弓 競う (お侍 習作の25)
 



 野伏せりの専横を許さじと、反旗を翻すことを決めた神無村が招いた7人のお侍様たちは、首魁のカンベエ様を軸に、どの御方も頼もしい腕自慢ばかり。刀の腕や膂力・胆力はもとより、機敏で機転も鋭くて。それぞれへと役割を分担されるや、神無村要塞化計画に速やかに着手した皆様であり。岩屋の砦に石垣の堡、それは巨大な丸太の弩などなどという、設備補完は勿論のこと。農民もまた兵士であるとし、様々な建造物建立の作業の他に、武器を使えるようにと弓の指導をも行って。村人たちの士気を高め、意識を一つにまとめることへの術とした。


  ――― さて。


 人が一つ処に集まると、そこでは様々に機微が絡まりて、齟齬も生じれば衝突や諍いも多少は起こるもの。最初から訳知り顔同士ですんなりと打ち解け合う方がむしろ不自然で、衝突の面倒や繁雑を嫌い、ろくに知ろうともしないままでいて、後々で“そんな筈では”と破綻を来すよりずっとまし。噛み合わぬところあれば、ぶつかりて均せばいい、こやつは此処が我とは逆手ぞと知っておればいい。好みや思考や価値観が全く同じ人間なんてそもそも居ないのだから、どうしても馴染めぬ相手なら、無理から迎合しなくともいい。よくよく相手を知っておればいいだけのこと。

  “などと、カンベエ様は仰せだったが。”

 それでもやはり、要らぬ諍いやら衝突やらは避けたいとするのが人情だろうに。どうしてまた、要領よく機転を利かせて立ち回ったり、無難に場を収めたり…とかいうことが、殊の外 苦手そうなお人をわざわざ煽ったりなさるのか。
“やれやれ…。”
 肩をすくめたシチロージが見やる先では、そのカンベエ様とそれから。鞭のように無駄なく絞られし その痩躯へと張り付くような、それは鮮やかな紅の長衣を身にまとった、金髪寡黙な若侍とが。肩を並べての一心不乱、ただただ黙々と矢を射続けておられて。此処は本来、村人たちに弓を教えている習練場である筈だのに、肝心な村人たちの姿はとうにない。それもその筈、半時ほども前に、通りかかったゴロベエ殿とカツシロウくんとにお願いして、ヘイハチ殿が指揮する作業場の方へと全員向かっていただいてある。二人の醸す、あまりの気迫に呑まれてしまい、またぞろ我らをまとめて怖がられては元も子も無いからだ。

  “キュウゾウ殿はともかく、何でまたカンベエ様が…。”

 どうしてまた、途中で降りようとなさらずムキになっておられるのかが、シチロージにはとんと見当がつかなくて。その主様からの強い視線に押し止められたがため、制止も出来ずにただただ立ち尽くして見守るばかりでいたりする。
“………。”
 日に一度は、村の全ての作業工程を一通り見て回り、断崖となっている敷地の端々への目配りも欠かさず、最新の現状把握というもの、怠らずに確認しておられるカンベエ様であり。途中の作業場からご一緒することとなったシチロージとともに、村の中央、家並みの連なる広場前へと戻って来たのが、その、問題の“半時ほど前”であり。構え、撃て…という、余情を残さずに小気味のいい、凛とした掛け声と、弓の弦が弾かれ、矢が風を切るよに飛ぶ音…が立っておらず。おやと視線をそそげば、今日から的が変わるらしくて、それを設置なさっていた最中であり。
『鋼の板を射貫くなんて、出来んべ?』
『んだんだ。いくらこっちも鋼のヤジリさ使うゆうても、突き通る筈がねぇ。』
 新しい標的は、相手陣営に数多く居よう“ヤカン”の装甲を想定したものであり、これもまた必要なスキルではある。だが、確かに素人にいきなり射貫けと言っても驚かれるばかりに違いなく。
『…。』
 自ら、重くて頑丈な鋼板を藁づとへと設置していたキュウゾウ殿。そんな村人たちの不安そうな声を尻目に、まずはお手本ということか、相変わらずの無言のままに弓を手にすると、射出位置へと立った。さして大柄でもなければ、いかにも武芸者でござるというような厳つい風貌でもなく。むしろ、若木のような伸びやかな痩躯をし、涼やかに整った顔容を冷たく凍らせておいでの、それは嫋やかな美丈夫が。ピンと延ばした背条も凛々しく、その冷然とした気鋭をますますと尖らせ。飾りのない簡素な弓に細身の矢をつがえて、懐ろをゆるやかに開きながら、細く締まった双腕をこれもまた前後へと開いてゆく。決して柔らかではないその弦を、ぎりぎりと鳴かせもって大きく引き絞り、

  ――― ひゅっ・か、と。

 鋭い風切りの音と共に、弦から離れた矢は風の中へと溶け入って。姿を消したかに見えた直後、キンッと甲高くも堅い音を立て、その所在を主張した。それへと呼ばれた皆の目が見た先では、確かに彼が放った矢が、標的の鋼板へ深々と突き刺さっており。
『おおお。』
『さすがはお侍様だなや。』
『けんど、オラたちには無理なんでねか?』
 喝采も上がったが、それと同じほど、素人の自分たちに果たして出来ようかという不安そうな声は収まらず。
『どうなさるのでしょうね。』
 寡黙なセンセイ、一体どう対処なされるのか。それでもズブの素人から射手として十分形になったところまでを、この短期間で育て上げてはいる。やはり何も言わぬまま“継続は力なり”で通されるのだろうかと、足を止めたカンベエ様の傍ら、シチロージも興味を起こして眺めていたのだが、
『………。』
 ふと。そんな主様が、その足を踏み出され、だが、続こうとしたシチロージへは、小さな手振りで制してその場へと居残らせる。長い蓬髪が背中までかかる精悍な後ろ姿を、言われた通りに控えて見送っておれば。すたすたと歩みを進めた彼は、キュウゾウのすぐ傍らまで寄ってゆき…何を言ったかは、あいにくと距離があったのでシチロージには聞こえなかったものの。
“挑発するようなことを囁かれたからこそ、こんなややこしいことが始まったのは明白ですよね。”
 ちょっと見にはさほど険悪な雰囲気でもなく、気負いの気配もないまま、ただ単に弓の腕前を競っておられるだけにしか見えぬのだが。場合が場合だし、会話も視線のやり取りも一切ないというのは…やはり尋常な手合わせとは思えない。用意されていた矢は、生徒数が生徒数だったせいもあって相当な数があったらしく、
“さすがは名手、双方とも同じだけを当てておられる。”
 というか、標的から外した矢は1本もなく。ただ…キュウゾウが放った1本だけ、鋼板の上を逸れた藁束へ直にと刺さったのが、微妙ながら“外れ”と言えば外れにあたるのかも。疲労の陰さえ見せぬは、シチロージとしても想定の内ではあったが。これでは制す切っ掛けも見えずで、

  「…っ。」

 矢が貫通した鋼板は、何本かを受け続けるとその衝撃に耐え兼ねてか半ばで割れたりし、次々に地へ落ちてもおり、もはやあと1枚を残すのみ。声を掛けることで制すのが無理だというのなら、あれが落ちれば決着がつくのだろうなと、そんな流れを何とか見越しておれば。その最後の一枚が、カンベエの放った矢を受けてドスンと地面へ落ちた。
“終わった、か。”
 これで近づいても構いはすまいと、根が生えかけていたかもしれぬ足元を励まし、
「カンベエ様、キュウゾウ殿。」
 二人の傍らへと足を急がせる。一体どういう次第であったのか、聞かせてくれてもよかろうと、そんな声をかけたのだが、
「…っ。」
 まだ近づき切らぬ間に、一方の…赤い衣が視野の先で翻り、その身を風の中へと溶け込ませてしまう。
「…え?」
 まだ鳧はついていなかったということか? 自分が割って入ってはいけなかったのだろうか。あと数歩を残し、立ち止まった槍使い殿へ、
「戻るぞ。」
 蓬髪の主は、だが、こちら様は特に思うところがあるようにも見えぬ、至って平生の様子のまま、踵を返すとやはり先に歩き出されてしまわれ。
「…あ。はいっ!」
 詰め所の方へと向かわれる主の背中を追いつつも、やはり合点の行かぬまま、困惑気味の表情を隠せずにいたシチロージだったりしたのであった。





            ◇



 ふと。視線を感じて顔を上げると、そそくさと離れてゆく意識の気配がして。視野のどこかに必ず…彼の赤い背中が見えた。最初のうちは主様へのそれかと思っていたが、どうもそうではないらしいと判ったのは、
『どうされました?』
 顔を戻せば、主様がその度に苦笑を浮かべていたからで。
『あまりつれないのも却って酷だぞ?』
『はい?』
 知っていて知らぬ振りを通しておられたのは、カンベエ様ではございませぬかと申し上げたところが、
『あれはお主を見ておる。』
 くつくつと楽しげに笑われて、それで…そういえば、自分だけの時にもこちらへと視線が注がれていることが多々あったので。あれは“島田が一緒じゃあないのか”と自分の周囲をまさぐる視線ではなかったらしいと、
“そうだったなら一瞥で判りそうなもんだものな。”
 やっと理解は追いついたが。だが、
『???』
 そうまで見つめられる覚えが自分にはないから、やはり理解が追いつかなかった。彼はそもそも、カンベエ様との刀での決着をつけたいという執着あっての参加である。我らの敵である野伏せりとも通じていたアキンド方にいたものが、虹雅渓にて主様と切り結び、それで何をか感じ入ったらしくての執着、とのこと。それまでの仲間を一刀の下に斬り伏せてまでという、それ以上はなかろうきっぱりとした決別を示した彼なので、それはそのまま半端な執着ではないことを示してもおり、
“…邪魔だと、言いたいのかな。”
 決着は、カンベエ様が野伏せりを斬るという“仕事”を終えてから、という暗黙の了解があるそうで、律義にもそれを守っているのか日々の彼には物騒な殺意は感じられない。それどころか、およそ得手とは思えない“射弓術の伝授”などという役目を、黙々とこなしているほどではあるけれど。そんな彼が、ある種、気持ちの拠りどころとしているのはカンベエ様ではなかろうか。そんな主様のすぐ傍らに常時張り付いている自分が、お節介焼きで何かと構い立てしまくる自分が、果たして彼にはどう見えているのだろうかと、ふと思ったシチロージでもあった。



 詰め所へ戻り、お茶などお淹れしたものの。何となく落ち着けず、そわそわしていたのをちゃんと気づいておられたか。

  ――― 追っていって あれの様子を見て来てくれないか。

 との仰せ。それがスイッチででもあったかのように、待っておりましたと言わんばかり。さっと立ち上がって詰め所から出て来たそのまま、シチロージの足は鎮守の森へと急ぐ。村人らが作業場へと集中しており、そちらへと足を運ぶ者はいないと、彼もまた踏んだだろうと思ってのこと。澄み渡った空も高く、秋も深いというのに。常緑の立派な木々が鬱蒼と林立する此処は、季節も寄せぬ、ある意味、異空間のようでもあって。そんな森の奥深く、いつも彼が腰を下ろしている、一際大きな樹へと急げば、
「…あ。」
 いつも思うが、こうまでの緑の中にあって、あの紅の衣紋はさして目を引かないのがひどく不思議だ。特に意識しての消気をと構えてもいないようだのに、緑の中では一際目立つはずの紅が、あまりの細さでか森の気の中へと紛れてしまい、探さなくては視野へとも入らない。
『森の中は海の中と同じで、煌々とまでは光が射さないであろう。』
 南国の出でおられるゴロベエ殿が、いつぞや話してくれた、暖かい遠浅な海の魚の話をふと思い出す。どんなに澄んでいて明るくとも、海の青が溶け込んでいる水中は、陽の光を少しばかり陰らせる。それで、灰色や黒という地味な重い色合いよりも、彩度の軽い、色鮮やかな身であった方がむしろ馴染んで見つからずにいられるのだそうで。彼の場合も、それと同じ効果が発揮されているのだろうか。
「…。」
 そんな紅衣の長い裾を、熱帯魚の尾びれのように足元へと無造作に散らかして。樹の根元へと座っている彼へ、
「…手を、傷められたのですか?」
 近寄りながら声をかけると、立てた膝へと据えるようにし、じっと眺めていた右手から顔を上げ。長めの前髪の下から、切れ長の瞳がうっそりとこちらを見やる。半時ずっと緊張集中していただけに、さすがに多少は疲れたか。あまり険のない眼差しであり、
「見せてもらっていいですか?」
 すぐ目の前へ片膝立てて屈むようにし、手を伸ばすと、
「…。」
 ぷいっとそっぽを向かれたものの、手は下ろさないまま。好きにせよということと判断し、右手へ預かれば。白い指先から赤みが引いておらず、親指の腹と人差し指の側面は軽くながら擦り傷が出来かけてもいる。装備をしないままの連続射撃だ、少なからず傷めて当然であり。
「塗り薬がありますが。」
 相手の利き手だ。勝手は出来ぬと、当人へ訊けば、
「…。」
 ふりふりとかぶりを振るので、まあこのくらいなればとシチロージも頷き返して。手を緩め、持ち主の側へと引き取られるのを黙って見送った。
「…島田は?」
「え? …ああ。大丈夫ですよ?」
 カンベエ様は手ぶくろをなさっておいでですしね。
「案じておられましたよ?」
 付け足すと、ますますそっぽを向いたのは、競り合ったばかりの相手から案じられてもと直裁的な不快のようなもの、感じてしまった彼なのか。それとも、馴れ合うつもりはないと言いたいのか。
「…。」
 彼とても子供ではないのだ、後へと遺恨を残すということもなかろうが。それでも何だか、この沈黙はいい空気とも思えなくって。
“カンベエ様も、どちらかと言えば…あまり言葉を滔々と紡がれる御方ではないからな。”
 それが戦いの最中の采配や、軍議での報告ならばともかくも。それ以外のやりとりとなると、どちらかといえば…周囲の会話に耳を傾け、即妙さへと興じる方を好まれて。何か意見をしたとしても、当人に気づかせるのが一番だと、せいぜい禅問答のような短い単語だけをお与えなさる程度。人にはそれぞれの生き方や価値観があって、しかもどれが唯一無二の正解だと言えるものでもない。まして、自分はあくまでも侍でしかなく、師になぞなり得ぬと思っておいでの主様。よって、断ずるようなお言いようは敢えてなさらずにいるまでなのだが、まだ年若なカツシロウくん辺りにはそんな意図までそれこそ読み切れなかろうから、言葉面にばかり囚われて、良いように振り回されてもいるようであり。…まま、今はそれもともかくとして。
「………。」
 随分と人騒がせではあったものの、あくまでも二人の問題でもあろうから。第三者だった自分が口を挟むのは、単なるお節介か度の過ぎた干渉に過ぎない。一応の鳧はついたのだろうから、もう触れない方が良いのかも。とはいえ、
“気に、なりますよねぇ。”
 その腕っ節は重々承知のはずだのに。鬼のようにお強いし、気勢のほうだって生半可なそれじゃあない。この若さであの凄惨だった大戦を経験しており、機巧だろうが生身だろうが、相手は人格を持つ“人”だとちゃんと把握したその上で、敵を斟酌なく斬り裂くことが出来、しかもそれを状況のせいにしないで自身できっちり負ってしまわれる。それほどまでの強靭な意志をも、しっかと持ち合わせたお人なのに…どうしてだろうか、自分には時折、覚束無くも心許ない、そんな風情をたたえているようにも見えてならないシチロージであり。
“驕りなんでしょうかねぇ。”
 実質10年振り、5年を眠っていたので5年振りに再会の叶った主様という、気概の拠りどころを持つ自分だから。孤高を保つ彼が、毅然としてなさるのに…ついついそんな風に見えてしまうのだろうか。
「…。」
 あまりに“案じております”というお顔をしていたのが、さすがに鬱陶しかったか。再び彼の手が伸びて来たので、そろそろどっかへ去れという代わり、掌打でも食らわされるかと思っておれば、

  ――― え?

 その手は突き飛ばすのではなく、引き寄せるほうへとシチロージに働きかけて。押されると思っての身構えと、そのベクトルが合体し、
「おっと。」
 あわや、キュウゾウの上へと転げ込みかかったところ。咄嗟に相手の顔の脇、木の幹へと手をついて何とかしのぎ、額同士が触れ合うほど接近した白いお顔を見やれば、
「…。」
 今度はそっぽを向かず、逆にじっと見つめて来やったその上、再び二の腕を くっと引かれ。
「???」
 展開が飲み込めないながら、疎まれてはいないらしいというのは判る。試しにと、額と額をこつんことくっつけると、
「…。////////
 白い頬にうっすらと朱が走ったが、小さくこくりと息を飲んだだけで、やはり拒む気配はなく。なら、まま善しかと、こちらも肩から力を抜いて。
「お隣りで良いですか?」
 まさかこのまま、自分よりも体つきが少ぉし小柄なキュウゾウの膝へと、雪崩込む訳にもいくまいから。それでとのお伺いを立ててみれば、
「…。」
 こくりと頷いて手を離す。くすんと笑い、お邪魔しますよとお隣りに腰を下ろせば、
「…。」
 しばし躊躇の気配があってから、

  ―――ぽそりと、

 横合いから凭れて来た、その触れ方の何ともたどたどしく。この彼がと思えば、精一杯のことだろうとも感じられ、それがまた切なくもあって。
“…何ともまあ、可愛らしいお人じゃあないですか。”
 そういえば、これまでは。こちらが構いつけるのへ、真っ赤になってばかりいて。時にはどんな応対を返せば良いのかが判らずに、逃げ出したりさえもしていたものが。やっと通じての、そちらからも甘えて下さるようになったのかと。そうと思うと、妙なもの。愛しさもいや増して…だからこそ、
「…あの。」
 お節介とは判っていたが、このまま何かしら、胸に閊えたままになっても剣呑だと、

  「先程は一体どうされたのです。」

 訊いていたシチロージだったりする。そして、
「…。」
 柔らかな存在感が心地よく。ほだされるように、つい。
「島田が…。」
 キュウゾウもまた、そこまでを呟いてしまったものの。その島田カンベエの並べた言を思い起こし、

 『シチがそんなに気になるか?』
 『…っ。』
 『わざわざ斜めに踏み込んで、一番遠い的を射たは、
  万が一にも外れてシチの居る方へと抜けぬよう、意識してのことではないのかの?』
 『…。』
 『しかも急な構えであったから、
  狙ったはずの的の、隣りのものへと当たってしまった。』
 『…。』
 『正直な奴よの。』

 責めたり、はたまた面白がって…というような蓮っ葉な調子ではなかったものの、いかにも楽しそうにあしらわれたのが、キュウゾウの神経を少しほど逆撫でした。惣領殿にしてみれば、この、刀や戦さ以外の事象へはとことん関心が無さそうな彼が、誰ぞを意識するとは可愛げのあることよと、それを嬉しい兆しと感じての構い立てであったのだろうに。振り払うようにと矢を射続けると、どういうものか相手も弓を手にし、そうして始まったのがあの手合わせ…という流れであり。
「カンベエ様がどうか?」
 あらためて、しかも本人から訊かれて、実はと答えられたら世話はなく。取り繕う術なぞ知らぬ身。よって、
「…。」
 やはり黙りこくってしまうキュウゾウへ、
「…そう、ですか。」
 語ってもらえぬのが、ちょっぴり残念と。シチロージが低い声を落とす。当然といや当然の反応なのだけれど、
「…。」
 この彼へは、何の曰くも遺恨もない。先の話だとはいえ、自身の主人の身を狙っているのだ、立派な敵でもあるというのに。そんなキュウゾウであっても、こんな風に案じてくれる、心優しい寛容なところは、むしろ…

  『シチがそんなに気になるか?』

 ああ。そうか。やはり自分は、この彼を、相当 気にしているらしいのだ。物腰も人当たりも柔らかく、目許を細めての心からの笑顔を絶やさず。誰彼かまわず案じてやれるほど優しくて。傍らへと寄れば暖かく、甘い良い匂いがして。腕っ節も半端じゃあなくて、なのに、あの大戦経験者なのだという気配を感じさせないのは、芯が強くて気丈だからこそ。単なる人当たりのよさではなく、相手の立場や心情を深く拾える尋を持っており、本当の心根の強さと、そこへ根付いた優しさを持っているからこその。頼もしい人柄や人格の厚みというものあっての優しさへ、心惹かれてやまずにいる自分なのかも知れないと。
“………。”
 何とはなしながらも、自分の心中というものへの整理がつきかけていたところへと、

  「もしやして。」

 シチロージが再び口を開いた。何だ?と微かに顎を上げると、そんな不遜な“聞いているぞ”という態度を拾ってか、

  「アタシがキュウゾウ殿を信用してないように見えるのでしょうか。」

 彼にすれば、丁度気に留めていたことでもあって。日頃の時折、感じていた視線を思い出し、今ならばと 訊いてみようと思ったまで。
「ちゃんと約束を守り、仕事を終えるまでは待つと。それどころか、その仕事を早く終えよとこうして神無村まで来て下さり、手を貸してまで下さっているのに。そんなキュウゾウ殿を信用せず、カンベエ様の楯になっている意固地な奴よと、そう映っているのでしょうか。」
 だから。これまでの構いつけもまた、煙に撒いての誤魔化しくらいにしか思えずにいて。その場から逃げ出しもしたし、今もまた何も話してはくれないのかと。
「…。」
 言葉を切った間合いに、何か言いたげな…顔を上げたような仕草を見せたキュウゾウだったから。ちゃんと聞いていて、自分なりの答え、お返事もご用意されたに違いないのに。
「…。」
「そのご返答、面倒な長さなのですか?」
 不器用なお人なその上、言葉足らずから誤解されたっていいかと構える傾向も強いというのは、この村へと来た道中にて重々理解させられている。人とのよすがを特には欲せず、だから言葉も要らないと、そんな順番でいるようなお人。でも、決して不人情だったり酷薄だったりする彼でもないこともまた、シチロージはよくよく知っているので、水を向けるように聞いてみたものの、
「………。」
 やはり、沈黙は崩れそうになく。ただ、
“…えっと。”
 この黙んまり、自分が言ってみた“頑なさ”から来ているそれではないような気もする。心を鎧い、あれこれと訊かれたくないのなら、ええい煩い奴よと さっさと身を離し、立ち去るものではなかろうか。そんな風に感じたことがそのまま伝わりでもしたか、
「…あ。」
 胸元からふっと、凭れて来ていたささやかな重みが離れた。だが、立ち上がりはせず、そのままこちらへと向き直った彼であり。ちょっぴり眠そうにも見える伏し目がちの眼差しが、シチロージの顔を見据えていたかと思ったら、

  ――― そぉっと、

 双腕が伸びて来て。その甲を半ばまで、アンダーの袖にて覆われた白い手が、シチロージの頬を…それはそれは脆いものを囲むように包むようにし、触れるか触れないかという間合いを残して宙へと留まる。
「…キュウゾウ殿?」
 質の良い玻璃玉のような、瑞々しくて鮮やかな紅をたたえた双眸が、うっとりと見入るその先には、

  「空と同じ。」

 自分が帰りたいと望んでやまなかった空を、その双眸にとどめているシチロージ。そこは決して暖かい場所ではなかった。むしろ、吸った息で肺腑が凍るほど、冷たく手厳しい場所だったが、此処のように…地上のように何かと足枷の多い世界ではなかったから。鬱屈が溜まる暇もなく、何も考えずの本能のまま飛翔し続けていれば良い、敵を巧みに切り裂くことで、刀とこの身とが一体化してゆく感覚に酔いしれてて良い場所だったから。だから帰りたかったキュウゾウだった筈なのに。

  「…暖かい。」

 そぉっと身を寄せ、頬を寄せた懐ろは、後から優しい手が背中や肩へと添えられて、それはそれは暖かくって。すり…と懐けば、その青が柔らかく笑んで見下ろしてくれる、何にも訊かないまま微笑ってくれるから。こっちの“空”の方が良いと、あらためて思う。

  ――― 案じるような、遺恨や諍いなどではない。
       そうでしたか。じゃあもういいです。

 決まりが悪くて誤魔化していると、そう思われたって良い。相手は大人で、判っていて黙っててあげましょうと応じてくれる。そんなシチロージだと、もう知っている自分が…ちょっぴり擽ったくて。

  「島田のものでは なかったら良かったのに。」
  「…はい?」

 何でもないと、かぶりを振って。仄かに匂い立つ髪油の香の甘さとそれから、人の温もりのまろやかさとを、じっと感じていていいんですよと許された このひとときを、心ゆくまで堪能することにしたキュウゾウであり。一方で、
“…判り合えないところを残していても、案外としっくり寄り添い合えるものなんですねぇ。”
 森のどこかでヒタキの声がキチチ…ッと鋭く弾けても、尚の静寂を深める中。懐ろに抱いた温もりの、意外と小さい肩を見下ろし、そんな想いを噛みしめていたシチロージ。


  ――― きっと苛烈なものになろう、戦さの前のほんのひととき。
       明日はまだ、二人には見えずにいた。




  〜Fine〜  07.2.4.〜2.5.


  *拍手へのレスへお返事いただき、
   7を巡って勘と9とが対決なんてことになったら…というお話に、
   ちょっと萌えてみましたvv

   でも、またしても“負け戦”だったみたいですが…。
(う〜ん)

   ウチのおっさまは相当にタヌキであるようで、(Hさん談・笑)
   若い人たちを煙に撒いては楽しんでいるのかも知れません。
   …こんの忙しい時にって、しまいには怒られそうですが。
(あははvv)

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