居待ち月 (お侍 習作85)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 とっぷりと陽も暮れての宵の中。時折思い出したように吹く風に梢を揺らされて、栃の木だろうか、結構な樹齢らしい大樹が、頭上でざわざわと落ち着きのないどよもしを立たせている。季節は晩秋、よって落日も早い。虫の音も聞かれぬほどの寒さが、地の底から這い出しての滲み出し、十分な準備のない身には心細さまでが凍りそうな、そんな冬も間近いことを知らしめる底冷えが、薄藍の夜陰が垂れ込める中に充満しつつある。

 「…。」

 街道沿いの大きな塚樹。夏の間は陽盛りを遮るのだろう、豊かな茂りも今は。風になぶられての落ち着かず、その樹下にいる旅人へと、何やら話しかけてでもいるかのよう。そこがお決まりの夜営地になってもいるものか、焚火の跡は結構しっかとしていて堅く。辺りに落ちていた柴を集めて焚いたらしいささやかな炎群は、風にも撒かれずパチパチと小気味のいい音を立てて燃えている。そんな炎の明るさに照らされているのは、まだまだうら若き青年の横顔で。堅い地面から浮き上がったものか、ごつりと張り出した木の根っこに腰掛けて、紅の衣の裳裾の切れ込みから小ぶりなお膝を覗かせて、片膝立てての自堕落に座ってござる。変わった形の長い赤鞘ごと、刀を懐ろへと掻い込んで。それへ凭れているところを見ると、お武家様の、どうやら一人旅…なのだろか。大した装備もなしでの、しかもこんな寂しい場所に、たった独りでおわすには、少々場違いな印象が強い風貌をしてらして。時折揺らめく炎群が照らし出す白いお顔は、まだ頬骨も立ってはいないほどに若々しくて。切れ長の目許が物憂げに伏し目がちになっているのを難に数えても、男臭くも精悍な香りもなく、かと言って…未成熟な年頃が醸す青さもなく。強いて言うなら、幽玄の危うさ、生の華やぎが感じられない妖かしの冷たさばかりが張りついた。美貌玲瓏、されど妖冶な。そんな印象がするばかりの不可思議な青年が。柔らかそうな金の綿毛を夜風になぶらせ。ただただじっと、眼前の炎を飽きもしないで眺めている。

  ………と。

 不意に、風向きが変わったか、天穹の高いところではもっと早い風が翔っているものか。煌月の輝きを、千切った和紙のような群雲が走って来ての、少しずつ覆ってゆく。地上に落ちたる陰の輪郭をぼかし、ただでさえ色彩を飲み込んでの褪めさせていた風景から、ますますのこと存在感を奪ってゆくよな紗が掛かり。周囲への見通しがますますと悪くなったそんな間合いへ、

 「…久蔵。」

 青年には聞き慣れた声がした。少し乾いて掠れた感のある、だが、低められると甘く響いて心地いい、結構 気に入りの声が呼んだのへ。細い顎を上げてのうっそりと、お顔を向ければ。焚火の向こう、夜陰から滲み出して来た存在と目が合った。

 「待たせてしもうたな、済まぬ。」

 すっかりとくたびれた砂防服は夜陰に浮いての白く。彫の深い精悍なお顔は、丁度、輪郭を薄め出した月を背中に負うているので、はっきりとは見えないが。蓬髪が落とす陰の下、微笑っている口許の形に味があって、それへと惹かれるように顔を上げた久蔵であったほど。

 「…。」

 二人での道行きのその途中、不意に掛かって来た電信に出た勘兵衛だったのへ。話が長くなりそうだったので、ただぼんやりと待っているだけでは何の実りもないからと。少し先に見えていたこの塚樹までを先に行くと、視線だけにて伝えた連れ合い。思っていたより大きな樹だったため、意外な距離があったものの、侍の速足、あっと言う間に到着してしまい、柴を集めて焚火を焚いて、腰を下ろすと…連れを待っていた双刀使いだったのだが。

 「…。」

 久蔵が顔を上げたのは、相手を確かめたからというだけではなくて。衣紋の衣擦れや所作が立てるだろう物音ひとつなくの立ち上がった彼が、その細い眉をきゅうと顰めているのは、

 「血の。」

 匂いがする。彼の身から夜風に乗って届いたそれは、今さっき塗られたことを思わせるほどの新しい香であり、

 「ああ。向こうでちょっとな。」

 夜盗だろうか躍りかかって来たのを斬り伏せていたので、それで。ここへ来るのに遅くなってしもうたと。眉を下げたらしい勘兵衛であり、

 「不意を突かれたので手間取ったが、平らげて来た」

 そうと告げての、腰の得物、大太刀の柄へと片手を載せる。抜く気はないのがありあり伝わるので怪訝にも思わぬまま、そうかと立ち上がると、自分もその背へ得物の赤鞘を負って。足を横へと払って砂をかけ、焚火を消した久蔵で。慣れた所作だから、手際もいい。生憎と宿場には届かなかった旅の脚。もう少し進めば岩屋があるから、そこで仮眠を取ろうとは、少し逆上る黄昏の中で立てた、今宵の予定であり。

 「…。」

 焚火を消したのと連動するかのように、天穹の月もその身へまとう群雲を厚くしていっての、辺りが急速に闇を濃くするものだから。夜目が利かぬではなかったが、こんな何もないところに長居をしていてもしようがない。さあ急ごうぞと歩み出しかかる久蔵を待ち受けて、これも見慣れた身のさばき、すぐの傍らへと迎え入れるように、片方の脚を引いての身を半身にした勘兵衛へ、何の衒いもないまま歩み寄りかけたものの。

 「…? どうした?」

 強引に引き寄せるでもない、つかず離れつ、彼もまた歩き出しかけたタイミングも、いつもの通りのそれだったのに。

 「…。」

 何だろうか、何かがおかしい。深色の眼差しも濃色の蓬髪も、自分よりも上背があっての、少し見上げる肩の頼もしさも。頭上に揺れる梢の陰がまだらに落ちての躍る、そんなお顔の。髭をたくわえた顎や、その真下の、立った襟の陰に覗く、深くくびれて…ごつりとした起伏のある、雄々しい首元の色香とか。手に描かれし六花も、耳に下がった飾りも、何もかも変わらないはずだのに。さっきまでの彼と、寸分違わぬはずなのに、

 「いかがした?」

 妙に固まっての、自分を見やって立ち止まったままな連れ合いへ、そちらもキョトンとしての立ち止まり、ほれと促すように伸ばされた手。大きくて節の立った、いかにも力強い男の手だが。

 「…っ。」

 それへと延べた自分の手が、触れるかどうかという瞬間に。何をか感じ取ったらしき久蔵の手が宙へと戻り。それがそのまま、背後へ回され。鈍い銀色がいかにも冷たい、双刀の柄を掴んでの、一気に、抜き放たれていた。








 「済まなんだな。待たせた。」

 夜陰の紗をからげるように、その肘を頭上まで高々と持ち上げての。ぱちり、鞘へと刀を収めたところへ。先程の場面を繰り返すかの如くに、さっきと同じ顔が夜陰から滲み出しての現れて。

 「…久蔵?」

 刀を抜いていたとは何ぞあったかと、神妙な顔となり目元を眇めた壮年へ。ずいと大股に近寄って、有無をも言わさず、その懐ろへとお顔を埋めれば。かすかに匂うは鉄錆のような香。

 「これはどうした。」
 「…不覚を取った。」

 双刀使い様はよほどに鼻がいいらしく。頬を埋めた気に入りの懐ろからはやや遠い、右手の前腕。肘に間近い辺りの袖に滲んだ血痕に気がついて。視線で指摘をしつつ、一体どうしたかと逆にこちらから問いただす。

 「賊か?」
 「ああ。電信も奴らの罠だったらしゅうての。」

 久蔵が離れなければ何かしらの策をそれらしく告げて、二人をばらばらに引き離し、それぞれを倒すつもりでいたらしい相手。
「喩えに引っ張り出したのが、これから仔細を聞きに行く予定だった幻術師の率いる一団の話でな。」
「ということは。」
 芸がないのか、それとも真実味を帯びた話のほうが食いつくと思うたか。正にその盗賊団の連中が、わざわざ出て来てのお相手くださったという段取りだったらしくって。

 「幻術師、とは?」
 「妖かしの術をかけて相手を惑わす…と言われておるが。」

 そんな非科学的な代物を看板に掲げて手掛けるには、あまりにも現実的で下世話な盗賊稼業。よほどの存在感から、催眠術をかけることが出来るということだろかとも思ったものの、

 「儂に斬りつけてゆきおったのがこの男だ。」

 二人の足元に、こと切れての倒れ伏しているのは。久蔵が問答無用で斬り伏せた、勘兵衛もどきの偽者で。白い衣紋の男…には違いないが、再びお顔を表した煌月の蒼光が照らし出したは、白い小袖に白袴という、存外かっちりした恰好だった男であり。上背はありそうだがさほど筋骨も張ってはいない、面差しも全くの似てなどいない別人であり、
「訊いた話では、妙に芳しい匂いなどがしてから目の前へ現れた相手が…自分の知人だったりするので。すっかり信じ切っての家へと招き入れたり、言われるままに財布や貴重品を差し出したりしてしまうのだそうだが。」
 その実態は恐らく、

 「…薬品を使った幻覚か?」
 「ああ。そのようだ。」

 つんと印象のある香りがした次の間合い、目の前に現れるのは知人。計画立てての“仕事”へは、そうと持ってゆくために破綻が生じぬよう、下調べも一応はするらしいが、

 「選りにも選って、儂になりすますのに血を持ってゆくとはな。」

 何とも皮肉な手を使いおるとの苦笑が絶えぬらしい勘兵衛であり、
「………。」
 確かに。途中までは久蔵も誤魔化されかけていたので、こちらはそうそう笑えない若いのであるらしく。血の匂いがしてもさほど不思議はない男だとの、妙な先入観があったからか。しかもそれが勘兵衛自身のものだったからという効能か、彼から滲み出していた雰囲気や気配というものも、勘兵衛の面影を滲ませたそれとなって見えたのに違いなく。どんな理屈かは知らないが、そんな誤魔化しに踊らされかけたのも腹立たしい。それより何より、

  「…久蔵?」
  「傷を、負わされおって。」

 あっ、と。静かなままながら…何へ怒っている彼なのか、判ったその途端に瞠目した勘兵衛の、傷を負った腕をはっしと掴んだ久蔵。

 「何人薙ぎ倒した。」
 「さて、三十はいなかったと思うが。」

 傷を負いはしていても、さして難儀でもなかったと応じた壮年殿の言いようへ。懐ろからむうと見上げて来る駄々っ子のようなお顔が、だが、微妙に切なくて。


  ―― そのように目許を潤ませるものではない。
      〜〜〜。(否)


 ご本人は違うとかぶりを振るけれど。そのままふいとそっぽを向くでなし、項垂れてしまっての、向かい合う勘兵衛の羽織の前合わせをきゅうと掴んで離さない。練達のくせに傷を負わされたとはと、案じてくれたればこそ、頑迷な素振りになってしまっての落ち着けない彼であるらしく。どうしてこうも心配させるのかと、俺のものだと言っておいたろうがと。言い聞かせたいのにそれも出来ずで。ご本人には複雑で難関なことかも知れぬが、こちらには判りやすいそんな稚
(いとけな)さが、どうしようもなくの愛惜しくて。

 「ほれ。お主だとて、このようなところに擦り傷が。」
 「〜〜〜っ! ////////」

 掴みしめた羽織ごと、右の手を掬い上げての口許へ運び。唇の先に当てて、小さな裂傷をいたわってやる。拳に握っての繰り出せば、真っ先に何かへ当たって痛かろう辺り。刀を握ったその手にて、往生際の悪かった相手を殴り倒しでもしたものか。ただでさえ真っ白な手だのに、赤くなっているのが何とも痛々しいと思っての慈しみ。だのに、

 「〜〜〜。////////」

 淑女のような扱われ方へ、怒っていいのかも判らぬまま真っ赤になるのが…沈着冷静な練達にはあり得ない幼さであり。そこがまた愛惜しいと来ての、際限
(キリ)がないから手に負えないとは、壮年殿の胸中での独り言。

  ―― 俺との約定を果たすまでは。
      腕が落ちても、この身を損なわれてもならぬ…だったな。

 覚えておるぞと苦笑をし、見下ろした白いお顔に煌月の光が落ちて。今度は目映い紗がかかったのへ、ほおと見惚れた勘兵衛。目許和ませた彼からの眼差しへ、

 「〜〜〜。////////」

 ますますと頬に血が上った久蔵だのに。そんな理屈は判らぬか、どうかしたかと案じてやる。そんな天然の壮年殿が、どうしようもなく好きだという時点でもはや、勝負はついてるような気がしますがねとは、お月様の独り言。夜風にまとわりつかれての、野暮なお風邪を引かぬよう、重々暖め合って下さいませね…。






  〜Fine〜  07.10.29.


  *来月は十一月で、
   三十日しかない月を数える“ニシムクサムライ”でいえば
   お侍の月ですねvv
   …だから 某剣豪の誕生日もこの月にあるんだろうか。
(む〜ん)
   そんな諸事情から
   更新の目処がますます不明な月になりそうな予感がありますんで、
   書けるうちに書いとこうと、妙にしゃにむになっております。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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