別に“武士(もののふ)”だからといって、衾にくるまってぬくぬく寝てはいけない訳ではない。常に油断なく構え、夜は板の間に横臥し、何か出來した際には俊敏に覚醒してコトにあたれ…だなんてのは、よほどの乱戦の最中の心得であり。戦場常在の心意気があるならいっそ、油断しまくりに見えてもいざという気配へガラリと態度が変わる…という格好にて、日頃は押し隠していなければ。第一、そうそうピリピリと余裕なく尖ってばかりいるようでは、周辺の一般人が落ち着けないというものだ。
“…という理屈くらい、判っておいででしょうにねぇ。”
だってのに彼が戸外の、それも警戒の手も薄い鎮守の森なぞで、夜露も厭わずに仮眠を取ることが多いのは。まともな“戦さ経験者”があまりに少ない陣営だから、哨戒と警戒を兼ねてやっているだけのこと…なのだろうが。
“訊いたところで答える方じゃなし、
答えたところで、
自分が安心するためだ…くらい言い出しそうなお人ですしね。”
勘兵衛様は好きにさせておけという構え。彼ほどの練達ともなれば、体だってそうそう脆くはない。若さという武器もあるから、膂力や戦力のみならず、回復力や調整力という点での強靭さの桁も違う…との仰せで。その辺りの理屈は、まま、自分があの大戦のころにどうだったかを思い出せば、無理や無茶もしまくりだった身、あまり偉そうな説教は出来なかったりもするのだが。
“………それでも、ねぇ。”
昨夜は急な大風が吹いて、造成途中の石垣が崩れた。幸い大きな怪我を負った者は出なかったが、淵から数段下の張り出した岩場へまで落ちた者が何人か出たため。そんな面々を一人ずつ、背負っては上まで担ぎ上げてやるという役目を率先して負ってくれたのみならず、結構な物音となったこの騒ぎ、野伏せりが配置していった居残りの見張りに気づかれてはいまいかと。少々離れたところに点在する見張り小屋を、それもまた自発的に全て回ってくれたらしくって。それから一睡もしていなかろうことが明白だったので、
『今日ばかりはどうあっても此処で仮眠を取ってもらいます』
今日はいいお日和だからお天道様も燦々と明るいところの、まだ昼下がりという時間帯だったが、それでもと。昼餉を取ってさてと立ち上がりかかった彼の、紅衣にくるまれた二の腕をがっしと掴まえての、今日ばかりは引きませんという態度で押せば、
『………。』
おっ母様のいつにない強引さを、意外に思ったか。目許すれすれという長さをした金の額髪の向こうから、ややもするとキョトリと瞠目するばかりであった次男坊。まじろぎもしない青い双眸の強さから、これは殊の外に強腰な姿勢だと理解してか、その切れ長の赤い眸が…ちらと泳いで、それから。
『…。』
白い手の先、あれほどの刀捌きをする侍にしては細い指先で、ちょこりと遠慮がちに摘ままれたのが…こちらの羽織りの袖の端。言いたいことがあっても、なかなかわざわざ口にはしない。誤解されてもそれでいいと、寡黙であるがため孤高に身を置くことを厭わない、そんなお人なのは知ってましたが、
『キュウゾウ殿?』
これはそれとは少々手ごたえが違うなと、仄かに察した槍使い殿のお背(せな)へと飛んで来たのが、
『そう言うお主も横になっておれ、シチロージ。』
との、惣領様からの一言で。意外な仰せへ“はい?”と振り向いた元・副官へ、
『お主だとて、昨夜の騒ぎを収拾するのに駆け回ったクチだろうが。』
しかもそのまま寝てはいないのだろうがと、このお人の前では言ってほしくなかったところを挙げつらい。ごちゃごちゃと揉めておらず、いっそ二人とも隣りで数刻ばかり寝ておれと、も一つ大上段から言われては…。
“従うしかありませなんだが。”
苦笑しながら見下ろした懐ろの中には、柔らかな匂いのする暖かな温み。観念して衾を延べようとしたところ、刀を外しての懐ろへと掻い込み、上着の長い裾を床へと散らかすようにして座り込むと、板壁に凭れてのそのまま一気に寝息を立て出した剣豪殿であったので。
『…おやおや。』
呆気に取られたのも数刻のこと、仕方がないなと苦笑して、上掛けだけを持って来ると、こちらもすぐの傍らに座り込み、刀ごと懐ろにくるみ込んでやったおっ母様であったりしたのだが。
「…。」
特に抵抗もないまま抱き寄せることの出来た腰も背中も、こんな楽々と腕が回って、しかも余ってしまうほどの痩躯でありながら。柔らかい綿毛のような金の髪に、そっと伏せられた瞼の縁から連なるは、まだまだ頬骨も立たない細おもて。若々しくも、こんなまで優しき面差しをしておりながら。この双刀をその両の手へ握れば、鬼神のように冷酷無比な刀ばたらきをこなせるお人。こんな風にすとんと幕を落とすように寝入ることが出来るのも、先の戦さ場で身につけた性分だろう。とうに終わった“戦さ”は、言うまでもなく“非日常”な日々だった筈だが。生きて来た年数の半分以上をそれが占めているよなカンベエ様や、はたまた物心ついてからの歳月の始まり近くからをそれで埋めてたようなこのお人あたりになると、あっちこそが“日常”だったりするのだろうか。
「…。」
想いを分ける相手もないまま独りで居られる、いやさ、荒野の真ん中に立っていたって進む先を見失わないでいられる、そんなお人でいなければ到底生き延びられなかった、そんな殺伐とした時代はもう終わったのに。沢山の生き急いだ者たちから預かりし無念の丈や、彼らが居たことを忘れまいぞという想いを背負ったままでいるようなカンベエ様といい。もうあんな天穹の高みで、その身ごと刀の切っ先のように尖らせて、命のやり取りはしなくても良くなったのに。それが当たり前だった生き方を直す術を知らないこのお人といい。
“………痛々しいったら、ありゃしない。”
そんな彼らについつい眸がゆき、放っておけない自分もまた、あの戦さから足抜け出来ないクチなのだろか。斬り込む御主へのフォローや勝手へ機転が利くこと、頼りにされると嬉しいと思う心は確かに変わってはいないけれど。得物を的確にぶん回し、考えるより早くに敵をからげて、戦闘への勘が全く錆びてはいなかったことを知った刹那、総身が震えたほど血が騒いだけれど。
「…。」
こうまで戦さに特化している、この若さで血の匂いを厭わない身とされてしまってる彼が。そのくせ…中身はあちこちが真っ白で無垢なままなのが、何とも遣り切れなく思えてしまい。慣れない様子ながらも甘えてくれること、嬉しく感じては絆(ほだ)されてしまう自分なのは………。
“単なる傲慢、なんでしょうかね。”
くうすうと規則正しく刻まれる寝息もまた、何とも健やかにあどけなく。いつの間にやら、何の警戒もなく凭れて来てくれている暖かな重みが、何ともいえず愛惜しくて。
「…。」
このささやかな眠りくらいは護らせて下さいませなと。細い肩をそおと抱き込むと、夜叉のように鋭利な辣腕、その刃も威容も今は鎮めて静謐な若侍の、白い額へ…前髪越しに、祈るように口づける。戦さのことなんか考えないでいいような、そんな過ごし方をいつか、教えてあげましょうねと、胸の内にて囁きながら………。
“千紫万紅 柳緑花紅”へ、続く………
〜Fine〜 07.4.05.
*そうして、
戦さ生活が染み込んでる二人での旅暮らしが始まる訳ですね。(苦笑)
おっ母様はそんな彼らを遠い虹雅渓から案じることになる訳で。
…せめてお魚の上手な食べ方くらいは、
勘兵衛様にだけでも叩き込んで置きましょうね、おっ母様。(笑)


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