斬 月
 (お侍 習作の18)
 


 この若さでようもこうまで。泰然とした落ち着きの無とそれから、ざっくり裂いて負へと引きずり込ますばかりな殺気と。質の違う二つの“静”のまとい分け、こなせるものよと感心する。明鏡止水、いやもっと冷ややかに。周囲の風を止めてまで、静謐を敷いたその上で。絶妙な間合いでもって真っ向から突っ込んで来たは、突風のような、雷霆が天から振り下ろす鉄槌のような鋭い一閃であり。
「…っ!」
 切っ先が触れたと同時、躱す一撃のその途中で、ふっと手ごたえが消えて。もう次の攻勢へと飛び立っており、すかさず襲い掛かる新手の切っ先に翻弄されかかる。力のほどを拾い上げての判断をする間さえ与えられず、頭の中へと取り込む以前の、脳髄反射での対応を迫られる、正しく矢継ぎ早の攻勢。大戦の終焉から、さて一体どのくらいぶりだろうか、このような切り結びへと身を置いたのは。立ち止まったが最後、体中の血脈が凍るような気がしてならず、相手の放つ威圧をまざまざと感じる。

  ――― それは紛れもない“恐怖”という感覚。

 だが、相手の刃を何合か、叩き合ってから弾き返して。溜めを置いての制止を構えると、実際は。全身を巡る血の流れとそれを送り出す拍動とが、喧しいほどに躍り騒いでいると判る。ねじ伏せたいなら相手へ躍りかかれと、全身の血肉が哭き喚く。

  ――― それは紛れもない“興奮”という感覚。

 その刀で空間を斬り裂いて、死の淵へと連なる漆黒を押し広げ。対手をくるんで切り刻み、血にまみれた屍へと生まれ変わらせる、正に死神。一寸でも気を抜けば、一刻でも眸を逸らせば、そのまま奈落へ突き落とされる。背条に走るは痛みか愉悦か。だが、この緊迫、こちらばかりが追い上げられてのものでもないと、すぐにも気づいた。


  切羽詰まっているかのような、切迫した双眸は熱に潤んで。
  斬って捨てたいという何かに憑かれているというよりも、
  斬りたい度合いでしか何物をも評価出来ない、
  対手を凌駕することでしか生きている実感を求められない、
  そんな身へのもどかしさに、狂おしくも歯咬みしているような、切なる眸。
  紅の虹彩はその中心の瞳孔が大きく開いて、
  更なる赤に染まりゆく。




            ◇



 背に負うた双刀の柄へと、我知らず手が触れていた。金属を削り出したそれは、いつだって無機的に冷ややかで。滅多にはないことながら、不意に沸き立った熱に炙られた手を静かに冷ましてもくれる。

 一種の熱病。それはそんな感覚で、時折身の裡
(うち)へと蘇っては背条を、喉奥をじりじりと灼く。時に冷ややかで、時に狂おしい、焦燥と微熱と。

 彼は、野伏せりを斬った後ならば、自分に斬られてやると約束した。無論のこと、大人しく刀の錆になるつもりはなかろうし、こっちだってそんなことなら願い下げだ。

 鋼の刀での切り結びという、自分にとっての最高の物差しによって即座に知り得たのが、今や稀なほどの剣豪であるということ。刀を操るに必要なもの、切り結びへの感覚とは、総合的なものであり、ただただ膂力があればいいとか、愛刀の癖や切れ味を知り尽くし、それを活かせる勘のよさだけがあればいいというものではない。

 相手が繰り出す攻勢の連動へ的確に体がついてくる鋭い反射と、状況に応じて周囲の何でも…地形や背景、たまたま居合わせた道具立てでも顔触れでも、なりふり構わず利用出来る機転と。それらは、だが、片や若者の柔軟性と片や高い経験値による老獪さという、全く正反対な条件立てがバランスよく要るものであるはずだのに。この男はその双方ともを、それも相当に高い等級のそれとして持ち合わせ、文字通り緩急自在に駆使出来るというとんでもない猛者であり。

 最初の一撃を躱されたその手ごたえで、途轍もなく上級の手練れ、生涯かけても逢うことが叶うかどうかという、今や希少な本物の侍だというのが実感出来た。だのに、これほどまでの興奮を齎した刀を引いて、自分には果たさねばならぬことがあると言い出して。そして…そんな勝手を飲んででも、どうでも決着をつけたいと。体のどこかで何かが騒いでやまなくて。


  『お主を斬るのは、この俺だ。』


 邪魔をする者は容赦なく斬った。長らく間近で一緒に過ごした同輩のヒョーゴでさえ、この男を害すようなら邪魔だと切り払った。彼の請け負いし“仕事”を急ぎ片付けさせたくて、野伏せりどもも片っ端から斬って捨てたし、都からの刺客たちをも、問答無用で薙ぎ払った。まったくもって無謀な男で、ちょっとでも眸を離すと何をしでかすものなやら。無事でいる姿に安堵し、そして。そんな自分へ…困惑する。思えば自分もまたそんな無謀さに叩き起こされたようなもの。つまりは、彼という男の底知れなさに魅了されたのだろうと気がついて、そして。


  ――― 彼奴を斬りたいのか、それとも、生かしたいのか。


 他の誰ぞにあっさりと攫われたくはない。下らない相手やあっけない状況に、その命 奪われてしまっては元も子もない。こうまで“欲しい”と何かへ餓
(かつ)えたのは初めてで。お楽しみは後々へ取っておいた方が味わいも深まる。渇きをわざと我慢してから飲む清水の美味さの例えを思い、それと同じことよと気持ちを宥めておれたのも何時の頃までだったやら。自分で自分を故意に焦らしているものか、それとも。無事で居よとの心からの切望からのこと、本気で真摯に焦れているものか。もはや自分でも、その境界線が判らない。




            ◇



 あの最初の邂逅から、もうどのくらいが経ったのか。誰にも渡さない、誰にも斬らせない。大切に大切に、その命 護ってやると思うは真実。されど。

  ――― 心はまだ、とりとめなく揺れて止まらずにいて。

 故意に刀を遠ざけて、わざわざ無防備な丸腰で近寄るは策謀。深まる宵を愛でてのことか、開け放たれた障子窓。その鋭角な輪郭をなお割り入るようにして、鋭く切れ込む月光が、床板の黒をつややかに光らせている。
「…久蔵か?」
 にじり寄っても逃げないその身へ、もっともっとと近寄って。膝へと手を掛け、乗り上がり、逃すものかとその懐ろへ、しゃにむにすがりついて頬を寄せれば。

  ――― 温かい。

 安堵を覚えるのも本当。でも、自分ではない“もう一人”だと自覚するのも本当。背中へ伸ばされる腕がどんなに強く抱いてくれても、自分と彼とは一つと一つ。どこかから冷たい何かが差し込まれてきて、引き剥がされてしまうやも。同じ一つにはなれなくて、それが異様にもどかしい。いっそ、いつだってこうやっていられたなら、命の温みをいつだって感じていられれば。

  ――― なあ。いつか突然に、消えたりはすまいよな?

 いつだって目の先にいるのなら杞憂なんて抱きはしないのに。訊いてみたいが、それでは何とも突拍子もないと判っているから。言葉を知らぬ身を歯痒く呪う。

  “いっそこの手で永遠を抱かせてやろうか。”

 そんな衝動に駆られるやもしれなくて、それが怖くての丸腰空手。爪さえ立てずにすがるだけ。そうやって堂々巡りな逡巡に葛藤し、ただただ黙んまりを決め込んでいれば、

  「…何処へもゆかぬさ。」

 頭の上から唐突に。一番欲しかった言葉をくれる勘兵衛で。

  ――― 本当、だな?
       ああ、本当だ。

 だから、いつまでも焦らしておればいいからと。まるでこちらがそうしていること、見越しているかのような言いようをする。久蔵が嫌がるからと手ぶくろを嵌めなくなった大きな手のひらが、ゆったりと髪を梳いてくれ、よしよしと懐ろへ掻い込んでくれて。

  “…なぁんだ。//////////”

 とりあえずの安堵に、肩の力を抜いて和んで。さてと、自分の本心へと向かい合う。

  ――― 彼奴を斬りたいのか、それとも、生かしたいのか。

 こうまでの存在を斬りたくて堪らぬのも本当ならば、視線の先から失いたくはないのも、紛れもなき真実だから。斬っての凌駕をもって永遠とするか、温みと安堵を一生をかけてでも護り切るのか。自分の命の進退をば、その胸中にて転がしていること。どこまで気づいているものか。月光に縁取られし横顔は、優しく奥深く、微笑んでいるばかり………。







  〜Fine〜  06.12.28.〜12.31.


  *タイトルは、
   どこぞかの死神代行さんの刀とは関係ありませんので念のため。
(苦笑)

  *昨日が最後の更新とか言ってましたが、
   お正月準備が早々と済んでしまって暇になったので、
   何とはなくグリグリと書いててみました。
   何とはなくだったせいか、取り留めが無さ過ぎますね、すいません。

  *どうも私は、
   おっさまのお膝の上へと乗り上がってのしかかるキュウゾウさんが、
   殊の外に好きみたいでして。
   似たようなパターンのお話ばっか、
   あちこちに書き散らかしててすいませんです。
   これは恐らく、
   初めての“誘い受け”を書いたものの、(どれとは言わんが…)
   されど微妙に不発だったことが、
   深くトラウマになっているせいかもと思われてやみません。
(おいおい)

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