正夢・逆夢 (お侍extra 習作39)

          〜千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき

 

 
  ………っ、と。


まるで、肢体の自由を強い奔流に絡め取られてしまっての、
今しも溺れそうになった深い深い淵から、
必死の脱却を果たして浮かび上がってきたかのような。
そんなまで力づくでしゃにむな目覚め方をした添い寝の相手へ、
気配に聡い久蔵がその懐ろへと寄り添うというほどの間近にいて気づかぬ筈はなく。
肩で呼吸をするほどの大仰さではなかったが、
それでも深い吐息を一つ二つとついているのを痛々しいと思ったか。
まだ名残りも濃く、そのまますぐにも二度寝出来そうだった眠気を、
惜しげもなく振り払い、

  島田、と。

声をかけていた。
未だ外は黎明の青に染まり始めたばかり。
それでも気配に聡い久蔵には十分に、
叩き起こされるに足るほどの勢いがあった、勘兵衛の動転ぶり。
日頃あれほどの落ち着いた風情へ納まり返っていて、
こうまでぎょっとしたり恐慌に襲われたりしたところなぞ、
それが戦いの最中であれついぞ見たことがない久蔵だったので。
尚のこと、どれほどの驚愕に揺さぶられた彼なのかが気になって。

  ――― だというのに。

遅ればせながらこちらを起こしたことへ気がついて、
すまぬという代わり、髪なぞ撫でてくれる勘兵衛であり。
何でもないと言葉を濁すような口ぶりで、
「起こしてしまって済まぬな。」
まだ早いから寝直せと、肩口へ上掛けを引き上げてくれた彼であったものの。
その、ごつりと頼もしい手にこちらからの手をわざわざ添えて見せ、
「夢でも見たか?」
部屋の中も、窓の外も、どこにも不審な気配がない以上、
この壮年をしてああまで動揺させつつ起こした何かは、
彼の頭の中にあると見てよかろう。
すなわち、夢見のせいだときっぱり断じた久蔵であり。
そのままの端的に問えば、
「…。」
無言とそれから、少々躊躇うような気配が届いたことがそのまま是という応じ。
「怖い夢か?」
「…。」
またまた押し黙ったので、やはり是なのだなと判って吐息をつくと、
久蔵は少しばかり身を起こして、相手の懐ろ深くへとにじり寄り、

  「どんな夢だ、話せ。」

大した夢ではないと渋るので、
「それは俺が決める」
促しようの尊大さは、まま今更な話であろうが。
「…。」
それでも口を開かぬので、仕方がないと業を煮やした久蔵、
先に種明かしをしてやることにした模様。
「正夢になってほしくない夢は、人に話した方がいいのだ。」
聞いた人の意志が知らず働いて関わって、実現しなくなるのだと。
いかにも鹿爪らしいお顔ではあったが、
やはり…いかにも誰ぞからの又聞きだと判る言いようでそうと言い、
「お主、そうまでして振り払ったような事態になってほしいのか?」
淡々とした声ながら、これでも彼なりに一応は案じてくれているのは判る。
そんなにも怯えて目を覚ました自分であったものかと思い知らされたものの、

  「…。」

くどいようだが、
どんなに切羽詰まっても追い詰められても諦めない、粘り強さと頑迷さでは、
久蔵が初めて自分よりも上がいたとはと、驚きつつ呆れつつ認めたほどの剛の者。
それが、いやさそれだからか、
そんな程度のことへ頑として口を開かないのがますますのこと気になった。
夜目の利く目で相手のお顔を、じぃっと真っ直ぐ見据えておれば、
相手もまた、同じほど見通せる身であればこそ根負けしたのか、
やっとのことで口を開いたが。

 「…忘れたのだ、あいにくと。」
 「はぁあ?」

………………………………………。
二人きりでの旅を初めてどのくらいになるものか。
自分といい勝負なほど不器用だと思っていた勘兵衛が、
案外と他人の世話も上手にこなせることを久蔵が我が身で知ったと同様に。
あまりに寡黙で無表情で、
もしかしたら感情という部位に大いなる欠落がある身なのではなかろうかと。
あの七郎次が秘かに心痛めて案じていたほどの久蔵が、
実は案外と表情豊かだったのだなと知らされてばかりいる…なぞと思っている、
ついでにそれを“可愛いものよ”なんても思っている、
勘兵衛様だったりするらしかったが。
ここにあの兵庫殿がいたなら、
そんな久蔵に誰がしたのだと、大いに呆れてくれたかも。
何がどう間違ったって、
例えば天穹での合戦の最中に、
象の巨体がどっからか乱入して来るような破天荒な事態が起こっても、
この久蔵だけは、いかにも間抜けな“はぁあ?”なんて声は上げなかったに違いなく。
そうまで動じなかった、こちらも堂々の剛の者が…今やこれである。

 「…忘れた?」
 「ああ。」
 「お主がああまで跳ね起きたほどの夢をか?」
 「うむ。」

久蔵がもっと口が達者だったなら、
『機銃掃射という攻勢を何度も何度も浴びてさえ、怯まず戦い続けた島田勘兵衛を、
 歩き詰めと連日の野宿がさすがに響いたか、
 俺にさえ手も出さずに眠りこけたるところから、
 有無をも言わさず叩き起こしたほどの代物であったのに。
 それをすっぱりと忘れたと言うのか?』
くらいは言ってもいいほどの理不尽を感じていたものの、

 「衝撃だけが強すぎての。内容はあっと言う間に消え去ったのだ。」

何せ相手は形の無い、記憶の断層から滲み出て来る幻のような代物だけに。
細かなところまで浚うどころか、
あっと言う間に曖昧模糊にも消え去ることも多々あって。
「お主にはそういうことはないのか?」
逆に聞かれて、
「…俺は滅多に夢は見ぬ。」
黎明時のほの青さの中では褪めた白に見える金の綿毛がフリフリとかぶりを振る。
そうと正直に答えたところが、今度は勘兵衛の方から、
「………。」
困ったとも驚いたとも取れそうな…何とも言えぬ顔をされてしまった久蔵で。
「一気に深く眠って一気に覚醒する性分だから、夢を見る間もない。」
戦時中に身についたものだと、あっさり言ってのけた彼だったが、
「普通は浅く眠っていて、事が起きた気配を嗅いでは跳ね起きたものだがの。」
相変わらずのびっくり箱。
まま、そんな奇天烈さでも、こうして生き残れているのだから、
こんなにも強い剣豪を育てたのだから、
彼に限っては間違ってはない睡眠方式なのだろが。
“だから、偏りの大きい人物になってしまったのか?”
さぁて、どうでしょうかしら。
(苦笑)

  ――― ところで何の話をしていたのだろうか?
       えっと?

そんな程度で吹っ飛ぶようなことへと、
こんな時間に意地を張り合うのも真面目に取り沙汰するのも、何だか馬鹿らしくなり。
はぁと肩を落とし合って振っ切ると、
まだ早いからと意を揃え、揃って衾へもぐり込み直す。
「ところで、さっきの。」
「んん?」
「悪い夢を逆夢にする法なぞ、何で知っておる?」
滅多に夢なぞ見ないという者が、なのにどうしてそんな対処を知っているのかと、
その矛盾を衝いてみれば。
薄べったい布団をなるだけ ふわりとなるように、
表と裏から摘まんでは引いて空気を含ませ、その痩躯へと巻きつけながら、
「シチが言うておったぞ?」
「…さようか。」
こんな時の彼はいつだって至って真面目で、
しかもその上、相変わらずに冗談が言えない。
冗談のつもりで言ったらしかったことが、
こんなにもかあいらしかったりつい笑えたりした試しが今までに一度もないことからして、
これはやっぱり真剣で本気なご意見、見解であるらしく。
「…お主の常識は、大概、シチからのものなのだな。」
この、安物の布団を心地よくする術だってそう。
彼が何かしらもっともらしくも合理的なことを言うときは、
必ずと言っていいほどにその名が飛び出すものだから、

「お主の常識はシチの語録で埋まっておるらしいの。」
「うむ。」

どれほど役に立っておることかと、嬉しそうに自慢げに言い返して来るのがまた、
幼子が覚えたての手際をこなせたと胸を張るよに見えもして。

 “………何とも かあいらしいことよ。”

まだまだ真っ白いところの多々残りし、純朴な君。
揶揄を感じて即妙にも辛辣に切り返すのでなく。
そうかそうかとじゃらすように撫でてくれる手のひらへ、
擦り寄って来ての懐きようこそ進歩と数えてしまう、
こちらもなかなかに困った感覚となっている伴侶様だが。

  ――― かつての先年

雷電型や紅蜘蛛型の機巧侍を何百とはべらせていた弩級戦艦“都”を相手に、
ほんの一桁という少数にて挑んで見事叩き伏せた折の、
頼もしき主戦力の一人だったということも。
山ほどの数と強力な火器による武装で陣営を固めた掃討対象を前にして、
うっそりと口元を歪めて嗤いつつ、微塵も容赦しないまま、
双刀を振るっての斬戟を徹底的に食らわせ続けられる冷徹な侍なのだということも、
重々分かっていてのことならば。
いやはや、もののふの物差しとは なかなかに奥が深いということだろか。

 「おやすみ。」
 「………うむ。」

どっちが年上であるのやらという声を交わし合い。
やっぱり凄腕の槍使いでありながら、
それは優しかったおっ母様のことを思い出しつつ。
穏やかな寝顔ですうくうと安らかな眠りについた、年若な相方の寝息を聞きながら。
人騒がせな跳ね起き方をした壮年様も、
吸い込まれるように再びの眠りについたのだった。








 * おまけ


当世の旅人たちの殆どがそうである“徒歩の旅”の都合に合わせて、
各方面への街道筋には、
宿場のみならず、早亀の出張所や茶屋などが適度な間隔で存在し、
それぞれがそれなりに繁盛してもいる。
勘兵衛も久蔵も、さすがは侍で疲れ知らずな健脚ではあるものの、
だからこその一般人に合わせてという旅程を意識しないと、
中途半端なところで陽が暮れたりもするのでと、
先の道程によっては故意にのんびり構えることもしばしばで。しかも、

 「ここの茶店は蕎麦まんじゅうが美味いと、平八が言っておった。」

こういう情報も、きっちりちゃんと携えていたりして。
(笑)
店の手前へ出されてあった毛氈を敷いた縁台に腰をかけ、
長閑な景色を眺めておれば。
お茶を二人分とそれから、碁石を1回りほど大きくしたような、
可愛らしい饅頭が4つほど乗った小皿を運んで来た娘さんが、
「あ…えと、ごゆっくりvv ////////
その中身も知らぬまま
(笑)久蔵の役者のような風貌にぽうと頬を赤らめて、
しずしずと去ってから…幾刻か。
次の宿には伝信の小箱が設置されておるという話だから、
シチか五郎兵衛が何かしら伝言を残しておるかも知れぬと。
他愛のない話をしていたところが、
「…っ☆」
不意に久蔵が眉をしかめた。
何やらカツリという堅い音もしたので、
おやおやと案じるようにその口元を見やってやれば。
間違いなく饅頭を食べていた筈なのだが、
鯛の骨のように結構ごつくて細長いものが、その齧った跡から突き出している。
「…爪楊枝、か?」
「…。」
知るものかと言いたげに、憮然とつつそれを残り半分から引っ張り出していると、
傍らを通り過ぎかけたさっきのお女中、
「あっ、お武家様、それ。」
はしたないが指を差し、異物への不信感丸出しというお顔の若侍を示した彼女へ、
「どうしたの、お美代。…あらあら。」
店の中から出て来た女将が、同じようなお顔になって、満面の笑みを振り向けて来る。
何だ何だと周囲の客たちまでもが注目して来るそんな中、
彼女らが声を合わせての曰く、

  「おめでとうございます。
   当店自慢の蕎麦まんじゅう、十箱まとめて差し上げます。」
  「……………おお。」

これでも嬉しいらしいです、お武家様。
(笑)





  ――― 島田。
       んん?
       今朝の夢。
       何の話だ?
       お主、甘いものは鬼門だろうが。
       そうだったかの。
       話したら叶わぬと思ったから、黙っておったのか?
       さてな。


嬉しい手荷物が増えたのは、もしやして…今朝の誰かさんの夢見のせいかもと。
何とも非科学的ではあるけれど、そうなればと黙っていてくれたのならば、
まんざらでもなく嬉しいらしい、紅の衣着た 元・天穹の死神様。
次の宿場までの道、
打って変わっての楽しそうに たかたかと。
歩んでいるのが やはりかあいらしくって。
「日保ちはせぬぞ?」
「構わぬ。三食これにすればいい。」
「おいおい。」
腕の回復という静養にあたっている身、
栄養分も偏らせずにきちんと取れと言われていたくせに、
甘いもので朝昼晩、体中を満たす気満々でいる彼らしく。

 “これは…夢見を守らぬ方がよかったかの?”

叶ってほしい夢は絶対に誰にも話してはいかんと、
勘兵衛もまた七郎次から聞いていたので。
それを守ってみたまでなのだが、
どっちにしたって甘い睦言になったには違いなく。
苦手なはずの甘味、形を変えてのじわじわと、
壮年様に近しいものになりつつあるようで ござそうろうvv





   〜Fine〜  07.3.26.〜3.27.


  *大阪は梅田の阪神百貨店の地下2階食料品売り場にて、
   大判焼きの“御座候”というのを実演販売で売っておりましてね。
   これが、同じフロアのイカ焼きに並んでとにかく美味しいvv
   いつも凄い行列が出来ているほどの人気甘味です。
   大阪にお越しの際、ソース味の粉もんに飽いたら是非どうぞvv
(笑)

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