蒼月幻夜甘露噺 (お侍 習作79)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 濃密な夜陰の闇に没して なお黒く、影絵と化した鬱蒼とした森を見下ろして。天穹に煌々と輝くは蒼い望月。とうに陽も落ち、深い藍の夜陰が垂れ込める中。血の通わぬ鋼の刃や、冷たく凍って無表情な誰かさんの真白な細おもてにだけは。月が同族だとでも思うてか、月光の褪めた輝きが殊更に降りそそいでの、目映いほどに照り映えている。

 「…。」

 月は確かに明るいが、こんな人気のない場末の森なんてな怪しい場所へ、夜陰にふらふら迷い出る者にロクな手合いはいなくって。自分を取り囲む荒くれ共の、ガラの悪さに比べれば。何とも清楚で凛とした白い横顔が、たじろぎもせぬままの静謐を保っての、すぐの至近にて相対するは。備蓄用大型燃料缶でこさえた寸胴鍋のような鋼の躯を、重力コントロール機能で宙に浮かせた、鋼筒
(やかん)と呼ばれる搭乗型の鎧機巧が。見えてるだけでも、端から数えて、ひのふのみぃの…。十機ちょっとはいるだろか。

 【 …ええいっ。相手は身が軽いだけの若造ぞっ。】
 【 囲んで一斉に打てっ!】

 確かに。武装だけを見るならば、鋼筒の中に収まっているだけでも全身を鋼で防御していることとなるその上に、下部から伸びる機械の腕は、動力機関に連動されてもおろうから、膂力もさぞかし強かろう。片やの金髪白面、うら若き青年侍はといえば。すらり若々しい立ち木のように、しなやかな痩躯に添わせたは、裳裾の長い紅の外套だけ。刀身の細い揃いの双刀を一対、両の手へそれぞれに握って、体の前にて交差させて構えた姿はなかなかに様になっていたものの。軸足から離しての、踏み出した格好になった側の脚が、裾から膝まで深々と切れ上がったスリットから、蹴りはだけるようにして覗いており。そうやってご披露いただいた御々脚もまた、上体とバランスを揃えてのずんと華奢だったものだから。見た目での形勢は機巧側の断然有利…なのだが、

 【 潰すっっ!】

 両手持ちのマサカリほどもあろう、巨大で重たげな剣。それをぶんと持ち上げて、刻んでくれるわと突っ込んで来た鋼筒が1体があったけれど、

  ―― 月光に翅
(はね)を光らせての、ヒラリ軽々と

 紅の胡蝶が、鱗粉を散らしながら羽ばたいたように見えたのは。銀色の軌跡を描いた刀の動線が、降りそそぐ月光を弾いてそれはなめらかに躍ったから。

 【 う…っ。】

 生身の身体が為したこととは思えぬような、あまりに高々とした跳躍に釣られ。ついのこととて機体ごと斜めに傾け、相手の動きを追ってしまった、一番槍の鋼筒は。月を背に負ったことで、色彩を失っての黒々とした影絵と化した存在が、すぐの間際へ降って来たことへ対応しきれず。

 ―― ひゅっ・か、と。

 鋭い風籟の唸りとともに襲い来た、上からと右からの2本の銀線に刻まれて。気がつけば既に…重油臭の染みた鋼の躯体と一緒に、その身も深く斬り刻まれて、落命していたあっけなさ。ばちっという火花が散っての軽い爆発を起こしたは、連動管か配線も引き千切ったため、動力燃料に引火でもしたのだろう。生身の数倍という戦闘力を持つ筈の鋼筒を、ほんの一瞬にして…素手も同然の刀の一閃だけにて刻んでしまった。羽根のように重さを感じさせぬ、跳躍と身ごなしにての、だが、眉一つそよがせず、一瞬の躊躇もないままな鋭い太刀さばきにて。奇跡を通り越して、悪夢のような所業を披露した存在へ、

 【 う、うあぁ…っ!】

 他の鋼筒らが大きく動揺しての逃げを打ち、少なくとも数mは後ずさりをしてしまう中。ちょっと大きめの水たまりを跨いだだけ…と言わんばかり、粉砕された機体の脇へ、何事もなく足音も立てずの着地をした 当の若いのが、
「…。」
 無言のままに、顔を…視線を持ち上げた。本来ならば、互いのあまりの仕様格差に怯
(ひる)んでしまい、その身が竦みもするところ。そんな状況だったろに、知ったことかと蹴り飛ばし、こうまで豪胆にして鋭な攻勢を繰り出せた剛の者。覇気を高めての裂帛の気合に満ち満ちた、さぞや緊張に尖った表情でおるかと思いきや。月光の蒼光に照らし出されたは、相変わらずの冴えた無表情であり。ただ、

  ―― お?、と。

 自分の頬に違和感を感じたらしく。刀を握ったままの片手を持ち上げ、その白い甲にてぐいと拭って視線を落とすと、そこを染めたは細い細い血色の鉄線が一条。切り刻んだ相手の破片が飛び散った弾み、柔らかなその頬を薄く掠めての切り裂いたらしい。そこまでは、正に血の通わぬ人形ででもあるかの如く、何の感情も見せぬままでいた彼だったものが。そんな痕跡を紅の双眸にて見やったその時ばかりは、

  ―― 口角を持ち上げての、にぃと。

 何かしらの感情や思惑の発露にしては、あまりに脈絡がなさ過ぎて。だが、でも。底冷えがしそうな陰惨さしか受け取れぬながらも、間違いなくの“微笑”というもの。誰へと向けてか、何を感じてか、口元に滲ませた久蔵殿であったらしい。そして、

 「…。」

 双刀を握ったままの双腕を、それまでもが武器であるかのように、ぶんと鋭く足元へと向けて振り絞っての身構え直した彼だったから。その身の裡
(うち)にて、何かを仕切り直したは間違いなくて………おお、怖い怖い。(こらこら)






 さて、片やの連れ合いの方はといえば、

  『褐白金紅のお二方とお見受けする。』

 こちらがついつい抜刀したほどに、ありありと敵意を晒しての大人数で取り囲んでおいてから。そんな基本的なことを、あらためて訊かれたことへと…まずは拍子抜けさせられた。
“今更 確認もなかろうに。”
 壮年の方のお侍の口許へ、思わずだろう仄かな苦笑を誘ったほどに。いかにも芝居がかった段取りは、いっそ微笑ましいくらい。全部が全部、鋼の機巧体という連中ではないらしい一団で。恐らくはこの、無頼どもによる秩序なき布陣の奥まった辺りへと、大将としての足場を据えているのだろう頭目格が。姿は微妙に夜陰へ隠したそのまま、いかにも勿体振ったダミ声を張って、

 『直接の恨みはないのだがな、あんたらを倒せば名が上がる。』

 そんな仰々しくも物騒な口上を、わざわざ謳い上げて下さって。依頼を受けてのこちらから、成敗にと出向くクチの“野伏せり崩れ”のみならず。時々、こういう思い上がった連中からの、筋違いなちょっかいを掛けられるようにもなった二人連れ。自分たちでつけた名ではないながら、それがいつの間にか通り名となっている“褐白金紅の賞金稼ぎ”こと、島田勘兵衛とその相方の双刀使いといえば。そちらの畑からの懸賞金が懸かっているも同然なほどに、名前も顔も随分と広まっているらしく。

  ―― 世の中には、
      信じられないような考え違いをする愚かな輩も多うございますからね。

 時折 情報の整理と休息にと立ち戻る虹雅渓にて、大陸のあちこちから収集された最新の情報を手に、彼らの帰りを待っている。双刀使いの君にとっては“実家の母”も同然の、蛍屋の若主人が大いに呆れていた、これもその手合いであるらしく。別段、その凄腕さ加減が認められた訳じゃあなく、特に悪名を馳せるような手柄も立ててなんかいないくせに。他の有名どころの賊らが片っ端から平らげられての、単なる“順送り”の繰り上がりだという、そんな単純な理屈さえ判らないまま。裏世界での名が売れ出したことへと気が大きくなり、更なる功名心から、巷で噂の凄腕を仕留めてやろまいかと息巻く、無謀な馬鹿がたまにいる。その身を機巧へと改造している訳でなし、得手としている戦い方や武器にしても、鉄砲や気合い砲、光弾といった、先進の代物である訳じゃあなし。訊いた噂じゃ軍人崩れの痩せ浪人の二人連れ。そんな手勢の薄さを前にし、よほどのこと油断したから、あやつもこやつも倒されたのだろうさと。気構えさえ緩めなければ楽勝だと。

  ―― そう。どこの馬鹿も同じことをうそぶいて、そして…どうなったか。

 随分とくたびれた白い砂防服に包まれし、壮健そうな肩や背へも、月蛾の妖光、皓々と降り下り。豊かな暗色の蓬髪の陰、彫の深い面差しの陰影を、強めるように隈(くま)取って見せ。落ち着き払って動きのないその様子に、こちらの壮年もまた実は人ならぬ身、何がしかの術でも唱えておるものかと。胡亂なものでも見るように、頭目とやらが毛深い眉を顰めたその間合いへ、

  ――― ちゃきり、と。

 微かな鍔鳴りの金音を響かせて、彼の手元でその切っ先を定め直した大太刀が、ぬらぬらとした妖しき蒼銀に濡れている。殺意みなぎる結構な手勢に取り巻かれたのでと、腰の鞘から抜き放ったは。正規の軍刀ではないがそれでも、大戦の途中からその身へと添わせて来たことから、勘兵衛には馴染みも深い、愛着のある太刀である。そんな大太刀の柄をごつりと頑丈そうに節々が骨張った、大ぶりの拳の中へと構えての。

 「…。」

 だが、こちらからは仕掛けない。辺りの空間は暗いまま、されど相手の輪郭、隆起への陰影は浮かび上がらせる冷たい月光により。背へまで流した豊かな蓬髪が、顔の上へも陰を作るので、その表情は読み取りにくく。無表情のまま睨みつけているようにも、こちらを甘く見てのこと、微かな苦笑を消さぬままの余裕をたたえているようにも受け取れて。
「くそっ!」
 丁度正面に立っていて、勘兵衛とは至近で直接向かい合っていた雑兵姿の若いのが。対峙の緊張感に耐え兼ねてか、うぬと意を決すると、両手に握っていた刀を振りかざし、勢いよく突っ込んでゆく。焦っての気が逸って闇雲に飛び出したことが、
「…お。」
 やや機先を制した格好になって。なかなかに絶妙な間合いでの突進だったけれど、

  ――― ぎぃ…んっっっ!!

 夜陰の中に火花が散って、鋼同士がぶつかっての擦れ合う重々しい音が弾ける。脳髄に深々と叩きつけるような、堅くて不快な響きの金属音。その年頃にしては上背のある勘兵衛が、そちらはいつの間に振り上げたのか見えなかった大太刀が、相手の太刀の刀身を上から叩き伏せての押さえつけていて。
「な…っ。」
 自分の刀の切っ先が、足元の地べたへ食い込まされている事実に気づき、一番刀の若いのが、そのままこぼれ落ちるのではないかというほども眸を剥いた。着痩せして見える性分なので初見では舐められがちだが、ぞろりとした砂防服の下、屈強な肢体には鋼のバネが蓄えられており。この程度の若造なんぞ、ひねくるのも軽い軽い。突っ込んで来た勢いを逆手にとっての弾き返し。絶妙な呼吸と間合いを読み拾い、そのベクトルを真上から叩いて、大地を穿てとばかり、ちょいと下へと向けてやっただけ。
「く…っ。」
 何が起きたのだかがさっぱり分かっていない、筋骨だけの若造が。間近に向かい合う壮年の、余裕にこぼれる笑みを呆然と見やっていたのも束の間のこと。次にはがくがくと、手を腕を肩を大きく震わせ始めるに至って、
「なんだ、あいつ。」
「怖じけついたか?」
 あんくれぇでみっともねぇと、尻腰なくての震え出したと思っての、罵声を上げる仲間内だったが。そんな嘲笑を掻き消したのが、

  ―― きぃぃぃいいぃぃぃ…ん、という

 どこからともなく聞こえて来て、いつの間にか大きなそれへと育って耳に痛いほどとなっていた。耳鳴りのような奇妙な響き。
「な、なんだなんだ?」
「知らねぇよっ。」
 気配も影もない不気味な物音へ、その出どころはどこだと探しての右往左往しかかった賊らの前で、

 「うあっ!」

 上から力づくで押さえ込まれたつっかい棒状態…にされていた自分の刀の柄を、それでも離さなかった先鋒の若造が。いかにも素っ頓狂な声を上げ、向背へ吹っ飛ばされてしまっており。その手を、今度こそ震えながら持ち上げた彼がそこに見たものは、

 「な…っ。」

 鍔のところからほんの数寸しか刀身が残っていない、鋼の刃。決して力任せに折られたのではない証拠…と言っていいものか。がたがたと震える彼の手の先で、その残った部分がほろほろと。月からの魔法でもかかっていたものか、砂で固めた造形物が乾いて崩れゆくように、脆くも崩れて散ってゆく。出力を加減することで、相手の構造を揺さぶっての分解破壊さえこなせるらしき、生身の侍のみに会得可能な“超振動”は、今では使える者も数えるほどしかいないから。

 『悪名高い一味が次々と、たった二人に敢えなく蹴倒されて来たのは。
  奴ら、どこぞかで怪しい術を習った魔道の者らだったからだぜ、きっと。』

 後年、そんな馬鹿げた言いようを、牢獄や寄せ場にて披露して、尚のこと間抜けっぷりへの上塗りをした情けない連中は。さすがにこの一味以外には、後にも先にも現れなかったということだった。
(苦笑)






            ◇



 どんな悪党が相手であれ、生殺与奪の権利を持つなどとまで、思い上がってはおらぬ彼らであり。勿論のこと、人を斬るための剣技に快楽を見いだしている訳でもなく。ただ、一旦“人斬り”という闇に触れた身はもはや、真っ当な身へ引き返せはしないから。殺す仕留めるという方向にて命を扱う以上、刀の峰を返さずに握ったからには、どんな相手へでも真剣本気の気迫を込めてかかるだけ。相手だって必死でかかって来ようから、気を抜けばどんな失速に足を取られるやも知れず。そんな死線ぎりぎりの、俗に言う“究極の緊張感”に感覚が煽り上げられてのこと。神憑りなほどとんでもない反射で、その身が的確に応じることへ、思わず知らず充実感や高揚感を覚えてしまう身が、時に遣る瀬なくもなりはすれども。そんな修羅さえ自らの裡に潜む暗渠と認め、骨の髄まで鬼と化すまで歩むと決めて。さて、どれほど経ったものなやら………。




 つるんとした夜陰の中、月光が闇を暗いまま素通しさせての照らし出すものは。実を言えば…生気を失った骸骨の眷属ばかりなのかも知れぬ。冥府から彼らを迎えに来るのだろう死神に、余さず連れてゆけよと居場所を知らせるためなのか。草むらの陰や木立の足元などなどに何体か転がって、虚空を見つめている屍の。青白らんで仰向いたどの貌へも、目映いまでの月光が降りそそいでいる。進退窮まった揚げ句の往生際悪くも、足掻いて向かって来た者を、しようがないなと切り払った末のもの。そんな同輩をこの場に置いて逃げ去ろうと仕掛かった面々は、

 『哈…っ!』

 周辺一帯へと波及範囲を広げた、壮年殿の放った超振動にて。機巧躯の者はそのまま計器を狂わせての機能を凍らせ、生身のままの下っ端連中は、逃げる背中を片っ端から叩いてのすっ転ばしてやり、その上へ…倒れて来たお仲間の鋼の躯の下敷きすることで足止めをしてから。懐ろから取り出
(い)だしたる電信器を用いて、近在の州廻り役人の詰め所へと連絡を入れる。こういう形での成敗もまた“いつものこと”となりつつある段取りなので。さしたる手間もなく収拾をつけての、さて。

 「…。」

 傍らの茂みの足元辺りから、思い出したように虫の声がし始めて。慣れぬ者には平生と戦闘規格とどう違うのかが判別しかねるだろう無表情なまま、手際よく背中の赤鞘へ双刀収めた久蔵が。少し距離のあった連れ合いの間近まで、軽い跳躍1つにてその身を運んでのそれから、

 「…。」
 「気づいておったか。」

 電信器を懐ろへしまったその手を、難無く掴まれてしまった壮年殿。責めるような眼差しをしての憮然としたまま、こちらを見上げている相手のお顔へ、一向に悪びれぬ やんわりとした苦笑をそそいでやる。誤魔化すつもりは元よりなかったが、それ以前の話。大仰に騒ぐほどのことでもなしと、勘兵衛が放っておこうとしかかったのが…左手の側線へと負ったらしき怪我で。さして深いものではなかったらしいが、戦闘を続けたことで擦れて広がったのだろう乾きかけた血が、小指側の手のひらを血色の絽で覆ったかのように淡く染めている。単なる土汚れに見えなくもないそれを見逃さず、言の葉を並べるより直接的なこと、その手で掴み止めた連れ合いの若いのだったが、

 「…。」

 そうまでしたは、大したことはないと手当てもせずに構わぬことへ異義があってのことではない。多少の傷くらい、舐めてりゃ治ると放っておき、神経質に構えないのは久蔵とて似たようなもので。ただ、

 「お主は…。」
 「んん?」

 いかにも年相応に重厚そうな存在感を備えつつ、そんな見映えへ同居させるのは詐欺ではなかろうかと思わせるほど、とんでもなく身体さばきが軽やかで。素手にての格闘も、刀を棍棒と見立てての体術も達者なこの壮年は。そうまでの躍動が新陳代謝へも及んでのこと、若者並みに働くものなのか、確かに怪我の治りは早い方ではある。ただ、
「傷が…いつまでも消えぬであろうが。」
「そういう年だ、仕方がない。」
 気の利いた合いの手のように思うたか、くすすと笑ってけろりと言ってのけた彼へ。
「…。」
 久蔵の視線がますますのこと尖ってしまう。確かに理屈ではあるけれど、それで済まされては堪らないと、久蔵の中で言葉という形にしがたい想いがむずむずと蠢き始める。

 “…此処まで連れて来ておいて。”

 初見の頃は、ただただ世捨て人のように何につけても冷め切っておっての、熱のない印象ばかりがしたものが。今はどうだ。気概気魄の籠もりし、正しく剛剣を振るう勘兵衛であり。そんな身ごなしの基盤でもある、冷酷なまでの判断力は変わらぬが、

  ―― それをもって 覇気とでもいうのだろうか。

 元からの持ち合わせ、人を食ったような貫禄とはまた別の。生気に満ちた太々しさを孕んでの、豪快にして颯爽とした太刀を振るっている このところの彼であり。少々の相手ならその存在感にのみ圧倒されもするほどで。いつか刀にての斬り結びを構えたいと久蔵が望むそのときまで、腕を鈍らすな、その身を損なうなと約した以上、そのように気概が活性化しつつあるのは喜ばしいことだし。それは何も、今さっきのような悪党退治を請け負うことで得られているものばかりではなく。

 「いかがした?」
 「…。///////」

 痛々しい血の跡を、いやさ、それを塗すくられた格好の、愛しい男のごつりと持ち重りのする大きな手を、蒼月の照らす中に見つめつつ、大切そうに捧げ持っていた久蔵。不意に“どうかしたか?”との声をかけられて我に返ったそのことが、忘我の心地でいたらしいと自覚させ、そんな不覚が妙に羞恥を呼んでしまったようで。

 「あ。これ、辞めぬか。」

 照れ隠し半分、乱暴な所作にて突き放すよに。相手の手、振り捨てるかと思いきや。それとは真逆で、手へと唇を寄せ、肉の薄い舌を這わせ始めた彼であり。肉厚な手のひらから、甲に刺青にて描かれし、紫紺の六花にまで及んでいた血の汚れ。勘兵衛自身の流したそれだからこそ、衒いなくも口をつけた久蔵は、獣の仔が蜜でも舐め取るかのように、それはそれは丹念に舐め清めてしまうと。片手を自分の上着の懐ろへとすべらせ、そこから、応急処置用の常備品、薄く畳んだ晒布を掴み出す。勘兵衛が放っておこうとしたように、血を拭い去って現れた傷とやら、当て布をするほどの代物でもなかったのだけれど。適当に裂いての包帯代わり、反対側の親指の股と付け根とへ何度か回してからキュッと結んで、手当てはものの数分にて終了し。

 「忝ない。」
 「…。」

 一応の礼を述べはしたものの、そんな勘兵衛の口許には男臭い苦笑が浮かんでいる。こうまでしてくれた相手の頬に、小さな傷を見つけたからで。そちらもまた、もはや乾いていての血の線がいびつな固まり方をしているのみであり。

 「…。」

 自身の傷へさえ関心を寄せず、勘兵衛へと限っても…他の世話へは気が回らずで、一切手を出さぬ不調法者が。連れ合いの身にかかる負傷負担にだけは、殊更過敏に反応し、こんな風に熱心な手当てをし、物によっては一丁前に叱ったりもする。いつか手合わせを構えたときに、遺憾なく腕前のほどを発揮出来るようにと、彼はあくまでもそんな動機づけをしているようだけれど。その立ち会い自体が一体いつのこととなるのやら。いつだって自分へだけ構えと、なぜならお主は自分のものとなったのだからと。いかにも幼く乱暴な理屈にて、そうと言い切る彼であることへ、くすぐったげに苦笑ってしまう勘兵衛は、だが。そんな自身もまた、随分と変わりつつあることに、まだ気づいてはいない。
「…。」
 自分へ幸いを寄せず、死びとと向き合ってばかりいたものが。この跳ねっ返りが、ひょいと気を抜けば 膝へ上がりのこっちを見よの。そりゃあもうもう、放ってはおけぬ愛らしさで構え構えとまとわりつくものだから。そんな風に納まり返ってもおれなくなったとの苦笑を浮かべる彼であるものの。通りすがりの一般人には、ただ眠そうな仏頂面にしか見えない久蔵の無表情が、そんな風に見えているほどもの情をかけているその弾み。もうすっかりと枯れております、今更熱く燠
(おこ)るものとてありませぬよと、既に枯渇した哲学者か仙ででもあるかのように。人との関わりへは、あくまでも褪め切った態度をばかり取っていたものが、

 “ほれ。そのように。”

 愛しいものへと優しく情をそそいでの見守る眼差しの深色が、何とまろやかに柔らかくなったものかと。その総身へどんどんと、忘れていた、封じていた温みを取り戻しつつある勘兵衛であることを、彼自身はどのくらいしたら気づくのか。そして、

 「…。」

 大きに矛盾なのかも知れないが、それを喜ばしいと思いつつ、なのに気づいてほしくないような気もする久蔵なのは。その特別の情を、自分だけが独占していたいからに外ならず。

 「久蔵?」

 白い晒布で差し渡すように巻いたことで、手の甲が覆われ、六花もまた覆われて。手套が嫌いだと駄々を捏ねたは自分だけれど、結果、始終目につくよになったこの花は、却って此処にいない誰かを勘兵衛へも思い出させ兼ねぬから困りもの。きっと、生涯かけての忠節という誓いの下に、自身の手へもこれと同じ六花を、一生消せぬ墨にて描いた人を知っている。そうまで慕った勘兵衛と生死も判らぬままに引き離され、その六花も無残にも毟
(むし)り盗られて。ああまで穏やかで優しい、懐ろ深い彼へと至るまでには、どれほどの辛い日々を送ったことかを想うこともあるだろと思うにつけて。ああ、過去には敵わないのだと。いつだって思い知る久蔵で。

 「…。」

 勘兵衛に比べれば小さな双手に、載せての眺めていた いかにも精悍な左手を。持ち主へと押し戻したそのついで。その痩躯もまた、連れ合いの雄々しき身へと擦り寄せて。きゅうと掴んだくすんだ白は、羽織の合わせ。その奥の暖かい懐ろへと頬を寄せる久蔵で。

 「傷が消えねば、それを見るたび。」

 視野に入って気づくたび、それを残した相手や状況へと想いは捕らわれようからと。よほどの大怪我や、よほどの相手からいただいたものでもない限り、ほんの刹那の注視だろに。そんな寸暇であれこの壮年が誰ぞのものになってしまうのがイヤだと。今の今から想定していたらしき、何とも我の強い情人へ。

 「…久蔵。」
 「〜〜〜。(否、否、否)」

 あんな短い言いようで、だのに心情が読めてのこと。考え過ぎだぞよと宥めんと掛けた声へまで、厭だ知らぬと、聞くものかとかぶりを振る稚
(いとけな)さがまた、何とも言えず愛惜しいし。そんなまでの想いを、他でもないこの身へと向けられるのが面映ゆい。細い肩のその向こう、すぐ鼻先に収まっている双刀の柄を眺めつつ。

 “これを抜き放たれても困るが。”

 懐ろに収まったままの、月光の青に濡れて白銀にさえ見える金の髪へと。乾いた口づけを何度も何度も落としてやりながら、うら若き恋人の勘気が収まるのを気長に待つことにした壮年殿だったそうな。





  〜Fine〜  07.9.18.〜9.20.


 *どうでもいいことかも知れませんが、
  重い鋼筒や兎跳兎、甲足軽なんてなお仲間の機体で押さえ付けられたままにて、
  唐突に始まった、痴話ゲンカなのだか惚気なのだか…の一部始終。
  聞かされた格好の賊の皆様への口封じは必要ないのかが、
  毎度のことながら、余計なお世話ながらも気になる筆者なのですが…。
(苦笑)

  *総身改メ、若しくは、悋気狭量シリーズでしょうか。
   シチさんが怪我をしたら…というお話を書いたので、
   だったら勘兵衛様の怪我へは、どんな態度を見せるキュウだろかと思いまして。
   こんなにわさわさ、回りくどく書くまでもなかったですかね。
   傷を見て思い出すという形でさえ、
   どっかの誰ぞに意識を持ってかれるのがいやだと。
   そっちの方向への我を張る、我儘な大将でございまして。
   ………ちっとは怪我を思いやってやれ。
(苦笑)
   こんなおっかない人から嫉妬されての、
   斬りかかられてもいいからという覚悟がない限り、
   ウチの勘兵衛様に懸想をするのは辞めといた方がいいと思われます、はい。
(苦笑)


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv **

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