甘 酒  *お母さんと一緒シリーズvv
 


 さすがは米どころで、収穫後の副業にそれはそれはおいしい純米酒を作ってもいる神無村。朝晩の区別なく“要塞化計画”の工事や作業は連綿と続くが、晩秋の寒空の下、夜陰が深まって来る頃合いには手もかじかむし身も縮む。こんな時は熱燗でキュッといきたいものなれど、酔っ払ってしまっては元も子もないので、さて どうしたものか。何か良いものはないかと、額を寄せ合っていた炊き出し班の女衆らが、先だってシチロージ殿が風邪封じにと作った“しょうが湯”から閃いたのが、

 「さあさ、一杯いかがです。」
 「暖まりますよ?」

 夜のお当番の面々へと振る舞われた、ほかほか暖まる滋養たっぷりなお飲み物。もうもうと立ち上る湯気と共に、働く男衆たちの活気へも十分な拍車が掛かり、お腹の底からのじんわりした温もりが、さあもうひと踏ん張り頑張るぞという鋭気を奮い起こさせる。お侍様たちにも勿論どうぞと、詰め所へ鍋一つ丸ごと持ち込まれ、
「おや、この匂いは。」
「甘酒ですね。」
 今日一日の成果・進捗の報告にと来合わせた、ゴロベエ殿やカツシロウくんが思わずお顔をほころばせ、
「懐かしいです、小さい頃によく飲みました。」
「冬場の戦さ場でも、物資の中に酒粕があれば必ず作っておったぞ?」
 造り酒屋の甘酒は、いわゆる米麹(コウジ)で本格的に作る“白酒”だが、一般的なものは、酒粕を温めながら溶いて、甘みをつけたりショウガで風味づけをする、とろみの強いものが主流。本館の方の別なお話でも取り上げた余談だが、この甘酒、俳句の季語では夏の風物とされており、夏場は酒造りの出来ぬ酒蔵が副業として作ったものを、夏ばてへの滋養強壮にと売り出していたらしい。勿論、そんな酒屋の都合というばかりでもなく、やさしい酵母が多く含まれており、精をつける効果は十分にあったそうで。言わば日本の“飲むヨーグルト”のような扱いだったとか。
「今夜も月が冴え冴えと尖ってますから、冷えるに違いありません。哨戒にも作業にも、十分に着込んで出て下さいよ?」
 各所の持ち場に於ける指導責任者でもあるお侍様たちは、体力のある身だからと交替もないも同然。自分で適当に隙を見て、仮眠を取るようにしているものの、疲労は結構溜まってもいようから、油断をすれば風邪やら慢性過労なんぞに捕まりやすい状態にある。1日が24時間…というサイクルが狂うと、脳で様々なホルモンの分泌を統括しているバランサー機能に障害が出て、体調にも多大な影響が出るそうで。何につけても過信は禁物…なのではあるが、
「…。」
「あ、キュウゾウ殿はこっちですよ?」
 眉をしかめるほどではないけれど、あんまり得意な匂いではないというお顔になって、カツシロウくんと入れ替わるように詰め所へと入って来た、金髪紅衣の双刀使い殿へは。以前、たいそう微量な酒であっさり沈没した身だったことをちゃんと覚えていたシチロージ、小さな鉄瓶へとショウガ湯を作っており、
「奮発して蜂蜜が入ってますよ?」
 だから滋養の点では不公平なしですと、お墨付きを下さりながら、もう1つ。忘れちゃいけない、かんかんに熱いと口さえつけられぬ猫舌の君へ、三つほどの湯呑みを使い、順番こに回し移して飲みごろへと冷ましてやっている 手の込みよう。
「さあどうぞ。」
 にっこりという母上の笑顔つきにて差し出された湯呑みを、恭しくも両手で受け取ると。きっちり頭を垂れてからありがたくいただくお行儀のよさへは、周囲に居合わせた他の面々が微笑ましいことよとついつい苦笑を向けており、

 「皆の弓の上達ぶりはいかがです?」
 「…上々。」
 「哨戒にも立って下さってるようですが、無理をしてはいないでしょうね。」
 「…。(否)」
 「ちゃんと三度三度の御膳どきには戻って来るのですよ?」
 「…。(是)」

 声でのお返事はないけれど、是と頷いたり、否とかぶりを振ったり。所作を使い分けての、いちいちちゃんと。一つ一つへ応じている分だけ、ああシチさんは特別扱いなんだなぁと判る周囲も、思えば大したもんである。
「私もそっちをいただきたいですね。」
 甘酒の湯呑みを取らず、鉄瓶のほうを指さしたヘイハチだったのは、
「酒精が回って眠くなったら困る、だなんて、殊勝なことを仰せですかい?」
 余程のこと、米の免疫が出来上がっている御身であるものか。結構な量を飲んでもけろりとしている酒豪のくせにと、揶揄混じりの苦笑をしたシチロージ、
「いっそのこと、お酒の力で眠って下さいと言いたいところですのに。」
 どうかすると本気なのだろう、悩ましそうに眉を下げ、訴えるような言い方をする。相変わらずの休み知らず。休憩も睡眠も、下手をすると食事さえ、キリの良いところまでを済ませなければ手をつけない彼なので。そして、彼が手掛けるお仕事は、それは大きな弩の設置なので。一つ箇所の一通りの規模からして長大なので、一旦手をつけるととんでもなく時間が費やされ、それで休みが押せ押せになっている悪循環。職人気質とでもいうものか、手をつけたところはとことん自分で納得するまで弄りたいらしいと来て、今現在の一番の困ったさんは、誰に訊いてもヘイハチ殿その人となりつつあるほど。ゴロベエ殿やカンベエ様までがいかにも同感という気色の視線を向けて来ていることへ、
「これは参りましたなぁ。」
 ほりほりと頬を指先で掻いて見せ、せめてこれくらいは言う通りに致しますよと、滋養のたっぷり詰まった甘酒の湯呑みを手にする工兵さんであり。くすくすと微笑い合いながら、それぞれに温かな飲み物を喉へと通したわけだけれど。

  “………あれ?”

 ほかほかと温かで、ほんのりと甘い。ああ、お腹が暖まるなぁと、ほこほこ幸せに思っていたそのまんま。何だか体が軽くなった。あれれぇ?と、不思議だなぁと思ったのと ほぼ同時。ぱふんと、ふかふかな真綿を山ほども、たっぷりとした めりんすの袋に封じたような、そんな上等の布団へと勢いよく総身が沈み込む。目の詰んだ絹地に遮られ、どこにも逃げられなかった空気を含んだまんまな生地のなめらかさに全身が包まれていて。ふんわりふわふわ、自分の重みを受け止めたそのまま、するするとゆっくり しぼんでくあの感覚。

 “まるで雲の上へ倒れ込んだみたいですねぇ。”

 なんて心地良いことかと、ゆったりその身を任せたまんま、ついでに意識までが雲か霞か、正体なくほわほわとくるみ込まれていってることへ、気づいているやらいないやら。

  「………。////////」

 それは素早く受け止めてくれた双刀使いさんの腕の中。それはそれはあっさりと、瞼を閉じての入眠状態に至ってしまった…シチロージ殿であったりし。
「ははあ。策士、策に溺れましたな。」
 いつものえびす顔ながら、そんな言い方をしたヘイハチを、すかさず、
「…。」
 屈んだ姿勢のままでいたキュウゾウが睨み上げ、
「そんな言い方はよくないぞ? ヘイさん。」
 ゴロベエ殿も窘める。なかなか休息してくれぬヘイハチ相手に、いつぞやこそ策を弄して仮眠を取らせたりもしたが、今回のは勿論のこと、そんな運びではない。何かしら仕掛けがあった甘酒だって訳じゃあなし、
「作ったのは村のお女中たちなのだ。そんな善意へ、勝手な思惑からの手を加えるようなシチさんではない。」
「…そうですね。」
 これは口が過ぎましたと、少々恐縮し、すぐさまペコリと頭を下げた米侍殿であり、

  「ただ単に、シチも寝不足であっただけのこと。」

 他人へ窘めの声をかけるのに忙しくて、我が身を省みていなかったらしいと。囲炉裏端から、これは惣領・カンベエ様が苦笑混じりに仰有って。そのままの こそこそと、皆で笑って場を収めたところで、ゴロベエ殿とヘイハチ殿はそのまま持ち場の作業場へ向かうべく、並んで詰め所から出て行ってしまう。

 「さて、キュウゾウ。」
 「?」

 カンベエ様があらたまってのお声をかけた先では、框の上、板の間の居室へと既に上がっていた赤衣の若侍が、惣領殿のお向かいの、やはり炉端近くへと、熟睡状態のシチロージをそろりと降ろしてやっており。体の向きからして、そのまま隣りの寝間へまで、衾を取りに行く構えでもあったらしい。今 忙しいのに何用だと、気ぜわしそうな視線で問い返して来るその態度に、何でこうまでの威容が滲んでいる必要があるのだろうか。
(苦笑) 無論、そんな些細なことをいちいち意に介していては、臨機応変や即断即決を要求される戦さ場で生き残れるはずもなく、
「シチは昨夜もほんの一時ほどしか眠ってはおらぬゆえ、恐らくは朝まで起きぬことだろう。」
 その背条をしゃんと立ててのお言いよう。何と真摯に部下を気遣う将であることかと、そこは素直に感じ入ったキュウゾウもまた、
「…。」
 少々片手間ぽくも斜
(ハス)に構えていたところを正し、お膝を揃えると真っ向からその言を受け止める。そんな礼節へ“うむ”との目礼を重々しくも返したカンベエ様、
「よいか? 日頃 品行方正で行儀の良い者ほど、酒などで箍が外れて眠っておるときは大胆不敵の傍若無人になったりもする。衾を蹴り飛ばしたり、あっちこっちへ寝返りを打って回ったその末に、囲炉裏へ転げ落ちるやも知れぬ。」
「…っ。」
 それでは此処も安全ではないのかと、色白な頬をわななかせた双刀使い殿が“さぁ…っ”とその表情を凍らせたのへ、
「よって、よしか? そやつが自然に目を覚ますまで、お主が傍らに付いててやってはくれまいか。」
「?」
 なに、村人たちの弓の習練のほうは儂が見て来ようから心配は要らぬ。
「日付が変わった頃合いに、解散させればよいのだろう?」
「…。」
 立て板に水という滔々とした口説相手に、少々呆然としたままながら、それでも…是か否かと問われればで、是と頷いたキュウゾウへ。うんうんと頷き返し、肩先まで落ちていた白い襟巻きを大振りの手でひょいと引いて、やや首回りに寄せるようにして巻き直すと。すっくと立ち上がってのそのまま、框を降りてすたすたと、詰め所から出てゆく惣領殿。
「…。」
 制止する間もあらばこその有無をも言わさず、あっと言う間に。あれほどの精悍重厚な存在感がもう居ない。相変わらずに手際の良い男だと、まだそこにその背中が見えるかのように、閉ざされた板戸を見やっていたキュウゾウだったが、
「…ん。」
 あんな恐ろしいことを言われたせいか、炉端から転がってゆかぬようにと、軽く二の腕へと添えていた手へ、小さく何か唸ったシチロージの身じろぎが伝わって、
「…っ。」
 我に返ると、こちらも手際よく寝床を用意する彼であり。仕事に邪魔だからと背中から双刀を降ろすと、母上の隣りへ並べた辺りは…彼には双方が同じくらい大事な存在であるらしく。隣りの間への引き戸の向こう、部屋の隅へと畳まれてあった衾を一式抱えて来。囲炉裏からやや離して延べると、そこへとシチロージを横たえ直す。上着とそれから帯に差した朱塗りの槍とを脱がせ外させ、枕元に並べてやり、きちんと上掛けを顎まで引き上げて。髪も結ったままでは窮屈だろうと、小さな帽子を取り外し、元結いを引き抜いてそれから。束のままの形を崩すべく、頭の下へ手を差し入れて、さわさわとほどいてやって。………凄いぞ、キュウゾウ。母上の寝支度のA to Z、一体いつの間に覚えたんだ、あんた。
(苦笑)
「…。」
 ごそもそという物音が落ち着けば、室内はシンと静まり返って。すっかりと宵も更けており、明かりは小さめの燭台に灯されたロウソクの火芯が放っているものと、あとは囲炉裏に臥せた炭火からの明るみだけ。もともと色白なシチロージなので顔色ではどうとも判断がつけられず、それでとそぉっと触れた頬が少し熱い以外、これといって異状もない。…と、
「ん…。」
 キュウゾウの少し冷たい指先が心地よかったか、頬を擦り付けるようにして身じろぎをしたシチロージへ、
“…っ!”
 見た目には分かりにくいながら、心臓が…彼と同じく身軽であったなら、軽々と茅葺き屋根まで達しただろうという勢いで、わたたっとばかり躍り上がったものの。落ち着け自分と深呼吸をし、平常心を呼び戻し、
「…。」
 さらさらした質の金の髪、頬に首にとほどいて下ろすと、優しくも繊細なところがますますのこと際立つ、母上…もとえ、シチロージの面差しを。飽きることなくじっと見つめる。ほんの少し眉間に陰りが浮かぶのは、酒精による不自然な寝方をしたためか、それとも。この数日まともな寝方をしていないその要因、何かしらの気病みが浮かんで来ていて、彼の眠りを曇らせているからだろか。ああでも、それだったら、この自分には何もしてあげられないなぁと、
「…。」
 そこまで思って、はたと気がついたのが。何もじっと監視していよと言われた訳でなく。よくよく考えてみれば、彼が寝入ったのは甘酒のせいというよりも、溜まった寝不足と疲労のせい。そこまでを胸の裡(うち)にて整理したところで、

  “…またもや。”

 それこそ、あの策士(と書いて“タヌキ”と読む)カンベエにしてやられたのかも知れぬと、今頃になって気づいたものの、
「…?」
 手がかかる酔態持ちでもあるまいし、だったらカンベエ自身が付いていてもよかったことだろに。なのに、何で自分を居残らせたのかが一向に判らないところは、シチロージとは別の意味合いから…いやいや結局は同じ方向へだろうか。自分へは無頓着なキュウゾウだったりし。

  “…今宵は冷え込むと言ったでしょうに。”

 だから用意された甘酒だったのにねぇと、うとうと微睡みの中、一時的に意識が浮かび上がって来たらしい母上が、板戸を眺めつつ首を傾げている次男坊へと苦笑する。間合いが合えば寝床にもぐり込んで来る彼でもあるが、そんなご愛嬌も今のところは 二、三度程度。それ以外はずっと、哨戒しながらの隙を見て、戸外で寝ているらしい彼だというのは皆が知っており、
“今夜くらいは、暖かいところで、夜をやり過ごさせたかったのでしょうね。”
 選りにも選ってこの自分が引っ繰り返ったことへと便乗し、傍らに付いておれと言うことで、外へは出るでないと命じたのと同じ結果を引き出したカンベエであり。
“…さぁて。このお膝に抱きつきでもしたら、渋々にでも添い寝して下さるのでしょうかねぇ。”
 そのくらいの奮闘をして、このお人を眠らせるべきだろかと、楽しそうに企んでみるお母様。何でしょうか、今宵はあちこちで策謀渦巻く神無村である模様。互いを思いやってのこんな幸せな策謀ばかりしかこの世になかったなら、戦さなんて起きもしないのでしょうにねと。天穹から全てを見通しておいでの蒼い望月が、くすすvvと楽しげに微笑ってござったそうな。




  〜Fine〜  07.2.10.


  *せっかくの3連休ですのに、何にも予定がない空しさを、
   ついついワープロに向けて零しております。
   学生さんはそろそろ、春休みの予定とか立ててらっしゃるのでしょうね。
   あ、でも、イベントが結構あるから遠出は無理な人が多いのかなぁ?
(笑)


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