紅胡蝶蜜夜睦 (お侍 習作75)

      〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


そこに臥せてのいっとう間近い畳の香よりも、
なお色濃く匂うは、濡れ縁の向こうの潮の香り。
随分前に熟陽も落ちた晩夏の宵は、
残照の余韻が満ちてか、仄かに明るいままで。
痛いほど熱い白砂の上、和子らが戯れていた浜も今は静か。
凪いだ磯からは潮騒の囁きと、夏の名残りの甘い風。
部屋を満たす潮の香は、鉄にも汗にも似ているが、
自分たちだと血の匂いしか連想出来ず、
そんな荒
(すさ)んだ性分(たち)に自嘲の苦笑がつい洩れる。

 “…。”

海辺の町の安宿の離れ。
薄闇の中、白い夜具や衾の輪郭が幻のように浮かんでいて。
そこへと組み伏せられている久蔵の、
ほんの鼻先、赤い眼のすぐの間近に、愛しい男の不敵な顔がある。
腕をついての加減をし、のしかかるまでには至らぬが、
やに下がって ゆるむでなし、あくまでも精悍なまま、
強いて言えば、捕らえた獲物をどう楽しもうかと、
舌なめずりでもしているかのような。
猛々しい男臭さの中に、軽やかな稚気の仄かに滲む、
冷酷ゆえに愉しげな、そんな貌
(かお)
昏い眸の深色が、気のせいか暖かみを帯びており、
吸い込まれるようになっての不覚にも、視線が外せないでいる久蔵で。

 「…。」

これ以上の無防備はない体勢。
夜着の代わりの小袖の衿元、乱されてのくつろげられて。
半裸に剥かれての組み敷かれ、得物の双刀も此処からは遠い。
それでも…何となれば、相手の肩なり首なりを、
ねじ切り折ることも出来はする身だが、
そんなつもりは毛頭なくて。

 “柔順であるつもりもないのだが”

のしかかる相手の体の重みと熱さに、
刀を向け合うのとはまた別の、
気の高揚にひたっての、口許についつい笑みが浮かぶ。

 「余裕だの。」

微笑を見とがめてか、そんな囁きがして。
うなじへと差し入れられた大きな手が、そおとこちらの頭を浮かさせ、
ゆるり、近づく眼差しがかすかに伏せられて。

 “ああ。”

この刹那が好きだ。
誘われるように、こちらもつい、まぶた降ろしてしまうけれど。

 「…ん。」

浅く深く口づけて、それから。
熱い吐息、首元へと感じて。
まるで獣の逞しいあぎとに喰いつかれているようで、
くらくらと目眩いが襲い、肌の下で血が泡立つ。
思わずのこと、夜着の裳裾を踏みはだけ、
現れた膝を立て、内股でするり、
相手の腰を撫で上げて挑発すれば。
お?と 瞠目した勘兵衛が、そのままくつくつと低く苦笑し、
誘われるまま、晒された脚の線を愛でるよに、
手のひらを添わせての、ざらりと這わせるから。

 「…っ。」
 「いかがした?」

そんな悪戯への報復にと、
目の前に来ていた蓬髪、指にからめて引いて遊べば、
相手の笑みがますます深まって、肩が揺れるのがこちらへも愛おしい。
きっと細められた目尻にしわを刻んで、
それは屈託のない笑みを浮かべているに違いなく。
見えないのが癪だから、せめてと、
いつもの繰り言、今宵もまた繰り返す。

 「…俺が、欲しいか?」
 「ああ。」

あの大戦の半ばから、誰を求めることもなくいた男。
何をか すっかりと諦めての、
死びととの関わりにばかり向き合って。
あまたの求めも振り切り、様々な想いを全て遠ざけ、
ただただ、死と隣り合う暗渠に身を沈めていた男。
そんな彼が、この自分を“欲しい”と言う。
喉奥鳴らして、飢えての餓
(かつ)え、
口唇めくり、牙剥いて。
これっぽちの痩躯を抱いて、
深々とその牙 突き立てたそこから、
甘い潜熱、分けてくれようとする。

 「手を…。」
 「んん?」
 「手を。」

言葉少なな恋人の、だからこそ希少なそれと思うてか。
年上の情人、睦みの手を止め、
我儘な甘えをいつだって聞いてくれる。
腋下から広い背へと双腕
(かいな)を回し、
かいがら骨の下に手を伏せて、広い懐ろの奥へ深々と。
そのまま一つになりたいかのよに、
互いの刻む拍動を聞きながら、しっかと抱き合うささやかな儀式。

 「重うはないか?」
 「…。(否)」

むしろ、心地がいいと、
だが、そこまではわざわざ言ってやらない。
言わずとも判っていよう、壮年だろうから。

 「…。」

刀を操るは人を斬ること、すなわち“死”にしか直結しておらず。
なのに、そんな破滅へ血が騒ぐ因業を、
忌まわしき性
(さが)を捨て切れず。
(うと)んじながらも持て余していた、

  ―― そんな流浪の中、
     まったくの同じ存在を見つけたは、
     僥倖か奇縁か、それとも宿縁というものか。

同じどころかそれしか知らぬ、負の無垢にあった紅の魂は。
天穹を翔る身にはそれでよしと、
情を知らず、熱を知らず。
血が騒げばその熱を冷ますため、羽ばたいて血刀を振るい、
正に“死神”であれとされ。
戦が終わったその途端、翼をもがれ、
機巧侍たちと同じく、居場所を失い、地に堕とされて。

 『…お主、侍か?』

片や、自ら幽鬼と化したこの彼と出会うまで、
時を止めてのやはり、停滞の縁へと身を沈めていた。
似た者同士の互いを認めて、
だが、屠
(ほふ)ってしまうは惜しくて、手をつかね。
そのまま…今に至っている訳で。

無形の希望も遠い夢もいまだに知らないが、
とりあえずは、この男がいればいい。
触れてくれる、睦みをくれる。
熱を燠し、情を揺るがし、
人としての温みをくれる。


  ――― 俺が欲しいか? なあ。
       ああ、欲しいぞ。


温かな声が この身へと、低く響いて深く染み入る。
欲しいと言いつつ、与えてくれるばかりの彼へ、
自分も何か返せているのか。
泣きたいくらいに切なくなる前に、
何もかも忘れての蕩かして、
熱に浮かされ、那由多の淵まで
今宵もまた、ただただ流れゆくばかり…。




  〜Fine〜  07.8.30.


  *そうして今宵もまた、
   ご亭主に美味しく頂かれてしまう訳ですね。
(苦笑)

   この時期はどういうスイッチが入るのか、
   どんなに暑くとも、この手のを何か一作、
   ひねり出さねば落ち着かぬ、難儀な奴でございます。


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv

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