マヨヒガ
 (お侍 習作43)

       *お母様と一緒シリーズvv
 


 ひたり、ひたり…と冷たい感触がする。頬に額に鼻先に、細かい飛沫が降りかかる。冷たい、息苦しい。重圧とも就縛ともどちらとも言えぬ圧迫感や閉塞感が襲い来て、この身をぎちぎちと絞り上げている。それが…ふっとほどけたのは、

  ――― さっきから間断なく聞こえ続けているのは、一体何の音だろうかと

 それを意識したことで起こされたようなもの。ちょっぴりひんやりと湿った空気の中、目を開けたのに薄暗いままなのへと不審を抱き、さりとて、まださほどには緊張もしないままの無造作に。どこぞから差す仄かな明かりを探して、ひょいと顔を上げようとしたところ、その頭を横合いからぐっと押さえ付けられたから。

 “………え?”

 これにはさすがにギョッとして、どこかぼんやりしていた意識がもんどり打って覚醒する。何だ何だ、えっと、あれ? アタシは何処で何してた? 此処は神無村、ですよね。はい、覚えてます。野伏せり撃退っていう“戦さ”に駆り出されての、今は迎撃準備のための作業中の筈で。道中にごたごたとした その余燼から、相手へもこちらの動きは少なからず伝わっていようから。陣容も武装もきっちりと固めた“臨戦態勢”にて押し寄せて来ることは必至。だので、時間はどれだけあっても足りぬくらい。小さなこの村を武装した機巧侍たちの襲来から守りつつ、こちらからも撃って出んという構えとなるだろう戦いは、手勢の関係上、短期集中の熾烈な決戦となることが予想され。それを支える“城塞化計画”もなかなか順調に進んではいたのですが…えっとぉ? そんなこんなを一瞬のうちにお浚いしつつも、まだ少々混乱している頭の上から、

 「――― がるな。」

 いきなりの横合いから頭を押さえ込んだのは、どうやら誰ぞの手のようで。こっちの片耳へ手のひらを伏せる格好にての軽いもの、痛みを与えるのも厭わずというほど、無理から強くという乱暴さではないものの。ただそれだけでこちらの身動きを押さえ込んでいるということは、体術の心得を持つ練達なのか。そんな相手が発したそれだろう、人声がしはしたがよく聞き取れない。遠いのだか近いのだか、ずっと続いている轟音にところどころが遮られているからで。辺りはやはり薄暗いままだが、ずっと意識なく寝ていたものなら、それまでの目が見つめていた瞼の裏の明るさに合わせて虹彩が絞られていようから、多少は物の輪郭などが判るはずだのに。
“こんなにも夜中、でしたっけ?”
 草いきれがするから森か木立の中ではあろうが、視線の届く限りのどこもかしこもが この暗さとはどういうことか。湿っぽい匂いは、だがカビ臭いところまではいかないそれだから、

 “…川、か?”

 自分の身へ一体何が起こっているかが判らないままという、侭ならぬことからの焦燥感に煽られつつも、周囲の状況の欠片を何とか拾い上げ、森の中、川の畔というところかと目星をつけたその鼻先へ。

  ――― ふわり、と。

 香り来た甘い匂いがあったのへ、

  “…あ。”

 やっとのことで、緊張感がほどけ、強ばっていた肩からも力が抜ける。それと同時、この香りの大元である相手が、こちらの顔へ自分の顔を近づけて来たのは。延々と続く傍らの轟音のせいで、ただでさえ淡としたその声での語りかけが相手に届いていないと気づいたのだろう。暗がりの中、微かな白い影が視野へと降りて来て、形のいい口許が小さく動くのが見える。
「…目眩いは?」
「ええ、少しほどグラグラと。」
 応じながら、成程と。いきなり起き上がるなと制止した理由が判ったと同時に、案じるようなお顔を向けて来た相手へ、こちらからこそ“心配は要りませんよ”となるだけ微笑って見せるシチロージであり。
「落ちたんですね、上から。」
「…。」
 さして表情も動かさず、無言のままにこくりと頷いたのは。野伏せり迎撃にと集められたる侍陣営の中でも、武力という点においては最も頼れるお仲間であろう、双刀使いの若侍。日頃、シチロージ相手に限ってながら、何につけそれは丁寧な扱いをする彼が、何の説明もなくのいきなり、という強引さでこちらの頭を押さえつけたのへも、今になって理解が及んだおっ母様。というのが、

  「ぶつけた覚えはありませんが、もしかしたら…滝壺へ落ちましたか?」

 覚悟があっての、水面までの距離やタイミングをちゃんと測っての飛び込みではないなら、石のようになった水面へ叩きつけられてもおろうし、それは無造作に水面へと落ちただけではなく、激流が落差をもってなだれ込んでくる深みにて、上下も前後も左右も判らなくなるほど揉みくちゃにされたに違いなく。ただ横になっているだけだというのに、意識をして頭の中をまさぐると、まだ微かにゆらゆらと身体が揺れているような感覚があるのは、
“…軽い脳震盪、ってとこでしょうかね。”
 だとすれば、半日ほどは大事を取ってじっとしていなくては。無理に動き回れば船酔いのような状態が延々と続くだろうし、場合によっては思わぬ障害が残るやもしれない。そんな危険性をちゃんと心得ていた彼だったから、意識が戻ったその途端、いきなり起き上がりかけたこっちの頭を、有無をも言わさず押さえ込んだキュウゾウだったのであろう。こくりと一つ、頷いた彼へ、
「すみませんね。もしかして、わざわざ降りて来られたんでしょう?」
 確か…そう。滝の傍ら、ゴロベエ殿が整備の監督にあたっていた堡の柵へ、補強にと縄を巻き付けていたところが足を滑らせた者がいて。咄嗟に手を延べて掴んだ相手を、自身の重みに遠心力をかける格好で、その位置を入れ替えるようにして崖上へ放り投げ、自分はそのまま落下した槍使い殿だった…のだが。実はちょっとばかり状況を舐めてもいた。
「…。」
 生命維持装置の中で眠っている間に負傷が悪化し、取り返しのつかなくなったがため失った左の手と前腕の代わりにと。名のある装具師に誂えてもらった義手を、こそり、そっと撫でたのは無意識の所作。今や生身と変わらぬ動きや力加減もこなせる、なかなかに優れものなこの中には、結構な長さの頑丈なワイヤーが仕込んであるので、それを射出し何処へなりと絡ませればいいと踏んでいたのだが、
“どうしたことだろか…。”
 その目標を何処へと見定める間もなく、暗闇の中へと吸い込まれてしまい…それから先の記憶がない。
「…。」
 辺りが暗いのは川に沿った森が鬱蒼としているのと、既に宵闇が訪れているからで。だが、自分が落ちた頃合いはまだ明るいうちだったのに、どのくらいの間、こうしていたのだろうか。そして、
「…。」
 頷くでなく、かぶりを振るでなく。ただ黙ってこちらを見やるばかりのキュウゾウであったのは、わざわざの骨折りではないとでも言いたいのだろうか。だが、彼はあの現場にはいなかったはず。結構な高さのあることで良くも悪くも攻守の要所となろうとされていたあの荘厳な滝を、何の準備もなく滝壺まで降りてこようだなどという神憑りな荒技を、苦もなくこなせる人物は、我らが陣営には彼しかいない。いやさ、それがこなせるお人がいて良かったとばかり。誰かが呼んだかそれとも哨戒中に通りがかったものか、どっちにせよ、お願いしますと託されての運びであろうに。
「…。」
 少し湿って堅い地べたへ横たえられたシチロージのすぐ傍らに、座り込んでの張り番を続けていてくれたこと、何でもないと取り合わず、こちらからの恐縮を軽くあしらってしまうお人だったりし。
“湿って堅い…けど。あれ?”
 やっとのこと状況が判って落ち着いたその矢先、シチロージは別の不審に意識が向いた。ぽそんと、手のひらを広げて自分の胸元や顔を触ってみ、それから、
「…?」
 押さえつけるのはやめたが、その同じ手でそぉっとそぉっと、結っていたのをほどいたおっ母様の髪を梳いてくれている、キュウゾウ殿の手にも触れる。嫌がられているものかとでも思ったか、逃げかかるその手をキュッと捕まえると、
「待って下さいな。」
 怒ってないからと頭に響かぬ程度にかぶりを振って見せつつ、もう少し引いてその衣紋の袖口や腕へと触れてみる。
「乾いてますよね。」
 恐らくは、シチロージを引き上げるのにと彼もまた滝壺に入ったに違いないのに。髪はまだ微かにしっとりしているが、双方とも着ているものはすっかりと乾いており。手のひらへも暖かさが戻っているほど。それが不思議だったシチロージへ、ああそれかと、何を訊きたいおっ母様なのかが判った次男坊。すっと手を延べて示したその先、丁度シチロージの背後には、小さいものながら焚き火が焚かれてあったから。それへと翳した…としても、
「ここまで乾くもんですか?」
 垂れ込める空気の密度が分厚く思えるほどにも、滝からの冷ややかな飛沫が際限なく舞っているような場所なのに。よくもまあ火を熾せたものだと、それもまた不思議なくらいだと、物の順序や程度くらいは判りますとばかりに問いを重ねたおっ母様へ、
「…思い切り振り回して滴を払った。」
 手を取られたまま、くすくす、珍しくも微笑う彼であり。
「??? ………あっ?!」
 何だ何だ何ごとですかと、尚の不審を重ねかかったシチロージのその表情があっと弾けて、そのまま…失礼ながら指差した先。筆者が日頃“金髪紅衣の〜”と記述している彼のその紅衣が、今は“紅衣”ではなかったりし。
「それって…カンベエ様の。」
 あの白い上着ではなかろうか。ということは…というのもおかしなものだが、自分の胸元、余りたおしている着物の懐ろを引っ張ってまじまじと見やれば、
「こっちはゴロさんの…。」
 濃緑のあの上着。いつの間にやらそれへと着替えさせられており、
「こっちがいいのか?」
 ならば取り替えるがと、自分が羽織っている衣紋の前の合わせへ手をかけるキュウゾウへ、
「…いや、そうじゃなくって。」
 横になったままですいませんがと、伸ばした手で相手の合わせを掴み止めてそれを制して。またぞろ混乱しかけたシチロージの視線が留まったのは、自分が横たわっているその下へと敷かれてあったもの。古いものながら、ちゃんとした衾ではなかろうか…と気がついたところへ、

  ――― かささ、と。

 そろそろ耳に馴染んで来た滝の轟音とは調子の違う、微かな木葉擦れの音が届いて。見上げれば…何やら手鞠ほどの大きさの塊が、宙空をゆらゆらゆっくりと降りて来るではないか。
「な…っ!」
「ヘイハチからだ。」
 驚く間合いくらいくれてもよかろうにと、つい思ったほどのすぐさま。キュウゾウがその正体を告げてくれ。立ち上がると腕を延ばして掴み取ったは…油紙にくるまれた何かの包み。よくよく見れば綱で下げられてあった籠に収められており、
「降りて来るときに、岩の出っ張りごとに滑車のついたハーケンを打ち込んで行けと言われた。」
 そこを通した綱を支点にして、元工兵のヘイハチ殿が彼ならではの工夫をし、何にも引っ掛かることなく崖上から此処までを行き来させられる籠を取りつけてしまったのらしく、
「はあ…。」
 さいですかと、その手際の良さには言葉も出ない。びしょ濡れとなった彼らが着替えてまとっていたお仲間の衣紋や、こんな場に敷いていいようなものをと持って来てもらったものだろう古衾やを、上からするするっと降ろしてくれるための最適なからくり仕掛け。こんな事態へも慌てず騒がず…かどうかまでは知らないが、万全の態勢を敷くべく、こうまで至れり尽くせりな早技を繰り出せる、工部部門の練達までいる陣営だということが、今ほど頼もしいなぁと思えたことはなく。
「島田が今宵は此処で夜明かしをせよと。」
 包みはどうやら、夕食の握り飯とそれへと添えられた短い手紙であったらしい。ざっと眸を通したその書状、ほれと手渡し、明かりの代わりに薪を1本掲げてくれる。そんなキュウゾウへ、だが、

 「…シチ?」

 返事もないまま、肩を震わせ、声を詰まらせ。
「すみません。でも…。」
 何が可笑しいのか、急にくすくすと笑い出したシチロージであり。不安がられても困るが、だからといってこういう事態に際して“楽しい”と思うような人性だっただろうかと、思わぬ反応へ虚を突かれたらしき次男坊。それこそ、笑っていいのか困ったらいいのか、どうしたものかとの戸惑いのお顔をして見せたので、
「ごめんなさい。不謹慎でしたね。」
 何とか呼吸を整えて、アタシが不注意したばっかりに皆さんへご迷惑かけてと謝れば、それへはふりふりとかぶりを振るキュウゾウだったのへ、

 「いえ、ちょっと。何てのか…情けなくなりまして。」
 「…?」

 思いも拠らない突発事に際し、こんなにも手際よく“自分が何をしたらいいのか”を目指し、迷いなく突っ走ることの出来る皆さんだってのに、
“…アタシと来たらば。”
 何て間の抜けたことだろか。ちゃんと何とか出来るツールを持っていても、それをこの土壇場にては使いこなせなかった。それが何だか遣る瀬ない。胸の痛さに切なくなったの、どうでも隠したいならば…歪んだお顔がさも似たる、苦笑いで誤魔化すしかないではないか。

 『…鋼の腕になさるので? しかも仕込みの?』

 この腕を誂えたとき、装具師は何度も確かめた。これからはそんな武装なんて必要な時代じゃあない。それに、一通り槍でも刀でも扱える元軍人なのだから、腕っ節にも不安はなかろう。だってのに、それなりのメンテナンスも必要な仕込みをわざわざ加えるだなんてと。よもや野伏せりの関係者かとまで不審がられたところを、間に立ってくれたユキノがまあまあと誤魔化して執り成してくれての装備契約に至ったのだのに。彼が言った理屈は判る。だってのにわざわざこんなものを仕込んだのはどうしてか。こんな風に、戦さに臨むような、はたまた用意なくしてはおられぬ危険な目に遭うような、そんな機会がいつかは来ようと、具体的なことを見越した訳ではない。カンベエ様との再会だって半分ほどは諦めてもいて、もう戦さの時代は終わったと、侍はもう仕舞いだと、自分でも言っていたはずだのに。刺青の六花を失ったそこへ、敢えての武装を求めたのは何故だ。時折煮える気持ちを冷ますだけなら、ただの鋼の冷ややかさだけで十分だろに。

  “未練ってやつだったんでしょうにねぇ。”

 仕舞いと言いつつ、それでもどこかで“侍”で居たかった。だって確かに自分は戦さ場にいたのだから。それは尋深く素晴らしいお人なのに、要領がお悪いばっかりに“負け戦の”と不名誉なまたの名を冠せられておいでだった指揮官殿と二人、空という、尋常では立ってなんていられぬ場所を、思うがままに制覇していたのだから。苦衷もあった痛みも受けた、それでも逃げるなんて思いも拠らなかった。毎日毎日、その日が明日へ続くことを疑いもせず、充実していた日々を確かに過ごしたのだと。あれは夢なんかじゃあないのだと、誰でもない自分へと言い聞かせたかったから…なのかも知れない。だっていうのに、そうやって装備したもの、いざという時に使いこなせなくてどうするか。とんだお笑いでさぁという、自嘲の笑いも出ようというもの。

 「…。」

 そんな癖なんてなかった彼が、妙に左腕をばかり撫でるのへ。
「…。」
 こちらも黙したまま、じっとその動作を目で追っていたキュウゾウが、ふと。自身の手を延べ、シチロージの手へと重ねる。その感触に、
「…っ。」
 シチロージがハッとした。無意識のうちの所作だったもの、そうされて気がついて…唇を咬む。何をどこから語っても、泣き言に辿り着きそうな気がしたから、ぎりぎりの矜持が重く蓋して声が出ず。何でもないのだとかぶりを振って、何とか笑おうとしかかったところが、

  「シチは、誰かのためをばかり、考える癖がついている。」

 相変わらずに単調な声だが、聞き流せない響きがあって。
「はい?」
 と、シチロージがついつい聞き返したほど。
「…。」
 蛍屋にいた彼のことは生憎と全く知らないキュウゾウだが、それ以降の彼ならずっとその眸で見て来た。戦闘においては、鮮やかな槍さばきに即妙な反射と巧みな機転を兼ね備えた練達であり、平生の場では、我を通さずに和を大事にするのに十分なほど懐ろ深く、洞察の利くそれは優しい気性をしていて。十分すぎるほど一端の偉丈夫であるのにも関わらず、勘兵衛にいちいち“よろしいので?”などと訊いて了解を得る彼なのは、単なる恭順からの倣いにあらず。御主からの命令であれば、はたまた御主から許可さえ下りれば、何だって切り裂くし何だって突き放す所存でいるということの裏返し。物の道理や善悪までも、その人物の定規次第でどうにでも変わるよな、そんな“依存”ではないながら。自分が認めた存在へ従として寄り添い、滅私の構えで仕えることを至上の喜びだと思っている節があり、

  「誰かへの手を伸べるのには迷わぬが、自身の身を守るのは下手だ。」
  「………。」

 呆然としてか、力の萎えたシチロージの、左の手を捧げ持ち。愛惜しげに自分の頬へ、指を広げさせながらそれを添わせたキュウゾウは、

  「俺には真似出来ん。」

 切なげに眉を寄せ、そんな言いようをする。常に前しか見ず、孤高たるがゆえの峻高だが狭き足場にその身を置いて。強さのみを目指すその進路へと立ちはだかるものは皆、片っ端から斬って来た。そんな夜叉のような生き方しか出来ない自分を、怖がりも疎
(うと)みもせず、温かい懐ろに入れてくれた優しい人。それだとて、始まりは“カンベエ様が選んだ剣豪だから”なのだろうが、それだけで…咬みつかれることも厭わずに、自分がいた店をさんざ騒がせ、御主の命を標的に追って来たよな存在を、こうまで慈しんでくれるものだろか。
「…キュウゾウ殿?」
「重さで判る。」
 彼だとて先の大戦の経験者だから。前線での猛攻や何やで身体を損なった者が、腕や脚を装具で補って早急に戦さ場へ戻って来た例とも多々接しており、
「動作機能だけなら、どんな旧式の義手でも此処まで重くはない。」
「…っ。」
 何かしらの“仕込み”という機能
(おまけ)つきだろに、咄嗟にそれを機能させられなんだと。それがためのこの状況なのだということを悔やんで、気鬱そうにしているシチロージだと、とうに気づいていたらしく、

  「自分のための道具や防具ではない、という考え方は改めよ。」

 いつしか、滝の轟音はさほど気にならなくなっており。薄闇に慣れた眸は、梢の隙間から洩れて差す、かすかな月光さえ拾えるほどとなっていて。そんな微光に綿毛のようにふんわりした金の髪をけぶらせて、横たわったままな自分を見下ろすキュウゾウの、淡とした声がきれいに届く。こちらを見下ろしているものだから、白い顔容には少しほど陰がかかっていたものの、
「…では、どうすりゃいいんです?」
 そうと訊くと…いつもいつも表情の薄い彼だのに今だけは、それと判るほど、かすかに微笑ったようにも見えて。

  「シチが喪われたら、哀しむ者がたんとおると。」
  「………。」
  「そうと思えばいい。」

 他の誰ぞが口にしたなら、何ともありきたりで俗な言いようかもしれないが。このお人をよくよく知っていればこそ、何と嬉しい言葉だろうかと、先程までの居たたまれなさとは正反対の擽ったさにて、胸の奥底がきゅうとつねられたように痛くなる。
「その“哀しむ者”の中には、キュウゾウ殿もおいででしょうか。」
 野暮だなと思いつつも…訊いてみれば、
「…。」
 しっかと、それは大きく頷いてくれたから。それだけでもうもう、報われたような救われたような気持ちになる。
“本当に…。”
 殺伐とした荒野にも等しい、肺腑も凍らす天穹で。刀で触れるものにしか縁
(よしみ)を結べず、ほんの一瞬の邂逅のみにしか心動かず。自分が殺されたくなくばとの殺戮を重ねることで、得られ開かれる生きざましか知らなかった そんなお人が。冷えて凍りかかった人の心を暖めてあげたいと、擦り寄ってくれるようになり。こんなにもかあいらしいこと、口にするようになり。少しずつ少しずつその身へ人としての息吹を萌えさえ始めている。そんな過程にある人が、無垢な気持ちのままに下さる慈愛の、何と清かで甘やかなことかと。辛さとは正反対な痛さで胸が詰まって苦しいくらい。

 「…シチ?」

 何かしら感じ入ったものが胸に閊えてか、何とも答えて下さらぬおっ母様へ、案じるような声をかける次男坊。それは無垢な幼子のように、巧妙さを一切交えぬ真っ直ぐな、何とも稚
(いとけな)くて やあらかい想いを育みつつある、人としての厚みをしっかと蓄えつつある自慢の坊やへ。ああ何と応えてあげればいんだろかと、それこそ歯痒げに眉を顰めたシチロージであり。

  ――― いやなに、どっかが痛いんじゃありませんて。
       だが…っ。

 苦しいのだろか痛いのだろかと、自分の方こそ苦しそうなお顔をする双刀使い殿へ、さて何と言ったものなやら。夜露に揺れる名もなき花が、そんな二人を微笑ましげに見てらしたそうな。










  〜おまけ〜


 …それにしてもと、あらためて周囲を見回せば。着替えに衾に夕飯の握り飯までは、まま ともかくとして。柿の実、梨の実、蒸した栗。救急用の薬をあれこれ詰めた小箱に、気つけ用にかそれとも暖を取らせるためか、酒の入った一升徳利。刀の手入れでもせよと言うのか、四角い砥石も転がっていれば、暇つぶしの足しにでもせよとのことか将棋盤まで見受けられ、
「もしかして焚き火の薪も上から降ろしたんじゃありませんか?」
 こんな湿気の多いところに落ちていた柴では、こうまでしっかりと炎は立つまい。薄闇の中、着丈も肩幅も合っていないそのせいで、少々だぶついた姿の輪郭がほんのりと白く浮かび上がるところが、いつもとは趣きの異なる佇まいをしたキュウゾウ殿。頷きながら…お膝のすぐ傍から矢立てと巻紙を手に取って見せ、
「要るものがあれば、これに書いて籠に乗せ、綱を引けと言われた。」
 今は邪魔なばかりだからと上へ引き取らせたが、体を拭くのにと手拭いを山ほどと、着替えが届くまでのしのぎにと、自分とそれからシチロージにも重ねて着せたという浴衣も十数枚ほど、降ろしてもらったというから、
「…物凄いデリバリーですな、そりゃ。」
 こらこらシチさん。片仮名の濫用は出来れば控えて下さいませな。
「デリ…?」
 ほらぁ、通じてないでしょうが。
(苦笑) 小首を傾げるキュウゾウへ、
「何でも取り寄せられるんですねと、感心しちゃったんですよ。」
 迷い家
(マヨイガ)みたいですねぇ。マヨイガ? ええ、山奥で道に迷った人の前に忽然と現れて、暖かい食事や着替えに寝床や何や、何でも揃ってる不思議な家なんですけれど。二度とは辿り着けないところから、土地によっては妖精の隠れ里とか何とか言われてもいますよ。御伽噺みたいなことを語って聞かせての、くすくす微笑ってそれから、
「こうまで至れり尽くせりならば、いっそ此処で不自由なく住めるかもですね。」
 シチロージとしては、冗談半分の何の気なしに言ったつもりが、

  「〜〜〜〜〜。/////////」
  「…おやおや。」

 真っ赤になりつつも、得意の身軽さ発揮して逃げ出さないところを見ると…まんざらでは無さそうですよ? 次男坊の方は。
(笑) どうしますか? おっ母様。




  〜 どさくさ・どっとはらい 〜  07.4.10.


  *シチさん限定、私設救助隊。
(笑)
   無論、強さはちゃんと心得ているのでしょうが、
   こういう緊急時は別だということで、
   おっ母様のためなら、たとえ火の中水の中…な キュウさん。
   おまけにこんないい別荘(?)まで手に入れてはね、
   ますます嫁に行く気がなくならないかが心配です。
(苦笑)


ご感想はこちらvv

戻る