暁烏連理紅薊 (お侍 習作66)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 “…気のせい、でしょうかねぇ。”

てんでバラバラ、
得手もタイプもそれぞれに大きく違っての、
個性的なお侍様たちが集まったようではあるけれど。
カンベエ様とキュウゾウ殿と、
片やは経験を積み上げての実直老獪、
片やは天才肌で感覚が鋭たる鬼才…に見えての実は、

 “似たようなところが多かりしと見えるのは、
  アタシだけなんでしょうかねぇ。”

どこがどうとは形にならぬ部分での話ゆえ、
そんな曖昧な感触の話、
無為なこととてそうそう口にはしませんでしたが。


存在感があって押し出しが重厚、
人から頼られる人徳をたたえておいでなその根拠、
軍師として思慮深くも慎重に見える勘兵衛様でありながら、
その実、ここぞというときの英断と行動力には、
いつまで経とうが曇りを見せぬお人でもあって。
泣いて馬謖
(ばしゃく)を斬る…どころではない、
場合によっては親でも妻でも戦友でも斬ることを厭わぬという、
鬼神のような覚悟も健在。
血も涙も情けも持たぬというお人ではないながら、

 ―― そうでいてこそ“サムライ”だから、と。

出来ぬ者の苦悩・煩悶の肩代わり。
人道外れる“人斬り”の、罪も痛みも負うのが侍と、
大戦中からの悲しい罪と性
(さが)を負ったまま、
それでも歩き続ける強くて哀しいお人。


そして…片や、
恐らくはある意味で究極の“英才教育”でもあったろう、
戦うことしか知らぬまま育った久蔵殿には。
迷いを捨ててそうなったのではなく、
最初からの基礎設定として、それが備わっておいでだったから。

 ―― これほどに同調率の高い方々もおるまいて。

侍というもの、善くも悪くも究極の形にて体言出来てたお二人で。
思うところや方向が似ていればこそ、相手の思惑にも反応は早く、
理解してのことだから抵抗もないまま行動に移せるというもの。
その行く手を塞ぐ者らを薙ぎ払い、
かかる火の粉を打ち払っての平らげて、
露払いという“補佐”を任されたアタシとは違い。
背中を任せ合える者同士で、攻勢をのみ繰り出す、
阿修羅のごとき破壊力の降臨を実現出来ようこと間違いなく。

  ただ…。

異なるは人生経験の長さと、よって持ち得る蓄積の差であり。
例えば、凄絶苛酷な対処へと手を染めるとき、
それが最善の英断だと判ってはいても、
同時に無慈悲なことだと重々知っておいでの勘兵衛様と、
そんな二面性を持つとは判らぬまんまだった久蔵殿と。

  そこだけが、唯一にして極端だろう差異でありましたから。

お二人だけの道行きをと発ってゆかれることとなった折、
それへとご自身たちがお気づきになって…果たして。
どう咬み合うものか、どう理解し合えるか、
そこがアタシには心配で心配で仕方がなかったものでした。








          




 望月より降り落ちる青い光がしたたっての綺羅らかに、ぬらぬらと水を流したかのようにその面
(おもて)を濡らすは研ぎ澄まされた刃の切っ先。あまり踏み固められてはいないらしき足元では、漆黒の闇と同化した茂みの陰で、湿った砂利が沓の踵を咬んでは、踏み込むたびに濡れた音を喧しくも蹴立てる。頭上を覆う梢の天蓋のせいで、冴えた煌月の光はまだらに世界を塗りたくり。あまり視界が良いとは言えない木立の中、ざくざくという足元からの響きが不規則に入り乱れるのへ、更に感覚を掻き回されて調子を狂わしでもしたか、
「こなくそが…っ!」
 捨て鉢になっての単なる棒振り、力任せのような何ともいい加減な間合いと勢いにて。太刀を振り下ろして来たその切っ先を、こちらは至って冷静に、かつりと弾いて脇へと逸れさせ、
「わぁっ。」
 全力を巧妙に逃がされたことで失速し、無様にもたたらを踏んでの勢い込んで突っ込んで来た男の上背。刀を握り込んだ腕は両方とも、先に振り抜けて先行しているがため、滑稽なくらいに全くの無防備な状態になっており。そんな手合いに真横を通過させながら、手元でくるりと逆手に持ち替えた太刀の切っ先を容赦なく突き立ててやる。

 “この程度の腕で…。”

 驕って言うのではなくの、ごくごく冷静な物差しで測っても。下手に振れば怪我する真剣を、手にするのさえまだ早いのではなかろうかと思いたくなるような。我流にも程がある稚拙な者共だというのは、その物腰だけですぐに判った勘兵衛であり。

  『褐白金紅のお二方とお見受けする。』

 機敏で足取りも速い、侍二人の道行きなれば。少し欲張っての距離を稼いだ旅程の途中。もう少しほどで一つ飛ばした次の宿場に着こうという間合いの、宵の口の人通りのない街道に。望月を背に負うて現れたは、一応は両手で足らない頭数の一団で。どの顔にもこちらからの見覚えはないが、それなり夜盗ばたらきを重ねた“悪党”との自覚もある手合いであるのだろう不貞々々しさであり。そんな程度の認識しかないほどの相手で、しかも鉢合わせたというよりも向こうからの待ち伏せだ。なればこそ、斬り合う場はいかようにも選べたろうに。見通しのいい街道から、わざわざこんなまで狭苦しい木立の中へと切り結びの場を移すとは。鴨居や柱が居並んでの障害物だらけなら、腕を上げただけで刀の先が閊えそうな天井もある、そんな座敷の中へとわざわざ飛び込んで、大勢を相手に抜刀するのと同じほど愚かな真似であり、
“そんなにも迂闊なのか?”
 得物が大太刀ならば、むしろ避ける展開ではなかろうか。それとも何かしら罠が待ち受けるところへと誘
(いざな)うつもりの段取りか。確かにこの木立へと踏み込んだ途端、相手の気配が多少は増えた。伏せられていた陣営がいたらしく、
「がぁあっ!」
 獣じみた咆哮で気勢を上げて突っ込んでくるは、結構場慣れしているらしく、振るう剣にも粘りのある顔触れで、
「…うぬ。」
 一方的に斬られるばかりの弱い農民ばかりが相手となろう、小さな集落を襲うばかりでなく。それなりの用心棒をねじ伏せるような仕事もこなした上での、多少ならずとも腕へ自信があっての挑発か。そこで身につけし、窮屈な場でも自在に刀を制御出来る技をもて、こんな場を選んだ彼らであったのだとしても、

 “舐められたか、それとも。”

 彼らは知らぬのだろうか。先の大戦にて鋼の甲板さえ一刀両断したのが侍だということを。闇の中に鋭い風籟が唸りを上げ、銀の動線が走り抜け。夜陰さえ引き裂いての剣撃が夜気を翔る。

 「ぎゃあっ。」
 「な…なん、で…。」

 その切っ先が触れもせで。重なり合って立っていた夜盗が同時に倒れ伏し、一体何が自分の脾腹を裂いたのかも判らぬままに息絶える。侍の“間合い”は、刀の長さや腕の長さ、上背などとは関係がないのだと。そんな基本さえまるで知らない、刀に関しては素人の集まりに過ぎぬのに。それがどうして、明らかに侍であるこの二人へと、挑みかかろうなどと思ったのか。

 「…。」

 少しばかり離れたところでは、やはり夜気の中へ冴え冴えと放たれたのだろう、相方の刀の気配を感じる。金髪白面。その輪郭が闇に馴染んだ紅衣をまとい、剛腕とは到底見えぬ、若木のようにすらりとした体躯の青年の、だが比類するものがそうは無きほど凄まじいその剣勢に、

 「ぐあっ!」

 為すすべなくも倒れ伏し、そうなってもなお、信じられぬとの無念にも眸を剥いて絶命する手合いの何とも多かりしことか。しなう痩躯のどこに潜む力なのやら、双刀を振るえば翼を得たも同然の、縦横無尽にその身は翔る。どこへどう逃げても、何人がかりでどんな盾の陰に隠れようと。足元までという長い衣紋の裾を、深い切り込みから大胆にも蹴りはだけ。風を撒いての素早さで宙を飛び、軽やかに梢を渡っての追いついて。その手になる一対の双刀は、自在に角度を縫っての宙を裂き、獲物の喉笛・脾腹の深きを容赦なくの抉って引き裂く態こそ、正しく魔物の牙爪の如くの凄まじさであり、

 「あんな手飼いの獣がいるなら、さぞや気も大きゅう構えていられような。」

 顎から頬から髭の剃り跡が陰のように青々しい、何とも憎々しい面構えの男が、そんな言いようを壮年へとぶち投げる。
「飼ってなどおらぬのだがの。」
 そんな言いよう、あやつの耳へと入ったならば、それこそ儂が止めても聞かぬまま、瞬殺で八つ裂きにされかねぬにと。そんなことをば危ぶんで、ついの苦笑が滲み出たその間合い、

  ――― 妙に均衡の悪い刀だなと思っていたそれが、
       不自然な伸び方をしての手元へと触れて、そのまま去って。

 いつからか、そう、久蔵が嫌がり続けたのに根負けしてのこと。極寒の地で以外は外して久しい、手套のない手の甲へ。冷たい切っ先が、瞬間触れてのすぐに退いた。切りつけるでもない、ただ触れただけという感触へ、一体何をしたのだろうかと不審に思ったと同時。その手が表面から一気に痺れて、止める間もなくという勢いで、その疼痛が腕を駆け登る。

  「おっと、動くと毒の回りも早まるぜ?」

 せせら笑いが遠のいて、相手が逃げを打ったのが判ったが、追いかけようにも体に力が入らない。

  “…そうか、そうであったのか。”

 大振りをする必要はないのだ。刀の切っ先を深々と突き立てずともいい、肉を引き裂かずともいい。刃で肌を裂いて引っ掻くだけでも十分だから。それでと、こんな難儀な場所へと引っ張り込んだに違いない。あやつの得手は…毒刃。

 「島田っ!」

 よほどに判りやすい、無様な態を晒しているのだろう。久蔵の案じるような短い声が聞こえたが、その方向が掴めない。強烈な目眩と体内から燃え出したような発熱に、すぐにも立っていられぬようになり。膝が落ちての倒れ込みかけたところ、すぐ傍らにあった木の幹が肩へと触れたのに気づき、そこへ身を預けて、何とか凭れ掛かるまでに持ちこたえる。とはいえ、身動きが取れぬ状態であるのは変わりなく。
「天下の凄腕も、そうなっちまうと ざまぁねぇな。」
 お頭
(かしら)が打ち損じたこたぁねぇんだと、我が手柄のようにからからと笑い。肘から上げての高々と、大きく振りかぶった大太刀を、嘲笑と共にこちらの頭上へと叩きつけかかった坊主頭の大男。もはや手も足も出ない相手だと思ったらしかったが、

 「……。」

 眉を寄せたは絶望から来る苦痛を乗せてのことではなくて。握っているのがやっとの太刀の切っ先を、せめての楯としてか真っ直ぐのままかざしたそこへ、真っ向から落ちて来た相手の刀の刃が近づいたか…と思われた次の瞬間に、

 「な…っ?!」

 幅広な蛮刀が何もない空間で弾き飛ばされ、柄を握っていた男が大仰にのけ反っての背後へと吹き飛ばされた。
「何を抜けたことぉしてやがんだ。」
「バッカじゃね?」
 間違えて幹でも叩いたかと、仲間の無様さ加減を嘲笑した面々が、だが、闇溜まりへ仰のけに倒れ込んだその大男を見てぎょっとする。既に眸を剥いて気絶していて、もしかすると絶命しているかも知れなかったからで。間近に居合わせた面子にそうと感じた根拠はただ一つ。その手に柄しか残らぬ彼の得物。小柄
(こづか)のように細長く裂けた蛮刀の破片が何本も、その晒されていた額へと突き立っていたからだ。
「どういうこった、こりゃ…。」
 頭目の得手、毒を塗った刃にやられ、動けなくなっているはずの相手だのに。力自慢の入道坊主の蛮刀を弾き返しの粉砕出来ただなんて、一体誰が信じようか。

 「こいつ、よもや妖術使いか?」
 「何を馬鹿なことをっ。」
 「だがっ!」

 ちょうど月光が振り落ちる“泉”のような場にうずくまる壮年であり、煌月の蒼が重なることで醒めた色に染め変えられた白衣紋をまとった姿は、誰の目にも隠れようがなくの晒されていて。俯きかかった顔へ長い蓬髪が落ちかかり、彫の深い面差しになおの妖しき陰影を隈取っている態はただただ苦しげ。呼吸が荒くなっていて、体の内部からという手のつけられぬ侵略に耐え兼ねて、動けぬばかりとしか見えぬのに、

  ――― きぃいぃぃ………んん、と

 どこからともなく響き来る、不吉な金属音がそういえば、長々と尾を引いての鳴り続けており。
「おい、何か聞こえねぇか。」
「ああ。」
「俺らの刀、震えてねぇか?」
「馬鹿言うな、そんな腑抜けたこたぁ…。」
 言い返しかかった男の声が止まったのは、怯けての震えじゃあなく、何にか共鳴でもしているかのように、その手に握った刀がブルブルと勝手に震えていることに気がついたから。安物の刀は刃の薄いところから、ぴきりぴちりと薄氷を踏んだようにひびが走るほどの威力で。どこからか放たれている振動が彼らの手元を震わせている。
「なっ、なんだこりゃあっ!」
「ほれ見ろ、やっぱりこいつ、魔物か悪魔なんだよぉっ。」
 急に及び腰になっての遠巻きに退いた面々をうっそりと見やり、

 「………。」

 さて、どこまで保つものかと。勘兵衛自身にも測れぬものながら、気力だけでも張っての起こした超振動。刀身に映った煌月の真円が、気を抜けば霞みそうになるのへと、
“誰ぞに看取られぬ終わりも覚悟してはいたが。”
 死と隣り合わせになることへは今更動じもしない。粘れるだけ粘るつもりという気概にも変わりはなかったが。ほんの間近に、最愛の連れ合いがいるのにと思えば、それが少々皮肉なことよと、ついの苦笑が洩れた壮年殿だった。そして、





            ◇



 「…待てっ。」

 逃げを打った頭目の背へ、乾いた声が端と放られる。戦いの最中に、無駄な口利きや恫喝は滅多にしない久蔵だったが、今は途轍もなく気が急いていて。後ろ髪引かれるとは正にこのこと、いっそこの身が二つに裂ければなどと馬鹿げたことをさえ思ったほどで。今の勘兵衛から遠ざかるのは、全くの全然 本意ではなかったが、彼を救いたいならそんな甘えたことへと眸が眩んでいる場合ではないと、何とか冴えたままだった理性が残っていて、動揺に重く沈み込みそうになる尻腰を急かして揺さ振っての追跡であり。声ででも引き留められたならと、そうと躍起になったがための恫喝だったが、そんなもので素直に止まってくれたら苦労はない。ただ、
「へっ。」
 余裕からか鼻先で嘲笑した青髭男、周辺の木立や梢がその尋では閊えての邪魔になるからと、こちらは大刀を侭に使いかねていると思ったならば、それは大きな誤算であって。

  ――― 哈っ!

 裂帛の気合い一閃、どんっと背後に弾けた何かしら。火薬でも爆破させたのかと思ったほどの、急激な突風が生じての我が身へ迫って突き飛ばし、
「わぁっ!」
 たまらず声が出たほどの勢いで駆け抜けた突風は、細かい石やら枝の切れ端やらを撒いてもおり。それらががつごつ当たった揚げ句、風本体の圧に突き飛ばされてのたたらを踏んで。前にのめったそのまんま、足元がもつれて地面へ転げる。湿った砂利に突いた手の周辺、いやに青々と光ってる地面だなと思い。それから…はっとして大慌てで振り返って頭上を仰げば。
「あ…。」
 ぽっかりと。天蓋がなくなっていて、夜空がすっかり望めるではないか。
「まさか…。」
 ここいらの土地勘は完璧で、ここはまだ鬱蒼と茂った木々に天からの視線を遮られていた、林のただ中だったはずなのに。彼へ有利だったはずの地の利をねじ伏せたは、追っ手だった若い侍の放った鋭い剣撃一閃。噂には聞いていたが実際に見たことはない、侍のみが振るえる奥義“超振動”とやらを孕ませた一撃にて、刀の本身が、いやさ、その剣圧が届くを幸い、片っ端から弾き飛ばして障害物を除いた彼であるらしく。小山のような鬼が大きな爪でごっそりと、林の一角を全部もぎ取って行ったかのような惨状が、自分へと迫る…こんな痩せた男の振るった、刀の一閃だけで齎されたものだなんて。

  「な、何て奴…。」

 これこそが、侍の刀技における究極の奥義。

  ――― 呀っっ!!

 気を呑んでの深々と、体内に練り上げしは生気の波動。ちゃくらの螺旋を縦につないで、双手から刀へと帯びさせての発するは、超振動という名の活性覇力。自身へも死を覚悟しての、命という重いものの価値と意味とを知れば自づと開眼の機会が降臨したまう。侍にしか操れぬ必殺の剣。

 「ひ、ひいぃいぃぃぃっっっ!」

 串のようにも細い峰を、月光に蒼々と濡らしての双手へ構え、煌月を背に負った痩躯はさながら、人に非ざる魔性の存在。白銀に見えるほど色みの褪めた金髪を冠した白面を凍らせたまま、ずいと近寄った男がその手を動かし、
「うあぁぁっ!」
 咄嗟に払った刀が当たって、だが、そのまま手が異様に痺れてしまい、持っていられなくなる。拵えに凝ったところはなく、ただ、刃に薬が伝いやすいようにと、普通は峰近くへ刻まれた血糊を通す溝が、刃に近いところにもあって。そこが怪しい緑に濁っている、扱うときに特別な注意の要る刀ではあるのだが。それが…取り落としたはずなのに、勝手に宙を舞い、くるりと回ってから白い手へと握られている。さては切っ先をぶつけたことからそれも既に算段のうちであったか、足元には転がらずの取り上げられた格好になった毒刀であり、
「…。」
 仕組みが判らないのか、まじまじと紅い眸が眺め回していたのも瞬刻。手慣れた捌きようにてくるりと切っ先を回して見せると逆手に握り、そのままその腕が振り下ろされたから…。

 「ぎゃあっ!」

 瀕死の人間はどんな馬鹿力でも出せるものなのか。胸板へと振り落ちて来た自分の得物、これまた咄嗟に出した手で鍔と柄を何とか掴んでの宙で押し留め、押し込もうとする相手との力の押し合いになった。
「くっ!」
 この痩躯でありながら、やはりとんでもない膂力の持ち主であるらしく。相手は片手、こっちは双手で、しかも必死の全力だというのに、なかなか均衡は破られなかったが、足元をばたつかせると、どこかを蹴りでもしたものか一瞬怯んで相手の力が萎えた。その隙をついての、恰好なんて気にも留めずの無様にも、相手を突き飛ばしてのじたばたと、砂利を蹴立てて立ち上がり、ああ、ああと胸元をしゃにむに掻き毟る。その胸倉深くへ、一瞬ながら ちりりという痛みが走ったからで。深々と刺されることは免れたが、探った懐ろには間違いのない血の吹き出しがべったりとあふれている以上、
「…ちっ。」
 選りにも選って、自分の得物に切られてしまった。必死に掴み止めた手へも傷は負っていたらしく、早くも腕が震え出したのへと焦りつつ、それでも腹帯をまさぐると、そこから掴み出したは2つの小瓶。コルクの栓をされた内の一方を、月にかざして確かめてからポイと捨て、もう一方を同じように確かめての栓を抜きかかるのへ、

  ――― ぐい、と。

 横合いからの手が伸びて、それはあっさりと小瓶を奪い取っている。
「何を…っ。」
 しやがんだと不平を上げかけた声が止まり、鼻先には…先程のどさくさに放り捨てた毒刀の切っ先がひたりと触れていて。
「毒を扱う者は必ず、解毒剤も持っているもの。」
「な…っ。」
 刀を突き付けての脅しても、素直には教えまいと最初から読んでのこと。こうまで鮮やかな一連の手管をやりおおせ、その手へ掴んだ解毒剤という訳で、

 「〜〜〜〜〜っ!」

 いかにも口惜しげに歯咬みしかかった青髭だったが、たちまち瘧
(おこり)のような震えに襲われ、
「た、頼むっ。それを一口分けてくれっ。」
 あぐあぐと口をも震えさせての懇願を投げて来たところから察するに。随分と即効性の毒薬であったらしい。
「…。」
 こうしてはおれんとばかり、踵を返すと向背を顧みることもなくの一直線に、元居た辺りへ戻ろうと、宙へとその身を溶かした久蔵であり、
「あ…。」
 もうすっかりとその視野にもない身とされた青髭の頭目は、延ばした腕で空しくも宙を掻き毟り、何も残らなかった略奪の人生を、しかも自分の得手でもって摘み取られ、こんな野辺にて月にだけ見取られて、終えることとなってしまったのだった。







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