五風十雨(ごふうじゅうう) (習作45)

          *お母様と一緒シリーズ
 

 
5日ごとに風が吹き、10日ごとに雨になるような気候を“五風十雨”という。
暴れるほどでない、暑さや湿気を払う風がたまに吹き、
乾き過ぎない程度の間合いで雨が降り、しかも降り続きはしないという、
それはそれは順調な天候のことであり、
大元は農作業に従事する方々が使っていた言い回しだが、
そうではない方面の生活にも、
こんな“ほどほど”の巡りが一番には違いなく。
不意を突かれた雨やら突風、
大層な規模のものだと困りものではあるけれど、
ささやかで他愛ない悪戯くらいなら、目くじらも立たないものである。





米処の神無村でも、今日は朝から少しばかり強い風が吹いており、
まだ刈り取られぬよくよく実った稲穂たちが、
その重たげな頭を撫でられては、
大海原のうねりもかくやとの波立つように揺れている。
見上げた空には翔る雲も少なくて、
天候が大きく崩れる予兆ではないらしかったが、

 “こりゃあ、足場の上で作業するお人たちに注意をさせないと。”

茅葺き屋根の補修なんぞを合同作業で手掛ける経験上、
村人たちも高い足場へと上ることには慣れもあるとのことだったが、
それとは微妙に種類の異なるお仕事だし、
第一、そういった作業を今頃の風の季節に やりはすまい。
衣紋の裳裾を軽やかに揺らした風の来た方を辿ったそのまま、
目線だけでなく、白い首元をのけ反らせてまでして、
晩秋の高いお空を見上げていた槍使い殿。
仄かに案じるようなお顔になると、
一旦立ち止まっていたその脚を、
作業場へと向かうべく再び急がせ始めたが、

  「わ…っ☆」

微かな風籟 唸らせて、
真っ向から飛んで来たのは、先程よりも勢いのあった短い突風。
両側に田圃の広がる、何の障害物もない場所…ではなく、
道の片側に申し訳程度に木立が連なっていたからだろう。
その木々の壁が風を吸い寄せ、小さな螺旋のうねりでも生じさせたか。
ちょっぴり威勢のいい加速のついたその風は、
咄嗟に目を瞑り、顔を背けた長身なお兄さんから、
そんなして無防備になった隙をつき、とあるものを掻っ攫う。

 「あ…。」

ちょっとやそっとじゃあ外れないようにと、
小さなピンで2カ所ほどを留めてあったもの。
それがまんまと攫われての高々と、
風の軌跡を示すよに、ひらはら舞い上がっていってしまったもんだから。
「ああ〜。」
外れた瞬間からを目で追ったその先には、
防風林の名残りらしき、背の高い常緑樹の梢が見えて。
いやな予感はこういうときほど当たるもの、
そうなっては嫌ですよと案じたそのまんま、
もしも引っ掛かるなら手の届かなかろう其処じゃあないかと、
薄々感じてた不吉な高みへ。
どんぴしゃりで身を置いてしまう帽子だったから、
「…やれやれですねぇ。」
撫で肩がますますのこと、がっくりと落ちたシチロージ殿だったりする。
まるで日中のお空に浮かぶ有明のお月様のように、
常緑の木立の高みに、その白い姿が丸くくっきり映えているお帽子は。
自分の頭にあった時にはその役目を果たさなんだピンが、
今になって反省しての、お仕事への貢献を発揮してでもいるものか。
穂先は出さずの柄だけを延ばした槍の赤鞘で、
ほれほれ落ちて来いとつついたくらいではビクともしない。
“…これは、困りましたねぇ。”
これでも希代の槍使いという腕はなまっておらず、
身は軽やかに動くので、木登りくらい出来ないことではないけれど。
標的がいるのは微妙に細い枝の先。
自分の体格では乗っかれる場所に限度があって、
“あすこじゃあ、間違いなく折れますね。”
仕方がないから諦めて、
代わりの何かをかぶって何とか間に合わせましょうと、
再び肩を落としたところが、

  ――― ひゅっ、と。

頭上の宙空を颯爽と駆け抜けた、何者かの影が舞い。
丁度視線を落としたシチロージの足元へも、それが落とした陰が走って。
“…え?”
軽く息を引いたそのまま、立ち去りかけてた足が止まる。
“何かこういう忍法がなかったか、影縫いとかいう名前の…。”
このお話の世界にも“忍者”はいるものなんだろか。
だったらそれに打ってつけだろう、真っ赤な長衣をまといしお人が、
梢を揺らす木葉擦れの音もさせぬまま、
槍使い殿の目の前へ、ひらり訪のい、白い手を差し出した。

 「キュウゾウ殿。」

シチさんセンサーは相変わらずの良好であるらしく、
難儀をすれば必ず現れるのか、それとも。
誰の陰謀なのやら難儀しやすいおっ母様だから、
そういう時にばかり来合わせるという印象になってしまうのか。
疫病神かもというあらぬ誤解を受けたくなければ、
是非ともおっ母様には詰め所から出ないでいただいてはどうかと、
余計なお世話な言いようをする、実は元凶の筆者なのはおいといて。
(いやん)

 「ありがとうございます。」

相変わらずに身軽ですねぇと、にっこり笑って手を延べて、
多少は絡まっていたろうに、
だからこそのわざわざ至近まで飛び上がって取って来てくれた帽子、
受け取ろうとしかかった母上へ、
「…。」
どうしたことか、次男坊。
差し出しかけた手を、だが、すっと引いての渡さぬ構え。
「キュウゾウ殿?」
いつぞや、悪戯して襟元から引き抜いて持ち去った襟巻きのように、
これもまた、天女のおっ母様が天へと昇るアイテムだと思ったか。
いやいや、あの時は単なる口実にしたまで。
追っかけて来て下さいなという、
ちょっとした悪戯心がやらかしたお茶目であり。
困っていたのを見かねて取ってくれたもの。
当人の前での行為だのに、
それをでも渡さぬとは、何とも矛盾してはいないかしら?
「…。」
自分の胸元、赤い衣紋へと伏せられると、やはり際立つ白いお帽子。
母上の身の回り品だから欲しいのか、いやいやお顔はこっちを向いてる。
そのまま逃げるように立ち去ろうという態勢ではない。
それに、

 “下さいなというお顔ではありませんしねぇ。”

そうと、見分けがつくところがおっ母様ならではなのですが。
(苦笑)
「どしました?」
何か言いたいから、何か告げたいから返さないと、
そういうことならしいと気がついて。
それへと水を向けてやると、
「…。」
寡黙な次男坊、じっと、こちらを見やるばかりで。
どう言えばいいんだろうかと案じてのことか、
困ったように瞬きを2つ3つしたその間合いに、

  ――― ひゅんっ、と。

再びの悪戯な風が吹きつけて。
埃混じりだと剣呑だからと、反射的に瞑った視野の端、
向かい合ってた双刀使い殿の、足元まである長い衣紋の裾を、
ばさばさとはたいて通り過ぎた突風に、

  “………あ。”

なんだ、これかぁと、
今になって彼の意図するところが判ったシチロージ殿だったのは。
今のでもっと、掻き乱されてしまった髪の後れ毛へ、
キュウゾウ殿がそぉっと撫で撫でと、
その手のひらを添わせてくれていたからで。
「ええ、これで多少は押さえてもいたんですよね。」
間近まで近づいた彼だったことで、すぐ目の前になっていた白い小さなお帽子。
だが、無理から奪い取りはせず、
「髪を直せと言いたかったんですね?」
訊けば、今度こそは素直に、
「…。」
こくりと頷く剣豪殿。

  ――― 人前では髪を結い直しません、と。

そんな他愛のないことを、それでもいつぞや約束したから。
約束したからには、守るのが筋というもので、
きょろきょろと周囲を見回し、
木立のすぐ奥に炭小屋だろう小さな物置を見つけると、
おっ母様の手を引いて、さあさあと促すところがまた、
何とも言えず子供っぽくて。

 「はい、ちゃんと直しますね。」

戸口前にて自分は立ち止まり、シチロージだけを中へと入れる周到さ。
二人ともが入ってしまうと、
どこからか覗かれても気がつけないと思ったらしく、

 “婦女子のお着替えみたいですな。”

いっそカツシロウくんと張り合えそうなほどもの、徹底した純情振りで。
但し、対象が局所過ぎるのが、

  “彼らしいったら らしいのですが。”

うなじに手をやり、さらりとほどいた金の髪を、
使い慣らしたツゲの櫛にて丁寧に丁寧に梳き下ろしながら。
きっと戸前で仁王立ちしているのだろう次男坊を思いつつ、
声を立てぬようにと苦笑を咬み殺す、
妙な苦労ばかりが絶えないおっ母様であったそうな。





  〜 どさくさ・どっとはらい 〜  07.4.18.


  *母上は誰からも何からも守り抜くという所存の次男坊であるらしいです。
   それが単なる視線からでも例外ではなく、
   そもそもこれを吹き込んだ勘兵衛様だって例外ではないらしく。
   ただまあ“島田の古女房”という赦免も忘れてはいないので、
   今のところは…いつも傍らにいることへも、お咎めなしな模様です。
(苦笑)


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