妖冶胡蝶 花紅錦図 (お侍 習作57)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 醒めた色合いの障子を開け放てば、申し訳程度の坪庭が望める。さして栄えてもない宿場町の宿にしては、それなりの店構えを整えていただけはあり。湯殿も広々していたし、客室も…特別な払いが可能な客への、別棟離れが2つもあるほどの拵えはなかなかのもの。その昔は隣りの町が譜代様の居留地で、そこからのお殿様やら分限持ちのお大尽などが、風流にも身分をお隠しになられてのお忍びの旅などでこちらへ寄られたその折などに、せいぜいご贔屓にしていただいてのその名残りと。そんな離れへ案内してくれた女将が舌をしごいての自慢話を並べ立てていたけれど、
“…ふむ。”
 母屋はどうか知らないが、こちらは至って静かな佇まいであり、数寄を凝らした焼きものを配した違い棚に、床の間にはかなり高名な画家の掛け軸が下げられていて。確かに古いが家鳴りもしないところに手入れのよさが偲ばれ、成程自慢するだけはあるかなと。濡れ縁の向こう、今は月光がその葉をつややかに濡らしている椿の植え込みなんぞを、ごつりとしたくるぶしもあらわに、片膝立ててというぞんざいな座し方にて眺めやる。頭上にある月光だけで十分と、行灯も灯さぬままの青い闇に身を浸せば。時折、頬を撫でてゆく涼やかな風が吹き入るのが何とも心地よく。今の季節ならではの、瑞々しい青みを帯びた草いきれが、大きめにはだけた単
(ひとえ)の懐ろからも入り込み、火照った身も心もゆっくりと静めてくれるのがありがたくて。
“…いい風だ。”
 知らず、双眸を細めて小さく破顔する彼の背後。襖を開いても暗がりなままとなっている隣りの寝間には、年若い連れ合いが、他愛のない健やかさで身を伸ばしての屈託なく、すやすやと寝入っている。それは稚
(いとけな)くも無心な、警戒もないままの無防備な寝顔を晒して眠る君だけれど。ほんの少し前の狂態を思い起こせば、
「…。」
 ついついの苦笑が洩れもする。人はもとより風の音や月光なんぞもうっちゃって、自分へのみ構えという、ややもすれば強引な求めと裏腹に。閨房へと運べば一転して、たった一人の、それも情人が相手でも。乱れようを晒すのは恥だと思うか、ムキになって声をこらえる強情者。そんな初心なところもあっての可憐さと、気高いがための慣れぬ含羞みとが同居する、何とも言えぬ妖冶な蠱惑に捕まって、年甲斐もなく夢中になっている自分に気がつく。
“…。”
 伏せた手のひらへ向こうから吸いついてくるほどに、きめの細かい白い肌は。薄闇の中でもわずかな明るさをまといつけ、それほどには肉をつけない痩躯への陰影を柔らかくぼかし。男のそれとは思われぬ、隆起に乏しい胸板や背条のなめらかさを際立たせる。高々と穹を舞うほどもの跳躍力や、双刀を自在に操っては鋼の敵さえ無残にも斬り捨てる、類い希なる超振動の発現などなど。あれほどもの途轍もない身ごなしを支えるための筋骨は、十分備えてもいように。それらが信じ難いといつも思わせてやまぬほど、安穏な夜の中、勘兵衛の傍らに在るときの彼は、危うさと紙一重なまでの儚げな存在と化してしまう。
『…。』
 相手へ凭れ切る訳ではないながら、真っ向からの向かい合いを選ばず、温みや匂いを求めての擦り寄って。何かを問うように薄く開いた口許の柔らかさを眸で感じておれば、日頃は冷淡なまでの涼しさで切れ上がっている赤い双眸が、甘い熱情を浮かべてこちらを見上げ、焦れたように細められての誘いをかける。
『島田…。』
 つや消しなその呼び方を、改めさせようとしたことが無いではなかったが。意識しないままに求めての呼びようならば、ぎこちない名前呼びよりもいっそ情があって愛らしい。そうと思い直しての通させれば、思いの外 気にしていたものか、一気に絆
(ほだ)されてのこと、向こうから先に手へ腕へと触れてくるようになり。その所作からなかなか拭い去れぬたどたどしさは、だが、自身が男であるという矜持の最後の抵抗のようなものと思えば、むしろ愛しいまでの可愛げに映ってやまず。そうやっての少しずつ、覚束ない者同士が拙い手を取り合っての睦みは、甘くささやかな微熱から始まったはずだったが。今や、相手への“もっと”を互いに露わにするほどのそれへと、成り代わりつつあって。座したままにじり寄る相手の足元へと視線を落とし、しどけなくも踏みはだけられた裳裾から覗く、膝がしらの白さにそそられながらも。素知らぬ顔で枝垂れかかるを待つ狡さ、久々に堪能していたりする壮年殿だが、

  “………大人げないのは今更な話よの。”

 以前は、自分のことしか考えぬ、その場限りの情事しかこなさず、それを限りとしての、それ以上は踏み込ませぬような睦みしか嗜みはしなかった。また、それが通用するような、割り切り上手な大人しか相手にもしなかったものだったのに。そんな融通の利かない戦さ場から離れられぬ身となればなったで、やはり…こちらの負担にならぬよう それはよく心得ていた、副官で腹心の青年へ。我儘極まりなかったろう、一方的な同衾の相手をさせもした。常に傍らにいたから…というだけのものではなかったが、それでも、思い違いから不用意に踏み込んでは来ないところが面倒がなくていいなどと、非道なことを思わないではなかったとんでもない上官でもあって。あの頃合いに限っては、相手に恵まれたとしか言いようがない。そんな情交しか知らずこなさずだったはずが、
“…。”
 少しずつ、少しずつ。この自分が無くてはならぬ身となってゆく情人の、その溺れように気づいていながら。こちらからの歯止めをかけるつもりもないでいる、そんな変わりようが我ながら恐ろしい。

  『もう仕事はしまいか?』

 その腕を見込んで“欲しい”と口説き、ならば立ち会えとの求めへ“仕事が済んだら”と後回しにさせたその要求。百機以上の雷電や紅蜘蛛を率いる“本丸戦艦”相手の、苛烈にも程があるだろう大戦さという“仕事”に鳧がついたところで。次は自分の番だからと、約定を守って自分と向き合えと言い立てたそのくせ。待たされた分を取り返したいか、ずっと保留のままにした上で。その身を損なうなとだけ口やかましいものの、それまでは一歩離れてこちらを見ていたものが、ぐんと擦り寄っての寄り添うてくれるようになり。そして、

  『…もっと乱暴でもいい。』

 恋しい空へと翔け上がるための翼の代わりの双刀も、最低限の矜持の代用であろう衣紋も無残にも矧ぎ取られ。誰ぞに組み敷かれの、その両腕
(かいな)に包み込まれての制覇を受けるなど、これまでには思いも拠らぬことだった彼だろに。一つになりたいとの熱を欲したのへ応じてくれた相手から、愛しい愛しいとの狂おしいまでの求めを総身に得る至福を覚え、強烈な愉悦をその身へと徐々に染ませたその結果。自身の劣情が達するだけでは収まらず、もっと欲しいとの仄かな媚態を眼差しに見せて、向こうからもせがむようになったのを。心の何処かでほくそ笑む自分がいる。孤高の君の冴えた横顔も誇りであったし、その痩躯を鋭く捌いての、凛とした所作も気に入りだが、

 『何を望む?』
 『…。/////////』
 『ほれ、言うてみよ。』
 『〜〜〜。/////////』

 ねだり方を知らない、拙い自身に焦れての怒ってでもいるかのような顔をして。その実、熱っぽい眼差しからは、そんな激情とは裏腹にまざまざと潤み出す“求め”の気色がほとびてもいて。そんな気配を何となく察していながらもわざとに焦らし、ますますの固執を煽って見せる。まだまだ無垢も同然な唇を胸乳を押し潰すようにむさぼって、喜悦に善がってのしなやかに反り返るを愛でてのこと、細腰を薄い肩や背を砕けとばかりに抱きすくめ。どこもかしこも我がものと凌駕したくて堪らず、一夜のうちに幾度となく、我を忘れそうにもなるほどで。

 「…。」

 そんな自分への苦笑がふと零れたのは。こんな風に誰ぞへ執着し、離し難いと思っての下心に満ちた綾を、罠のように仕掛けるようになろうとは。これこそが“妄執”というものかと実感したせいに他ならず。禁忌的だの物静かだの、壮年の落ち着きを数え上げられるのが自分でも片腹痛い。

  “欲とはこうも果てしのないものか。”

 背後で立ったは布の音。寝返りの気配に気づき、肩越しに向背へと眸をやれば。白くて丸い、小さな肩が夜陰に浮かび。夜具の外、畳の上へと力なく投げ出された白い手の、単に無造作なばかりのその形が、
「…。」
 自分には何とも妖冶に映って、視線が外せぬようになるから始末が悪い。精悍な横顔を月光の青に染めたまま、じいと視線を向けておれば、

  「…かんべえ。」

 寝言なのか、それとも。睦みの名残り、甘やかな温み欲しやの求めの声か。甘く掠れた声へと誘われ、夜風を見切ると窓辺から立ち上がる壮年の身ごなしへ。群雲がかかり始めた蒼宵の月が、名残り惜しいと涙をそそぐ。



  少しずつ、少しずつ。
  この自分が無くてはならぬ身となってゆく情人の、
  その溺れように気づいていながら。
  こちらからの歯止めをかけるつもりもないでいる、
  そんな変わりようが我ながら恐ろしい。
  そして。
  自分もまた、既に…彼無くしては居られぬ身となり、
  浅ましくも溺れているに違いなく。
  人にはこんな修羅もあるものかと、
  まんまと取り込まれてしまった我が身の愚かさに、だが、
  滅ぼされるのは自分のみ、
  大した罪もなかろうとの苦笑が浮かび、胸が灼かれる………。






  〜Fine〜  07.6.12.


  *いやはや、お暑いですよねぇ、毎日。
   とうとうおツムもいかれたか、
   朝っぱらからこういうのをいじってみたりもする、
   腐女子だったりいたします。
(ほほほのほ〜vv)


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv **

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