囲炉裏端 〜お侍 習作の7
 

 
 まだ晩秋だというのに、気の早い霜でも降りないかというほど、急に冷え込んだ凍夜の中。冷たく冴えた月光に送られつつ、哨戒先から戻ってみれば。此処へと逗留中の足場にでもお使いくださいと、侍たちへ用意された古びた農家は、ほこほことした暖に満たされていた。

  「おや、お二人ともお帰んなさい。
   ちょうど今、いいものが煮えたところですよ?」

 明かりは火皿を据えた燈台のみという、ともすれば仄暗い屋内だったが、よほどに裕福な暮らしをしている階層の者でもない限りはこれが標準。炭を多めに起こされた囲炉裏からの柔らかな輻射とそれから、その上の五徳へと掛けられた大小2つの鍋から立ちのぼる湯気とで、結構大きな作りの茅葺き家屋は、外気の冷たい意地悪を忘れさせるほどにほっこりと暖まっており。動き惜しみを知らぬのか、てきぱき動いて何やら支度を整える、長身の美丈夫の向こう、先に炉端へ腰を据えていて、
「やあ、お帰りになりましたね。」
 心なし、待ち兼ねましたぞと言いたげに笑って見せたのが。様々な工具やツールをその身に色々と隠し持っているのみならず、広範な知識を生かし、首魁殿の外連味
(けれんみ)あふれる企みに力を貸す“工作造成”の実行に、現在ただ今、獅子奮迅の働きを見せてもいる、元・工兵のヘイハチ殿。いつも穏やかで明るいえびす顔を保つ彼ではあるが、今宵はまた、常のそれへと輪を掛けたようなご機嫌ぶりであるらしく、
「これはまた。何かしら吉兆でもござったかな?」
 段差のある框を上がり、囲炉裏の端へと寄りながら、相手に合わせてか、少々おどけたような語調でカンベエが尋ねると、さもありなんと何度も頷く。
「吉兆も吉兆、物凄いことが起きたんですよ、カンベエ殿。」
 これで怒れば斬りつけるような厳しい眸をして人を断罪する男が、瞑っているのではなかろうかと思えるほどに目を細め、

  「なんと、ゴロベエ殿が猪退治をなさったのです。」

 おや、それはまた…と。言葉の意味は一応解せたが、どんな表情になればいいやら、珍しくも首魁殿がそのお顔を唖然とさせてしまったほど。何しろ、今の彼らのおかれた現状には、なかなかに重ねにくい事象の出來
(しゅったい)だ。ただでさえ、尋常ならざる企みを執行中だというのに、そんな…数年に何度もありはしなかろう一大事が重なられても。どう驚いたらいいものやらと、コトの重さを量りかねるというもので。四角い囲炉裏の隣りの辺へと座したキュウゾウは、元より薄いその表情が動くはずもなかったものの。語り部の意気は下がるどころか、新たなる聞き手を得ての弾みがついた模様。にっこり笑ったそのままに、それでは一部始終をと口火を切って、
「岩砦を構えております古廟の陰から、そりゃあ大きな猪が飛び出して来ましてね。」
 大きさはそうですね、雌牛ほどもありましたか。いや本当に、随分と大きな奴輩でしてね。古廟を住処にしていた、言わば“主”だったのかも知れません。
「ゴロベエ殿とて、最初から屠ってしまおうと思った訳じゃあない。首尾よく生け捕れたなら、橋向こうの原にでも放してやって、戦さが済んでからこっちへ戻してやるもよし、なんて。思ってござったそうですが。」
 既に村人の中にも牙でつつかれて怪我をしたものが何人か。捕らえるのに往生すればそれだけ、これは自分たちへの天からの諌
(いさ)めかも知れぬと、村人たちの間に悪い方への杞憂が広まりかねぬと読んだゴロさん。致し方なしと、猪に真っ向から挑みかかり、蝦イモほどもあった大きな牙を押さえて、こう、ぎゅううっとな。地に伏せさせての調伏を成し遂げ。しかもすかさず、
『これこそは、我らが大望を天が試したその結果。怖じける事なく挑めば、必ず成就との卦が出たぞ』
 雄々しくも声を張っての宣言には、辺りにいた人々が皆して喝采し、気の早い鬨の声まで上がる始末。ヘイハチの語り越しとはいえ、
「それはまた、ゴロベエらしいことよの。」
 カンベエも苦笑が絶えぬ様子だし、
「ですよねぇ。」
 彼もまた現場にはいなかったというシチロージも、妙に納得の態を示す。ずんと永らくの戦さが終わり、さりとて侍としての偏った身を助ける職も無し。そこでと大道芸を始めていたその蓄積。声高らかに人の衆目を集め、そのまま心を掴んでしまう、それはなめらかな弁舌に秀でている御仁だと、カンベエ以下、仲間うち全員の知るところ。そんなご大層な言い回しも、彼の口説にかかったならば、人々をあっさり魅了したに違いなしと想像するは容易くて。
「さて、この大物をどうするかということになりまして。」
 長老へとお伺いを立てたらば、そのような目出度い賜物であるのなら、村の皆の活力にさせていただこうということになり。もともと捕まえたなら食する習慣はこの村にもあったらしく、奥方 総出で見事に捌いてしまわれて。
「で、我らへもおすそ分けがあったという次第です。」
 ヘイハチの談の末と同時。ぱかりと、シチロージが鉄鍋の蓋を開けたれば。ほどよく煮えた野菜や猪が味噌の下地をまとってそれはいい香りを立てている。今宵は村中が、同じ鍋をおかずや汁物として食していることだろうから、
「急な寒気も気がつかないんじゃってほど、暖まったに違いありませんからね。これはやっぱり、天啓へ挑んで勝った、そのご褒美に違いありませんて。」
 にっこりと笑いながら、小鉢へとよそい分ける、シチロージの手つきも慣れたもの。
「他の者は?」
 その功労者のゴロベエやキクチヨ、カツシロウといった、今姿が見えぬ者らはとカンベエが掛けた声へ、
「先に食べて持ち場へ戻っておりますよ。」
 それで、お二人を迎えに行かねばと思っていたところですと、働き者の手を動かしながら、柔らかく笑ってみせたそこへと重なったのが、
「それからこれは功労賞。」
 とんっと、囲炉裏の縁にヘイハチが据えたのが、真ん丸な形の陶器の一升徳利。
「さすがは米どころです。芳醇で、なのに飲み口はきりりと冴えた、辛口の逸品の純米酒。こんないいお酒まで造ってた村なんですね。」
 口ぶりから察して、もう既に味見を済ませた彼でもあるらしく、
「燗をつけました。そうそうがぶがぶと飲んでいい場合ではありませんが、これもまたこの寒空に鋭気を養うには持って来いだと勧められまして。断る理由もないですし、ありがたくちょうだいしましてね。」
 それでのことか、鍋の傍らには銅壷
(どうこ)が掛けてあったらしくて。
「ゴロさんがまた強いのなんの。」
 ほらと背後を肩越しに示したヘイハチの視線の先、土間の片隅には。同じ徳利が4、5本ほど並んでいる。今の言いようからして、あれはゴロベエが空けたに違いなく。おやおやと苦笑したカンベエへ、
「いえ。キクチヨも多少は。」
 シチロージが此処に居ない当人に成り代わってか 弁明となる言葉を継いだが、
「ほお、十三の童っぱにも飲ませたか。」
 即妙に返されてしまい、堪らず、場がどっと沸く。村人たちにはこの先の命運を賭けての、侍たちには命懸けての、大勝負でもあろう戦さを前にしてはいるが。乾坤一擲、なにするものぞと、その士気は全く衰えを見せず、いっそ頼もしいばかり。そんな場に、陰を指すほどの気配ということもなかったが、
「………おや。」
 むしろ、そこはよく気がつく性分だったから、シチロージが気づいて…小首を傾げたのが、
「キュウゾウ殿? どうされた。」
 こういった雑談めいた会話に彼が加わらないのはいつものこと。そうそう煙たがるでなく、大概は黙って座にいて聞いており。実にならぬと解すればとっとと席を立つことへも斟酌しない性分をしておろうから、居残るは彼なりの協調なのかもと。特につつくこともなくいるのが周囲の側の常なれど。それにしては…成程 これは妙だと、思わずシチロージが声を掛けたのも判らんではない。粗末ながらも銘々の膳代わり、組木の盆に握り飯と鍋の鉢を並べての夕餉とし、さあどうぞとお膝の前へ据えられてあったのに。どういうことか、まんじりとも動かず、箸をつけない彼であり。
「お嫌いでしたか?」
 だから食べないのかと問えば、ほんの微かながらかぶりを振る。
「あ、それでは、お腹が空いてはいない…ってことはないですよね。」
 当然と言っては何だが、三度三度たらふく食べられる環境ではないその上に、各々で受け持っている作業や監督からはなかなか抜けられずで。握り飯を食べつつ、役目もこなすという、動き回っている方が主体なこの数日。臨戦態勢ならではな、食べられるときに食べておかねばという構えに入ってもおり、今はさほど食べたくはないから遠慮…などとお上品なことを言ってはいられない戦さ前だということくらいは、この若侍殿にも判っていよう。それでは何故?と、寡黙な彼から読み取ろうとしてか、こちらも口を噤み、その代わりに小首を傾げた、気遣い上手な槍使い殿の横手から、
「ああそうか。」
 ポンと手を打ち、そんな声を張ったのがヘイハチ殿で。何だなんだとシチロージがカンベエが視線を向ければ、

  「キュウゾウ殿。あなたもしかして“猫舌”なんじゃあありませんか?」

 はい? ちょぉっと待ってくださいましなと、粋で鳴らした美丈夫殿の眸が点になる。しかも、
「…。」
 問われた側の、金髪赤衣の若いのがまた、こっくりと頷いて見せたから。
「猫舌…ですか。」
 人それぞれ、得手不得手はあろう。なくて七癖、あって八癖なんても言うし。天を衝くほどもの威容を誇る偉丈夫が、手のひらに乗りそうな仔猫に怯えて飛び上がることだってあろうから、熱ものが苦手だなんてそのくらい、大した難ではないのだが。
“うん。難ではないぞ。”
 違和感を覚えたのは一瞬だけ。いつも泰然と、若しくは粛然と収まった様子でいる、そんな彼にも苦手があったのか…で収まる筈が。やあ、人並みな苦手があるんじゃないですかと、やや失敬なことを思ったのも、シチロージには難なく隠し通せる程度の感慨で。それを上回って押し寄せたのが、

  “………かわいいお人じゃあないですか。”

 血が通っているのかも怪しいと思うほど、日頃のキュウゾウは、その冷然とした態度や行動が他へも自己へも徹底しており。多少の難儀へは口や手を出さず、だが、振り捨て見切る訳ではなくて、自力更正をじっと見守ってやっている。それと同じで、困っているところなどそうそう見たことがなく、だが、何でもこなせる彼でもないという証しが、例えばこの…熱いものという“苦手”へ、ただ黙って待っている態度だということなのなら。恐持てで取っ付きにくいどころか、いっそ微笑ましくてかわいらしいと、面倒見のいいシチロージ殿、庇護欲でも擽られたか、とりあえずは…口元へと上りかかる苦笑へ窮している模様。そんな彼だと気づいているやらいないやら、さすがに食事中だからといつもの手ぶくろは外しているヘイハチが、鍋の傍らに掛けてあった小さな銅壷から縁の欠けた小ぶりの瓶子をちょいと摘まんで引き上げながら、
「キュウゾウ殿ほどの若さで、大戦経験者だということは、戦さ場にいた頃はもっとずんとお若い新兵であったはず。そんな立場の者はね、食事の順番も後回しになるので、出来たてなんて口に出来よう筈がないんですよね。」
 まあそこは私ら工兵も似たようなもんではありましたがと苦笑をし、
「戦さ場に於いては、早弁、つまりとっとと食うことも求められますから、丁度いいと解釈されて。温め直すなんてとんでもなくて。それで、どこぞの大名の嫡子かってくらいに、ああ、そっちは毒味の後だからですがね。冷や飯に慣れて猫舌になっちまったって者が結構いたそうですよ?」
 ヘイハチの繰り出した理屈、判らないではないけれど。
「…ですが。」
 その戦さも、終わってから はやどのくらいになるものか。そんなものは一時的な習慣だろうし、一応は平穏なそれへと落ち着きつつある世情にあってのその上、彼は…虹雅渓の差配だった大商人の下で用心棒をしていた身。もう、いやいや冷や飯を食う立場では無かったはずではと、怪訝そうに綺麗な眉を寄せたシチロージへ、
「その方が便利だったから、直さなかったのだろうよ。」
「…カンベエ様?」
 静かな声を掛けたのが、意外なことには首魁殿。頬へとその縁がかかる蓬髪の陰、伏し目がちになり、ちょっとした小鉢のようなぐい飲みについだ冷酒を運びつつあったその口で、
「大方、飯など腹が満たされればいいだけのものと。そのくらいにしか思っておらなんだのではないか?」
 誰を見るでない、まるで独り言のような言い方は、だが。食うことへの傲慢とか何とか、説教めいたことを含んでの吐き捨てるような辛辣さではなく、むしろ…しょうがないことだと弁解してやるような、静かな響きで紡がれており。
“…ああ、そうか。”
 侍の意気をもち続けておればこその優先順位というものであるならば、このお人にはよくよく理解も出来るのだろうなと。そこは古女房との言われもあらたか、ようやく得心がいったシチロージであり。
「それじゃあ…ちょっとお借りしますよ?」
 ひょいと腕を伸べて、さっき自分が取り分けてやったキュウゾウの鉢を手にすると、何を思ったか自分の顔近くへと抱え上げ、
「まだ少し、まんまで食べるには熱いですね、こりゃ。」
 眉を下げたかと思いきや、そぉっと吐息を吹きかけ始める。あららぁと眸を見張ったは、ヘイハチとキュウゾウで。だが、カンベエは顔を上げぬまま、苦笑を浮かべているばかり。そうこうするうち…といっても、ほんの数刻ほどのこと、
「あんまり冷めてもなんですし。」
 このくらいで丁度いいのでは? そう言って、鉢を元あった盆へと戻した彼は。そのままじっと、赤い長衣のお膝を揃えて座していた、紅眸の若者を見やったままでいる。
「…。」
 どうやら箸をつけるまではそのままの構えでいるらしいと。ヘイハチが気づいて、苦笑とともに小さく“うんうん”と楽しげに頷き。無論のこと、その視線を向けられた本人もまた…そういう機微には疎いかと思えば、そこはさすがに気づいたか。にっこりと笑っているシチロージと小鉢とを、視線だけで交互に眺めてそれから。
「…。」
 特に怖ず怖ずという風情ではないながら、それでもその直前までの“間”は、この彼には有り得ない躊躇。妙な話、息を詰めるようにして“そこから”を注視していた周囲の大人たち3人が、そのままその所作を見守る中。なかなかに行儀のいい箸の扱いを見せたキュウゾウが、白い手へ鉢を持ち上げ、野菜だろうか具を摘まみ上げると、ぱくりと…無防備にも口へと運ぶ。
“…吹いて冷ますという観念は、やはりないらしいな。”
 十分に冷ましてもらったからというよりも、最初からそういう手筈を知らないらしく。まま、それも今はともかく。丁寧に咀嚼をし終えるまでを、やっぱり妙なもので…固唾を呑んで見守っておれば。

  「…美味い。」

 ぽつりと呟いたのが。何だか妙に感動を誘い、お母さんが喜んでの笑みを頬いっぱいに浮かべて見せて。ちょっと待て、誰が“お母さん”ですか。いやですよう、お鍋を仕立ててあまつさえお給仕に勤しんでたあなた以外におりますか。そういえばお主、自分の鉢は綺麗なままだの。ああ…ええ、何だか、こういうものは作っていると目や匂いで満腹気分になっちまうものでしてね。それよりお二人とも、食べるものも食べてから飲んでくださいよ? そうでないと悪酔いしかねません。カンベエ様は特に、放っておくと何にも食べないで1日通されたりもするのですからね。おお、それはまた。食いたくとも食えないときならいざ知らず、私には到底真似出来ませんな。………などなどと。何だか妙な勢いがついたか、そのまま和やかな談笑が始まって。熱燗酒を傾け合う父親と長男の掛け合いへ茶々を入れつつ、こちらは打って変わって黙々と食事を続ける次男へも世話を焼き、その合間の時々に自分もやっと箸を取る母親の図というのがぴったりと当てはまる、何だか変だが急増のそれにしては妙にはまった団欒の図がどのくらい続いたか。(だから誰が“母親”だ・笑)

  「さてと。それでは私も持ち場へ戻りますね。」

 鍋も大方喰い散らかしたところで。健啖さを見せつつ、一番よく喋って場を盛り上げてもくれた、米侍ことヘイハチが、よっこらせと立ち上がる。
「外は寒いですよ? 防寒を足さなくてもいいのですか?」
 しつこい茶々へ律義に何度も“誰が母ですか”と言い返していたくせに、そこは自然な気性からのものだろう。たいそう暖まってた反動から、そのままで外へと出てはそりゃあ冷えるかもと、その身を案じたシチロージへ、
「大丈夫♪」
 小柄な工兵さんはくすすvvと笑い、何やら小さな…平たい袋を胴巻きから引っ張り出して見せた。
「私にはこれがあります。」
「それって…?」
「中にマンガン砂鉄が酸化剤と一緒に入ってましてね。酸化作用で熱を出す、まあ火を使わないカイロというところでしょうか。」
 専門外の人間にはよく判らないが、自作であるらしい優れものを、自慢半分にご披露し。それでは、と、立っていった足取りの、何とも自然であったことか。
“ゴロさんのことは言えないうわばみだな、ありゃあ。”
 米好きヘイさん、お酒もお好きというところか。
「恵比須様はお酒の神様でもありましたかね?」
 最後までご陽気に振る舞っていた彼が出てゆくと、家の中はふっと、明かりまでが照度を落としたような気がして。とはいえ、もう随分と遅い時刻で、いつまでも騒いでいるより、むしろそろそろ落ち着いた方がいい時間帯。
「そろそろ仮眠でも取りますか。」
 明かり取りの連子窓を見上げて、月の高さを眺めやり。衾の用意もある家なのでと、寝間の準備に立って行こうと仕掛かったシチロージが、その膝と腰を上げ切らぬうち、

  「いや、ちょっと待て。」
  「はい?」

 何か?と。さして身構えもなく応じて、声を発した相手へと顔を向け戻した槍使い殿。

  「…おや、もしかしてお邪魔でしょうか。」
  「何を取り違えておる。」
  「助けてほしいのなら、素直にそう仰せになられては?」

 いきなり意味深なやりとりとなったのは。ちょいと眇めた眼差しにて、シチロージが見やったその先。丁度彼からは対面へと当たる、囲炉裏を挟んでの向かい側にて。その膝へ誰かさんを枝垂れかからせていた首魁殿だったからに他ならず。
「一体どうしましたか。」
「いや…。」
 重々と見越していての敢えてのこの物言いは、誰がどう悪いのかをはっきりさせないとという強腰の現れで。さすがは“古女房”とカンベエ自身が口にしただけのことはあり、小綺麗で世話好きで凄腕だ…というだけではなくて。信奉する主
(あるじ)が相手でも、そう簡単には屈しませぬとの、手ごわいまでの自負を持ち合わせてあればこその、厚き信望と共に授かる呼称。それを冠され続けていたただけはあるシチロージだということは、意を酌めるだけでなく、場合によっては箴言だって辞さぬ、そんな存在でもあるらしく。人目がないからというわきまえも勿論あっての迫力なのだろうが、
「火の傍だってのに。危ないですね、まったくもう。」
 何ぞの舞いの所作でも思わせるような、どこへも引っ掛からない所作のまま。すっと立っての足はこびもなめらかに、彼らの傍らまでを運ぶと。カンベエが胡座をかいた、膝というか腿というかへ はたりとしなやかな腕を伸べ、うつ伏せに突っ伏しているキュウゾウの側へと屈んで…。
「一体どれほどを飲ませました?」
「そこの猪口に1口だけだ。」
 指して見せた先、成程、コマチ坊がおままごとにでも使っていそうな、それは小さな猪口が板の間の上へと転がっており、
「珍しそうにじっと見やっておったので、飲んでみるかと勧めたのだが。」
 舐めたそのまま声もなく引っ繰り返るとは、と。この青年の様々なあれこれへ、唯一あまり動じたことのないカンベエが、これはさすがに初めて驚いたのも、まま、判らなくはない。これもやはり、日頃の彼の端然とした様子からの勝手な思い込みとそれから、
「戦さ場にいたのなら、上官からの無理無体な酌もたんとあったでしょうにね。」
 そうやって慣れてゆくのが定石でしょうにと、今日二つ目のビックリに こちらはもはや呆れてしまったシチロージへ、
「なんの。こやつの腕だ、きっとあのひと睨みで黙らせて通したに違いない。」
 これもまた助け舟を得た効果で、もう立ち直ったか。稚気を含ませた声にて、どこか愉しそうに言い返したカンベエであり。そういうお人と判っちゃあいたが、
「上官が声を裏返しそうなお人を、堂々沈没させたのはどなたですか?」
 下戸へと無理強いすることほど可哀想なことはないと、少しばかり恨めしげ、責めるような眸を向けてから、
「キュウゾウ殿? 大丈夫ですか? 気持ちが悪いとか、吐き気がするとか、そういうのはありませんか?」
 意識が曖昧だと、何ともその細さが際立つ肩と背中と。座っていた格好からそのまま斜めの横倒しに倒れたらしい、その肩へと手を掛ければ、
「…。」
 頬へと先の流れた金の髪の向こうから、うっすら開いた紅の眸が何とかこちらを仰ぎ見たそのまま、
「…。」
「キュウゾウ殿?」
 固まっていたのが数刻ほど。それからようやく、覚束無い手を板の間へとついて、何とか自力で身を起こすので。こんな様態でも滅多な隙は見せられぬものかと、天晴な心意気へいっそ感嘆しかかったシチロージだったが。
「…。」
 え?と。息を引く間もあらばこそ。肩へ手を掛けていたということは、キュウゾウの側からも十分に届く位置にいた、いやさ、元の位置へと起き上がった分、古女房殿のより近間に起き上がったほろ酔いさんが、その後、どうしたかというと。

  ――― とさん、と。

 頭というか額というか。真っ直ぐの正面にいた相手の肩へ、ふわりと凭れ掛けさせて来たのが、

  「…キュウゾウ、殿?」

 いやもう、意外で意外で信じ難くて。

  「あの…キュウゾウ殿?」

 ほとんど膝を突き合わすくらいの間近だったものだから、かくりと折れたように倒れた細い首ごと。これもやはり、絞り込まれてしなやかに細いその上体までもが、シチロージの懐ろへ転がり込んで来た格好になり。まま、かなりの痩躯であったれば、重いということはなかったが、

  「これは、なかなかの眼福だの。」
  「カンベエ様〜〜〜。」

 さっき詰
(なじ)ったのの意趣返しですかと、ついつい声を高めても。懐ろの君は今度こそ眠ってしまったか、正座をやや崩した横座りという窮屈そうな格好のままだというに、ひくりとも動かずの大人しさ。すうすうという寝息も穏やかで、
「日頃あれほどに人を寄せないお人ですのにね。」
 じりと睥睨することで、その傍らへ寄せず真っ向から対面し合うよう持ってゆく。そうやって人との距離、間を持たせるのが常の人。そんな日常と比較をすれば…確かにこの酔態は可愛らしいったらなく。そぉっと覗き込んだる先、鋭角的な風貌はさして変わらぬままなのに。緩く伏せられた白い瞼の縁や、するりとなめらかな頬へと上った仄かな朱色。軽く合わさっただけの口許も、ほんのりと血が差してのことか赤みが増して、いつもの酷薄そうな印象より ずんとぽったりして見えて。それが誰ぞの腕へ懐ろへ、甘えるように枝垂れかかっている様は、先入観を抜きにしても なかなかの魅惑と映るに違いなく。

  「私が介添えでは つや消しでございましょう。」
  「馬鹿を申せ。」

 すかさず言って、くっと喉奥で笑った首魁殿へ。こちらもやっと艶やかに笑い返した古女房殿であったそうな。






          ◇◆◇



 大人しいと見せかけて実は手のかかった次男坊
(笑)を、衾へと寝かしつけての差し向かい。銅壷の湯が沸き、泡立って噴く音が、時折しゅうしゅうと立つほかは、それは静かな夜の底。世の総てからの隠れ家のような、静まり返りしそこに座しての差し向かい。あんまりばたばたし過ぎた反動からか、何を言うともなく、しばらくほどは無言のままでいたのだけれど。

  「意外と大きく、手のかかる戦さになるやもしれんな。」

 低い声にてぽつりと呟く、首魁殿の短い一言へ、
「…と仰有ると。」
 小首を傾げるシチロージだったが、
「単なる野盗の群れとも思われんのだ。」
 この付け足しにあって、ああと、何やら合点がいったらしい元・副官。徳利を差し向けながら、
「式杜人との商い、ですか?」
 この神無村へと来る途中、あの虹雅渓からの脱出路に選んだ禁足地で見た、彼らと野伏せりとの関わりを指しての一言だったのだと意が通じての、シチロージの返した言はこれまた短くて。その大きめの手には猪口にも見えかねぬぐい飲みで、丁寧な酌を受けつつ、
「ああ。」
 少し沈んだ表情となり、是と頷いた首魁殿、
「まさかに、自分らが食うため、若しくは日銭へ換える元手にするのが目的で、米を奪ってゆくものとはさすがに思っていなかったが。商人とさえ繋がりがあるのはともかく、蓄電筒への代価としてもおるということは。」
「ええ。単なる小ぶりの徒党なんかじゃあなく、結構大きな、組織立った連中である恐れだってありましょうぞ。」
 野伏せりたちが、自分たちの作る蓄電筒の独占が目当てで動いていたことさえ、判っていたのに素知らぬ顔でいたほど食えない連中。だが。逆に解釈すれば、ああまで用心深いのだ、そうそう誰でも彼でも相手にする式杜人でもあるまいて。
「だが。彼らのそんな取引を、商人たちは知っているのかの。」
「と、申しますと?」
「どうも、流通のどこかが訝
(おか)しいとは思わぬか。米はあらかた野伏せりが奪ってゆくのが倣いの今時。なのにどうして、商人たちは手をこまねいていられるのだ。」
「そういや、妙ですね。」
 目端の利く彼ら、それこそ自分の知行だけでは武者で武装し守ってでもいるのだろうか。そうやっておれば、自分の懐ろだけは安定を見るから、よって相場を牛耳れもしようから。他所のことまでは知らぬと、見ぬ振りで通しておられるということか?
「………。」
 その昏い双眸の深色を尚濃くして、押し黙る首魁殿を見遣り。シチロージはこそりと、彼らの向かい合う主旨へではなく、自分にとっての主としてのこの男のことをこそ思いやる。どんな窮地をも掻いくぐれる、心胆太くて剛の者、であるにも関わらず。この男にとって、先行きはいつだって暗澹としたものだったと思う。人の手助けをついつい飲んでしまうのは、もしかして。そんな悪夢の重さをば、払拭したくての…忘れていたくての悪あがきなのだろうか。

  「まぁま、そこまで先の算段はまだ早ようございましょう。」

 今の我らには頼もしい仲間もたんとおります。たった七人だがの。何の、一人一人が百万の兵にも等しき俊英ぞろいです。それに、だからこそ、

  「今は、そう。明日のことだけを、まずは考えましょうや。」

 無論、直接の“明日”の話ではなくて。まずと直に迎え撃つこととなる、無頼の連中のこと。それを方
(かた)してからですよと、徳利を最後までの逆さに傾け、ね?と笑ったところが、相変わらずの強腰で。それと同時、主へだけの利他的な滅私奉公にて、一緒に支えますからと無言で誓うところが、すこぶるやさしい彼でもあって。
「そうやって尻を叩くところが、一番変わってはおらぬの。」
「何を仰せか。シチロージはただ、主の向かれます方へ供をするだけでございます。」
 言いながら、揺るがぬ剛
(つよ)い眸がこちらを射ており、それへと貫かれてしまったからには、苦笑に破顔するしかなくなる首魁殿。明日は晴れるか、それとも雨か。埃に撒かれようと、泥に足掻こうと、我らの向かうはもう止められぬ。ただ、今だけはそれも忘れて。ひとときの静寂に想いを馳せようと、誰もが思わず ついと見上げるお月様。寡黙に真ん丸なまま、やはり黙ってござったそうな………。






  〜Fine〜 06.12.04.


  *1つのお話に やたら詰め込み過ぎましたかね。
(猛省)
   しかもさりげなく“勘七”風味だし。
(苦笑)
   だらだらと、一体 何を書いているのだか、というお話になりましたが、
   どうか呆れられてしまいませぬように…。
(どきどき)
   どうやら私には、
   ほのぼのとシリアスの波が交互にやって来るみたいでございます。
   ということは、次は…? えっ?
(こらこら)

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