黎明の蒼 〜砂塵の迷図 (お侍 習作の11)

     *第16話『死す!』以降未視聴の方、ネタバレがありますのでご注意下さい。
 



 強すぎての失速から笛の音のような高い響きも入り混じる、間断のない風の音がしていたが、そんなものはすぐにも気にならなくなった。砂塵を巻き上げ吹きすさぶ、それはそれは強い風が収まる黎明を待っての、明け方間近い夜の底に二人きり。荒野の一角の岩屋の陰という、隠れ家のような此処は、小さなランプの灯火のみが頼りなく照らす、何とも仄暗くて寒々しい空間であったのに。

   『…お前は温かいの。しばらく、こうしていてくれるか。』

 まるで自分の側からの所望による我儘のような言いようで、くるむようにと掻い込まれた懐ろの中は。相手の温みでたいそう暖かく、大好きな匂いがしてたいそう落ち着けた。その充実した筋骨の堅さを覆い隠すようにと重なった、衣紋の合わせへ頬をつけ、
『…眠らぬのか?』
 それ以上はなかろう間近から訊くと。吐息をつくような静かな笑い方をし、
『こんな眼福を前に、そんな惜しいことなど出来ぬ。』
 向かい合うこちらの顔を、眩しげに眸を細めて見やりながら、お道化るようなそんな言いようを、殊更静かに紡いだ男。夜陰の色は深夜と未明の端境で曖昧にぼやけており。だが、掻い込まれた外套の中、懐ろの深みは何の不安も寄せないほどに居心地がよくて。そんなところへそんな…睦言もどきの甘い言われようをされると、うっかり眠りそうになるかも知れぬと。それこそ惜しいと思うあまり、それを振り払うかのように、他愛のないこと囁き合っていたのだが。
『よくも見失わず、追って来れたものよの。』
『隙が…。』
『…儂に、あったというのか?』
『…。』
 眼差しだけで是と応じるような、こちらのあまりに訥々とした態度へだろう。不意にくつくつ、小さく笑った彼だったのへ、むっと気色を尖らせれば。すまぬすまぬと謝ってくれてから、

   『あまり話し馴れてもおらぬだろうにと思ぉての。』

 お主は寝ていてもいいというのに、随分な無理をしてはおらぬかの? そうと言って微笑ましげに細められた目許に、
『…。』
 つい、見とれた。少し枯れて、だが深みのあるこの声も、昏い色みの、だがたいそう静謐なこの眼差しも。髪を梳いてくれる手の、武骨なのに優しい重みも感触も。馴染んでしまうと今度は何とも離れがたくて。

   ――― だが。

 彼は、此処からは単独行を構えていると知っている。自分がついて来たことに関わりなく、そうと運ぶ腹積もりでいたと判ってる。だから。おもむろに、こちらの側から囁いたのが、

   「…俺は、何をすればいい?」

 式杜人が糸口になってくれようぞと、ただそれだけしか手札にはなく。あまりに見通しが不安定なため、何がどう転ぶやら、全くの流動的な展開となりそうで。そんな中でより鋭く機転を利かせるためには、何も持たず何も添わさずという身軽な方がいいのは定石。よって、此処から先は彼の単独行となる。それはキュウゾウにも重々判っているから、では、

  ――― 何をして待っていればいい?

 訊くと。彼にしてみれば余程のこと思いがけないことだったか、一瞬意外そうに眸を見張ったカンベエだったが。キュウゾウの表情が動かぬところを認め、うぬと顎を引いてから、

  「そうさな。では、このまま虹雅渓に向かってもらいたい。」
  「虹雅渓?」

 いやに具体的な町の名が出て来て。問い返したキュウゾウへしっかと頷いて見せながら、
「勅使殺しの真犯人、見つかったのだろうかと思うてな。」
「…。」
 それこそ突拍子もなく出て来た意外なものという感があり、キュウゾウが、彼には珍しいくらいのあからさまに、大きく瞳を見開いて唖然とする。その疑いで身辺を騒がされ、侍探しもそこそこに街を追われた格好になったものの、彼ら一行には微塵も関係のなかったことだのに。済んだこととして処理し、忘れ去っていい騒動だった筈だのに。何で今の今そんなことをと、常からも表情薄いこの彼にしては判りやすいほど、今度は怪訝そうな顔をしているのを認めつつ、それでもカンベエは淡々とした声で言葉を続けた。
「思えば、我らが取り急ぎ出立することとなった“侍狩り”が始まった、その切っ掛けであるしの。ウキョウ、といったか? 差配の息子がキララ殿へ執着しておったから、そのために手段を選ばず、儂らを燻り出そうとねじ曲げて持ち出した口実かとも思ったが。」
 おまけを付け加えるならば、式杜人の禁足地にまで、野伏せりという助っ人つきでヒョーゴとキュウゾウという手練れの追っ手を放って来たほどの追従ぶりは尋常ではない。だが、
「…いや。」
 その辺りの事態の流れは、キュウゾウも向こうの立場にいて見聞きしていた身であり、問題の勅使の遺体も見ている。それを思い出してから顔を上げ、
「後ろからの袈裟がけ、腕の立つ者の仕業には違いない。」
 侍狩りの口実にするため死因は捏造された…というような小細工の入り込む余地はないと。端的に告げながら、だが、今になってキュウゾウの胸中にも不審の念が沸く。それをなぞるかのように、
「自身へお前ともう一人、侍の護衛をつけているような差配の屋敷で、しかも勅使が。警護も無くおったとは思えぬが。」
 屋敷自体が厳重に守られていたからという油断があっての無防備でいたのかと、そうと訊いているカンベエであると察し、
「かむろ衆がついていたし、居室も屋敷の奥深くに。」
 十分な態勢下にあったのに、誰がどうやって? 警護の統括だったテッサイも不審がっていたのが、証拠となろう得物を残していたことだが、
“…侍がやったことだと、前面に押し出したかった?”
 刀という刃物で殺めたのだということをあからさまに示して、若しくは商人に含むものがあることを強調したがっている存在だと思わせて、そちらへと自然誘導的に注意を逸らしたかった?
「…。」
 侍という存在が丁度、差配側の人々それぞれの胸中にそれぞれなりの形で引っ掛かっていた頃合い。勅使殺害などというあまりに急な展開を見せたその上、差配配下の面々の意識下に“注意せよ”と刷り込まれていたその筆頭に上がっていたのが彼らの一派であったがゆえに。追跡の目を逃れようと街からの脱出を図ったその動きへと、皆して引っ張られてしまったようなもの。だが、冷静に調査に当たっていたならば、まずは内部犯、若しくは手引きしたものの存在を手繰るのが、正しい順番だった筈ではなかろうか。
「…。」
 そんなキュウゾウの胸中を見透かしたかのように、
「我らをまんまと利用した、何とも巧妙な作為が感じられての。」
 よって、後始末がどうなっているのかを、調べてほしいということであるらしく。判ったとばかり、くっきりした所作で細い顎をわざわざ引いて見せたれば、
「…任せたぞ?」
 幼き者の健闘を見守るような、どこか微笑ましげな表情へと立ち戻り、目元を和ませた首魁殿であったりもして。だが、ふと…そんな表情を掻き消して。

   「それもまた“都”つながりな事情であったの。」

 差配邸の深部に、都への遺恨を含む者が居
(お)ったということかのと、今思いついたように付け足された一言を…まさか この後、この男が大勝負の餌として持ち出そうとは、知る由もないキュウゾウであった。






            ◇



 それもまたいい米を作るのに貢献していたのだろう、勇壮な滝やせせらぎがふんだんにあっての、神無村の霧深い朝と違って。低い雲が垂れ込めた中、砂混じりの風に撒かれて歩いた荒野へと。ただ一人歩み去ってゆく男の背中を見送った朝は、何とも冷然と静まり返った黎明の青に満ちていて。

   『売り物はこの儂だ。』

 都、つまりは商人たちとの関係にプラスとなるとは到底思えないから。カンベエに都への行程を教える訳には行かないと断固譲らなかった式杜人たちへ、ならばと持ち出した代案というのが、先の虹雅渓での勅使殺害、真犯人はこの自分だと“自首”して出た彼であり。そんな展開があっただなどとは露ほども知らないまま、
「…。」
 式杜人らとカンベエとを乗せた空艇が、どこぞかの空へ向けて発ってゆくのを。遠く離れた辺りからじっと見上げていた、紅衣の若い侍が。ふと、
「…。」
 それは自然な仕草のままに、双刀の柄へと手をかける。故意にのそれだろう“間”を取っているとはいえ、背後に気配が立って、ぼんやりしているほど腑抜けてはいない。ただでさえ気が立ってもおり、切っ先を手加減という方向で制御出来るかどうかは判ったものではないなと、口の端が昏い笑みにて吊り上がる。そんなこちらの構えや気配を見て取ったか、
「待って下さいな。」
 何か機械かフィルターを通したような声がして。
「私らは何にもしやしません。あなたに伝えたいことがあるだけです。」
 肩越しに見やれば、数人の式杜人が立っている。ここは彼らの土地。どこにいたって彼らの監視からは逃れられない。とはいえ、
「…。」
 俺に?と、キュウゾウは不審の気色がまだ大いに残る、赤い眼差しを彼らへ向ける。今でこそカンベエの率いる侍衆の一人という立場になっているが、そうなる直前、此処を通ったそのときは、どちらかと言えば虹雅渓の商人側、野伏せりと結託していた側の人間であったので。彼らとのつながりなんてものに覚えはないのだがと、訝しげに眉を寄せれば、

   「あなたと此処で袂を分かった人がいたでしょう。」

 あ…っと。表情までは動かなかったが、それでも。するりと忍び入って深々と。そんな一言だけで、結構な重みで胸の奥底から、刳り出された記憶があった。軍にいた頃からの縁でのずっと、先日まで共にいた年長の同輩。ヒョーゴという、やはり手練れの侍。
「ご依頼のあった通り、我々が葬ったのですが、町からの使者が来て、その墓、暴いてしまわれて。」
 淡々とした口調でとんでもないことを報告する方もする方ならば、
「…。」
 で?と、無言のまま、先を促す聞き手も聞き手。冷静な対応へお互い様で動じない辺り、よほど感情が希薄なのか、それとも…そういう心掛けを気性気概へ食い込むほどのそれとして、身につけている彼らであるのか。だとすれば、この不思議な一族、侍とどこかで縁のある存在なのかも…というのは、後日になって取り沙汰されるのだけれども。今はそれもさておいて。
「案内を請われてもおりませなんだし、我々には関わり合いのないことでしたから。勿論、何も話してはおりません。」
 恐らくは虹雅渓の差配の手の者と判っていたが、何となれば野伏せりとだって結託するような相手、進んで協力してやる義理はないと、彼らの算盤は判断したのであろうことがしのばれる。そんな話を聞いていて、ふと、
「…亡骸は?」
 気がつけば、口を衝いて出ていた一言。墓を暴くような連中だ、そんな無体の後始末、わざわざしてゆくとも思えなくて。すると、
「持って帰られました。」
「?」
 真剣に意味が判らず、素の顔でキョトンとしたキュウゾウへ、
「ですから。やって来た方は、あの方と懇意になさってらしたようでしてね。ひどく驚き哀しまれ、そのまま丁重に乗り物へと乗せて、町へ運んで行かれました。」
「…そうか。」
 アヤマロの護衛には自分たち二人でついていたが、その他にも用心棒もどきの顔触れが、テッサイの配下に何人かいたから。その中の誰かだったということだろうと察しはついた。自分と似たような冷然とした空気を保ちながら、されど、自分と違い、人との関わり合いというもの、深めたり いなしたり上手にこなしていたヒョーゴだったから。慕っていた顔触れも少なくはなかったということか。
「…。」
 式杜人たちは伝えることだけ言うと、そのまま“では”と立ち去ってしまい、後には早朝の気配がそっけなく立ち込めるばかり。
「…。」
 ヒョーゴを斬ったのはこの自分だ。一対一の対峙にて鳧をつけよと言っておきながら、カンベエを鉄砲という飛び道具で狙っていた彼だったから。それを阻止するべく、気がつけば体が動いていた。自身のこだわりが彼の意向と相容れられなくなっての破綻。相手を黙らせるためには何だってする、侍でなくともという手段をも選ぶ。そんなところへまで堕ちるのはどうしても飲み込めず、刀へのこだわりを選んだがゆえの、確固たる決別で。なのに、
“…。”
 どうして亡骸のことなんか訊いたのだろうか。思えば、死を悼むという考え方も、これまで持ったことはなかったキュウゾウで。生まれる前からの大戦の最中に生まれ落ち、ちょいと人より早く刀を振るえるようになれば、当然ごとのように戦さ場へ送られ、そこでの常識や価値観を“当然”として育ったようなもの。味方とてまずは我が身が大事、いくら幼くても此処へ来れば条件は同じだと、誰も守ってはくれず。生き残りたければ強くなるしかなく。それでと強さと刀へ執着したは自明の理。だからといって、刀に殉じることを本望とまで思う訳ではなく。ただ…死はあくまでも相手へ降りかかるものであり、自分とは縁を結びはしなかったから。どんな劣勢の中にあっても、必ず自分だけは血路を開けるとの自負があったし、実際、そうして来れたから。

   ――― 死神は皆、そんな赤い眸をしていやるのか?

 どんなに条件の悪い戦さ場へ送り出されても、並外れた刀の扱いように加えて、斬艦刀を足場に宙を舞っては敵戦艦や雷電へ切りつける“八艘飛び”、尉官クラスにまでなってやっと身につく、そんな人間離れした身ごなしでさえ、ほんの数カ月で身につけてしまい、それはしぶとく生き残った彼だったから。となれば、上の者とて彼をその有り様ごと認めねばならず。それでの長いこと、良くも悪くも孤高の存在とされたその中で、刀の腕を上げることのみに構けていた。自分からも、そうであることへ何の不満もないまま、これまでを過ごして来れたのに。

   ………ふと。

 紅の袖に食い込む白い指。自分の二の腕を両方とも、自分で抱くように掴みしめていることに気がつく。この痩躯へと躍りかかる風の勢いも、今はまださして強くはないというのに。肩が、背中が、寒いなと思った。ああそうだ。ついさっきまで、あの男の懐ろの中にいたからな。温かくて頼もしくて、居心地のいい懐ろにいたからな。
「…。」
 自分と違い、刀を振るう実戦のみならず、戦略という名の駆け引きにも長けているカンベエでもあり。どうせ訊いて判るものでもなかろうからと、どのような腹積もりがあるかも聞いてはおらず。だが、それを持ち出すなら、相手はもっと周到で老獪な、切れ者ぞろいの商人たちが集まりし“都”だ。下手を打てば彼の策とて功を奏さず、やすやすと搦め捕られたその上で、たった一人の侍ごときと、その命、有無をも言わさず断たれてしまうやも。

   「………。」

 風にあおられて、柔らかな金の髪が掻き乱される。それを振り払う所作だったのかそれとも、何かしらの杞憂を力づくにて打ち払った彼だったのか。薄い肩の上、ふるるとかぶりを振って見せ、そのまま毅然と、都を目指す空艇へは背中を向ける。今は為すべきことを為すだけだ。あの男の身に関しては、彼自身の行動と心胆の図太さとやらを信じるしかない。

   「…。」

 失敗したなら、それだけの男に過ぎなかったということだ、と。

   「…。」

 いつもなら。それが何においても共通の、キュウゾウからの、他者への評価のようなものの“最終解答”だったのに。まずは自身の身を守ること。それをこなせるのが何においても基本であり、この手の届かぬところへ自分の意志で離れていってしまった者をじりじりと案じても始まらない。頭を切り替え、自分へと割り振られた仕事へと集中してそれを果たすだけ。別行動とはそういうことで、そんな基礎くらい判っているのに、何故だろうか…途轍もない何かが胸の裡で渦巻く。激しい怒りにも似た口惜しさが込み上げて来て、それを堪えるがために薄い唇をぎりりと噛みしめている自分に気づく。怒り? 口惜しさ? どうしてそんなものが? 自分と向かい合ってくれる人が出来て、約束を交わしてくれた人が出来て。この世に独りという よすがを持たぬ身ではなくなったその途端、どうしてこうまで不安になるのか。それが一番に苛立たしくて、細い眉根がきつく寄る。

   「…っ。」

 胸に閊える何ものか。それを振り払うためにも歩き出す。決して脆くなったのではなく、誰かを信じるという初めての領域へ踏み込むことへの、そう、武者震いのようなもの。

   “俺との約束、ゆめゆめ違
(たが)えるな。”

 少し欠けた有り明けの月が、仄白い横顔を晒している穹を。今は、だが、見上げもしないまま。かつての在所、虹雅渓を目指して。時折その長衣の裾とそれから、肩へと預かった、あの褪めた白の襟巻きとを風にひるがえしながら。茫として遥かな道なき道を、ただ黙々と歩き始めたキュウゾウであった。




  〜Fine〜  06.12.07.〜12.13.



  *いろいろと捏造が入っててすいません。
   ヒョーゴさんの亡骸を誰ぞが虹雅渓へ持って帰ったなんて事実はないとか、
   カンベエ様は禁足地でもあの襟巻きをしたままだったよとか、
   再び現れたキュウゾウは、そんなもの身につけてなかったよとか。
   何より、こんな女々しいキュウゾウさんは無しだとか。
   そういうツッコミはご遠慮くださいということで…。
(苦笑)

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