残 月 (お侍 習作55)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 群雲に月影が覆われて、翳ってしまったのと入れ替わり、音もなく広がっての、地上を塗り潰すは。その奥行きの尋の、果てなくも深い、厚みのある漆を、掠れなく亳いたような夜陰の帳。街道の脇へと植えられた、ニレかエンジュかスズカケか。梢を鳴らしていた風も止まっての無音の中、品のいい甘い香が、闇の中に水脈
(みを)を流しての妙に華やかに匂い立つのへ、

 「いるぞっ。」
 「近いぞっ!」

 それこそが相手の気配ぞと、姿隠してもこれでは意味がなかろう、何とも滑稽なことよと愚弄嘲笑しかけた者は、

 「…っ?! がっ。」

 それを最期の貌として、それこそ滑稽な姿で息絶える。
「な…っ。」
「どうしたっ。」
 どんなに香りがしたとても、それを有利と思うは、その出処を即座に辿れるほどもの、気配に鋭い練達がいればの話。煤けて重たげな旅装束の外套や羽織の合わせをはだけ、得物である刀や槍を手に手に構えてこそいるものの、
「…畜生。」
「どこに居やがんだっ。」
 姿なき敵の不気味さに焦ってのこと、気を呑まれての萎縮で声がうわづる。いかにもの荒くれどもとはいえ、籠手や脚絆にくるまれし、腕も脚も縮んでの、動きがああも固まりかけているようでは、

 “…もう勝負も見えたかの。”

 そもそもこちらは特に逃げ隠れなぞ打ってはいない。すぐ傍らの木立を背にし、闘気を澄ませていたところ、まるでそれへと意を合わせてくれたかのように、天穹では月が陰ってしまったまでのこと。

 “きっと何処やらで捕らえた野伏せり崩れの、仲間か残党といったところか。”

 たまにこういう追っ手がかかりもする、褐白金紅の二人連れ。いちいち相手をしていては際限
(キリ)がないからと、撒いてしまうことも少なからずあるのだが。今宵の相手は結構な頭数であったので、そのまま放置しておくのも剣呑かと、向かい合うことにしたところ、どうやら数に頼った雑魚ばかりであった模様。但し、

 「…甲足軽
(ミミズク)がいる。」
 「うむ。」

 後方に数名ほど、揮発油の香をまとわした存在があるのが、この一団の大将格かと思われて。

 「雑魚は蹴散らすだけでよい。」
 「承知。」

 仄かに枯れての、だが深みのある滑舌のいい声へ、若い応じが即座に返り。そんな短いやりとりにて意を合わせ、視線を軽く…絡み合ったかどうかも判らぬほどの、それは短い“刹那”で交わしてのそのまま、紅衣の影がまずはと踏み出す。

 「…。」

 背中に負うた赤鞘から引き抜いて、白い双手に握りし細身の双刀。利き手の左は順手、右手では逆手で構えたそれぞれを、まずは胸元へ引き寄せての交差させ、念を込めての波動を乗せて、痩躯の左右に振り分ければ、

 「ひっ!」

 臆病者には嗅ぎ取れたのか、氷のように冷ややかで ただならぬ気配が、闇の何処かで ぐんと膨らむ。

 「なんだ、どうしたっ!」
 「奴らがいたのか!」

 怒号が飛び交う中、殺気さえまとわぬ鋭い銀線が闇を裂き。風籟をおびて襲い来るは、容赦のない切っ先の閃きで。

 「ぐあっ!」
 「がはっ!」

 すぐ目の前へくぐもった金色の何かが見えたと同時、それとすれ違いざま、自分の身に何が起きたかさえ、気づかぬうちに裂かれた脾腹が熱く燃え。その場に頽れての息絶える者らが折り重なってゆく様は、さながら地獄絵図のよう。

 「ひいぃぃっ!」
 「タカマル様、ゲンノスケ様っ!」
 「俺らじゃあ無理だっ!」

 恐慌状態に陥っての棒振りしか出来ぬ自分たちでは、到底のこと歯が立たぬと、怯えたそのまま逃げ惑う雑魚どもがわらわらと左右へ退き、道を空ける格好で視野が開けたその先の奥向き。周囲の夜陰にその身を霞ませて、二人ほどの大柄な人影が立っており。

 “甲足軽
(ミミズク)と…後ろにいるのは兎跳兎か?”

 雷電や紅蜘蛛に比すれば、人の“等身大”型だとはいえ、間近に寄ればどちらも結構な上背巨体の機巧侍。頑強な鋼の身体をしていて、しかも兎跳兎の方は光弾も装備した厄介な存在であり、

 「久蔵っ!」
 「…。」

 その位置で待ち構えての身構えたと見せかけて、あと数間との間合いをこちらが見定めたところへ目がけ、

 「…っ。」

 黒づくめの甲足軽らを飛び越えてのずんと手前へ、緋色の巨躯が宙を翔っての飛び出して来たのは、意表をついてのなかなかに見事な作戦で。相手の間合いを乱しての、きっと彼らが定石としている得意の戦法であるのだろうが、そんな陽動撹乱に翻弄されるほど、こちらだとて底は浅くはない。冷たく冴えたその表情も、ほとんど動かしはしないまま、

  「哈っ!」

 尋常ではない身の軽さを生かしての疾走は、目測が狂ったことへと怯むどころか、軽くその身を傾けての、尚の加速がついて鋭く尖り。加速風を受けてしなう若木のような腕が、その先に握られた白銀の双刀が。漆黒の中を掻き回すように切っ先を躍らせての一閃を見せて、

 【…っ!】

 二体で1つと合わさっているところ、切り離されてのバラバラに分かれるその前に。擦れ違いざま、右から左からと畳み掛けるように太刀を浴びせかけ。横薙ぎにしての一刀両断。それを掛けるの二乗ほど、叩きつけてやったうら若き剣豪であり。

 「…。」

 よくよく引き締まったその御々脚を、自由自在に捌けるように。膝上からの深々と、左右と真後ろに切れ目の入った衣紋の裳裾。それが揺れてのばっさと煽られ、やっとのこと、足を止めての立ち止まったその位置にて。痩躯の前へ延ばされたまま、細っこい手首を重ねての、交差されし双腕もまた、ひたりと止まる。そんな彼と至近にて擦れ違っての後方へ、数間ほど通り過ぎた緋色の物体が、

 【…。】

 そちらもやはり、宙に止まってのゆらりぷかりと、音なしの構えでいたのも数刻のこと。バチバチッと青白い火花を散らして周囲を照らすと、そのまま真っ赤な火花を飛ばし、自身を内から爆破させて果ててしまい。

 【うぐぅ…。】

 機体は違えど、それでも仲間であったからか。鋼の表情は読めぬながらも、憤怒の籠もった唸りをだだ漏らし。弾けた兎跳兎がその身を周囲へと撒き散らしの、煙幕にでもしたいのか、これも振り撒く黒煙の中、巻き込まれての見えなくなった、敵の姿を機巧の眼にてまさぐる甲足軽
(ミミズク)らのその視野へ、

 【…おお。】

 群雲が流れ去っての月の姿が立ち戻り、それに照らされ、白い衣紋が夜陰の中から冴え冴えと浮かぶ。冴えた風貌のその前へ翳すよう、切っ先も鋭いまま、正眼に構えられしは。いづれ名のある名刀か、乱れ打ち刃の刃紋も目映い大太刀が一振り。

 「…。」

 時を止めての気配を殺し、息をひそめし夜風が再び吹き始めると。膝下まである羽織の裳裾や、肩にかかりし襟巻きと、それから。背へ降りるまでという長き蓬髪、それもまたゆらりばさぱさと躍り始めて。

 【うぬぅ…。】

 周囲の夜陰にその輪郭が絞られもして、さして屈強にも見えぬのに。その身へまといし気魄・気概の、何と厚くて重いことか。切っ先越しにこちらへと、突きつけられたる凝視の、何と鋭く剛
(つよ)いことか。

 【くぅ…。】

 それへと耐えかねてのこと。大ぶりな軍刀を頭上へ振りかぶっての飛び出すように、黒づくめの甲足軽の片やが勢いつけて駆け出してきたけれど、

 「…っ。」

 それがたとい、総身の倍もあろう悪鬼であれ、同じ貌
(かお)にて迎え打っただろう、精悍な面差し、どこか昏い笑みを口許へと滲ませて。

  ――― ひゅっ・か、と。鋭き風籟の唸りが立ってののちに。

 きらり放たれたは、小さな剃刀が躍ったかのような寸瞬という刹那の銀色の煌き。振り下ろす所作の始め、切っ先が宙を泳いでの“溜め”を描くような隙さえないままという動線は、その動作が最小限のそれへまで無駄なく研ぎ澄まされし練達の証しで。ただそれだけの所作にて繰り出されし一撃が、ものの見事に相手の急所、みぞおちから脾腹にかけてを深々と抉っており。

 【タカマルっ!】

 堅く踏み固められた土の上、どうと倒れた鋼の体を、もはや完全に姿を現した望月からの月光が、蒼々と濡らして冷ます。朋輩の変わり果てた姿に、喉奥からの怒号を放つはもう一体の甲足軽。

 【おのれ、生身の分際でっ!】
 「ああそうさ。生身の分際だ。」

 機械化したのは武勲あっての褒賞と、それから。その武功が名を知らしめたことへ応じての、尚の誉れを求めてのことであったはず。正規の軍人だとしても、生身のままで生き残ったといやあ…せいぜい斬艦刀乗り風情だろうと見くびって。性能や強度という“力”は上だという、下らぬ驕りに目が眩んだままでいるから、

  「たかが生身の分際に、刻まれてしまうのよ。」

 高々と飛び上がっての中空から、全力込めての一刀両断。岩さえ砕く破壊力でもって叩き伏せようとしたらしかったが、

 「…。」

 双刀をだらりと下げたまま見守る久蔵が、眉ひとつ、震わせもしなかったのも道理の剛剣。両手での差し渡しもせずにの切っ先のみにて、相手の分厚い軍刀を外へと弾いての、手首で返した一閃、一太刀が、それは他愛なくも勝敗を決めて。

 「う…。」
 「何て奴らだ。」

 大将格の機巧侍らを、それはあっさりと斬り伏せた事実が、どんな口上よりも物を言う。逃げ腰でいた野盗らの尻に火を点けるには十分な一幕であり、

 「うわわっ。」
 「お、お助けっ!」
 「馬鹿、逃げるんだよっ!」

 蜘蛛の子を散らすとは正にこのことか。自分の影さえ忘れてゆきそうな勢いでのあっと言う間に、数十人はいたはずの面々が、斬り伏せられた十人ほどを置いたまま、走れる者の全員、遁走を果たし終えての姿を消しており。

 「逃げるための体力だけは残しておるのだな。」
 「まま、命を大切にするのは悪いことではないからの。」

 憮然と呟く久蔵へ、無難な言いようで応じてやった勘兵衛もまた…何とも言えぬ苦笑が沸くのへと困ってしまった。この数日の花曇りには珍しく、月の目映かった、そんな宵のことである。






          ◇



 機巧の身体を楯にして、爪も牙も持たぬ非力な農民らを良いように踏みにじり。精根籠めての結実をみた作物を、彼らにしてはさしたる馬力も発揮せず、片っ端から強奪して来たその報い。先年、天主との対峙が勃発し、本丸を堕としたほどもの凄絶な相討ちにて、一気に数を打ち減らされて以降は、その凋落ぶりもはなはだしくて。以前の権勢も専横跋扈も、今や見る影もないままに。各地で賞金首とされ、切り捨て御免という身にまで見做されているほどというから。まま、哀れと言えば哀れかも。

 「行こうか。」
 「…。(頷)」

 声を掛けた蓬髪の壮年だとて、掛けられた声へ頷いた紅衣の彼だとて。そも、直接の恨みのある相手でなし、降りかかりし殺気を振り払ったまでのこと。賞金稼ぎと賞金首という間柄であるから…というより以前に。侍であり続ける以上は、斬ると決めれば躊躇を挟まぬし、斬られることを恐れもしない。別段、彼らが異様なのではない。ほんの十数年ほど前までは、彼らに限らずのそりゃあ大多数の人々の間で、それが日常、それが常識であったのだ。

  ――― 人を人でなくした悪夢。

 あの長きにわたった戦さは既に終わって久しくて。関わった人々の大半が、あれは悪夢だったのだと葬りたがっている。そこはさながら地獄であり、人は心を麻痺させていて。敵対する陣営の者だというだけで、相手の命を屠ること、誰もが疑問に思わぬまま遂行していたそんな中。

 「…。」

 見事な手腕でそれを淡々とこなしつつも、それが人殺しに過ぎぬこと、忘れも誤魔化しも出来ぬまま、その心に深い暗渠を潜ませていた男がいて。そんな彼がもはや拭いされない血糊で身も心も染め尽くし、昏い双眸でしか人を見やれなくなっていた頃合いに。

 「…。」

 人らしい生き方を教えられるその前に、戦さ場では力のない者はどうなるか、その身へと振り下ろされし狂刀にて、文字通りの深々と、刻み込まれての始まりをみた少年が、敵陣である南の軍勢の中にいて。天賦の才があってのことか、信じられないほどの若さであの大戦へと参加し、しかも生き残った、生身の侍の斬艦刀乗り。

 「…。」

 誰にもその背を預けたことがなかったものか、必ず真正面から、向かい合ってでしか、人とは接しないという感があり。そこだけを見るなら、いかにも警戒心の強そうな、

  ―――誰にも心許さぬ孤高の侍。

 若いに似ず偏屈な、いやさ若いからこそ融通の利かぬ、そんな性分や気骨をした“人間嫌い”な男だと思っていたものが、

 『その点はとんでもなかったですよねぇ。』

 妙に懐かれた誰かさんが、くすぐったげな苦笑をしたほどだったのこそ、型に嵌まらぬ放埒さや奇矯さだったのかも知れず。そんな風に…馴染んでみてから判ったのが、論理
(ことわり)にがんじがらめになっている、堅苦しい求道者でもなく。どこかが奇矯には違いないが、なのに奔放にいたからこそ生き残れたクチだということ。型に嵌まらず、柔軟自在にこなしているそれが、無駄のない所作であるがゆえ、清冽にして鋭なる凛々しさとなっていや映える。あくまでも冷静で、感情を乗せぬことが、傍からは余裕と映り、機能美にまで昇華されている隙のなさが、殺伐とした必死懸命ではなく見えて。その颯爽とした態度が、桁外れの強さと相俟って、“美は善なり正義なり”の盲信を若いのに与えてもいたようだったほど。

 “まま確かに。”

 正道を根気よく進み、真っ直ぐ育んでこそ、何にも屈しない“強靭”を得られるのだと誰もが教える。穢れを孕んだ卑怯を見据え、怯まずあっさり畳める強さに、潔癖を夢見るのも、理屈としては間違っていないのだけれども。

  ―――恐らくこの青年は、正義よりも制覇や凌駕を優先して来たに違いなく。

 弱い者を嬲らないのは、正義感からのことではなくて。そんな下らないことをしたところで、自分を高めることへ全くの全然通じていないと判っているから。だから眸を向けもしないでいただけ。そんな意味のないことに比べればずんと真っ当に。強い者に触れては気を高ぶらせ、臨戦態勢に入ることで全身へくまなく行き渡らせて。生と死の端境に立つという、最も危険な賭けにしか関心はなく。容赦のない強さで煽りつけられた血潮の沸点が、瞬く間に引き下げられての凍るほど。そうまで強い対手との鍔ぜり合いにて得られるもの。今時にはもはや得難い格別な陶酔ででしか、自身の“生”を確かめられなくなっており。


  そして…だから。
  この当世にあって、いまだ侍であり続ける勘兵衛に魅せられた。


 何処ぞで夜明かしをするつもりでいたけれど、今の騒ぎで目が冴えたゆえ。黎明をやり過ごしての次の宿にて、早めに宿を訪のうて昼寝でもしようぞと、苦笑交じりにそうと取り決め、人の気配なぞないままな、ひっそりとした街道、黙々と歩みを進める二人であり。

 “…月。”

 ふと。綿毛のような前髪を透かし、ちらり見上げた今宵のそれは、妙に目映いなと眸を眇める久蔵で。

  ああ、そういえば。

 戦さのさなかにあっては、月も星も単なる物差しだったのに、そうではないと気づかせられたのは、この男に添うてからだ。
「………。」
「…どうした?」
 こちらの沈黙に彼への意識を拾ったか、少し先をゆく蓬髪の壮年が、肩越しに屈託のない視線をくれる。何でもないとかぶりを振りながら、それでも…胸に頬にじんわりと上って来る温みを感じる。
「…。」
 結局のところ、昔と大差無い日々を送っていると思う。遠い将来
(さき)に何かしら、望む末とやらがあるでなし、今日を何とか過ごせればいいと、明日につながれば重畳と、そんな歩みの積み重ね。それでも、この彼には大した進歩だ。誰ぞとの切り結びの瞬間という“刹那”にしか覚醒しないまま、あとはぼんやりと意識の深みに沈んだまま、空を想って過ごすばかりだった。そんな停滞の日々に比べれば、

  少なくとも明日を、何日か先を思うようになれた。
  誰かとともに“歩みたい”と、思うようになれた。

 周囲の色々の大半は、相変わらずに関心の外だが、それでも。たとえ斬り伏せたいという形ででも、彼を…その存在を意識に認め続けることで、静止していた世界は動き出し。彼を追ったその先で、世界はますますのこと彩りをおびての、懐っこい温かさで自分を迎えてくれた。体温を持った、人としての生き方、やっと始められたと思う。


  そしてそれは、
  この男、島田勘兵衛にも言えることであるのだそうで。


 その手で屠
(ほふ)って来た魂を、その背へ負えるだけ負って。消せぬ罪科として忘れぬからと、捨てることなくの連れ歩き。そうして“過去”とばかり向かい合って。生気に満ちた将来(さき)なぞ知らず。寄る辺なきまま風に水に流される病葉(わくらば)のように。意志なき亡骸、幽鬼のように、ただ黙々と あてどなく歩き続けるばかりであった彼だったものが、

 『勘兵衛様を捕まえるなど、
  到底、どこの誰にも出来ぬことと諦めておりましたが。』

 これでもう往生際の悪いことは言えません、いやさ言わせませんよと、勘兵衛を勘兵衛以上によく知る古女房が苦笑って言ったのを、生憎と久蔵は見てはいないのだけれども。

 『もう観念なさいませ。』

 あの小さな村から始まった、とある戦さのその間。思惟に耽りしその横顔、ただただ冥く沈んでいたものが。この自分が“捕まえた”と宣言してからというもの、打って変わっての積極的にも、こっちを向けと引っ張り回したその成果。死びとに構けてばかりも居られなくなってか、お顔に浮かぶ苦笑がやがては、温みのある微笑へと塗り変わるのに、さほどの時間もかからなくって。笑えば微笑い、拗ねれば困り。擦り寄れば撫ぜてくれるし、抱えてもくれて。

 “…そういや、まだ。”

 窘められたことはあるが怒られてはいないなと、今初めて気がついて。その“初めて”は いつやって来るのかと、妙なことへとほくそ笑む。

 「先程から妙に機嫌がいいようだが、一体いかがした。」
 「………何でもない。」

 先に仕掛けて来たのは向こうだとはいえ、人を斬ったことからの切り替えも鮮やかに、もう明日
(さき)のことを想ってたりし。侍としてのそういうところ、冷徹で罪深いところは、まるきり変わってはないけれど。確かに変わったところもあるとの、今更の覚えをその胸底へと温めてのこと。柔らかく微笑っての、ふりふりとかぶりを振れば、そうかと、深くは訊かずのやはり霞むような笑みが返って来。蒼月の降ろした淡い紗幕の中、風を追って何処までも歩いてゆこうぞと、二人の影が静かに寄り添い、淡々と辿る道すがら。夜露に濡れた名もなき野花が、見送るように揺れていた…。





  〜Fine〜  07.5.27.〜5.30.


  *ここのところ、斬った叩ったを描いてないなと思いましてね。
   たまには彼らの彼らたる由縁、お侍なところも描こうかと。
   ………あんまり迫力はなかったですかね。
(とほほん。)

めるふぉvv メールフォーム 置きましたvv **

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