無月夜烏逢魔譚 (お侍extra 習作30)

          〜千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき

 


          




 今しも沈まんとしている夕陽の茜を背景に従えて。西の方向、その輪郭もくっきり黒々と、天穹を埋めんというほどもの圧巻にて浮かび上がるは、それは豊かな緑の生い茂る森、所謂“鎮守の杜”だ。村の始まり、ここいらの土地を護る神の生気が満ち満ちた森にして、神威を尊ぶ近隣の住人たちに大切にされつつも畏れられ、陽が落ちる頃合い以降は慣れた者でも近づきさえしないとされている。樹齢も恐らくは数百年以上という立派な大樹がみっちりと居並ぶ森の中は、確かに…どこかしら不可思議な空気が満ちておるかのようでもあって。土地の精気か、はたまた周辺の民の思念が凝り固まりて澱んだ末のものなのか。
“それを恐れぬは、人ならぬ傲慢の者か、若しくは果てしなき鈍感かということなのだろうか。”
 晴天続きで轍の跡もない乾いた村道。左右に広々とした畑のあることにより空間が開けている中を、その森へと向かって運ぶは、確かに我一人のようだのと。鄙びた風景の中、魔城のように聳える影へ向けての感慨を新たにしつつ。健やかな足取りにて歩を進めるは、実をいえばこの近隣の者には非ず。襟元に沿わせし長い布を日頃よりも詰めて巻いての風防とし、顔の下半分を隠し気味にしての徒行は、その途中にてひたりと止まり。夕刻の茜空を背負いし鬱蒼とした森をあらためて見上げた彼であったのは、

  “………何と。”

 人為によらぬ自然の放埒を、その底力を見せつけて。樹齢も身の丈も大小様々な常緑の木々が、緻密に、若しくは疎らにと生い茂る、緑の城のその尖塔の先。直刃拵えの槍の峰穂の先端のような、それはそれは危ういところに、誰かがいるのが見て取れたからに他ならない。寡黙な他の木々の影らに溶け込んで、改めるのも難しく。それ以前に尋常ではない高さの、しかも足場も細い梢の先。人の身には、立つどころか しがみついてぶら下がることも、到達することさえ不可能なと思われるような高みに、誰かがすっくと背中を伸ばして立っている。暮れなずむ西日をまともに受けており、斜陽がその痩躯の輪郭を滲ませて、今にも呑み込まんとしているところが何とも禍々しく…見えなくもないが、

  “あの場所で、あの姿勢で…よくもまあ眠れるものだ。”

 こうまでの距離でそれが判るところは、こちらの御仁もまた練達の“もののふ”であるから…と、それから。相手の性格や特性、得手・不得手などなどを、よくよく知っていればこそのこと。とんでもないところに立ちて、夕陽に溶け入りそうな紅の長衣の裾を、頭上に冠した柔らかな金の髪を、時折吹きくる風に遊ばせている青年へ。半分呆れての苦笑混じりに、彼はそっと…だがしっかとした声音で、その名を呼びつけた。


   「久蔵。」





 村の方からこちらへと、戻って来ていたことは早くから察していた。余程に怖がられているものか、森の周縁にはもっと明るいうちからも誰一人として近づく気配はなく。なれば、近づく者がおればそれが怪しいとの目串が立て易いかと思ったが。そこは相手も心得ておるものか、そんな初歩的な失策は見せぬ様子。それとも、村の長に招かれし我らを警戒してでもおったのか。

  「…。」

 箱庭細工のような里山が、端から端まで真っ赤に染まっている。結構な絶景なのではあろうが、実のところはあまり感嘆を覚えはしなかった。もう遠くなってしまった戦さ場で、こんな情景は飽きるほど目にしたから。誰の気配も嗅ぎ取れぬ、激戦の後の荒野にただ一人、生き残りし自分のみが立っている。あれはこれと同じ、夕陽の放つ茜の色だったのだろうか。それとも…もしやして。大地を染めるほどに流れた、兵士たちの血の色だったのかもしれない。接近戦にて浴びた返り血で目許を穢され、視界が赤く染まったことも少なくはなかったが、あれらは、
“こんな赤では…。”
 金色の滲む、こんな暖かな赤ではなかったなと思い直して。あらためて、見下ろした先に彼がいた。茜の色が褪めた白の外套を仄かな朱に染めており、深色の蓬髪も甘い栗色がかって見えて。
「…。」
 彼もまた、自分と同様にあの戦さ場にいた男だ。自分よりもずっと長くいた男だ。その身もその手も、拭いされぬ血で染まってもおろう、そしてそれを重々自覚してもおろうに…どうしてだろうか。一緒に居るうちに少しずつ、温かみを帯びて来た。初見の彼からは、重厚老練、戦さ人の気配しかしなかったものが。野伏せりや、それを率いる天主や“都”との戦いを重ねている間も、ただただうっそりと、生気なき刃でしかないような男であったものが。自分と同じく そうなのだと思っていたものが。充実した胸へと触れれば温みがあり、昏い深色の眸の奥には緻密な感情もあり。自分は邪魔だからと構いつけなかったものどもを、あの男は自らへ封じているだけなのだと知り、そして。この身に足りぬ温もりを与えようとして、ついうっかり。その封をほどいたその途端、情も熱も諸共に、足りないところへ目がけて奔流となって溢れ返ってしまったその結果として、

  “…俺に、捕まった。”

 自分への満足のゆく答えへ、うっすらと ほくそ笑み、何もない中空へとその痩躯を躍らせる。頬を胸を、冷たい空気の圧が抱き込み、そして。そんなささやかな抵抗を突き破って、翼なき者への傲慢を窘める“落下”という鉄槌が、背中を押し、手を肩を下へ下へと引いたけれど。体の重心の均衡を制御する術なぞ、呼吸や徒歩と同じ間隔で操れて久しい身。爪先を揃えての音もなく、背に負うた双刀も揺らすことなくの着地にて、さっきから変わらずの同じ場所に佇んでいた勘兵衛と向かい合う。

  「…何を微笑っておったのだ?」

 そちらこそ微かに笑みを含んだ声で。開口一番にそうと訊かれて、おっと…胸中が顔に出ていたことを知り、めずらしくも眸が泳ぎかかった久蔵だったが、
「…。」
 やや斜
(はす)に構えた目線で そんなことはどうでもよかろうと流すので、不意を突けたことだけで満足してやり、それ以上を言及するのは止した。それよりもと、

  「話はまとまった。」

 要件を伝えることにする勘兵衛であり。
「今宵、指定の通りに櫃
(ひつ)に贄(にえ)を入れ、祀所までを村の衆たちで運び入れる。」
 そうと段取りを聞かせると、無表情なのは変わらぬままに、だが、
「…。」
 久蔵が微かながら怪訝そうな空気を醸したので。
「なんだ?」
 何を思ったのかと訊くと、
「怖がらぬか?」
 短くの一言を返してくる。今宵の新月に、贄として若い娘を差し出せと、森の奥、庇も曲がった祠に住まうとされた土地神が、村の長老のところへ文と共に禍々しき獣の死体を転がしたのが、この月の初めのこと。性
(たち)の悪い悪戯だろうと取り合わなかったところが、雨も降らぬに土砂崩れが起きたり、大川の堰が壊れたり。人死にこそ出なかったが怪我をした者は多数出て。慌てて何十年振りかという祠の修復とご祈祷をしたところが、そんなものでは怒りは収まらぬ、贄を忘れるなとの再度の催促。人ならぬ身でなければ出来ぬ災禍に村人たちは震え上がり、後難を恐れて言う通りにしようと相談がまとまりかけたものの、

  ――― あいや、待たれよ、と。

 旅の途中らしき二人連れが、話を聞きとがめ、そんな曖昧なことへ、それでなくとも非力な娘さんを差し出すだなんてお馬鹿な思い違いはお辞めなさいと窘めて。自分たちが腕の立つ人を紹介致しましょう、彼らにまずは相談なさい。経験豊かな練達の士です、きっとお力になってくれますと。小さな鋼の箱を長老の家の裏手の稲荷へ据えることをのみ条件にし、彼らは立ち去り。程なくして まかり越したのが………彼ら二人と来れば、先の二人が誰であるのかも自ずと知れて。
(おいおい) 話を戻すが、
「何だ。贄を守る自信はないということか?」
 得体の知れぬ土地神とやらへ、所望されて差し出される娘。だが、どうにも胡散臭い話ではと気に留めたのが先の二人なら、こっちの二人だとて眉唾だろうと踏んでの着手。よって、渡しはしないということが大前提での段取りだというにと、勘兵衛が苦笑をたたえて目許を細めれば、
「だから…。」
 憮然として見せる久蔵へ、より一層の破顔をして見せた勘兵衛、
「ああ、判っておる。揶揄をして済まぬ。」
 言葉が足りぬ彼なのを、つい。からかうように揚げ足を取ってしまっただけのこと。他愛なく憮然とするのが可愛いことよと思ってのこと、大人げなかったと眉を下げれば、
「…。」
 すぐに謝ってくれたものを怒り続ける訳にもいかずで、戸惑うように目線が泳ぐ。こういうまだまだ覚束ないところを露にするもまた眼福と、相変わらずに余裕の勘兵衛様。だが、彼が一番に感じ入ったのは、そういったところでは勿論なくて。そんな仕儀に付き合わされては、贄とされた娘が怯えぬかと案じた思いやりへと、胸の底が擽られたに他ならない。以前からも無表情で無愛想なところを、周囲から…その腕っ節以上に畏怖されて来た久蔵ではあるが、決して人性までもが冷淡酷薄なんじゃあない。農民のために野伏せりとやり合うなぞとと、鼻で笑って取り合わなかったそのくせに、農民の娘を身を呈して庇いもした。戦いにおいては冷然と冴えさせたその上で、あらゆる判断が怜悧に働くのも当然のこと。だが、その本性は温かな気性をしてもいるのだという、その一端を判り易くも見せられて。それを誇らしいと笑った勘兵衛、

  「心配はない。櫃に入るは娘に非ずだ。」
  「?」

 何とも愉しげに微笑った壮年へ、事情がまだまだ通じていない青年が、きょとんと瞬いた、秋の夕べの一幕である。









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  *他のお部屋のお話でも結構お馴染みの話はこびと段取りですが、(こらこら)
   さて、こちらのお二人だとどう運ぶものなやら…♪
   後編へ続きます。
(苦笑)