無明烏錯想浮舟 (お侍extra  習作52)

           千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき
 


          



 荒野の真ん中という、不便で苛酷極まりない場所であり、人であれ草であれ、最初の1粒の種は一体どうやって根付いたのだろかと思わせるほど、途轍もなく大変な環境だってのに。流通の発展と共にすくすくと栄えたのが、此処、虹雅渓という街で。

  “まま、人が農業しか知らなかった頃合いの話じゃなし。”

 流通、すなわち商売や、それに伴われる手形や為替のやり取り、運輸と通信の発達などなどが、ある程度の勢いを得て発展していた段階にて開拓された土地だったから。それに乗っかっての案配よく、越え太って大きくなった街だということか。此処を仕切る差配の綾磨呂公というのがまた、なかなかのやり手でもあったその上、時代の流れの大きな変動へ、運も味方しての上手に乗りこなせた身。数年ほど前に起こりし とある“大事件”へ、裏で関わったとある人々との顔つなぎあってこそ、今の復権も難無く果たせたお人であり。表向きには“何てまあ時代を見通す目のお在りな、運のいい人だろか”と誉めそやされ、真相を知る顔触れからは“まま、相身互いですからねぇ”と口を拭い合っての苦笑を交わし合い、今再びの平穏安泰へと至っている訳なのだが、そういった現況報告はともかくとして。

 「…おやぁ?」

 どちらかというと、空へ向けてと地下へ向けてという“縦に”発展した虹雅渓の、こちらは最下層。その日暮らしの者らが住まう旧市街や居住区とは一線を画し、金満家や分限者、時の人などなどの溢れんばかりの勢力にて、賑やかしくも生気が満たされる花街の。別名“癒しの里”でも一、二を争うほど有名なお座敷料亭、横文字で言やぁ“オーベルジュ”? そんな大店
(おおだな)だったりする『蛍屋』の裏手側。禁足地のある地下洞窟からの、伏流水が流れ込む入り口近くの船着き場にて。朝の掃除を手掛けていた下男が何だか穏やかじゃあなさげな声を上げた。
「どしたんだい、寅吉さん。」
 丁度居合わせたのが当家の主人。まだまだ若い身空で当店を仕切っていた美人女将に、幇間として抱えられてた頃から惚れられての“逆玉”と、やっかみ半分陰口を叩かれつつも、その才覚の鋭さや即妙さには誰もが舌を巻く商売上手。いざという時の度胸もまた、並々ならぬものがあり、そこへ加えて…どうやら差配とは親密な絆をもってもいるらしく。その上その上、昼間は昼間で警邏隊の隊長が足繁く通っては眸を光らせているから、みかじめ料(用心棒代)をせびりたい与太者もおちおち手を出せない。そんな無敵の若主人、名前を七郎次といって、元はお侍だという肩書しか明かされてはおらず。名残りの太刀も提げてはいない、至って物腰柔らかな、しかも水も垂れるような美丈夫…という御仁なゆえに、やっかむ者と同じほど、人気もあってお得意様も大きに抱えた、今現在の“癒しの里の顔”と言っても過言ではないお方だったりするのだが、それはさておき。
「旦那、あれを…。」
 少しほど腰の曲がった年寄りだが、目端は利くし、動き惜しみをしない働き者。そんな老下男の指さした先、水路の上に、自然な流れに押されてこちらへとやって来るらしい小舟が見えた。原動機も何もない、櫂や艪
(ろ)で漕ぎ進むただの小舟で、
「何でしょうね、ありゃあ。」
「そうだねぇ。」
 一応の原則として、この街へは上の階層の地続きに出入りすることとされている。この水路を通るルートを取れば、途中に式杜人の“禁足地”があり、そこへの干渉を好まない彼らから容赦のない攻撃をされたり、場合によっては…彼らが裏で懇意にしている伝手が動いての、執拗な追跡を受ける羽目となったりするからで。そっちの暗黙の了解を知らず、無謀にも飛び込んでの制裁を受けた御仁かしらと。爪先立っての気を急かしつつ、青々とした葉の茂り始めた柳の枝越し、誰ぞが乗っているものかと舟の様子を伺っていた、金髪頭に羽織姿の若主人。ここまでは物見高さ半分という、他人事めいた気持ちから かかっていたものが、

  「…っ!?」

 何が見えたかハッとすると、いきなり羽織をばさりと脱ぎ捨ての、草履も蹴るように脱ぎ払ってのそのまま駆け出し、
「旦那様?」
 怪訝そうに驚きの声をかけた老人へ、
「寅吉さんは雪乃へ離れを支度するよう告げてくれっ。大変なお人が流れ着いたっ。」
 そうと怒鳴って返事も聞かず、上等な着物が濡れるのも厭わずに、小さな船着き場の脇から降りてのざばざばと、躊躇もなしに流れへ入っていくではないかいな。大層な着物を着ていて動きが侭ならないのをもどかしそうにしながらも、さすがは基礎体力が違う“元”お侍。抜き手を切っての颯爽と泳いでいって、あっと言う間に辿り着いた小さな舟。その船端へと手をかけると、出来るだけ揺らさぬようにと思いはしつつも、やはり逸る気持ちの方が勝
(まさ)ったか。あんまり深くはなかったことで軽く潜る格好にて素早く足をつけた川底から、ちょいと少しだけ伸び上がっての、ようやく間近から覗き込んだ小さな舟の底一面に。真っ赤な衣紋の裳裾を鮮やかに広げて、まるで…その痩躯が血の海に浸されてでもいるかのような凄惨な趣きにて。無表情なままの横顔を見せ、ただじっと横たわっていたお人が一人だけ。
“嫌ですよ、そんなの…。”
 ひくりとも動かないことへ、まさかまさかと思いつつも浮かんで止まない嫌な予感を振り払う、そんなお念仏でも唱えるように。どうかご無事でと胸中にて呟き続け。流れに任せるだけでは歯痒いと、脇に寄り添ったまま自分でも舟を押しての、船着き場へと真っ直ぐ向かう。言い置いた離れの準備は女中たちへと任せたか、船着き場には…何事かが出來したことを察したらしき、妻で女将の雪乃が出て来ており、
「お前さんっ!」
「おうっ、頼むっ。」
 そんな短いやり取りだけで意も通じて。女将は傍らへ連れていた大柄な手代に指図をし、小舟を船着き場の、喫水が低い舟用の足場の傍らへと接舷させて。
「アタシよりもこのお人を。」
 まだ水にいた主人がそうと促したので。実直そうな手代は頷くと、船底に倒れたまま意識がないらしい紅衣の青年を、ひょいと、だが、大切そうに抱きかかえ。店から出て来た女中の先導に導かれるまま、店の中へと戻ってゆく。そんな彼らを見送りながら、

 「…あれは久蔵様じゃあないですか。」

 大判の手ぬぐいを、だが畳んだまんまでその角を自分の帯にちょいと挟みつつ、水を吸わせるにはこっちの方が手っ取り早いと、気を利かせて持って来たのだろう浴衣の方を、夫の前へと広げた雪乃の堅い声に、
「ああ。アタシもびっくりしたさね。」
 彼やそのお連れが、何の連絡もなしの突然お越しになるのは今に始まったことじゃあない。とはいえ、あんな格好でのお越しとは尋常じゃあないし、
「勘兵衛様はどうされたのだろか。」
 水に潜っての船底から、舟の艫
(とも)や、舟の来た方などなどを何度も何度も透かし見たが、あの壮年の姿も気配もどこにもない。あの一件からの絆も堅い知己である、自分たち仲間内の中に限った話じゃあなくのこと。当代全部とその範囲を大きく広げても余裕で一、二を争うだろうほど、文句なく手練れの侍のお二人だってのに。一緒に諸国を廻っては湯治にいそしみ、その時々に賞金稼ぎの太刀ばたらきにも手を出すという。暢気なんだか物騒なんだか、そんな旅へと身を置いてたその筈の彼ら。だのに…片やが意識を無くしての流れ着き、もうお一人は何処にも姿がないだなんて。
「痴話ゲンカの末の仲違い…だなんてな、浮いた話であってほしいもんだが。」
 岸へと上がって、濡れた着物を手早く脱いで、差し出された浴衣を羽織った夫の言いようへ、
「…お前さん。」
 不謹慎ですよと窘めるのも、彼らの場合は場合が違うと。勝手の違いが判るからこそ複雑そうに、物思いの翳り、嫋やかな艶をかすかに染ませた困惑気味のお顔をして見せる、こちらもお若いお内儀であったりするのだった。





            ◇



 どこぞかの古典の名作に、こんな格好で水葬された美少女がいなかったかと ちらと思わせたほど。小舟の底へと横たわり、人事不省という態にて流れ着いたその青年の姿は、こんな場合でありながらも何とも麗しく。淡い色合いの金の髪に、奥深いところへ光を飲んでいるかのような色白な肌。線が細くて繊細な作りの面差しが、白いまぶたを伏せての無表情のままながらも、僅かばかり陰を含んでの儚げなところがまた。得も言われぬ切なさと色香を滲ませていて。
“着ていたものは相変わらずド派手な、真っ赤な長衣でしたがね。”
 それより何より、意識があるときの彼だったなら。同じ風貌なのに、同じ人物なのにこうも違うかと思わせるほどの、重厚な威圧というか存在感というかがその痩躯へと張り巡らされており。それらが本気の等級にて立ち上げられたなら、ちょっとやそっとの豪胆さじゃあ軽々しくも近づけなかろう殺気を孕んで物騒な。この若さでありながら、その道での紛うことなき練達だっていうのに、
“それが、何でまた。”
 意識のないまま、あんな無防備な格好で。地下水脈に乗っての抗いもせず、大人しくも流れて来たのやら。方向からいって、禁足地も通ったに違いなく。ということは、
“式杜人が何か知っているかもしれないが。”
 彼らへの物問いに、自分以外の人はやれず。さりとて、この彼の枕元からも、いつ目が覚めるやも知れぬと思えば、そう簡単には離れる訳にも行かず。ああいっそこの身が二つになったらばなんて、やくたいもないことを本気で思いかけていたそんな矢先に、

 「…島田っ!」

 いきなりの開口一番がそれ。はっと覚醒したのと同時に、勢いよく身を起こしかけた彼だったのを。その細い肩をやんわりと押し止めての、布団の中へそのまま居なさいと引き留めて、
「…久蔵殿。」
 静かながらも芯の通った、それははっきりとした声をかけてやれば。
「…あ。」
 その視線がやっとのこと、間近にて自分を案じておいでの存在を認めての…瞬いて。
「…シチ?」
「ええ、そうですよ? 七郎次です。」
 まだ髪は乾いていないのでと、いつものように結ってはいなかったが、そんな風貌であったことが却って、彼を慕うこの次男坊には何かしら…効果的でもあった様子。この痩躯にもかかわらず、よくよく鍛え上げた鋼を思わす反発力が、肌の下へググッと張り詰めていたものが、
「あ…。/////////
 気勢ごとの一気に萎えて、頬はバラ色。眸も潤んでの、まるで別人のそれへと塗り変わるから、

  “…物凄い威力よねぇvv

 我が夫ながら、こんな練達のお侍様をあっさり堕とせるところが恐ろしいと…思ってる割に、その語尾のvvは何でしょうか、雪乃さん。
(苦笑) お台所へ言って、おじやでも作ってもらいましょうねと。気を利かせてのこと、さっさと立ち上がってしまった妻を見送り、さてと。改めて向き直った七郎次を、衾の中から見上げて来た金髪紅衣の若侍。おっ母様が何を訊きたいかはとうに判っていたらしくって、

 「島田が…俺に当て身を喰わせおった。」
 「それって…?」
 「俺にも何が何だかよく判らん。」

 なるほど、だからこそ彼ほどの練達の剣豪が意識不明の身となっていたのであり。大した怪我を負っていなかったのもまた、彼が気を許していた相手からの不意打ちだったからのこと。そうでなければ、満身創痍の惨状にまで追い込まれでもしない限り、この可憐な風貌を大きく裏切る豪傑殿が、そうそう人事不省になりはすまい。もう一つ、ならばと七郎次の側に合点が行ったのが、彼の得物のあの双刀も、舟に一緒に乗せられてあったことだ。彼を敵視しての奇襲をかけたような者の仕業だとか、そこから偶然が重なっての何とか逃れたという仕儀の果てであったれば。いかにも危険なあの刀、没収されていないのは腑に落ちなかったし、ならば、彼の背中に装備されてはいなかったというのもまた不自然なこと。

 “まるで、
  そのままで横たえたのでは背中が痛かろうという気遣いをしての、
  外してやった誰かがいたとしか思えない。”

 だが。だとして何がどうなってのそんな物騒な運びとなったのか。男同士ではあるけれど、彼らほど…腕へのもののみならずの 情の上でも、お互いを信じ合っている存在はないし、皮肉な話ながら、だからこそ、この久蔵があっさり伸されたとも言える訳で。

 「何者かに尾けられていて。」

 それと気づいたのは数日ほど前のこと。妙に物騒な気配を帯びたる手合いたちが。ひたひたと自分たちの後を尾けていて。丁度、この虹雅渓への帰途にあり、街に入る前に方をつけねば、七郎次らにも要らぬ迷惑がかかるだろうと。撒くのを兼ねてのこと、地下水路へと道を選んでの、洞窟の薄闇に紛れての返り討ち。片っ端から伸して畳んでと、始末をつけていたものの、
「その途中、向かい合っていた相手を羽交い締めにしてから、何をか聞き出した島田であったらしくて。」
 一通りを薙ぎ払ったからと、彼の間近へと駆け寄ったところ。いきなりみぞおちへ手刀を繰り出されてのその後は、何も覚えてはいない久蔵であるらしく。
「大した相手ではなかったけれど、このまま一緒に居ると俺にも要らぬ火の粉がかかると…。」
「そうとお言いだったのですか?」
 消えゆく意識の中にて聞こえた文言なのですねと訊くと、
「…。(是)」
 頷いたそのまましょんぼりと、視線を逸らしての俯いた彼だったが。
「…久蔵殿。」
 さぞや心配だろと思ったほどに、神妙そうに見えたのは…細い肩の震えがそう見せていただけのこと。だが、いかにも健気に見えたその震え、

  「あやつは〜〜〜。」
  「…はい?」

 陰に籠もって物凄く。低く唸って尾を引いた、この彼には珍しいほど感情のこもったお声がしたかと思いきや、その上体を起き上がらせたその勢いのまま、ガバッと上がったお顔がまた、何とも激しい憤怒の表情に鋭く尖っての煮えているあたり。
「…久蔵殿?」
 悲壮な想いや心細さから来る不安から、健気にも震えていたものとは、到底のこと思われず。さすがは侍の妻、しかも男で彼もまた侍なだけに、忍ぶばかりが妻の道じゃあないからややこしい。
「まだ、足手まといになると言われたのなら、策の性格上のことかもと納得もいったが。掠り傷一つでも負わせたくのうて、とは、一体どういう言いようかっ!」
 そんな付け足しもあったのですね。でもそれって、
「…久蔵殿、惚気だったら聞きませんが。」
 こんなお言いようをする彼が、かつては“蒼穹の死神”とまで呼ばれてもいたお侍様だと、一体誰が信じるものなやら。

 「要するに。勘兵衛様は自分たちを尾けてた連中の、
  真意だか真の目的だかを聞いたらしく。
  それへと決着をつけに、単身で挑むことにされたと。」

 「…。(是)」

 しかも、有無をも言わさずという乱暴さで、練達の相棒の口を封じての、安全地帯へ流れつけよと小舟で送り出したあたりは、

  「俺がまだ追っ手だったころ、
   あの刀鍛治殿を縛り上げての放り出し、
   脅迫されていただけと見せる画策を捻り出したのも、島田だと聞いたが。」

  「…今だからお話ししますが、
   アタシを生命維持装置に入れて戦さ場から退避させたのは、
   もしやして勘兵衛様なんじゃないかって思ってたんですが。」

 ある意味で、進歩のないお人だと言うか。でもそれを言ったら、そんな相手から何遍同じ手を使われてますか、あんたたち。
(う〜ん)
“これが、こっちがか弱い女で。ああそうか、一緒すると足手まといになりますものねとかいうのであれば、まだ納得のしようもあるんでしょうが。”
 彼なりの思いやりから、こちらの身を案じてくれたのだろうが、引っ繰り返せば…アテにはならぬと言われたも同じではなかろうか。重い怪我を負って意識もなかった七郎次の場合はともかくも、不意打ちにて意識を失わせての置き去りとは、

  「人を馬鹿にしているにも程があるっ!!」

 今日は何だか、いっぱい喋ってくれてますねと。さすがは“古女房”で、あのお人ならやりかねないかなとの納得の下、先に沸点まで達したせいだろか、
「まあまあ、そんなに怒らない。」
「だがっ。」
「帰って来たら、二人でうんと叱ってやりましょう。」
「シチ…。」
 ね?と やんわり微笑まれ、暖かい手で頬をそぉっと包み込まれては。
「〜〜〜。////////
 お逢いするのも数カ月振りの、大好きなおっ母様が相手。剥いてた牙もあっさり引っ込んでのその代わり、きゅ〜んという甘い鼻声が零れてしまうというもので。

 「ね? いい子にして待っていましょうね。」

 そんな風な言い方こそしたけれど、まさかに指切りげんまんまではしなかった。それを後悔することとなろうとは、神ならぬ身の七郎次には予見のしようがなかったからで。



  ――― そんな憤怒ぶりばりだった久蔵殿までが、
       誰にも気づかれることなく、
       蛍屋からその姿を消したのが、翌日の早朝のことだった。








  *さあさ、ドッキドキ(?)の後半へ急げ!

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