寒 月 夜 (お侍 習作の20)
 



 限りなく漆黒に近い深藍の天穹から。青ざめた月が煌々と、褪めた光を降らせている。黒い森も蒼い河も、地上全てを同じ青に染め上げている態は、厳然とした冬からの支配を思わせ。つきつきする薄氷を漉き込んだ絹のような、それは冷ややかな感触の夜気が、辺りの空間を満たしている。防寒具として借り受けた分厚い外套は、袖口や内側に獣の毛並みを張った優れもので、襟回りへ縫い付けられてあったフードを引き起こしてかぶった頭や耳などは、何とか無事でいるけれど、それでも…びろうどの外套の表のような、素っ気ないまでにつややかな真冬の冷気は、頬や鼻の先など、わずかだけ外へと出ているところへと、容赦なくひたりひたりと張りついて痛いほど。
「…。」
 ここいらでは“しまき”と呼ばれる、雪混じりの横殴りの強風が吹きすさんでいた昼間の荒れようが、嘘のように収まった今は。どこか遠くで低く高く鳴いている風の声が聞こえるくらい。それが消えるとたちまち、耳鳴りがしそうなほどの静けさが支配する夜の底へと立ち戻る。
「聞き間違えたかの。」
 確かに気配を察して、それでと番小屋から出て来たのだが。それからそろそろ四半時が経とうかというのに、動くものの気配は、見える限り聞こえる限りの四方のどこにもない。静かさが過ぎてついのこと、気が逸っていたものかと、独り言のようにこぼした呟きを、
「…いや。」
 懐ろからの声が否定する。月光があるせいでその白さが際立つ吐息をまとった声は、相変わらずに単調な、一本調子のそれだったが、
「俺にも、聞こえた。」
 何せ、小屋から先に飛び出したのは彼であり。弾かれたように立ち上がったそのまま、外へと駆け出ていったものを、ああこれ装備を忘れてどうすると、あまり好きではないらしい手袋を掴んでその背を追ったという順番だった。
「…。」
 冬枯れし切った河の畔
(ほとり)は、どこからが凍河かの境目も曖昧なほどに何もなく。湿った砂利なのか凍り切らぬざらめ氷なのかも判然としないぬかるみの取っ掛かり、何とか居残っていた木立の残骸の陰へとうずくまり、辛抱強く標的を待っている二人連れ。年齢差はあるが双方ともに大戦経験者であり、苛酷な修羅場を幾つも乗り越えた生き残り故に、その頃の経験から多少の我慢は利くものの、
「…。」
 懐ろにすっぽりと収まっている相方が、とうとうその細い肩をふるると震わせた。それは軽快に鮮やかに働く、無駄のない締まった肉付きは、だが、こういった極寒の地では肉の鎧のない身なのが少々不利なようでもあって。それに気づいた年嵩な男の方が、二人まとめてくるみ込んだ格好となっている大きな外套の中、自分の腰から提げていた、革のカバーをぐるぐると巻かれた円筒形の何かを外すと、こちらへ背を向けたままな連れの手元へと、腕を回して手渡してやる。
「?」
「根菜と猪肉のスープだそうだ。」
 小屋から飛び出すときに、得物と手ぶくろとそれから。炉端に置いて暖めていたそれを、素早くカバーにねじ込んで持って来た。ここいらの土地ならではな知恵を生かした保温のための革容器は、蓋をねじ開けるともうもうと湯気が立つほどに、中身を全く冷ましてはおらず。水筒のように小さなコップになっている蓋へ、中身を注いで飲めばいいらしいのだが、
「…。」
「その程度の あつものも苦手かの?」
 まさかに沸騰しているほども熱いはずはなかろうに。湯気に臆したか、肩越し、こちらをちらりと見やってくるので。苦笑混じりにコップを受け取り、ふうふうと吹いて冷ましてやる。こちらも防寒用に必ず必要と勧められた手ぶくろ越しなので、どれほどの熱さか判別は難しかったが、顔に当たる湯気はさほど強いものでなし。ほれと口元へ差し出せば、今度は素直に…それでも恐る恐るに飲んで見せ、
「…美味い。」
 滋味深い味とそれから、通っていった端から胸や腹の底が温まったその安堵が、素直な感慨となってその口から零れ出
(い)でる。余程のこと落ち着けたのか、深々とした吐息をつくと、自分で立ち上げた意識でもって、身構えて支えていた体から、少しばかりその緊張を解いたらしく。背後のこちらへ重みをかけ、軽く凭れて来た彼であり。その目の前で2杯目を蓋へと注げば、立ちのぼる湯気へ目許を細め、
「…。」
 早く冷ませと急かしてか、肩越しに心持ち見返ったその頬の線が、月光を受けて白く覗いた。現金な奴めと苦笑半分、先程と同じように吹いて冷ませば、続いて細い顎をしゃくって見せるから。小首を傾げて見せると、振り向きもせぬままに続けて“うんうん”と頷く鷹揚さ。間合いとそれからそちらへと伝わる振動から、こちらの所作を拾い上げたらしく、お前も味わえということであるらしい。お言葉に甘えて温まり、返杯をと構えかけたその時だ。

  ――― さわさわ・ざわり、と。

 ずっと遠い対岸での気配ながら、風のうねりのその音が、何かしらの侵入者によって遮られ、不規則にも掻き乱されているのが伝わって来た。あまりに遠く、あまりに微かなそれであり、ただ単に風向きが変わってのことと、気にしないで済みそうな代物でもあったれど、
「…。」
 弛緩しかかっていた懐ろの存在が、再びの緊張をその身へピンと漲
(みなぎ)らせる。外套の中で身を起こしつつ、左腕をその肘からという大きな動作にてからげ上げ、こちらの目の前に立っていた、鈍く冷たい光をくすませていた刀の柄へと手をかける。
「行く。」
 返事なんて待ってはいまいが、それでも“うむ”と頷くと。それと同時、勢いよく立ち上がった動作の連動で一気に。砲台からでも飛び出したかのような勢いと高さにて、目標目がけて突っ込んでゆく彼であり。今の今まで、凍りついたそのまま永劫へ向けての結晶化でもしかかっていたかのように、それはそれは静かだった蒼の世界だったものが。そこへの新たなる乱入者が齎す小気味のいい躍動を受け、一気に様変わりを見せる。抜け殻でも脱ぎ捨てるかのように、威勢よく外套を放り出しての身軽な態勢。一旦沈めた身をぐんと伸ばしてという、助走もなしの跳躍一閃。裳裾からしなやかな脚が伸び伸びと覗く様は、何とも闊達で。凍りついた夜陰へ高々と躍り出た相変わらずの痩躯は、されどその躯に秘めたバネの強靭さも衰えてはおらずで。深紅の長衣の裾をばさばさと大きく翻した鮮やかな姿は、さながら、風を撒いて飛び立つ、深紅の翼した猛禽の羽ばたきが、周囲の凍った空気を蹴散らかしたよう。凍った河表へ、見えるかどうかというほどもの僅かずつ、飛び出していた岩や枯木を足場にしての突進の、その半ば辺りから。星影に紛れて、だがくっきりと出現した強い光。月光を受けて弾いた刀身の煌めきが鋭く躍り、ああ抜刀しやったなとこちらへ伝えたを限
(き)りに。こちらもおもむろに立ち上がると、視覚でだけでなく、遠い風を空気を、耳や肌といった全ての感覚にて嗅いで。夜陰の中、遠い対岸までを飛翔して行った若き相方の気配を、細い細い糸でも追うように辿ってゆけば。

  ――― …っ。

 微妙な間をおいてから。何物かの太い咆哮がそちらから轟いて。向かい側に連なる黒い森の手前、やはり僅かばかりの幅だけを凍った泥の河原へと、追い立てられるように飛び出して来た存在がある。遠い距離を思えば相当な大きさで、後ろから追い立てているのだろう、そこにいる筈の連れの姿が完全に遮られて隠れており。それが四ツ足での体高だというから、起き上がればどれほどの怪物であることか。

  “成程、あれに襲われては…。”

 常人ではひとたまりもなかろうにと、苦り切った表情になった男が、褪めた闇色の蓬髪の下、日頃以上に深いしわを刻み込み、その眉間を顰めて見せる。追い立てられた巨漢がドスドスと駆けるそのたびに、その身を覆うつややかな深色の毛並みが、分厚い脂肪と共に波打つように揺れるのが見て取れるまで。こちらへ向けて進み来るのを認めると、

  「……………。」

 こちらも、大外へと羽織っていた風防代わりの外套を足元へと振り落としての、迎撃態勢。腰に提げたる愛刀を、ちきりと鯉口切って抜刀し。腰を据え、正眼に構えしその切っ先に、ぬらりと躍るは正青の月光。長めの柄を握り絞りし拳へと、眸を伏せて念を送れば、長々とした銀鋼の刀身が きぃぃんという不可思議な響きを奏で始める。その昔、天穹の戦さ場を翔けた“侍”にしか体得出来ぬ超振動。練鋼や鉱石でさえ、溶け出しかけのバターのようにそりゃあなめらかに切り裂くことが出来、機巧によって撃ち出されし熱波・光弾も、そのままの威力で叩き返せるという至上の奥義。それを刀へとまとわせて、夜陰へ存在を溶かし込みつつ待つこと数合。冷たい凍河をそれでも進路に選んだは、それだけ苛烈な襲撃に追われているからだろう巨獣へ向けて、こちらも伏せていた戦意を立ち上げると、その睥睨も鋭いままに、追い上げられて来る標的目がけ、凍土を蹴っての高々とした跳躍で迎え撃つ。後背からの殺意も…それを見てのことか、厚みを増して鋭く尖り、
「…っ。」
 先程向こう岸へと渡っていった時の足場の岩を踏みしめて、こちらは低く水平にと跳び出せば、二人分の刃が上からと後方から、容赦なくの凶暴さで襲い掛かって、随分と厚い脂肪に守られていたのだろう急所を、二方向から深々と抉り込む。

  ――― 〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!

 どんな嵐の轟音とても、そうそう敵いはしなかろうような。野太いながらも途轍もない大絶叫が、周囲の夜陰をびりびりと震わせる。巨体が疾走して来たその慣性が余っていてのこと、骸になりつつ、凍った河を意志なくすべってゆく様が、見様によっては哀れでもあったけれど。
“人を害してしまった獣は、不幸を振り撒く呪われた存在になるしかないからの。”
 依頼を受けたは、そういった道理も判っていての契約であり。刀をぶんと振り抜きて、まとった血脂を払いのけてから鞘へと戻せば、

  「…っ! これ、久蔵。」

 そちらも刀は仕舞った徒手の状態へと戻っての、だが、風のような勢いはそのままに。こちらの懐ろ目がけて、弾丸のように素っ跳んで来た連れであり。有無をも言わさず、外套の合わせを順々に左右へと割ると、これが帯刀のままなればあっさり落命していたろう早技にて、現れた胸板へと痩躯を寄せており、
「…寒いのか?」
 訊いておきながら、返事を待たずして“それはそうだろうよな”と内心にて苦笑する勘兵衛だ。動きを優先してのこととはいえ、防寒用の外套さえ放り捨てての出撃であり。凍った夜陰の中にいたのは実質数分ほどではあろうが、それでも信じがたい薄着でいた身。そのまま呼吸器系や循環器系への支障が出たって一向に不審ではないくらい。鼻先に来ている金の髪さえ、裾から凍り始めていそうな様相に、その痩躯を手早く外套の中へと掻い込んでやり。刀を提げていたベルトから、こちらは彼には不似合い極まりない、小型の銃を抜き取ると、
「耳を塞いでおれ。」
 懐ろの若者へと短く告げた勘兵衛へ。少しでも暖を求めたくってのこと、手を離すのが嫌だったか、むうと不満そうな顔がすぐさま見上げて来たけれど。そんな彼の頭をまんま、大きな片手で胸板に押し付けてやれば。ああそうかと意も通じ、胸板で塞がれていない方の耳へ自分の片手をあてがう久蔵だったので。勘兵衛の入れ替えた手はそのまま降ろして背に添えて抱えてやり、残りの腕を夜空へと掲げる。こちらはその腕でしか耳を塞げないがしようがないと観念し、ぱんっと一発号砲を放つ。銃口から飛び出したのは、白っぽい煙の尾を伴った大きめの弾丸で。濃藍の宙空へ駆け上がったその末に、ポンッと軽い音を立て、白い光を大きく周囲へ、長々放ってそれから消える。凶暴獣を狩り終えたぞという、村人たちへの合図ののろしであり、同時に…彼ら二人の侍にしてみれば、依頼を片付けたピリオド代わりの花火のようでもあったりした。





            ◇



 冬場は働き盛りの年頃の男衆のほとんどが、南の里や町へと出稼ぎに出るような寒村が点在する北方の凍河地方に、この冬、途轍もない巨体のヒグマが現れて。あまりの寒さとそれから、その巨体を維持するための取餌が秋のうちに間に合わなかったものか、冬眠し損ねたままで徘徊を続けており。とんでもない大きさの姿を見かけたという一報からさして日を置かず、里や村のすぐ近辺にまで、信じられない大きさの足跡が接近していたと判ったから、さあこれは一大事。夏場や秋口であったなら、弓や銃で狩りもする頼もしい男衆が揃っていたものが、今は年寄りか子供以外は不在な里ばかり。そんな危険な窮状を、ここいらを所轄にしている狩猟者らへ報告し、銃での狩りで駆逐をと嘆願したものの、
『腕に自慢の強わ者たちまでもが、もう5人も殺されておりますでな。』
 負傷者はその3倍というから物凄い被害であり、自分たちではどうにもならぬ、恥も外聞も知ったことかと、そりゃあ正直素直にも代表者が直々に“手を引かせてもらう”と言って来たほど。そこへとやって来たのが、ここから少しほど南下した土地で噂を聞いたという武芸者二人。自分らもお世話になっているとの、そちらの街の名士が持たせたらしい紹介状を携えており、人品に間違いは無さそうだということで、それではお願い致しますと送り出したその晩のうち、まさかもう仕留めてしまったとはと。
「それも、たったのお二人で。」
 とんでもない大きさのヒグマの亡骸を目の当たりにしてもなお、信じられぬと目を丸くして。里の人々は驚きを隠せないでいたようであり、

  「お侍様はやっぱり違うだな。」
  「んだ。猟師が投げた大物を、あっちゅう間に仕留めちまった。」

 しかもしかも。どれほどの豪傑かとお姿を実際に拝見すればしたで、ヒグマに負けないほどもの山のように大きな巨体をしているでなし、天を突くほどもの上背があるでなし。肩へと担ぎ上げねばならぬような、たいそうな機関銃なんぞをお持ちでもなし。お背は高いがどうかすると初老間近いかも知れぬほど、重厚な落ち着きをたたえながらも、世捨て人のような物静かな風貌の御仁とそれから。もう片やは打って変わって、嫋やかなまでに玲瓏な顔容をした、金髪痩躯の美麗な若武者。あまりに垢抜けた華やかな容姿をなさっておいでだったものだから。それと…あまりに寡黙が過ぎたのを、武芸者の慎み深い妻女らしいことよと解釈されもしたらしく。現場へ供に連れ立って出掛けようとするまで、てっきり若い奥方かとの誤解をされていたほどであり。装備もそれぞれの刀だけという身、どんな相手か本当に判っていなさるものだろかと、合図が来るまで冷や冷やして待っていたのだと、長老がややもすると興奮気味に語ってくれて。
「それにしても、ようも滑らんかったの、お前さんがた。」
 ここいらの者なら常備している、底に鋲を打った雪靴をさえ履いてもおらんのにと、そこをまで感心されてしまったが、
“まあ、氷の上なぞ ろくすっぽ駆けておらんかったからの。”
 そのような戦いっぷりを実際に見ていたならば、もっと信じてはもらえず、逆に“魔性の存在”鬼か悪魔かと恐れられたかも知れぬと、今になっての思い当たりから苦笑が零れてしまいそうになった勘兵衛。怪訝そうなお顔をされて、何とか誤魔化しつつもそれではと下がることとし、逗留先にと当てがわれた里の外れの空き家へと何とか戻れば、
「…。」
 先に戻っていた久蔵が、明々と炭を起こされた囲炉裏の辺に座り込んでおり、入って来た相手へ、薄い肩越しにちらりという一瞥を向けてくる。遅かったのと、そういう意味合いの視線だろうと思い、小さな笑みひとつを返してから、凍気を染ませて重みを増した装備の数々を、土間で次々に脱いでゆく。妻が聞いて呆れるほどに薄情な連れは、手伝おうという気配もないまま、再びその細い背中を見せてのそっぽを向いてしまったほどであり。だがまあ、あの凍気の中にてじっと待機していた身だ。今は思う存分暖められての弛緩しまくり、動きたくはないのだろうというのも判る。まだ少し右腕が不自由な彼でもあるし、それでなくとも日頃から甘やかし放題の連れなだけに、今更何やかやと説教もなかろうてと。いつもの普段着に近いところまで、自分で身を整えるとそのまま、勘兵衛もまた板の間の居室へと上がり込む。風流な趣味人が避暑に来ての別邸にでもしていたものか、こんな辺境の寒村には珍しく、数寄屋造り風の部屋であり。今は雪や寒気避けのためにだろう、板が打ち付けられてこそいるものの、小さな庭に向いた濡れ縁もあり、別な一角には床の間を模したそれか、地袋や違い棚のある壁もあり。庭の側には障子戸を嵌め込んだ、座って丁度いい眺望が望める高さの円窓もあって。そこは封印されてもおらず、
「何か見えるのか?」
 近づいてみると窓は薄くだが開けられていて、そこから外を見やっていた久蔵。歩みを寄せて来た勘兵衛を見上げると、見よと視線で促して見せ。どらと腰をかがめた彼へ、わざわざ身を避けて見やすくしてくれたその先には、
「ほう、寒牡丹だな。」
 誰が世話を続けているやら、雪囲いがなされた牡丹らしき植木があって、それを眺めていた久蔵だったようで。そろそろ黎明が間近いほどとはいえ、まだまだ未明の内だというに。間近い家の温みに錯覚でもしたものか、豪奢な花が開いている。
「…雪なのに。」
 河が凍るほどの土地、しかも厳冬だってのに、艶やかにして富貴な花が見事に咲いているのが、彼には不思議でならなかったらしい。そして、

  「牡だったそうだの。」

 ぽつりと口にしたのが、相変わらずに断片的な一言で。恐らくは先程自分たちが仕留めたヒグマのことに違いなく。村人たちへと処分は任せたのだが、そんな彼らの会話が聞こえたのだろうと思われて。
「…よかったと言うておったが。」
「ああ、それは。牝で母親だったなら、仔がいようからの。」
 あの近くに仔がおったなら死に物狂いで暴れたろうし。そればかりじゃあない、残された仔らが気の毒だとか、その仔らがまた大きくなって暴れぬかとか。そういう含みがあっての会話だろうと端的に告げてやれば、
「…そうか。」
 仔のことかと、小さく呟く。相変わらず、刀さばきや戦術方面以外のことへは、あまりに知らないことの多かりし君であり。だが、それまではそれで構わないと無関心でいたのだろうものが、ここ最近は こうやって一つ一つを噛みしめるように確かめるようにもなっている。
「………。」
 そんな関心を素直に見せるようにもなった彼にこそ、勘兵衛の側としては感慨も深い。刀への手ごたえにしか関心がなく、他は要らぬとして耳目を塞ぎ、生き急いでいた風のあった彼に、少しずつ、体温のようなものが刷り込まれてゆくようで。

  『…月が。』

 あんな真珠色をしているとは知らなかったと言い、手ぶくろ越しの手のひらの感触を嫌い。隙をついてはすぐにも膝へと乗り上がって来て、温みを欲しがる傍若無人なところは…これは以前からのことだっただろか。


  ――― なあ。
       んん?
       炭を足しに来た女がの。
       ああ。
       面白いことを言うておった。


 面白いこと? やはりいつの間にか、手際よくもお膝と懐ろへもぐり込んで来ている紅衣の猫へと、和んだ眸を向けてやり、金色の髪を梳いてやりつつ話の先を促せば、
「我らのことを。噂の、隻腕の女を連れた賞金稼ぎではと思っておったと。」
「隻腕の女…?」
 怪訝そうな顔をする勘兵衛へ、こっくりと顎を引いて頷いてから、
「このように腕を吊っておると知らず、袖と懐ろの膨らみから、そう思ったのだと。」
 首からベルトと装具で肘折れにして胸元へと提げている右の腕。先年の秋に大層無残な傷を負い、傷そのものは癒えたものの、折れていた骨が固まるまでを固定していた後遺症。まだ少し動きがぎこちないからと、刀は握らずの鍛練中なための対処。こんな寒い土地に来るにあたっては、外套の袖を通さぬまま、中へと引っ込めておったので、そこから隻腕に見えたらしくって。
「………そうか。」
 言われて見れば。何の先入観も基礎知識もないままに、此処へ着いたときのいで立ちの彼をば見れば、そんな錯覚もあり得るかと勘兵衛が納得をする。無口で慎み深い妻女だと思われていたほどなのだ、そっちの想像だって招くのは容易かろうというもの。
“…いや待てよ。”
 もしかして。各地で噂の賞金稼ぎという存在自体が、もしやすると自分たちのことなのではなかろうか? 鉦
(カネ)を叩いての宣伝までして回っている訳ではないというのに、逗留先から次の土地へ、どうにも段取りよく依頼の橋渡しが続いている。いくら野伏せり崩れの野盗や荒くれが後を絶たぬと言ったって、それへと自治団が賞金を懸けている土地も多いことから、賞金稼ぎは星の数ほどいるというのに?
「島田?」
 一瞬は愉快愉快と機嫌よく笑ったくせに、話途中で不意に黙り込んでしまった相方へ。どうしたのだ置き去るなと言わんばかり、その顎へと蓄えられたお髭を間近からついついと引いて注意を喚起すると。お悪戯
(イタ)をした手はさすがに捕まえられたが、そこへと告げられたのはお叱りの言葉ではなくて、
「悪いが久蔵、次の湯治場へ向かう前に、一旦虹雅渓へ戻らぬか?」
 腕の治癒に効くだろうと思われることを、片っ端から試しているのが、この旅の本旨。湯治場巡りが主であったはずだのに、気がつけば…今回のような猛獣退治や悪党退治やに引っ張りだこという日々に差し替わってもおりで。
“このようなことの繋ぎが取れる奴と言ったら…。”
 一人しか知らないし、その一人がいかに仕事の早いやり手であるかも、重々覚えがある勘兵衛であり。一方、
「あ…。////////」
 以前よりかはマシになりつつあるとはいえ、感情の起伏に比べれば、まだまだ表情は薄いままなこの若侍が、弾かれたようにお顔を上げて、唯一こうまではっきりと歓喜を示すは、そこに住まうとある人が、すぐさま想起されるから。
「シチのところ。」
「ああ、久方ぶりだの。」
 結局のところ、一緒にいたのは秋から春までというほんの短い半年の間だけ。だというのにもかかわらず、もうすっかりと家族扱いの恋しさで把握されているらしく。
「…。」
 ぽふりとこちらへ、凭れ掛かってくる可愛げが出たのも。勘兵衛へと甘えて…というよりも、思い出した誰かさんのことを偲んで、に違いなく。よく気のつくあの元・副官の美丈夫殿は、よほどのこと、人へと手を焼くのが性になっていたものか。元・上官以上に突っ込みどころ満載だった…もとえ、手の掛かる素地を山と持ち合わせていたこちらの青年へ、母親の如くに目をやり手を掛け、構いつけていたものだった。
「そんないい顔をするのが憎らしいの。」
 大人げなくもそんな言いよう、ついのこととて零したところが、そんな勘兵衛の顔をまじまじと眺めやり、
「奇妙
(けぶ)なことを。」
 鹿爪らしくも言い返してくる。理解不能と聞き流してくれてよかったこと。それをわざわざ、一体どんな懐ろへと受け止めた君なのやら。
「?」
 とりあえず“奇妙”という評価には思い当たる節が無さ過ぎるので、こちらもまた怪訝そうな顔で見つめ返す。すると、
「お主は俺のものだ。」
 違うか?と強い眸が間近から圧し訊くのへと、いかにもその通りと頷いて見せれば、
「だったら。此処に居ることへも、独り占め出来ることへも、いちいち改まって喜ばずともよいのだ。」
「…ほほぉ。」
 なかなかに長い物言いを…もとえ、穿ったことを言うものよと、それこそ年甲斐もなく胸のどこかが擽ったくなる。本当の偶
(たま)に、即妙な物言いが飛び出す彼であり。傍らにあることや独り占め出来ることへと、これでも喜んでいるのだと、間接的にだが言って貰えたのは素直に嬉しい。ただ、
「…それは誰からの受け売りだ?」
 訊くとすかさず、紅い眸が軽やかに瞬いて、
「シチが言っていた。」
 熱を出して臥せったときだ。ずっと傍におりますと言ってくれて、すまないって顔になったら叱られた。
「我らは互いに大切な仲間、気遣うも想うも当たり前のこと。いちいち改まっての感謝だの謝辞だの持ち出すは水臭いと叱られた。」
 どうだ、尊い言葉だろうがと。何だか大威張りな久蔵だったが、
「…何か微妙にズレとらんか?」
 というか。この青年は相変わらず、自分の座右の銘のほとんどを、七郎次から貰った言葉で埋めているのではなかろうか。ここにその槍使い殿がおわしたなら、
『勘兵衛様に熱烈に師事していた勝四郎殿みたいですな、そりゃ。』
 小憎らしくもそんな言いよう、すぱっと返されたに違いなかろうが。ああそうだった、そんな口の利きようだとか、ひょんな隙ほどきっちりと見据えていて、倒れ込みそうになったら受け止めるからと、無駄に終わってほしいこと、全力で構えている頼もしい存在感とか。確かに自分も懐かしいし、こんなにも喜んでいる久蔵の様子もまた、心和んで愛おしい。

  ――― さ、そうとなったら少しでも休め。
       出立の用意はせぬのか?
       そうまで急
(せ)かずとも、シチも蛍屋も逃げはせぬ。
       だが………。ん、///////。

 どさくさに紛れて何処を触っておるかとの、抗議を乗っけたきつい眼差しも。頬がそうまで赤かったりすると、威容に欠けるというもので。小窓の外ではちらちらと、風花だろうか白いものが舞っていて。赤い衣を組み敷いた白い衣が、金の髪へと重なった深色の髪が。妙に艶な趣きにて、黎明間近い夜陰の中に没してしまい。秘やかな衣擦れの音を響かせて。あとはおぼろな、寒月夜…。






  〜Fine〜  07.1.06.


 *終盤、何か一生分くらい喋ってる久蔵さんですね。
  寡黙な人の言葉足らずな言い回しって、
  考えるのがホンっトに難しいです。
(とほほん)

 *例の“企み”の、先走りでございまして。
  この二人だけでの道行きって、
  よくよく考えると凄い無謀な気がするんですが。
(笑)
  勘兵衛様は単独行にも慣れておいでだけど、
  久蔵さんの方は、今までは兵庫さんがいたからねぇ。

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