草籟(そうらい) 〜お侍 習作の5
 


 胸の前で拳が重なる程度に、軽く交差された両腕のそれぞれへと沿うように。左は順手で引き抜かれたものをくるりとなめらかに回しての、今は両方とも逆手で握られた二本の刀。裾は膝下まである紅の長衣に包まれし、その痩躯の前面へ、鋭利な刃を相手へと翳して立ちはだかって。ともすれば盾のように交差して構えられしは、細身の双刀。一対一組の和刀を同時に操る、それがこの青年の得物であり、流儀であり。
「…。」
 肉の薄い口許はもとより、凍ったままな頬や赤い眸からさえも、表情を完全に消し切った、その冷然とした佇まいからは。気のせいか、冷気の澱が立ちのぼっているのが見えるかのようで。炎のような赤い衣装が、この時ばかりは…これがこうまで染ませた血しぶきの色であったならという、そんな冷たさをのみ伝えて来る。
「…キュウゾウ、殿?」
 日頃からも寥然とした人物だが、今彼がその身へと帯びているのは、静かではあるが…怒りという名から転じた紛うことなき“殺気”であり。
「………。」
 だが、それを言うならば。重厚な落ち着きという静謐をもって、あまり激したところは見たことのない我らが首魁殿がその身へと帯びているのもまた、冷たいばかりの“殺気”という気概のみ。昏い眸のその色を、鋼のように重く深めて。真っ向から相対す、年若な侍へと強靭な視線を返すのみ。

  「…これは一体?」
  「さあそれが…。」

 私たちにも何が何やら。気がついたときには双方ともに、こんな剣呑な空気になっておられてと。それが何かしらの切っ掛けになるかもと恐れ、空気を乱さぬようにと気を配りつつ、同座していたヘイハチやゴロベエが戸惑うように振り返った先には。使いに走らせた村人から急を聞いて駆けつけた、長身の槍使い殿が立っている。どんな伝え方をされたやら、珍しくも肩で息をしている彼で。だがまあ、仲間内での一、二を争う練達同士が、文字通り“剣突き合っておりまする”などと急を告げられた日にゃあ、翼がほしいくらいにも気が急いての、全力疾走と運ぶに違いなく。

  『どうやらお主は、人を怒らせる手際にはずんと長けているらしいな。』

 不貞々々しい態度が目に余ったか、それとも自分らには聞こえなかったが、何か余計な、しかも言葉足らずな一言で、とうとうカンベエの堪忍袋の緒を切らせたか。今日は昼間の明るいうちから哨戒に回っていたキュウゾウを、弩
(いしゆみ)用の木を切り出す場所の下見にと訪れていた森から村まで、並んで帰りかけていたヘイハチとゴロベエとが呼び止めての、特になんてことのない道行きであった筈が。別の断崖の縁を見て回っていたらしいカンベエが加わって、さして間も刻まぬうちのこの展開。どうやったら止められるのか、手をこまねいている間にも、
「………。」
 汗で額や頬へと張りつくのを厭ってのことか、ふわりと軽いまま裾広な形を保つその金の髪が、彼の迅速な動きにより起こった風に掻き分けられて。隠れていることの多い眸を、白い額を、あらわにする。左右を金色のそれは見事な稲穂で埋められた田圃に挟まれた、少し広いめの、街道へと連なる公道の只中で、突然始まってしまった立ち合いであり、

  「…これは。」

 ここにいる中では唯一、あの虹雅渓での彼らの斬り結びを目撃したゴロベエが、まざまざと既視感を覚えるほどに。あの時の立ち会いとあまりによく似た対峙の場面。赤と白の胡蝶が2羽、追いつ追われつ戯れ合うように、その実、もつれ合うように刀を交えていた、それは緊迫していたあのひとときの正に再来のようで。あのときの舞台は、ここほど開けてはいなかった狭い空間ではあったれど。住居層が重なり合っており、しかも資材置き場の庇などという“高さ”という条件までもが揃いし、結構な修羅場であり。
“此処にも…。”
 すぐ傍らに、ちょっと休憩をと木陰で休めるよう植えたのらしき、枝振りのいい樹が立っている。それをちょろりと肩越しに眺めやったゴロベエだったが、
「…わっ。」
 思わずだろうヘイハチが上げた声で、その注意、再び二人へと引き戻されている。前傾姿勢になったそのまま、対手へと駆け寄ったその痩躯の一体どこに、そんな鬼神を潜ませているものか。細身の刀とはいっても、カンベエがひらりと身を躱したその後にあった、腰掛けに丁度いい岩が…あっさりと真っ二つに切られている威力は、鋼でも刻める超振動を、驚くほどの速やかさにて手元へ招くことが可能なほど、闘気を自在に操れるキュウゾウであるとの紛れもない証左。駆けつけたはいいが、シチロージでも手を出すことはかなわぬほど、二人ともその集中は半端なそれではないらしく。少しばかり離れた辺り、足場を落ち着け直したところを見定め、
「カンベエ様。」
 声をかけたが視線さえ動かないと来ては、
「これは相当に不味いですね。」
 一瞬でも集中を乱せば、間合いへ踏み込まれて危険なのだろうことが偲ばれる。
「ああ。手を出せば邪魔だと、こっちが切り払われかねん。」
 若しくは。出しに利用されるから引っ込んでおれと押し戻されるか、そんな気を回した側が大怪我をする切っ掛けになるか。どれにしたって真っ平だと思うから、尚のこと手が出せず。そこまでの判断がつく身がいっそ恨めしいと思いつつも、結句、ただ黙ってみているしかない彼らであり。

  「…。」

 腕力の格差があまりに大きい場合は、それこそ隙をついての一刀両断、相手からの蚊トンボの羽ばたきのような抵抗なぞ、文字通りの力技でこじ開け、振り払い、強引な一撃を突き通さば、ある程度の相手へはそれでも通用しようけれど。経験値なり習練の厚みなりを会得している相手ではそうはいかない。巧妙にも右へ左へ躱されるうち、気がつけば太刀筋を操られていて。のらりくらりと鬱陶しいとばかり、一気に鳧をつけんと飛び込んだつもりが、いいように釣り込まれてのことだったりしたその揚げ句。隙だらけに伸び切った脇へ、胴斬りの一閃を喰らってあっさりと片付けられるのがオチだったりもするのが、老練な使い手の奥深さと恐ろしさ。
「…っ!」
 蒼銀の光が激しく閃く。左右からの、若しくは上下からのという、逃げ場を限定するよな双刀による一気の挟撃であったり。はたまた、時間差をつけての相前後して、避けた先まで追いすがる、それは執拗な二段攻撃であったりと。正に畳み掛けるような凶刃を、休みなくの延々という立て続けで振るうキュウゾウであり。それは見事な構成にて、絡まりも行き詰まりもしないまま、連綿とした攻勢がその身を目がけて襲い来るのへと。
「…っ。」
 カンベエもまた、無駄のない僅かな動きによる紙一重で身を躱し、自刃や鞘にて受け流し、弾き返す。鋼と鋼が半端ではない強さでぶつかっているがため、昼間の明るさの中でもそれと判る火花が散って、間近になった互いの眸の奥底までもを照らし出す。
「…っ!」
 一見、強引なる押しの攻勢にたじろぐように、防戦一方、ただただ追い込まれているばかりにも映ったカンベエの対処だったが…さにあらん。
「哈っ!」
 単純な応じながらも、根気よく絶妙に重なっては抗うその防御。その隙を何とかこじ開けんとし、間髪入れずに刃を繰り出し続けていた調子をキュウゾウが故意に外しての、大きく踏み出ることで意表をついて。
「…っ!」
 流れるような連動にて立ちはだかってくれていた防壁、黒塗りに銀意匠のからまる鞘を外へと叩いて。やっとのお目見え、いよいよその懐ろの深みへと、掻き斬るように突き通したキュウゾウからの一刀…だった筈が。
「な…っ!」
 それを高々と弾いたは、カンベエの手元で外へと弾かれたそのまま、くるりと回った鞘の鐺
(こじり)。強く握っていたなら、手首ごと外へと弾き飛ばされ、ついでに彼の懐ろも、外へと大きく開いていたところ。反射的に手を緩め、しかもその手に沿うようにして回って逃げかかったものを宙空にて逆手に掴みしめての、起死回生の反撃であり。詰めのつもりの渾身の一刀を、弾いて除いたその結果、今度は逆にキュウゾウの身が…勢い込んでの突進が徒になり、両手ともに外へと弾かれての空いてしまった状態へと追い詰められている。
「ちっ!」
 ところがところが。この若い侍が得手とするのは、刃を打ち合うのみの通り一遍な斬り結びだけではない。身が軽く、体術へも明るい彼であり、鞘での防御に続いて今度はカンベエからの攻勢。白い長衣を風に鳴らしての大きな振りかぶりから、刀の切っ先が振り下ろされたのを、怯みもしないで見逃さず。途轍もないバランスにて、向背へと失速しかかっていた体を片脚だけで支えると、風に煽られる旗のように、こちらも紅衣の裾を大きく翻し、振り上げられたは鞭のような蹴撃一閃。
「くっ!」
 それがカンベエの手の甲へと横ざまに的中し、刃の切っ先が大きくぶれる。その隙に体を旋回させて、刀の動線の上から身を避け、相手の横手へ移動させようと構えていたキュウゾウだったらしいのだが、
「…っ。」
 蹴りつけた足の、丁度足首をむんずと掴まれ、これはさすがに息を引く。大きな手の向こう、不意を突くためにと蹴りつけたもう一方の手からも、力はさほど削がれていないようで。あらためてぶんっと大きく振り上げられた刀が、
「…っ!!」
 キュウゾウの脚の上、素早く交差させられた双刀により受け止められたことを、思わず目元を覆ってしまっていた手の隙間から確かめたヘイハチが ほうと安堵の息をつき、
「これはもう、止めるのは無理なんでしょうかね。」
「…う〜む。」
 ここまでの…只事では済まないレベルの攻勢を、容赦なく相手へ向けたほどもの切り結びへと発展してしまっては、双方ともにそう簡単には収まらないこと、誰の目にも明らかで。今も、一見膠着状態に見せながら、
「離せっ!」
 選りにも選って脚を掴まれ、動きを封じられしこと、身の不利とするかと思いきや。不自由な拘束を受けていた側の脚は一旦膝を緩めてバネをため、ついていた側の脚で思い切り地を蹴り込んでの、やや強引ながら 脚からの変則体当たり、若しくは突き飛ばしを敢行したキュウゾウであり、
「…っ!」
 もがくか刀で威嚇して手を離させるかと読んだ、その範疇外、直裁的な手でかかったことが却って効果を博したようで。ぐんっと途轍もない押しでかかられた弾み、一瞬だったが就縛の手が緩んだ隙をつかれ、しかも、地を蹴って風を切り、顔へと飛んで来たもう一方の脚の甲が視野に入ったことから、
「ちぃっ。」
 カンベエの側もまた、キュウゾウからの攻勢範囲より一旦撤退。長衣の裾を風に叩かれ、ばさばさと鳴らしつつ、道の反対側までを後退する。長い一瞬だったのか、それとも刹那の数刻だったのか。生の躍動と死の淵への誘
(いざな)い。随分と濃密な瞬間ばかりの詰まった一時だったには違いなく、
「膠着状態へと入れば、止めようもあるかもしれんぞ?」
「そうですね。」
 それをこそ見極めましょうぞと、息を詰めたその矢先、

  「…っ!」

 ぎらりと強い光を弾いて、その白い手元で向きを変えた刃。切っ先が決まって、だが、それを見定めようとしたカンベエの眸を翻弄するかのように、くるりと撥ねる。持ち方を逆手へ転じさせたそのまま、地面すれすれ、地を這うような低い位置から、そのまま穹へまで抜けよという勢いにて。細身の刀身が、キュウゾウの腕とそれから自身の上背とを連れて高々と伸び上がり、

  「…っ! カンベエ様っ!」

 あまりに素早い切り返しと、跳躍と。そこから逃れるように、傍らの塚樹の高みへと跳んだカンベエの白い外套が、疾風のように襲い来た剣戟の威圧に煽られてなおの高みへ舞い上がり、色づいた梢の重なり合うその奥へまで、押し込まれるように吹き飛ばされた。しかもそれを追ったキュウゾウの背中が、あっと言う間に同じ高みへと吸い込まれる。そして、


  …………………………………………………。


 ああまで凄まじかった剣戟の音も、それは冷ややかだった殺意の威圧も、幻であったかのように全てどこぞかへと払拭されており。後には何とも不気味な沈黙だけが、それは唐突に訪れて。稲穂の立てる細波の音が、こんなにも恐ろしく聞こえたのは、3人には等しく初めてのことだったほど。

  「…一体どうしたんでしょうね、お二人は。」
  「さて…。」

 もしかして。私たちは夢でも見ていたのでしょうか。村の広場へ戻ったなら、キュウゾウ殿が相変わらずの無表情にて弓の稽古を村人たちにつけていて、カンベエ殿が作業の方の進捗はどうだと、あの落ち着いたお声で訊いて下さるんです。
「…ヘイハチ殿。」
 何とかして心の平安を取り戻したいお気持ちは判らなくもないですが、それはあまりに極端なと、困ったようにシチロージが執り成そうとしたその時だ。

  「幻にされては、降りるに降りられんな。」

 そんな声がし、ややあって、樹上からひょいと飛び降りて来たのはカンベエで。白い装束のそのどこにも、傷や汚れは増えてはなかったが。それにしたって、だとすれば。
「………。」
 何とはなく薄ら寒いものを感じつつ、静かなままな樹上を見上げたりしていると、
「ヘイハチ。」
「は、はははははいっ。」
 慌ててのこと、しどろもどろな返事をする彼へ、無造作に延ばされた手で差し出されたのは…小ぶりな鋼鉄製のユニット、のようなもの。
「それは?」
 隣にいたゴロベエやシチロージが覗き込んだのと同じ間合い、
「“雷電の眸”じゃありませんかっ。」
 はっとしたそのまま、それを手に取り、声を高めたヘイハチで。
「ヘイさん?」
 一人だけ事情が通じたなんて狡いですよと言わんばかり。シチロージが二の腕へと手をかけたものの、興味深い機械との遭遇とあっての好奇心に、心奪われてでもいるものか、何の反応もないままで。
「一通りは踏みつぶしの切り刻みの、しておいたがの。」
 だから、それってどういう意味なんですようと、依然として話が見えて来ないシチロージが恨めしそうな顔をしておれば、
「島田。」
 不意な声がして。おおと、安堵から肩を落としたゴロベエが見やった樹上。同じところを真下から振り仰いでいるカンベエの懐ろ目がけ、ぽそんと落とされたのが、似たような装置とそれから、
「まだあった。」
 キュウゾウの単調な声かけであり。まるで何事もなかったかのように、あっけらかんと交わされる会話なのが…どうにも飲み込み難く。勿論のこと、
「うむ、済まんな。」
 こちらもやはり、何事もなかったかのように応じているカンベエとへも、居合わせた残りの3人が魂が抜けたんじゃなかろうかというほどの勢いで脱力し、唖然としたのも無理はなく。そんなところへ、かさりとも葉擦れの音をさせぬまま、身軽に飛び降りて来たキュウゾウへ、
「済まなんだの、何の示し合わせもなく雪崩込ませてもらった仕儀だったが。」
 はい?
「よくもまあ、ああまで意を合わせてくれたものよ。」
 くつくつと喉奥を鳴らし、いかにも愉快だとでも言いたげに笑った首魁殿へ、ちょいと伏し目がちの斜
(ハス)にした視線を寄越したキュウゾウはといえば、
「…気晴らしにはなった。」
 特に感慨もなさそうに聞こえかねない、だが、わざわざの一言を告げてから。先にさっさと村の中央、広場への道を辿り始める。真っ赤な痩躯のその上に乗っかった、周囲を取り巻く稲穂の色にもさも似た金の髪が、吹き抜ける風にさわさわといたずらされており、


  「…えっと、つまり。どういうことなんでしょうか、カンベエ様。」






            ◇



 処分はヘイハチに任せたあの装置は、野伏せりたちの機械の躯、視覚をつかさどる機体の、持ち主を失った言わば“亡骸”を応用したものらしく。魂を持たないそれなので様々な調整などは出来ないながら、漫然とした画像で良いのなら、それを撮影して近場の別の野伏せりのやはり機械の視覚へと転送が出来るという仕掛けであるらしく。そこまでの詳細が判るのは、後日のヘイハチからの報告で、なのだが。
「断崖のほうに不自然な枝の折れやら崩れた岩肌やらという、外からの侵入の跡があっての。昨日今日というような新しいものではなかったし、我らを雇った旨へとクギを刺しに来たとかいう輩は、何もこそこそ行動する必要はない筈。だったら何者の仕業かと、それらへ首を傾げて農道まで戻ってみれば、今度は妙に不自然な鋼の装置があちこちにばらまかれておる。」
 なかなか刈り取られぬ稲穂の陰や、塚樹の上、休憩に馴染んで来たのだろう腰掛け岩などに張り付けてあって。何だか村の様子が怪しいぞと見越しての、見張り部隊による下準備だったと思われる。
「…いや、気がつきませなんだな、そりゃあ。」
 カンベエが切り刻んだ手際を見て、キュウゾウもまた、直接の相手へ刀を振り下ろしつつ、巧妙に弾かれるたび、その延長にて次々に、怪しい機体や装置とやらを粉砕しまくっていたのだとか。
「あれもまた、時期的なことを思えば、これから来やる連中の据えたものではなかろうが。張り番の小屋なぞに記録でも残っていて、それを使い回されても何だったのでな。」
 端的に言えば、怪しいからとりあえず壊したと。思い切ったことをいきなりやらかす大胆さは、何年経っても変わらぬ首魁殿であり、

「一つお伺いして良いですか?」
「どうした?」
「もっと穏便に、取り除くってことは出来ないものだったのですか?」
「万が一にも、現在稼動中だったら。せいぜい揉めているところを見せておいた方が油断するかのと思ってな。」

 やはり楽しげに言い切る首魁殿であり、それを聞いた元・副官は、やれやれと肩を落とすしかなかった。
「本当に肝が冷えましたよ。」
 何だかだ言っても、あの、紅衣の若侍の腕のほどは本物だ。此処に来る途中の荒野での、野伏せり相手の孤軍奮闘を見ただけに、シチロージにしてみてもキュウゾウの…破格なまでの剣豪ぶりの凄まじさは先刻重々承知であり。そんな彼との切り結びだなんてどれほど案じたかと、つくづくと重い口調で愚痴ってみれば、
「そうか。」
 大したことではないと、むしろ楽しい一時でも過ごしたかのような笑いさえ浮かべて、あっさりと受け流す、こちらもまた憎い御仁であったりし。
“…まあね。あちらさんも良いガス抜きが出来たと、せいせいしているかもですが。”
 警戒中の今だって緊張感ならあるとはいえ、それとこれとは別物だろう。向こう任せという取り留めない待機が続き、多少なりとも鬱屈が溜まっていたに違いない。そうは簡単に切り伏せられないしぶとさと、彼ほどの剣豪が目まぐるしいまでに翻弄された、老獪で変幻自在な対応を交えた、それはスリリングな立ち会いをさせてくれる相手だから。思い切り刀を振るえる、高揚感を与えてくれる最上級の相手だと見込んでいるからこそ、真っ向からの勝負をしたくて堪らず。カンベエが全ての“仕事”を終えるまでのお預けを律義に守っている彼であり。今のあの激しくも鮮やかだった斬り結びを見るにつけ、これだけの技能を、あっさりと起動させられる身、なのに欠片ほども匂わせぬまま抑えていただなんて。やはりただ者ではない青年だというのがひしひしと実感出来た。
“忍耐強いなどというよな通り一遍な言いようで片付けては、筋違いも甚だしいのかもだな。”
 それだけの執念を抱きながら、それと並行してこんな命懸けの仕事へも手を貸してくれる彼なのは。キュウゾウ自身の許容の深さもあろうが、彼を動かしたカンベエという存在の大きさが まずはあってのことであり。
“本当に。すこぶるつきに素晴らしい味方でも敵でも、作るのがお上手な方ですよね。”
 頼りにされたり煙たいからと憎まれたり。それもまた彼の奥深い人格が惹き寄せてしまうものであり、そんな人性を作り上げたは、彼が経て来たそれなりの歳月の重み…と。言うは容易いが、それを正確に知っている者はといえば彼自身の他になく。古女房だなどと呼ばれるほど付き合いの長くて深いシチロージでさえ、彼の全てを把握しているかと問われれば、そのまま頷くことは出来やしない。
“………。”
 彼のその佇まいにまといつく重厚な静けさは、人性の厚さから来ていることは勿論ながら、それと同時に…その身の裡
(うち)へと負った様々な暗渠を覆う静謐でもあって。その霧を打ち払える光明や風は、もはやこの男には訪れぬというのだろうか。
「…? どうかしたか?」
 ふと。先を行くカンベエが肩越しに振り返る。背中へ流れる蓬髪が、少しほど傾き始めた秋の陽を透かしている。
「あ、いえ。」
 何でもありませんよと、気遣われてしまったことへか苦笑をし、少しばかり先を行く、風に翻る長衣へとその背中へと駆け寄るシチロージで。それにしても鬼のように強いキュウゾウ殿に、よくもまあ切り刻まれなかったもんですね。鬼のようには良かったな。はぐらかさないで下さいましな。あれの太刀筋くらい、読めんでどうする。ほほお? のんびりと、だが確かな足取りで。向かうは、彼らの守る人々が待つ小さな村の小さな家並み。秋の陽はせっかちにも、黄昏の金をまとい始めており。そんな風景の中、歩みを運ぶ二人の用心棒へと、道の左右から村の宝がさわさわ囁きかけてくる。


  ――― 風に騒いで さわさわわ。
       どうかご武運をと ざわざわわ………。





  〜Fine〜  06.11.29.〜11.30.


  *格闘乱戦、斬り結び。
   鮮やかな活劇を紡ぐのは難しいばかりではございますが、
   それこそが醍醐味の“侍7”でもありますので、
   ここは別のお話で培った
(?)蓄積を総動員して、
   頑張ってみた次第です。
   すぐ前の、なかなか煮え切らないムーディーなお話からは
   随分と思い切って一転したもんですが、
   果たしていかがなもんだったでましょうか。
(苦笑)


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