器用・不器用 〜続・ポケットの中には… (お侍 習作34)

       *お母様と一緒シリーズvv
 

 昼に棘を抜いた跡はどうなったかと、夕餉どきに訪のうた詰め所にてシチロージから声をかけられて。キュウゾウはそれは無造作に、晒布が巻かれたままの手を出して見せた。小さな棘なら無視しただろう、そんな彼が気にして作業の手を止めたほどの傷だったはずだったが。すぐさまの手当てがさすがに効いてか、はらりとほどいた当て布の下には、もはや傷など存在もせず。よくよく目を凝らさねば判らないほどの収まりよう。きめの細かい肌目をし、しかも透けるような白さの手だけに、こうまでの完治ぶりはいかにあの薬が効いたかの証明でもあって。
「…。」
 怪我をした本人からして驚きから眸を見開いているのが、いっそご愛嬌だったりもするほど。
(笑) 指を開いてじっと自分の手を見ていたキュウゾウに、微笑ましい眼差しを向けていたシチロージ、
「さあさ、ご飯になさいませ。」
 温かいうちに さあと声をかけ、囲炉裏端までを促せば。白いお顔を上げて こくりと頷き、靴を脱いで上がって来た次男坊。今宵は特別にヤマメの焼き物がついてますよ、ゴロさんとリキチ殿が、見張りの堡に据える水瓶へと給水しやすいようにって、渓流からの水路を整えていたら、魚影が押し寄せるみたいに、水と一緒にヤマメの大群までもが現れたそうで。
「先日の猪といい、よほどのこと我らの作業は天啓のあやかりに恵まれているのでしょうね。」
 くすすと笑ったシチロージ、串刺しにして囲炉裏で炙っていた結構な尾頭つきを、おむすびの傍ら、横長の皿へと取り分けてやると、
「…。」
 いただきますの合掌こそしたものの、そのまま…首が横へと傾しいだキュウゾウだったので、
「…まさか。ほぐせないとか?」
「〜〜〜。」
 訊けば図星だったか、首をすくめる次男坊。串を掴んで豪快にがぶりといってくれても良かったのだが、そこへも想いが及ばぬ辺りが…何とも不器用というか、戦い以外へは本当に覚束無いところだらけなお人であることよと。おっ母様ことシチロージへと苦笑を誘ってののち、さてどうぞと器用に綺麗に骨から身を取って差し出してやる、過保護っぷりがまたもや発揮されていたりして。食べ始めると、その様子はなかなかに綺麗なもので、
「お箸の使いようはお上手なんですのにねぇ。」
 さては、単に面倒なんでしょう。そんな風に訊くと、
「…。(頷)」
 こくりと頷首する正直者。ある意味、ちゃっかりしてもいて、
“なんだ、カンベエ様と同じじゃないですか。”
 ちろりと見やった、丁度キュウゾウのお向かいに座した惣領様のお膝の傍らにも、少し先に食べ終えたらしい膳があったが、綺麗に骨だけを残していたは、さては自分でほぐした訳ではないらしく。………シチ母様、ダメ人間ばかり育成してどうしますか、あなた。
(苦笑) そんな筆者の声が届く訳もなく(いやん)、お膳を水口まで下げたついで、洗って伏せていた湯飲みの盆を入れ替わりに持って来て、カンベエ様にはお茶なぞ淹れて差し上げて、と。くるくると働き者なおっ母様。箸を置いた気配を察し、それではキュウゾウ殿にもお茶をと、囲炉裏の自在鉤から鉄瓶を降ろそうと手を伸ばせば、
「…。」
「おや、ありがとうございます。」
 その次男坊が、じきじきに鉄瓶を降ろしてくれていて。使い慣らされて焦げ目につやのある黒味の出ているナベ敷きへと降ろせば、シチロージの眸が彼の手の…先程 傷を改めたときとは違う個所へとふと留まる。鉄瓶の蔓を握ったその手の親指。双刀を操りながらも、箸使い以外はどちらかと言えば左利きならしい彼の、その左手の親指の爪が少々、いびつな形に伸びており、
「キュウゾウ殿、それ…。」
 何事もなく離したその手を追うように、シチロージが手を伸ばし、それがご所望らしいと気づいて、素直に預けて下さる辺り、

 “余程のこと、信頼し切っておるらしいの。”

 これはカンベエ様の内心での独り言。利き手を他人へ預けるなどとは、彼ほどの練達にもなればそうそう出来ることじゃあない。いい傾向だのと目許を細めて見やる先にて、ちょいと失礼と、彼の左の指を全部検分した母上様、
「…爪が右とは全然違うのは、刀の使い勝手のせいですか?」
 主と添え、もしくは攻撃と防御という具合に扱いを分ける普通の二刀流とは流儀がまるで異なって。双方を同時同格の扱いにて繰り出しも出来るし、はたまた片やは楯にしてその下から攻撃の刃を抉るというよな、それは鮮やかな戦法も自在にこなせる彼のこと。その手への神経の使いようもまた特別のものを当てているのかもと思って訊いたのだが。
「…。(否)」
 かぶりを振ったキュウゾウ殿、言われる前に自分で右手も開いて並べ、
「切りにくい。」
 その右手で何か横に長いものを掴む真似をしたので、ああとそこはシチロージにも通じて、
「そうですか。小柄で爪を揃えていますね?」
 爪は握りバサミや小型のニッパーで摘んで揃えるというのがまま普通ではあるけれど、そんなものを日頃から持って歩いちゃいない彼は、適当な刃物で適当に削るようにして切っているらしく。
“虹雅渓にいた頃は差し詰め…。”
 そですね、ヒョーゴさんが見かねて摘んでやってたのかもですね。
(笑) だとすれば、少し伸びている今は、摘みどきという間合いであるのかも。
「今、ちょっと揃えてしまいましょうか。」
 自分の上着の下へと手を入れて、腰の嚢の中から何かしら探しながら。目許を細めてにっこりと、蕩けるような笑顔で微笑ってのおっ母様の仰せに、どうしてこの次男坊が逆らえましょうか。
「〜〜〜。////////」
 赤い眸を据えた目許を見張り、頬をほんのり赤くして。気持ち少々その身をのけ反らせたものの、正座に揃えたお膝はそのままに。ニッパー型の爪切りを手にした母上に、大人しく従うことと相なった。


 切った爪が囲炉裏の炭へと飛んでは、焦げた匂いが立ってなかなかに面倒なのでと。上がり框の方へ移動して、さて。まずはと、どの指もなかなか個性的な形に摘まれていた左手から、ぱつんぱつんと摘んでゆく。あれだけの…雷電の鋼の巨躯を易々と細切れに出来るほどもの剛刀を振るえるとは到底思えぬ、綺麗で小ぶりな白い手を、向かい合っての捧げ持ち。急ぐ必要もないからと、深爪しないよう気をつけて丁寧に摘み、切り口の角はヤスリで整え、なめらかに仕上げて、さあ右手…と。それは手際良く進めてゆくシチロージであり、
「…。」
「? どしました?」
 ささくれに当たって痛かったですか? 何か言いたげな気配を察し、手を止めたシチロージへと、
「…。(否)」
 かぶりを振って、でもあのね?
「うまい。」
「…ああ。」
 こんなに手慣れるほど、他人の爪なんてのはなかなか弄れないものではないのかと訊きたかったキュウゾウだと判り、シチロージはくすすと微笑った。
「蛍屋でもね、お姐さんたちの爪、時々手入れを手伝ってまして。」
 彼がいた“蛍屋”自体は妓楼ではなかったが、それでもお客が座敷に呼ぶことの多い、売れっ子の太夫なぞとは顔なじみになってもいて。彼女らは、ほれ、爪を赤く染めてのおしゃれに余念がないですし、足元もね、素足をお客に見せるから、汚いままではおかれない。とはいえ、足の爪はなかなかに堅いからって、泊り明けの部屋の前を通ったりするとね、手伝って摘んでくれないかなんてお声が時たまかかるんですよ。
「…。」
「人に足の手入れをさせたのかって怒ってますか? だってねぇ、そんな用事でもなきゃあ、店の人間のアタシに“しばらく一緒にいておくれ”だなんて、声を掛けよがないじゃありませんか。」
 まだ朝は早くて、供寝の客もまだ寝てて。それでの独りでいるのが無性に寂しいとか遣る瀬ないとかで、話相手がほしい間合いってのがあるもんで。何かしながらのぽつりぽつり、他愛ない話をして、誰かの声を感じてたいって。そんな折にアタシなんぞが通りかかれば、そんな用事でも言うしかないらしくて。
「こやって、目を合わすでなくのお喋りになるから、安心出来もするんでしょうね。」
 寂しいけれど、そんな心の隙を覗き込まれない安堵。片手間話だからと、さほど親身にはならないでいてくれる気安さ…と。しみじみとしたお声で言ってから、つとその手を止めて、

  「案外と、片手間なんかじゃないんですけれどもね。」

 そりゃあ、深爪させちゃあいけないからって、手元へ集中してますが。声の調子や気配くらいは、じっと見てなくたって拾えるってもんで。そうと言って、お顔を上げたおっ母様、
「例えば。今、キュウゾウ殿、ちょっぴり眠いでしょう?」
「…っ?!」
 何で判ったかって? だって手のひらがいつもよりずんと温かいですよ? このくらいのことで驚くとは、相変わらず何てかあいらしい人なんだろかと笑みを深くしたシチロージ、
「さあ、終しまい。」
 綺麗に揃えた爪を、左右合わせてお膝に並べて眺めさせ、
「ね? こういうの使えば簡単に揃えられるでしょう?」
 そうですねぇ、いつか街へ行く機会が出来たなら、買いに行きましょうかね。刀使いさんには手の手入れも大切だしと、そんな風に話しかければ、
「…。(否)」
「はい?」
 どうしてだか、髪の裾が躍るほどかぶりを振るキュウゾウであり。
「要らないんですか?」
「…。(頷)」
「どうして。」
 訊くと、顔を上げて言ったのが。

  「シチが。」
  「…ちょぉっと待って下さいましな。」

 う〜んそれって、もしやして。
「アタシがいるから、爪切りは要らないと?」
「…。(頷、頷)」
 こくこくと頷く姿へ、判りやすいお子だなぁと脱力しつつ。でもまあ、嬉しそうに微笑って言われてはまんざらでもないかなと…そうなるからいかんのだぞ、おっ母様。
(苦笑) 刀捌きでは、手前のものには傷もつけずにその向こうのものを両断するという“遠当て”なんてな途轍もない離れ業だって使えるお人が、自分の爪には難儀する。握った何へでも超振動の波動を帯びさせることが出来る、そんな破格の太刀筋を扱えながら、紐を結ばせれば三度に一度は立て結びにする誰かさんと一緒ですねぇと、ついつい苦笑が止まらないシチロージであり。妙なところへの例えに持ち出された誰か様もまた、母と子の可愛らしいやりとりへ、こっそりと苦笑が止まらないでおったそうな。





  〜Fine〜 07.3.12.


  *ほら、すぐ書けちゃった変梃子なシリーズですが。
(笑)
   こないだっから耳掃除に爪切りにと、
   ここは床屋ですか銭湯ですかという憩いっぷりで。
   こんな人たちが野伏せりに勝てるのか、不安になっていたりして。
(苦笑)


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