朝寝睦言 (お侍extra 習作35)

          〜千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき

 

 
 はたと気がつけば朝だった。またしても、
“…。”
 ほんの一瞬前のことだのに、眠りというどんな無意識でいたのかをきれいさっぱりと忘れ去っている。睡眠中に見る夢とやらをあまり見ない性分なので尚のこと、気がつけば“眠っていた自分”の一拍あとになっており、その境目を間違いなく体感しているはずなのに覚えていないとは情けない…だなんて。そんなやくたいもないことを思うほど、怠惰で余裕のある目覚めを迎えるようになった今日このごろ。

  “………。”

 柔らかな明るさに満ちた部屋。あまり調度品も置いてはない、いかにも宿の一室という趣きの、淡とした空間。さほどに上等でもない、糊ばかりがこれでもかとかけられていた衾の上掛けが、一晩を経て多少は肌に馴染むそれとなっている感触。室内のみならず、周辺周囲もまた ずんと静かなのは、まだ早い時間だからだろうか。耳を澄ませばそれでも、遠くで人が既に起き出しているのだろう気配や物音がしはする。もっと安い宿だと、朝餉の支度をする人々の喧噪が筒抜けだったりもして、それはそれで面白かったりもするのだが。ちょっぴり張り込んで選んだこの宿は、結構 品のいいそれだったから、客の朝寝を邪魔しない程度の気遣いは行き届いているらしい。風が強かったり雪が深かったりするような土地ではなく、鎧戸や雨戸を締め込まなかった窓は、障子越しの明るさを素通しにしており。とはいえ、まだ陽は昇っていないらしくて、黎明の終焉間近い、褪めた明るさを滲ませているだけ。そんな明るさの素っ気なさを眺めながら、一番冷え込む時間帯だなと、何となく思う。

  ――― 今日は何をして過ごす?

 ああ、そうだった。戦さが終わってからこっち、朝、目が覚めてから…さてと、それを思うのが一番に憂鬱だった。天穹という死と隣り合わせな危険な空間での、熾烈な戦いの連続という日々の中では、それ以上なく張り詰めていたことで体の芯から冴えていられたものを。それをごっそりと持ってかれたその上、何もすることがなくなったも同然な一日の始まりは、何とも空しいばかりであり。空しくて空しくて、気がつけば…答えが降ってくるでもないのに、空ばかりを見上げていたなと。そこまで思い出したほど意識が冴えて来たと同時、随分な暖かさにくるまれている自分に気づく。
“…。”
 衾の下で、衾以上の存在感に抱え込まれている。お互いの薄っぺらい夜着越しに、程よい加減で寄り添い合っている誰かがいて、じんわりとした温みとともに、充実した肉置きの隆起や、張り詰めた肌の鞣した革のような質感が伝わって来。そんな頼もしい鎧に覆われた、だが、取り込んだ者へは何とも安らげる、そんな懐ろの深みへすっぽりとはまっている自分だと気がつく。
“…。”
 どこか渋いような、吸ってはない筈の煙草を思わせるような、いかにも男臭い精悍な匂いがし、それが嫌ではない自分だと思い出す。向かい合う相手の胸板を覆っている夜着の合わせが少しほどはだけており、もう見慣れたところの随分と大きな古い傷痕がそこから覗いているのがぼんやりと見える。相当な深手を負ったのだなと思いはするが、自分が指先で辿ったりするのを子供の手遊びを見守るように眺めていて、だのに由来は話してはくれない彼なので、こっちからもまだ聞いてはない。
“…。”
 そこから視線を上げてゆくと、自分がそうであるようには鎖骨が浮いておらず、浅黒い肌がきゅうと締まって張りついた、雄々しい喉元が始まり、おとがいの線や顎を覆う、剛い質の髭に辿りつく。触ってみたいがそれだと起きてしまうかな? そうと思って視線をずらせば、上になっている肩と首の合わさる辺りから、長い蓬髪が一房、前へとこぼれて垂れており、こっちならいいかと何とはなく手を上げて、引っ張るほどの力は入れず、指先で掬い上げて搦め取れば、
「…。」
 自分をくるんでいた温もりがごそりと動いて。とりわけ、背中にまで回されて上背を囲うようになっていた腕の環が狭まり、もう少しほど懐ろの深みへと抱き込められ。掻い込む格好になった腕の先、大きな手のひらが頭へ触れると、そのままそろりとこちらの髪を梳き始める。
“…なんだ。”
 起きていたのか。そんな気配はしなかったのにな。小さな子供をあやすように、髪に手を差し入れては指先でこちらの髪を梳く彼で。武骨な指の腹が頭皮へと触れる感触が、よしよしと撫でてくれているかのようで。ますます子供扱いされているようにも思えたが、
「…。」
 こちらを見下ろしている視線が何とはなく気になって、顔が上げられないでいる。きっと、まだ寝足りぬという顔でいるのだろな。いや待て、こちらを伺っていたのなら、すっかりと目覚めているのかな? だとしたら、やはり寝足りてはいないのではなかろうか。だって昨夜は…。

  “…。//////////

 致したけれど、その後の寝物語の記憶がこちらにはないから。至ったそのまま眠ってしまった自分なのだと、現状に至る成り行きが把握出来。出来たと同時に…顔が赤らむ。無粋で武骨で閨事には疎いとか、もはや枯れておりますよと言わんばかりに、一見、壮年らしくも落ち着いての納まり返って見せているが、組み敷かれて感じる彼からの情の、何とも熱く濃いことか。愛しい愛しいとの睦みは時に、若い方のこちらがあっさりと翻弄されてしまうほどでもあって。
“…。////////
 それもまた、経験値の差なのかなぁ。でも、自分に女性経験があると知ったら、ひどく驚いていたのは、正直、失礼な奴でもあって。そりゃあまあ、前線近くの色街での話だったから、物の数に入れるべきではないのかもしれないが…。

 “…。////////

 そんなこんなと、久蔵の思考の先があらぬ方へどんどんと逸れていることへ気がついたのか。
「久蔵。」
 深みのある大好きな声が頭上から降って来て。ああもう誤魔化しも利かないかと、仄かに微笑ってそれから、勘兵衛へと顔を上げる久蔵であり。深色の蓬髪に縁取られ、哲学者のような静謐と、野趣あふれる精悍な男臭さとが程よく同居する、味のあるお顔へ、
「…島田。」
 こちらからも呼びかければ、

  「…。」

 一瞬、おやという顔をしたのが…こちらにも同じような“おや?”を招いた。少しばかり想定外な感触への引っ掛かり。

  ――― 何だ。
       何がだ?
       今の顔だ。
       何か付いておったかの?

 何の話だと、あくまでも取り合わず。そんな実のない問答をこそ、くつくつ笑って楽しんでいるばかり。島田と呼ぶのはいつものことだのに、何が“おや”だったのか。呼んだことが意外だったのかな。よほどにこっちを向かせたいとか、はぐらかすなと言を強める時くらいのことだから…?

  「〜〜〜。」




*  *  *



  「〜〜〜。」

 むむうと口許を不満げに引き結び、やや上目遣いになっている。そんな自分に気づいている彼なのだろうかと思えば、勘兵衛にしてみれば、それもまた 可愛らしいことよ眸を離せぬ眼福であり。当然のことながら、久蔵が気にした“おや”もまた、気のせいなんかではなく、彼の見せた所作言動への反応に間違いない…のではあるが。

  “…沈没寸前の時だけか。”

 昨夜の蜜夜の終焉で、彼は確かに呟いたからと。それをどこかで期待していた、そんな自分への苦笑に他ならず。そんな代物、何で当の久蔵相手に説明まで出来ようかと、至極当然の慎みから、はぐらかしてでも口にしなかったまでのこと。疲労困憊し、意識が朦朧としていたせいでの舌っ足らずな囁きは、だが。それを間近に聞いた勘兵衛を、年甲斐もなくの挙動不審にしたほどであり、

  ――― かんべえ、と。

 もしやせずとも初めてではなかっただろうか。彼が名前の方で呼んでくれたのは。あれほど周囲が全員、親しみや敬愛を込めてのこと、そちらの名で呼んでいたというのに。どんな信条あってのことか、ずっと姓の方でしか呼ばなかった彼であり。最後の一線を越えても尚、甘い仕儀の最中でも、絶頂の縁から飛び立つ瞬間でさえ、そうとしか呼ばない彼へは、そういうものだとこっちが馴染みかかっていた矢先だったので。確かめようにもそのまますぅっと眠ってしまわれ。第一、どう言って確かめればいいのやらということでもあって。そしてそして、一晩待っての復唱は、叶わなかったりもした訳で。いかにも不満だと膨れさせ、朝っぱらから怒らせてしまった自分の不器用さへもまた、苦笑が止まらぬ壮年殿。相変わらずの“破れ鍋に綴じ蓋”っぷりですねと、有明の明かりがぼんやり欠伸混じりに呟いていた。





  〜Fine〜 07.3.18.〜3.19.

  *甘ぁいカンキュウを目指しましたが、ちょぉっと力不足?
(苦笑)


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