思うよな、
   楽観的すぎるカンベエ様ってのはアリなんでしょうか。
   そか、それでウチの話はちっとも色気がなかったのか。
(苦笑)


ご感想はこちらvv

back.gif