小太刀 (お侍 習作の10)

 


虫の声さえ既に聞こえぬ、晩秋の宵の中。
時折 気まぐれな風が立っては、
村の周辺に満ちる稲穂のざわめきが、遠くからの潮騒のように押し寄せて。
薄べり一枚という板壁の向こうを、洗うように通り過ぎてゆく。
当初は、唐突な驟雨でも来やったかと、
それへ紛れて何か来ぬか、いちいち聞き耳、聳立てていたものだったが。
慣れてしまえば これもまた、心和ます清かな囁き。
あちらからそちらへと風が渡ってゆくのを耳で辿れば、
通り過ぎてのちの静寂がまた、しみじみと染み入る。
そんな静謐の中だったから、

  「…っ。」

囲炉裏に伏した炭のはぜる音にも紛れてしまいそうな、
そんな微かな気配もまた、存外よく響いてしまい。
「どうした?」
日頃からも口数少ない寡黙な彼が、思わずの声を出したほどの何か。
だからこそ、それと気づいたと同時に顔を上げたカンベエであり、
そのまま真っ直ぐ視線を向けると、
「…。」
囲炉裏を挟んだ向かいに座して、何やら手元でいじっていたもの、
気まずそうに素早く背後へ隠して見せるキュウゾウで。
幼子が大人に悪戯を見咎められたような、
そんな拙い所作だったのが、妙に稚
(いとけな)く映ったものだから。
放っておいてもよかったところ、ついつい余計な興が起き、
わざわざ立ち上がって囲炉裏の縁を傍らまで、回り込んで近づけば、
“…小太刀?”
と言っても、脇差や匕首
(あいくち)ほどもない、
むしろ剃刀に近いくらいに小ぶりの、切り出し刃物。
今は座した膝のすぐ傍らへと降ろしている愛用の双刀を
日頃そこへと負うている辺りの背へ回された手の先で、
それの刃が仄暗い中にちかりと光る。
そんなもので何をしておったかと、残された側の手を見やったなれば。
紅の衣紋の膝あたりへ押しつけられて、なかなか見分けにくいそれなれど、

  「…どら。」

放っておいていいものではないと気がついて。
すぐの傍らに片膝をつき、
膝の上にて ぎゅうと握って拳にしたそれ、見せなさいと取り上げる。
「…。」
案外とあっさり、ゆだねてはくれたが、
カンベエにとって こっそり気に入りの白い手は、
細い指の先が生々しい赤に染まって痛々しい。
「手暗がりであったからだろう。」
どうやら少し伸びていた爪に気づいて、慣れた手際で削っていたらしく、
その手が何の弾みにか、逸れての小さな怪我をした…というところ。
ただ、指先は繊細な個所だから、傷つけると結構な出血を見る。
隠そうとして握り込んだりしたから尚のこと、
血が無駄に広がって、傷口の有り処が判らなくなってもおり。
懐ろから畳まれた晒布を取り出すと、端へ歯を当てて細く裂き、
手早く当て布を仕立ててそれから、

  「御免。」

これはキュウゾウの側からこっそり気に入りの、
仄かに味のある掠れの滲む、低い声がそうと囁いてのすぐ。
再び取り上げた白い手を、
衒いなく口元へと寄せてしまったカンベエだったものだから。
「…っ。」
こればかりはキュウゾウの想定の範疇にもなかったらしく。
はっと息を引く気配が隠しようもなく立ったが、
「…。」
だからといって、払いのけるまでの拒絶もなくて。
まるで姫御のそれのよに、
男のごつりと武骨な手に掲げられ、されるがままでいたりする。
傷口を覆い隠していた鮮血、すべて拭い去るようにと舌先にて舐め取ると、
やっと明らかになった傷口へ、
用意した晒布を少し強めに巻きつけるカンベエであり。
それは手際のいい手当てがてきぱきと施され、
白い手は元通り、白をだけ肌に許した姿へと戻った。
「お主が刀の扱いを誤るとはな。」
深手に至らなかったは、それこそ鋭い反射のおかげではあろうけれど。
大事にせねばといたわるように掲げれば、
常の指先の冷たさが、今は違って温かく。
もしかして微睡みかけていての不注意か?などと、
少々野暮ったいことを思っておれば、

  「…お。」

今の今まで大人しかった同じ手が、きゅうと こちらの手を握り返して来。
巻きついた布が邪魔でか、さしたる力は籠もっていないが、
「こらこら、傷が開いてしまうぞ?」
大事にせよと言った端から何をと、窘めるような声をかければ。
「…。」
手を掴んだは懐ろを明けさせるため。
そうやって開いた空間へ支障なく身を進め、
空いていた側の手、軽く立てられていた膝へと突いて乗り上がり、
痩躯がこちらの胸元へ掠れ合うほどの間近に沿うて伸び上がり。
「…おお。」
あれあれと思う間もなく…気がつけば。
淡い金糸のふわりと覆う、
キュウゾウの白い顔が、紅の眸が、すぐ眼前へまで迫っている。

  “間合いに入られている?”

場合が場合であったなら、こんな不覚、そうはない醜態だったろが、
殺気がなかった以上、大仰に避けるのもおかしな話であり、
「キュウゾウ?」
下肢は、乗り上がったそのまま、膝を進められていて、
無理からの正座の上へまたがられているような格好になっており。
これではそう容易くは逃れ得ず。
さすがに勝手を怒ったか、
利き手は空いてる、よもやばっさり来るものかと、
後出しの焦燥に襲われて、背条が今頃 粟立ちかけたが。

  「…っ!」

近づいて来たのは…相手のお顔。
彼が念じればそれも可能か、睨み殺す気かと息を引いたその同じ間合い、

  ――― 思いの外 やわらかな感触が、唇の上へと触れて来て。

接吻という意識が果たしてあったかどうかは怪しい“接触”は、
離れてからのこれみよがしに、
ちろり、自分の上唇を舌先で舐めて見せた所作の艶にて、
ようやくのこと、年嵩な首魁殿を我に返らせた。
あまり表情の乗らぬが常の白いお顔が、
今だけは…妙に浮かれている気配を隠しもせずで。
「…何の真似だ。」
まだ間近にあったままなそのお顔へと、困惑気味の声をかければ、

  「返してもらった。」

舐め取られた血のことか、それとも。
肝を冷やされた“お返し”という意味か。
短い一言を吐いたそのまま、手元にきていた男の髪の先を指に絡めて玩び、
くくっと目元を細めまでして微笑ったお顔が、
これまたあまりに妖冶で美麗で。
笑うこと自体が珍しい彼だけに、

  “これは…思わぬ嵐が来るやも。”

何だか微妙に見当違いなことへ、
杞憂の念を飛ばしてしまった首魁殿であったりしたそうな。



 


  *少しはまともな“カンキュウもの”をと、頑張ってみましたが…。
   色香とかいうもんが、一向に出て来てくれないのは、
   なんでなんでましょうかねぇ?
(とほほん)

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