ひいかち (お侍 習作の12)
 



 秋の空は清明にして爽快。空気が乾くせいでの透明度が増し、穹はいや高く、儚い声音はどこまでも響いて物哀しく。
「………お。」
 まるで形になってそよいで来たものを、宙のどこかへでも見やるかのように。詰め所にと借りている農家の囲炉裏端にて、ふと顔を上げた白い衣紋の首魁殿の様子へ、
「ああ、また聞こえて来ましたね。」
 久闊
(きゅうかつ)を叙したばかりの間柄でも、その呼吸の合いよう、相手への飲み込みのよさは相変わらずな“イツモフタリデ”様がたが、閑中に尚の人恋しさを誘うような、そんな澄んだ響きの声が届いたのへと、ついつい話を途中で止めてまでそちらへと聞き入っている。何も彼らに限ったことではなくて、村の各所で作業中の皆も…指導・監督役のお侍の皆様のみならず、当地在住の村人の皆様までもが、その声が聞こえてくるとそれぞれの作業の手をついつい止めてしまい、うっとり聞き入るというから大したもので。
『まあ、ちょうど良い息抜きにはなりますかね。』
 集中は大事だが、だからといって慣れない作業に根を詰め過ぎるのも考えもので。ふっとその集中を一旦解き、気分も新たに集中し直してもらった方が、作業の効率を考えると余程いい…とは、大掛かりな武器作成(造成?)に自らも先頭に立ってあたっている、元・工兵のヘイハチ殿のお言葉で。長々と尾を引くなめらかなその声は、この村とは橋を境にした谷向こうからというほどもの遠くから聞こえてくるらしく。いつも、風を切るような勢いで唐突に始まって、そんな最初の一声に続くは、飴のように蜜のようにつやのある、なめらかで伸びやかな声。甲高くもなく、そうかといって胴の太い喧しさもなく。溶け入るように宙に消え、聞こえなくなっての静寂と入れ替わるその余韻がまた、しみじみと胸を温める優しい声音で。
「何の鳥なんでしょうかね。ヒタキかメジロか。」
 あまり詳しくはないのがちょっと悔しいと、残念そうに眉を下げたシチロージに、
「ここの住人たちに聞いてはどうだ?」
 カンベエ様が和んだお顔と深みのあるお声で助言を下さるが、
「それが不思議と、誰も知らないらしいのですよ。」
「おや。」
 炭の上、五徳にかけた鉄瓶が静かな湯気を立てており、そこから酌んだ湯でもって淹れたお茶、お膝あたりへ“どうぞ”と供しつつ、
「これまでに一度だって聞いたことのない声なんだそうでしてね。これはもしかして、近在の街か村の分限者が逃がした、珍しい小鳥じゃなかろうかってなところに、話が落ち着いているらしいんで。」
 分限者というのは資産家のこと。金で遠くから取り寄せなさった珍しい鳥の声ならば、なるほど我らが聞いたこともないはずで。だが、そんな鳥だということは、これからやって来るここいらの厳しい冬は越せないかもしれないねぇ。いくら籠から逃れて自由になれたって、そこんところは可哀想だねぇなんて、
「ほほぉ、そこまで話が広がっておるものか。」
 決して暇ではなくたって、決戦を控えている緊張感の中であったとて。よもやま話がなくなる試しはまず無くて。
『余裕があるのは良いことでござるよ。』
 と、そんな話をシチロージへ伝えてくれたゴロベエ殿が、善哉善哉と笑ってましたがとまでを付け足してから、
「しかも。あの声のお話には続きというか“おまけ”がございましてね。」
 声の正体は判らないと言っておきながら、付随する情報は結構集めていたらしき古女房。目顔で先を促す主様へ。ゴロベエ殿が大道芸の口上に長けておいでならば、こちらはお座敷の語りで鳴らした名調子。聞いて来た話を整理して、カンベエ様へと語って聞かせる。
「敵さんが伏せさせてる常駐の見張りがね、丁度先日から最後の堡を築いてる淵の向かいにいるんですが。」
 向こうは隠れてこそこそする謂れもないからと堂々としているので、どこにいるのか、どんな哨戒ぶりかが丸見えで。こっちとしては警戒もしやすいものの、こちらの怪しい動きを察知されやすいのは否めない。なので、そういった危険な箇所での作業は、皆の仕事っぷりも手慣れて来ていよう一番最後にと回されていたのだが、
「あの声は、丁度その淵が夕陽に照らし出されてしまう間合いに聞こえてくるのだそうでして。」
「それは…?」
 どういうことかの?と、物問いたげなお顔になったカンベエ様へ、そんなお顔をさせたこと、まるで我が手柄のようににっこしと笑った元・副官殿。
「ですから。あの甘美なお声がさあっと谷を渡って聞こえて来ると、誰もがそちらへと注意を向ける。一応の警戒役にと作業班と同行しているゴロベエ殿が言うには、向こうの見張りもその視線、声を追ってか脇へと逸らすのだそうで。その間合いを見計らい、作業途中の堡へは目眩しの枯れ枝などを さささっと載せてしまえば、敵さんの視線が再び戻って来ても、夕陽に真っ向から照らされたそこには、何の変哲もない茂みがあるだけで異状無し…という運びになる。」
「なんと…。」
 ちゃんと監視をしての用心も怠ってはいないとはいえ、そんな絶妙な“合図”までが加勢をしてくれていようとは。
「成程の。だからこそ、妙なる声への噂話も絶えないということか。」
 納得というお顔になられた首魁殿へ、
「これもまた、ゴロベエ殿に言わせれば、天からの恵み、お助けに違いないとのことでしてね。」
 問題の堡も今日中には完成しそうだということでしたから、今の一声、作業完了の合図になったやも知れません。
「茂みがあった場所へいきなり石垣が出現しては、向こうもさぞやびっくりするでしょね。」
 野分でも来れば崩れて危ない淵だから、前以ての補強をしましたと。万が一にも問われたらの言い訳はちゃんと考えてはあって。警戒されるかどうかはともかくもと、目元をやんわりと細め、くすすと笑ったシチロージへ、
「さようか。そういう進捗ぶりとなっておるか。」
 日に日に村の守りが堅固になってゆく中。連子窓の向こうで、色づいたナナカマドの梢が風にさわりと揺れているのと仲間うち。自然界の助っ人さんの声へ注意を払えるようなら、成程、これも心の余裕かと、感慨深げにお髭を撫でて。目許を細めたカンベエ様であったそうな。





            ◇



 山を彩るそれは鮮やかな天然自然の錦が織り出されている、その只中に踏み込んだのだと気がついて。

  「………おお。」

 情けないことながら、複雑な感慨が一気に胸に迫って言葉が出ない。秋麗とは正にこのこと。楓の金赤に桜の濃緋、南天の深紅、ツゲの蘇芳。スズカケの鬱金、銀杏の金。様々な色合いの葉で埋まった枝々が、高く低く、密に疎に重なっての、奥行き深くも美しく。
「春の桜も、それは見事なんですよ?」
 案内役を買って出てくれたキララ殿の、仄かに誇らしげな微笑を含んだお言葉へ、
「そうなんでしょうね。」
 シチロージもまた、しみじみと和んだお顔で同意を示した。何かと便利ではあれ、人があふれの、忙しく行き来しのと、空を見上げる余裕さえなく。その空だとて、左右から伸びて来る建物の高さの鬩
(せめ)ぎ合いに、今にも押し潰されかかっているような街とは違い。神無村といいその周辺といい、あっけらかんと広がる空の下、人々の苦難や諍いになんて知らん顔を決め込んで、大きくもおおらかな自然はきっと、昨日の続きを明日へ渡せればいいとだけを順守して、のどかに静かに時間を過ごしているだけなのに違いなく。
“この鮮やかな秋のお化粧にしたっても…。”
 誰に見せるためでもなくて、ただ単なる冬迎えの準備なんだろねと思えば、その余裕にこそ頭が下がる。前後左右のどっちを向いても、そりゃあ鮮やかなばかりの木々の彩りに囲まれながら、二人が進むは、あの不思議で妙なる声の出どころへ。もしも噂のその通り、どこやらの分限の屋敷から逃げて来たものであるのなら、我らも助けてもらった恩がある、無事に冬を越させてやろうじゃないかと。………どこまで本気の使命感からの思いつきなのかは不明なれど、その姿だけでもと確かめに来た副官殿と、だったら私がお供をしましょうと、快く話に乗って下さった“水分りの巫女様”であったりし。橋を渡っての村向こう。哨戒での大外回りに、そこまでを範疇として見て回っているのは、身が軽くてどんな難所でも平地扱いなキュウゾウ殿か、生真面目で丹念にが得意なカツシロウ殿くらいのものであり。こうまでの草深いところへは、野伏せりの見張りだとて入りませんと聞いてはいたものの、

  「………お。」

 もうそんな時間だということか、いつものあの伸びやかな声が、かなり間近から聞こえて来た。やはり谷を渡ってのこちらから、発していた声であったらしく。村を出たときから見当をつけていた通りの方向らしいと、二人して逸る気持ちを抱えたそのまま、ついつい足を速めたものの、
「何だか…奇妙な声が聞こえませんか?」
「ええ。声というか…。」
 気配というか。人里離れた木立の奥向き。柴拾いの人さえめったには入らないらしく、道も満足に残らぬ木立ちを分け行ったその先から、風にそよぐ梢の囁きから微妙にズレての別な囁きが、波打つように聞こえて来ており。
「明るくなっているから、倒木の加減か何かで開けてるところみたいですよ?」
 森はただただ密にばかり鬱蒼と育つ訳ではなく。寿命が来ての入れ替わりのほかに、あまりに密集が過ぎれば、根が腐っての倒れる木も出る。そうやって天蓋にも空間が空けば、そこから日光がさし入り、若い木がすくすくと育つ。誰ぞが切り倒さずともそうやって、均衡が保たれ、先へ先へと新しい命が紡がれてゆくのが自然界の素晴らしさ。そんな格好でだろう、ぽかりと広場のような空間が空いていたそこへと、歩みを運んだ二人だったが、

  ――― え?

 不意に乱入して来た人間の気配に怯えてか、ばたばた・ばさばさ、せわしなくも羽ばたいて、臆病な鳥たちが空へと逃げ惑う。何でこんなところへこんな数がと、びっくり箱を開けたような勢いで飛び交うのは、あまり大きなものはいないながら、それでもすさまじい数の、鳥、また小鳥で。一斉に飛び立った彼らには、その勢いにこちらも十分驚かされて、
「キララ殿っ。」
「きゃあっ!」
 とりあえず、そのお顔や柔肌が傷つけられては気の毒だから。素早く脱いだ上着を頭からかぶせて差し上げて、二人、身を寄せ合うと嵐が過ぎ去るのをじっと待つ。白に灰色、青に黒に茶にと、あまり鮮やかな色合いのは少ないながら、可哀想に慌てての羽ばたきで散らさしてしまった柔らかな羽根の舞い飛ぶ中。恐る恐るに顔を上げ、辺りをゆっくり、ぐるりと見回した彼らの視野に、まずはと飛び込んで来たものがあって。

  ――― え?

 少ぉし傾き始めている秋の陽に、やわらかそうな金の髪を温めて。すらり立っている誰かがそこにはいて。
「…あ。」
 山百合でも竜胆でもない、我らがお仲間の若いお侍様。向こうからも呆気に取られている…のだろう、いつもよりかは心なし、その赤い眸を見張ってこちらを見やっており。

  「…キュウゾウ殿?」

 これが春の初めや夏の盛り、真冬の雪の中ででもあったなら、その紅の長衣や金の髪はさぞや浮いて目立っただろに。周囲の錦景はそんな彼の佇まいと色調が似ているせいか、
「何だか、ごくごく自然に馴染んでますねぇ。」
 彼もまた、この秋の彩りにこそ、染まっているかのごとく見えるほど。こうまで突飛な配色の人をも飲み込めるとは、自然界の彩りの何と豊かなと………感心している場合ではない。持ち場を離れているのは、休憩と哨戒を兼ねているのだろうなと、シチロージにしても理解は及ぶ。けれど、
「何でまた、ああまでの小鳥たちに懐かれてたんです?」
 間近まで歩みを運べば、髪や衣紋の肩などにも、小さな綿羽がとりどりにまぶされているのが見て取れる。この青年の戦闘中の気魄の物凄さこそはシチロージもようよう知っており、鋭い睥睨ひとつで鬼だって黙らせることの出来よう、そんな恐ろしいお侍様だっていうのに。いくら消気に巧みな人物であれ、警戒心の強かろう小鳥たちをあんなまで、その身の間近へ寄せていた不思議。

  「…。」

 判ってはいたが、ご本人にも“どうして”なのかは判ってないらしく。ふりふりとかぶりを振って見せるばかり。ただ。ついと顎を上げ、軽く息を吸い込むと、

  ――― ひゅぅいぃ〜〜〜っ、と。

 澄んだ川表へと波ひとつ立てずに漕ぎ出した、軽い葦舟のように。それは伸びやかでなめらかな口笛を、一声吹いて見せた彼であり。

  「あ…。」
  「これは…。」

 何と何と、これこそは。谷の向こうの神無村まで届いていた、あのなめらかにも美しい、誰もが聞き惚れていた、何の鳥だかの声音ではなかろうか。その声がまだ消えないそのうちにも、

  「…え?」
  「きゃっ!」

 ばさばさばさっと、かなり至近へ降って来た、健やかにも力強く、濃い羽ばたきが一つほど。すぐの頭上を掠めたそれへ、思わずのこと首をすくめたキララと、そんな彼女を庇ったシチロージの上を通り過ぎての羽ばたきは、

  「…ヒタキ、ですか?」

 羽ばたきが大きく聞こえたのはあまりに至近であったから。見やれば、まだ幼いのか、ずんと小さな瑠璃色の小鳥。キュウゾウの伸べた腕の先、真白な手の甲へとかかる長さの赤い袖口近くへ、ちょこりと留まって安んじており。片方の翼の付け根から胴にかけて、たいそう細い布が巻かれてある。キュウゾウ殿のもう一方の手で、ついと引かれてほどかれたのへも、一向に頓着はしないでいる大人しさ。

  『コマチがオカラちゃんと見つけた、かあいそうな鳥さんです。』

 巣から落ちたか、別な種類の大人の鳥の縄張りにうっかり入って攻撃されたか。枯れ葉の間に埋まるようになって弱っていた小鳥。見つけたはいいが、どうしたら良いんだろうかと。困っていた小さな姫たちから、潤みの強い眼差しを向けられて。それでと彼が手当てをしてやっての後、後難のないようにと、見つけたところから距離のある、この辺りへ放してやったのだという詳細までもが判るのは、村へと戻ってからのことだが、
「これを。」
 呼んでいるだけなのに、どういう訳だか他の小鳥までもが一斉に寄って来る…と言いたいらしいキュウゾウ殿であるらしく。

  「…それってもしかして。」

 う〜んと眉根を寄せたシチロージ殿。しばしの考察ののち、おもむろに、
「キュウゾウ殿、その子には名前がありますかい?」
 そんなことを訊いてみる。すると、
「…。」
 やはり、ふりふりとかぶりを振った彼であり。余程のこと彼に懐いているものか、先程集まっていた小鳥たちは一斉に逃げ惑ったのに、今彼の手へと留まっているヒタキは、小首をかしげる様も愛らしく、そのまま良い子でいる模様ではあったれど。
“そっか、そうですか。”
 お名前があってそれを呼んでいる彼ではないのなら、それ即ち、どんな小鳥にも“おいで”と聞こえる、つまりは波長の問題なのかもしれず。とはいえ、
「もうそろそろ来なくなる。」
 相変わらずの単調な声にて、短く呟いた彼の一言へ、
「え?」
 キララが小首を傾げた隣りで、
「そうですね。ヒタキはツグミの仲間ですから、冬は群なして暖かい南方へ渡ります。」
 シチロージが柔らかく笑う。怪我をしたことで仲間からもはぐれていたのだろう、小さな小鳥。だが、

  「…あ。」

 不意にピチチッと短く鳴いてそのまま、ぱたたっと飛び立った先の梢には、同じヒタキが何羽か、ちょこちょこと枝渡りをしながら留まってて。
「あ、そうでしたか。」
 懐いたお兄さんの吹く口笛で、ここへと集まった仲間がいるから、一緒に旅立てるから大丈夫。やっとの納得にあらあらとほころぶ口元を、合わせた手の先で押さえたキララが見上げた先から、繃帯を取ってしまっては もはやどれがどの子かも判らないヒタキたちが、チュクチュクと囀
(さえず)り合いながら、勢いつけて ぱたぱたぱたっと飛び立ってゆく。
「…あ。」
 それをよくよく見届けもしないうち。さっさと踵を返し、木立の中へ姿を消した紅衣の君で。まだその後ろ姿の残像が見える気がする、真っ赤な木立を透かし見ながら、
“敵さんの見張りの目を村から逸らしてたってところは、キュウゾウ殿とて狙ってらした訳ではないのだろうよな。”
 村での目立つ行為はご法度だというわきまえだってあったに違いなく、様々に奇遇が重なってのこの度の口笛騒ぎだったということで。何とも楽しい決着には、キララ殿だけでなくシチロージ殿までもが、口元のほころぶのをがなかなか止められなかったりするのだが。それにつけても、
“口笛、ねぇ。”
 寡黙な彼がああまで見事な口笛を吹けようとは。これは意外な発見であり、
“まさかに、だから、熱いものを吹いて冷ませないってんじゃあ…。”
 いや、それとは話が違うと思いますが、お母様。(誰がお母様かっ・笑)

  “カンベエ様へと報告したら…。
   ああ、けどでもそれって、何かの折に持ち出されたら、
   アタシが告げ口したことが丸判りになるんですよね。”

 これは困った。作業を抜けてまでの探索の結果、報告出来ないんじゃあ示しがつかない。でも、だけど…と、困ったまんまで小さく笑った副官様の色白な頬を照らし、木の間越しの夕陽の茜が、秋錦に負けじと彩りを足して来て。やはり自然はおおらかに、何事もなかったかのように昨日の続き、紡いでござる…。






  〜Fine〜 06.12.15.


  *ひいかちとはヒタキの別名。
   スズメくらいの小鳥で尾羽根が長く、
   短く刻んで“チチッ、チキチキチキ…ッ”と特長のある鳴き方をします。
   集まって来るのをいいことに、
   食べて美味しそうな鳥は捕まえてたりしてという、
   余計なお世話のおまけは、無粋だったので書くのはやめときましたが。
   (ここで書いてちゃ意味ないって・苦笑)
   余程のこと、久蔵さんを宇宙人か野生児にしたいらしいです、自分。
(苦笑)

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