煌月夢幻夜睦戯 (お侍 習作87)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 



    そこに広がるは深い深い海の底か。
    地べたとの境目さえ曖昧に滲ませて、
    濃藍の夜陰が垂れ込める。
    そんな帳
    (とばり)を射貫いて降りそそぐ、
    煌月からの蒼白い褪光は。
    そこが真昼の陽との相違か、
    照らされたものから色彩という生気を奪っては、
    乾いた骨のような冷たい貌へと塗り替えてゆく。



 「……ほほぉ。」

 ふと上げた視線の先に収まったのは、あまりに冴え冴えとした月だった。その威容へと、ついのこと、視線を留めて見とれてしまった。すると、

 「…お。」

 そんな油断を衝くように、ぐんと背後から、髪を一房 引かれてしまう。何も後ろに誰ぞが居たりするのではなくて。いつもの態でこちらのお膝に上がっているお猫様が、脇からぐるり回してお背
(せな)まで、届かした腕のその先の、真白き御手にての悪戯もどき。我を差し置いて よそ見をするなと抗議したまで。懐ろの中、横座りの彼を見下ろせば。そちらからも やはり、紅色の玻璃玉のような双眸がじぃとこちらを見上げて来ており。

 「…。」

 何か言い出すような気配なぞ、相変わらず立たぬままだったが、何か言いたげな棘々しい気配は重々感じられたので。

 「許せ。あまりに見事な色合いなのでな。」

 それでつい、見惚れてしもうたのだと。頑是
(がんぜ)ない子供のようなところがなかなか抜けない情人を、宥めるように苦笑を零す。何が、と言わずとも、彼らの眼前、年期の入った窓枠のすぐ外に広がっている眺望には、いかにも殺風景な庭があり、石灯籠と言い訳程度の茂みしかない。だのに“見惚れる”ほどのものともなれば、天穹にかかった煌月の話だと判ろうもの。つるんとつややかで深みのある、天鵞絨(びろうど)で仕立てた暗幕のような夜空に、ふちを滲ませもせずの凛と浮かんでいた皓月は、確かに。辺りの夜気をもずんと冴えさせ、眺めやった者からの視線を おいでおいでと吸い込むような、飽かず眺めていたくなるよな、そんな蠱惑に満ちてもいたが。

 「…。」

 自分でもそちらを見上げた久蔵にすれば。一瞥だけで十分、納得とやらに至ったらしく。ちらとほんの瞬きの間ほど、おざなりに眺めただけで、すぐにも元の姿勢へと戻ってしまい。その身のささやかな重みを預けていた、連れ合いの堅くて奥行き深い懐ろへ。なめらかな片頬を寄せ直す。すんなりとしなやかな上背を、今は まぁるく縮こめて。そこから何ぞか聞き取ろうとでもしているものか。それとも、それが気に入りの、それはそれは肌合いのいい沈黙へ悦に入ってか。薄く眸を伏せ、押し黙る。

 「…。」

 小さな里だが宿場ではあるせいか、離れを持つ宿もあったので。余人に煩わされずの気侭に過ごす勝手のため、いつものように そこへと逗留を決めた二人であり。さして眸を引く調度も置かぬ部屋の中、丁寧に使い込まれたそれだろう、窓辺の文机の上、つやを水のおもてへ見立てての、水中に相似の影を映して。大切そうに、小さな何かが置かれてあって。細長く、少しばかりよじれた意匠は、その鋭さが、見ようによっては獰猛な獣の牙のようだが。もしかしたらば、風にむしられた白い乱菊の花びらなのかも。それを先程、昏い中でわざわざ拾い上げた白い手が 今は。剛い質の蓬髪の中をときおり不器用そうに泳いでは、連れ合いの長い髪を、その背中でゆっくりゆっくり梳いている。

  ―― いつもと同じなようで、ほんの少しほど普段とは違う彼らであったりし。

 普段なら、勘兵衛の耳には髪に絡まる飾りが下がっているのだが。今は片側だけそれがなく、金具が壊れて落ちたのが、今から少しばかり逆上った夕刻のこと。今はえくぼのような跡だけが残っているばかりな勘兵衛の耳朶が、久蔵には何だか、落ち着けない景色なのだろか。今宵はあまり顔を上げぬまま、見ること以外の感応で、壮年の連れ合い殿を 思うがままに堪能しておいで。温みも匂いも気に入りだから。胸板の堅さも武骨な手も、少し硬くて、でも、低められると甘さの増すお声も大好きだから。拙い手にてよしよしと、じゃらされ甘やかされての、二人で過ごす、晩秋の静かな宵のひとときは。ほんの先程 確かに通った、昏い森のことさえ思い出させぬ…はずだったが、

 「…いい加減、捨ててしまわぬか。」
 「〜〜〜。(否、否、否)」

 呆れたような声をかけられ、だが。頑として受け入れませぬと、大きくかぶりを振った若いのの手には、何やら獣の尻尾のような、彼自身の指より少し長めの、毛の束が一房 摘ままれていて。その色合いや、ちょっぴり枯れての縮れた雰囲気は……もしやして?





          ◇



 時折、海原を渡る細波のよに吹きつけて。辺りに居並ぶ木立ちの梢を、ざわざわと蹴立てては揺らしてゆく風を追い。逆巻く風籟の唸りが、高く低く震えて飛び交う。晩秋の早足な黄昏を追い立てるよに、紫紺の穹へ早々と昇ったは、夜空の覇王。枝間を縫うて降りそそぐ、煌月の光に白く黒く。まだらに染め上げられた木々が、そこここで魔物のようにうずくまる、そんな冷たい虚空の森にて。得体の知れぬ餓鬼らや魔物らをも平伏させんと、冷たい凍刀、振りかざしている者がある。

 「…っ。」

 たっぷりとした衣紋をまとった身なのはお互い様で。荒野に出ては砂防服も兼ねられるほどの、それは長々とした羽織と袴とを、冷え始めた夜風に ばさばさ叩かれつつも。それほどの抵抗が、切れのいい動作には何の抗いにもならぬのが不思議。独特な象眼をほどこされし、がっつりと重々しい大太刀の柄を、それへ引けを取らぬ強い手が掴みしめ。ぶんと一閃、宙を横ざまに力強くも薙ぎ払えば。

 【 ぎゃあっっ!】

 かつては甲足軽
(ミミズク)と呼ばれし、頑健重厚な鋼の躯をした野伏せり崩れが。さくり・さくさくと胴斬りされての、その場へあっけなくも頽れて落ちる。きっちりと数を揃え、呼吸も恐らくは合わせあっての、寂れた街道の終点間近、意表を衝いたる“奇襲”を仕掛けて来たのはそちらのくせに。夜陰に乗じたつもりが、機巧仕掛けの耳目も持たぬ、生身の彼らの反射や勘とやらに、絶妙即妙、鮮やかなまでに先を越されてばかりいて。

 【 うあぁあぁぁっっ!】

 少し離れたところでは、夜陰に彩度を吸われた紅の衣を、やはり大きくひるがえし、身を躍らせている妖異がいる。粛然と立っているときは足元近くまで長々と垂らされた裳裾、今は軽やかに跳ね上げ躍らせて。月光を浴びた金色の冠のような髪を煌かせ。疾風
(はやて)の如し突進のそのついで、左右の真白き手へと掲げた双刀で、一閃。また一閃。細身の太刀をくるりくるくる、風を掻き分け、薙ぎ払いしつつ、彼が駆け抜けてったその後には。神殿の隧道に居並ぶ塑像が、次々と倒れかかって来るかのように。生脈を断たれた機巧躯の野盗どもが、その重々しき身体をごろんごろんと地へ投げ打つばかり。

 「ダ、ダメだ。おらたちでは相手になんねぇ。」
 【 ええい、泣き言を申すなっ!】

 大きな機体に乗っていては却って的になりやすいとばかり。鋼筒
(ヤカン)を操っていた下っ端たちは、もはやその身を外へと逃しており、すぐにでも散り散りになっての、一目散に逃げ出す構え。兎跳兎(ウサギ)や甲足軽には、そんな逐電もかなわぬが、なればとの破れかぶれか、

 【 でりゃあっっ!】

 2m以上はあろう、大柄なその身に合わせた楯のような大太刀を、しゃにむに振り回した手合いがあって。そちらは間合いを読み合っての対峙に入っていた剣戟の中へと、横合いから割って入った格好になったそやつの刀は。主が的確に刻まれた途端の無軌道に振られたのが、ある意味で功を奏した格好となりて。

  ―― 月の光を浴びて、夜陰に描かれたはゆるやかな銀の軌跡。

 真正面からの一対一。そんな対峙となった、一団の総領だろう甲足軽との一騎打ちの只中へ。傍若無人にも割り入って来た、別のミミズクがぶん回した大剣は。間合いも何もあったものではなかったというのに。油断なく構えていた白衣紋の壮年殿が、事もなげなる太刀の一閃にて あっさりと沈めた。正眼に構えていた大太刀で、相手の切っ先を釣り込んでの引き寄せると、そのまま懐ろをがら空きにし、大ぶりな手の中でくるり回した太刀の柄頭にて、みぞおちに一突きをめり込ませ。その腕を振り切ってののち、戻した逆手の刃で脾腹を裂けば。相手はそのまま火花を散らし、宵の藍が垂れ込め始めていた空間に、その存在を鮮やかに浮かび上がらせたものの。

 「島田っ!」

 自己防御のための制御をしなくなった者の動きほど、読めないものはなく。それが証拠に、まずは仲間内の甲足軽に斬りかかり、

 【 血迷うたかっ!】

 そやつから突き飛ばされがてら、深々と刀を突き通されて。たたらを踏みつつ後ずさりをした、もはや亡者になりかかりのミミズクは。出鱈目に大刀を振り回したから、周囲にいた者は堪らない。そんな下らぬ惨状へ巻き込まれては しゃれにもならぬと。相手方の面々は端の方から陣営を崩し始め。そうなれば後はもう恐慌状態へとなだれ込むもの、他人事ながら哀れなほど、それは速やかにワラワラと脱兎のごとくに潰走を始めてしまい。

 「このまま捨て置く訳にもいくまい。」

 先程は突いただけのみぞおちへ大太刀の切っ先振り向けて、勘兵衛が繰り出した一閃を…今になって鋭敏に働いたセンサーが拾っての。既に意志がない擬体であったがゆえ、余計な洞察や計算を差し挟まぬ反応が成した、奇跡というか悪夢というか。

 「…っ、島田っ!」

 邪魔な足止め、逃げ惑うことで彼には逆流と化した雑兵らの山を。ええい邪魔なと薙ぎ払いながらのやっと、間近まで駆けつけた久蔵の目の前で。


  その付け根から切り離されての高々と、
  夜空へ向けて吹き飛んだ機巧の大ぶりな腕が。
  振り下ろさんとしていたものが横倒しとなったのを、
  口惜しがっての慚愧の念がそうさせたものか。
  無理から横薙ぎのそれへとよじられた格好の、
  出鱈目に繰り出された大太刀の切っ先は、
  絶妙な反射にて身を躱した勘兵衛の、
  顔や眼を裂くまでには及ばなかったものの。


  「……………あ。」

 それらもまた、宙を泳いで遠ざかろうとしかかっていた、壮年殿の豊かな髪の一端が。微妙に間に合わなかったか、細い細い一房だけ。束ねられていない人の髪を、しかも泳いでいるのをこう切るのは、練達がわざわざ目論んで構えても、そうそう出来ることではないにも関わらず。


 ―― すぱりと刻まれた、小筆の先のような太さの束が、
     その陰に下がっていた耳飾りと共に。
     弓なりの放物線を描いて、夜陰の中…宙を飛んだのだ。






          ◇



 余程に間のいい一閃だったということか。それを提げていた耳朶の側も無事だったし、
ビーズ玉を通してあった継ぎ金具が千切れただけなので、小さな輪環を付け替えれば元通りになると。勘兵衛自身がそうと告げるまでのずっと。まるで連れ合い自身の容体を案じるかのよに、拾いあげたそのまま自身の胸元へ、飾りを握った拳を当てて、固まっていた久蔵だった。彼のそんな稚
(いとけな)さを目にしたのも久々のこと。あまりに心細げなお顔をするものだから、
『これではどちらが痛い目を見たのか判らぬな。』
 そんな言いようをして勘兵衛が苦笑えば、
『…っ。』
 つと表情が弾かれたそのまま、互いの狭間にあった手元ではなくこちらを見やり。どこか痛いのか?と頬へ伸べられた、もう片方の手が。もはや熱を失っての、冴え冴えと冷たくて。

 “天女の御手はこのようなものか、と。”

 そのなめらかな感触にこそ、胸を衝かれる想いがした壮年殿。太刀を握った腕ごと勘兵衛から胴斬りにされた甲足軽が、その巨体でくるり回ってから、精根尽きての、下生えの上、どさりと倒れたのが決定的な引き金となったらしく。夜討ちもどきを仕掛けて来た野盗の一団は、蜘蛛の子を散らすようにとは正にこのこと、あっと言う間もないほどの瞬技にて、息絶えた者以外の一人も残さず、姿を消してしまい。大した相手ではなくての、さして手古摺りはしなかったものの、中途半端な結果に終わって、一握りとはいえ賊を取り逃がしたことが悔やまれなくもなく。

 “慢心というもの、どこかに抱だいておったのかも知れぬ。”

 久蔵の傷心ぶりに、しみじみと反省しておいでの壮年殿であったりしたのだが。……もしも、あの古女房殿が此処に同座していたならば。

 ―― いやいや、大戦中の勘兵衛様であったなら、
     軍服装備が多少焦げようが、
     髪の中の頭をどこか切られての、大出血をしておろうが、
     意識があって立って歩ければ“無事”と勘定しておりましたよ、と。

 たかだか髪の一房落ちたくらいじゃあ、完全勝利の範疇だったのにねぇと述べたはず。それは勘兵衛にもすぐさま思いつけたのだろう。自分に対しての呆れたような苦笑を、口許へと淡く浮かべてのそれから、

 「…まだ持っておったのか。」

 切り落とされた壮年殿の髪の房もまた、あの場から拾い上げての持参した久蔵へ。もう捨ててしまえと再三告げつつ、そのたび膨れる連れ合いの態度が内心擽ったい勘兵衛へ。その、たかだか髪の一房ごときへ、見る見ると青ざめてしまった情人の彼をいたわってのこと、お優しくなられてまあと、更なる苦笑が絶えない七郎次だったに違いない。そんな古女房殿の代わりのように、今は天蓋の高みへ昇った煌月が、微笑ましげに見下ろしてござったそうですよ。




仄かに R指定です、ご注意。

  〜Fine〜  07.11.07.〜11.12.


  *いかっち様が雑記に掲載されてらした(11/7)
   それは麗しい勘久イラストに、
   毎度のことながら触発されてしまいまして。
   ラブラブに見えるけど実は違うんですよという、
   お茶目な但し書きも楽しく萌えで、
   それでつい、こんなお話が出来てしまったのでありました。
   いつもいっぱい刺激を下さって、ありがとございますvv
 

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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