赤い小鳥、青い小鳥 (お侍 習作61)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


峠の外れ、塚石の傍ら。
眼下の足元へと濃い影を落とす、
桐の木の高みに座って、所在なげに独りきり。
双頬くるみ込んでの頬杖などついて、
ぼんやり、空なぞ見上げている。
新緑の緑が目映い初夏の木立の中にあって、
深紅の衣紋は目立つはずだが、
消気の心得がよほどに上手いのか、
誰ひとり気づく者はなく。

 “まま、あのような頭上の高みに人が居ようとは。”

まずは思わぬことだろなとの苦笑をしつつ、
羽衣を失くした天女がお空恋しと消沈しているかのような、
そんなほっそりとしたお背
(せな)を、向背からしばし眺めやる。
人が嫌いということではなく、ただ、
接し方を知らないせいでか、あまり懐っこく構えはしない。
必要のないことは必要がないからと、
仕事が片付けば、もう用向きもなかろうと、
先にとっとと歩み出すことも多かりし君で。
御礼や挨拶といった諸々をあしらうのはすべて相方に任せての、
まったくもって気儘な若いの。

 「…っ。」

不意に“ぱたたた…っ”と、羽ばたきの音がして。
おやと小手をかざし、彼のその上、目映い空を透かし見やれば。
真っ青な空から滲み出して来たかのような、
瑠璃色の小鳥が宙に躍って、彼へと懐く。
赤と青と、軽やかな存在が二つ。
地上よりずんと高みで、見やるはどのような景色であることか。

  ――― 空の住人、か。

鳥は骨質がそれは“粗”なのだそうで。
空に浮くため少しでも身を軽くと特化して、そうなったということだが。
そういえば彼の青年は、
痩躯なというだけに留まらぬくらいにその身が軽い。
膝の上へと乗り上がって来るときも、
閨房へと抱え上げての誘
(いざな)うときも、
この年寄りが楽々抱えて持ち去れるほどであり。
どれほどの妄執にて搦め取ったるつもりでも、
迂闊に構えておれば、いつだって飛び去れる相手なのだと、ふと思う。

 「…。」

翼の代わりに金の冠が、青空の中、頭上に煌く。
風に空に、愛されている、真っ赤な胡蝶。
孤高に身を置き、それが絵になる軽やかさ。
ほっそりとした背中は、
人ならぬ存在にいつだって戻れると、
そうと告げているかのようで。

 “…それは困る。”

手放してなるものかと思う、そんな自らの業にこそ、
苦々しくも笑みが浮かんでならぬ、壮年殿だったりするのである。





  ◇  ◇  ◇



どうにも我慢がならなくてのつい、
連れを置き去りにして先に発ってしまったのは、
独りになりたかった訳でもなければ、煩わしさだけが原因なのでもなく。

 「…。」

勘兵衛だとて、あの七郎次がそれは案じていた“人嫌い”のはずだのに。
それでも一応は、部下を束ねていた地位にあっただけのことはあり、
人あしらいにも長けてはいるし、
処世術も一通り、身につけていての卒がなく。

 “そういうのだけじゃない。”

眼窩も深くて彫高く、どちらかと言えば精悍。
着痩せして見えるが、肩も胸板も雄々しく厚く。
刀をかざして見劣りのせぬ、野趣に満ちたる風貌をしているにも関わらず。
それが不思議と…端然と構えれば、物静かな佇まいにも調和して。
深色の蓬髪も、顎に蓄えた濃い髭も、
あれだけの男ぶりには、さりげない威容を加えるばかり。
思惟にふけっての横顔は端正で、
言葉少なな言いようでも、
少し枯れての、だが、深みのある響きが何とも言えぬ、
あの声で紡がれたなら、
誰だとて聞かずにはおれなかろうし。
さしたる論を弄さずとも、十分に場を収めての、
結果、多くの人々からその人性を慕われる。
勿論のこと、口先だけの男ではなく、
誓った約定は必ず果たすし、
その誠実で真摯な想いを体言させた鋭い眼差しは、
濃色を含んでの揺るがずに強く。

 “…俺のものだのに。”

早い話が、彼が人に慕われれば慕われるだけ、
その分、独り占め出来ぬのが歯痒くてしようがない。
あの大きな手も、精悍な匂いも、
頬や肌にこぼれて来て触れるとくすぐったい蓬髪も。
少し堅いが、低められると甘く掠れるあの声も、
伏し目がちになると案外濃い陰を頬の縁へと落とすまつげも。
懐ろの温かさも、隆と筋骨の張った胸板や背中も。
脇から腕を回してしがみつくと、
手の収まりがいい、かいがら骨のところとか。
自分が乗り上がっても余裕で受け止められる腿や膝、
ごつり骨張ったくるぶしも。

 「…。」

どこもそこも愛惜しく、そこもここも自分のなのに。
それを思うと歯痒くて、でも。

 「…。」

ああでも、それに引き換えられるものが自分にはない。
髪から立つは椿油の香りであって、これという匂いもしないし、
指先も頬も冷たくて、肩は尖って薄く。
ならばと逆を探しても、やわらかいところなんて何処にもないし。
小さな子供へも悋気立ってしまうほど、心の尋も足りなくて。

 「…。」

そのうちいつか、愛想を尽かされるかもしれないと、
そんな自分につい焦れる。

 「久蔵。」

不意な声がし、それへと思わず背中が伸びて。
肩先にいたヒタキが驚いたか、
慌てて飛び立った羽ばたきの先が、軽く頬を掠めていって。

 「降りて来ぬか。」

肩越しに振り返れば、眼下の街道、白い衣紋の彼がいる。
背条のしっかと伸びた立ち姿は、
小さな迷子を探しに来た大人のようでもあり。
だが、

 「…。」

ひらり、降り立っての間近へ寄れば。
和んだ眼差しに滲むは、やわらかな稚気に染まった笑みであり。
まったくお主は、面倒ごとをすべて儂へと押し付けおってと、
青年の調子のいい逐電を、叱っているやら褒めているやら。

 「…。」

そんな壮年の声を聞き流し、
久蔵の白い手が伸びて…首もとの深みへと吸い込まれる。
防具も兼ねた堅い生地が立っている襟の中、
ひやりと冷たい指が、熱い肌へと触れて。
見なくとも判る古傷の上をゆっくりとなぞる。

 「…?」
 「俺には何もない。」
 「…久蔵?」

これとの対の傷も、
鏡で探して辛うじて判るほどに、もはや消えかけている。

 「温みも安らぎも、頼もしさも何も。」
 「…。」
 「俺には何もないのが、歯痒い。」

何も持たずに、狭き孤高の淵に立っていた。
あの頃はそれで何の不満もなかった。
身を絞るほどの餓
(かつ)えさえ、なお翔るためのバネになったから。
だが今は、そんな自分が切なくてたまらない。
この男に去られても、文句の言えない身であることが、
切なくて歯痒くてたまらない。

 「…。」

厚みのある肩へ手を載せ、その上へ額を押し当てる。
欲しい欲しいと言うばかりの自分。
駄々ばかりこねている自分。
だって、何も持ってない。
持ち合わせられる奥行きすらない。

 「…。」

何も求めぬのではなく、求めるものがないから。
だから、叱りもしないで、
あやしに回るばかりな勘兵衛なのではなかろうかと。
それに気づいてしまってからは、
まともに眸さえ合わせられないでいる久蔵で。

 “…成程の。”

そうまで想われていようとはと、擽ったいやら…面映ゆいやら。
たで食う虫も好き好きとは言うが、

 “買いかぶりにも限度があろう。”

呆れつつも…捨てては置けぬ。
辛かろうにと、血の気の薄い横顔を覗き込んでやっての…さて。

 「何か増えられては困るな。」
 「………?」

ふむと、わざとらしくも顎に手をやり、
鹿爪らしい渋面を作って。
深刻そうな顔になる勘兵衛であり。

 「困る?」
 「ああ。困るぞ。」

虚を突かれてのことだろう、
憂いの陰さえ忘れての、無垢なお顔が上がったのへと笑いかけ、

 「いま以上に艶や蠱惑を増されては、寄って来る輩も増えようからの。」
 「?」
 「そうなっては、それこそ気が気ではなくなる。」

頼むから思い直しておくれと、
お願いするように、宥めるように。
柔らかな金の綿毛を、紅衣につつまれた細い肩を、
手套のない手でよしよしと、
梳いてくれる撫でてくれる大きな手の温かさに
ついつい陶然としていたものの。

 「………。/////////

何だか途轍もない惚気を、面と向かって言われたような。
こんな往来で、それも陽の高いうちから何を言い出すものやらと、

 “これだから壮年は。”

デリカシーも臆面もないというのだと、
口が達者なら言ってやれたのに。
実際は…ただただ頬を赤くして、せめてとお顔を隠すだけ。
相変わらずのお二人ですよと、
頭上の梢から覗き込んでた小さなヒタキ、
楽しそうに“チキチキチキキ…”と囀ってから、どこぞの里へと飛んでった。
正青のお空が眩しい、初夏のある日の昼下がり………。





  〜Fine〜  07.6.24.


  *真面目な話や堅い話を書くと、
   どういう反動か、
   無性に甘いラブラブなお話が書きたくなります。
(苦笑)

  *背景にお借りしましたのは、ルリビタキという小鳥ございまして。
   いつぞや、久蔵さんが口笛で呼んだのがこの子です。
   らぴゅたにもアルプスの少女ハイジにも、
   ポイントとなる場面での小鳥といえば…と登場していたので、
   結構メジャーな鳥でもあるようですね。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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