目利き (お侍 習作88)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 その主目的は果たして湯治なのやら野盗退治なのやら。もはやどちらが添えものなのだか、当人たちにも判らなくなりつつある、辺境への行脚の旅を続ける勘兵衛と久蔵へ。あくまでも“遠出”を続けている彼らなのだという解釈の下、その帰還をいつもいつも心待ちにしている“実家”が、虹雅渓の“癒しの里”随一のオーベルジュ、もとえ、お座敷料亭の“蛍屋”という大店で。元は雪乃という女将が女の細腕ひとつで切り盛りしていた店だったのだが、そこへと転がり込んだ格好の そりゃあいい男の幇間が、粋で気丈な女将の心を鷲掴みにし、今じゃあ誰もが羨む美男美女のオシドリ夫婦。今時には例のないほどの幸運を掴んだことをやっかまれ、やれ逆玉だの女たらしだのと、世の殿御らからは悪態もさんざつかれた元・幇間殿だが、金髪長身の美丈夫ながらも、何も見てくれにだけポッとなった女将じゃあない。七郎次というその旦那、素性はあまり明らかじゃあないが、これがなかなか奥の深い、よく出来たお人であったりし。元は軍人のお侍様だったというが、そんなお堅くも野暮なところは欠片も見せない気配り上手。いかにも四角い学問上のお堅いことから、ものの丸みも艶
(えん)のうち…ってな柔らかいことまで、いろいろな話に通じている物知りなその上、小唄に独々逸、三味線に箸拳までこなす器用さで、お座敷を盛り上げる名人であり。しかもしかも、街の差配の綾摩呂様や警邏隊隊長の兵庫様とも、浅からぬ縁があるやらないやらで懇意にしてもいる様子。とはいえ、それを笠に着るでなし、よほど手を焼く暴れ者が出たなれば、赤鞘の長柄を取り出して、えいやと槍をぶん回し、そこはさすが昔取ったきねづかということか、もののふの威容も冴え冴えと、今度こんなやんちゃをしたら その首はねるがよろしいかとせいぜい脅して追い払うとか。

 「いやですよう。そんなおっかないこと、そうそう しやしませんて。」

 風のうわさはお互い様で、出先で聞いたぞそんな声をと。久し振りのご帰還をなさった老若お二人を、飛びっきりの笑顔で迎えた若主人だったのへ。寛いでのよもやま話がそんな方向へと至ったものだから、あれあれと鼻白みつつも…完全には否定しないところが、困ったことだか頼もしいのだか。色白な細おもてのお顔はいつまでも若々しくて、日頃はやんわり微笑っておいでの嫋やかな風情ばかりが印象深い殿御だのに。これで真摯なお顔になると、打って変わってのきりりと凛々しく。うっかり逆鱗に触れての怒らせでもしたならば、鬼でも斬りそな迫力で、人斬りのお侍様に戻ってしまうやも知れない剛の者。こちらはまだお侍様の看板を下ろしておられぬ勘兵衛様としては、そっちのお顔もよくよく御存知でありながら、怖いお顔の方は出来ればそろそろ控えなさいよと、いつもいつも窘めて下さって。
「こういう商売だから、ですか?」
「それもあるがの。雪乃殿やカンナ殿、久蔵が混乱する。」
 三人とも、ただ頼もしくも凛々しいという等級の真摯さしか知らぬ故、お主が心からの激怒憤怒を構えればどれほど恐ろしいかを知れば、
「怖がっての以降、二度と近寄ってもくれぬようになるぞ?」
「…勘兵衛様。」
 それはまたあんまりなと七郎次が眉を下げつつ、悪戯っぽい笑い方をなさる元・御主へ、米処の熱燗を小粋な所作にてお銚子で“どうぞ”と勧めれば、
「女将。」
「はい。」
 こちらはこちらで、酒を交えぬ隣りの座敷。そろそろお眠
(ねむ)だったか目許を擦り始めた娘御を、子供部屋へと寝かしつけに立った雪乃が戻ったところへ。盃を傾け合う男衆らの方へと交ざりにゆかぬまま、彼女を待っていたらしい久蔵が。あの奇抜な紅の長衣から宿衣に着替えたそのお膝の陰から、小さな包みを畳の上へすべらせる。
「これを。」
「はい?」
 良人の七郎次とはまた、風情の違った美丈夫の。白玉から刻みだしたかのような白い指先が押し出したは。落ち着いた紫紺の、風呂敷というより手ぬぐいほどの、小さめの絹布にくるまれたもの。久蔵の白い手が そぉと布を払えば、まだ新しいものだろう、白木の平たい小箱が現れて。そのままなおも勧められ、それではと会釈をした雪乃が手に取り、蓋を開ければ、

 「…あらまあ。」

 中に収まっていたのは、蒔絵螺鈿の細工も綺麗な、黒うるしの髪飾り、足が二股になった笄
(こうがい)というものではないか。華やかな声が立ったのへ、隣りの間と言ってもさして離れてはいなかった男らが“おや”と気づいて、こちらを伺う。
「どうしたね。」
「いえね、お前さん。これを。」
 なんて綺麗なこうがいでしょかと、箱のまま、身軽に腰を上げての立って来た夫へ差し出した雪乃であり、
「ほぉ、これは。」
 形は平凡ながら、真砂模様の蒔絵の細やかさ、白蝶貝を象眼しての螺鈿の細工の艶やかさが得も言われぬ繊細な仕事であり、漆の塗りも深みがあって品がいい。
「古駿河ですよ、これ。」
「コスルガ?」
 そこまでの知識はなかったか、夫が顔を上げて繰り返したのへ、女将が嫋やかにええと頷いて。
「駿河の郷の漆の名品の、特に時代が古いものをそう言うのですよ。」
 今でも有名ですが、その土台を築いた今は亡き名人たちの作品のことで。何せ傷が付きやすい代物ですからね、無傷のままで伝わっているものは数が少ない。そこで、そんな呼び方をして、格を分けての取引がされているとか。肩書の理屈は成程判ったが、
「お前にも見分けが出来るのかい?」
 そうまでの逸品と、少し上等なだけのものとの違い。書画に絵画に骨董などなど、久蔵殿はそういうことに長けておいでだが、お前にもそんな目利きの才があろうとは知らなんだよと。いかにも不思議そうに小首を傾げた夫へ、あらやだとちょいと責めるような目付きを返し、
「これだけ品のいい、風格あるものですもの。そりゃあ判るというものですよ。」
 これでも女ですからねと、見くびらないでおくれなんて言いようを返されて。おやこれはしまったとおどけて返す若夫婦へ、
「…よかったら。」
 久蔵が単調なお声でそんな言を告げたものだから、
「あ、いえいえ。それはなりませぬ。」
 こんな高価なもの、そうそうは頂けませぬと雪乃が慌てた。男連中にはやはり判らなかったらしいが、何とこんな小さな笄1つが金五十枚は下らぬのだそうで。だが。
「安く買ったものだ、案ずるな。」
「はい?」
 久蔵の淡として手短な物言いへ、勘兵衛がくすすと微笑っての付け足したのが、

 「東の方の小さな街の、縁日の出店に並んでおったのだ。」
 「…はい?」

 寡黙な久蔵に成り代わり、勘兵衛が付け足した言いようによれば。旅の途中の寄り道、鎮守の祭りを見物していたおりのこと。境内まで連なる沿道に出ていた夜店屋台の中、女子供への土産屋があって、その店先に…金五十どころか銭いくらという安価で投げ売られてあった髪飾りの中から、久蔵がふらり引かれて寄ってゆき、手に取ったのがそれだとのことで。
「どこぞの金満家でも没しての、蔵の整理で出て来たものか。それが流れ流れてそのような、価値も判らぬものの手で投げ売りされていたらしくての。」
「え、でも。」
 笄を見直した雪乃が言うには、
「ここに“キサラヅ”の銘がありますし。」
 裏向けての脚の付け根、意匠模様の中へ誤魔化すように記されたその名前こそ、知る人だけが知るという本物の証し。だが、
「知らぬ者には何の目印にもならぬもの。」
 それでもよほどのこと、商品への扱いは丁寧な店主であったらしくてな。それでの無傷なまま居残れたのだろと、
「実を言うと儂も、昨夜その辺りを久蔵から聞いたばかりだ。」
 そうと言われての苦笑をなさる壮年殿であり。そして、
「財を潰した者の始末品。縁起が悪いというのなら、金に換えても良し。」
 例えば質流れの品を、厄がついていそうだと嫌がる人も少なくはないそうなので。そうと対処してくれてもという言いようをしかけた久蔵へ、
「いえいえ、それは勿体のうございます。」
 奥深い黒がいや映える、瑞々しいまでのその白い手へ、大事そうに髪飾りを持ち上げていた雪乃が、そのままゆるゆるとかぶりを振る。
「久蔵様が見いだされた巡り合わせを奇跡とすれば、それほどの強い運を持つ笄だということ。」
 縁起が悪いだなんてとんでもないと、そこはにっこり微笑って見せて。ありがたく頂戴いたしますと、快く受け取って下さったのであった。





 しばらくすると、店の方が立て込んで来たか、仲居らしい女性が雪乃を呼びに来た。それへ導かれての座を外した彼女を見送り、座敷は男ばかりの場となりて、

 「それにしても、久蔵殿の目利きの才は素晴らしいものがありますね。」

 普段からも、此処へのご帰還のたび、土産の代わりにと名画や骨董の逸品などなどを持参し、そんな高価なものを持ち込まれてはと若い夫婦を困らせているお人ではあったが。
「縁日の夜店の店先へ並べてあった中から、途轍もない逸品を見いだすなんて。」
 遠いいつぞや、どこぞかの差配が口にした、河原の砂の中の一粒を捜し当てるより難しいことではなかろうか。刀さばきにしか関心がなく、それ以外の何物へも興味が沸かず。まだまだお若いというに、こんなままでこのお人はどんな生き方をなさるのだろかと、他人事ながらも気を揉まされた七郎次には、思いがけないにも程があったこと。人斬りという殺伐としたことをその生きざまの根幹に据えながら、恐らくは真逆だろう方向のこんなにも素晴らしいこと、ずば抜けた才能をもお持ちだったなんてと。お酒は飲めない次男坊へ、今が甘い旬の糖蜜りんごを丁寧綺麗に剥いてやりつつ、七郎次がつくづくと感に入ったる声を出す。藤色の袷に茄子紺の羽織。きちんと揃えたお膝にお皿を置いての、そこへと皮を溜めながら。くるくると器用に動き続ける白い手元を,
「…♪」
 こちらさんもすぐ傍らにお膝を揃えて、じっといい子で待つ久蔵の姿は。あの神無村にて、この七郎次を母上も同然に慕っていたころと何ら変わりがなく見えて。こちらさんのこの姿の方は、先程 喩えに出した七郎次の本気の激高の恐ろしさとは丁度正反対。この痩躯でありながら、双刀を操っての鬼のような働きっぷりは物凄く。小山のような機巧躯を誇った雷電でさえ、微に入り細に入り切り刻んだ凄腕との破格の落差。母猫に寄り添う仔猫のような、いかにも大人しく稚い姿には、侍仲間の五郎兵衛殿や平八なぞが何とも言えぬ苦笑を見せていたりもしたもので。それを思えば、どんな意外な側面を見せられようと さほどの驚きは沸かぬとばかり。大金に化けた古美術を見つけた手柄さえ、でかしたと褒めこそすれ意外だと驚いたは七郎次のみだったのも、今となっては懐かしい語り草だ。
「はい、どうぞ。」
「…vv
 ウサギのお耳つきで綺麗に剥いていただいたのを、かたじけないとのお辞儀つきで押しいただいて。さっそくさくりと齧じりついた屈託のない様子からは…眉ひとつ動かさずに両手では足りぬ野盗らを一気に撫で斬れる練達の気配はおろか、古来物や匠の逸品を見分ける筋の、名のある目利き名人の風格もまた、まるきり感じられなくて。美味しいですか? それはよかったと。愛惜しげに次男坊の髪をば撫でて差し上げながらの、ふと、おっ母様が呟いたのが、

 「勘兵衛様の、人の才を見抜く目利きと、どちらが上なのでしょうかねぇ。」

 そんな一言であったりし。七郎次がりんごにかかっていた間、手酌で盃を重ねていた壮年殿が、自分へ向いた妙な矛先へ怪訝そうに目許を眇める。こちらの御主の優れたところは、久蔵が初見の立ち合いでその心を搦め捕られたほどの刀の腕とそれから、軍師としての知性と蓄積と…人の才能を見抜く眼力。名将は名将を知るとばかり、ただ肌合いや直感でそれと判るのとは別に、心の動揺やその逆の諦念、隠しごとがあっての枷やら軛木やらの存在まで、複雑な機微をも嗅ぎ取ってしまえる眼力を備えておいで。
“自分を慕う者らを、それと判っていながら無残にも振り捨てて来た冷徹さだけは、いただけなかったですけれど。”
 それらはまま、今は間口が別な話だからと置いといて。
「久蔵殿もまた、勘兵衛様の才覚のようなもの、見抜いたからこそついて来られたのでしょう?」
 絵画や骨董への目利き、暇だったから身についたと仰せだったが、豊かな感受性という素地がなくては、ああまで身につきはしないことですしと。七郎次が続けたのへと、
「?」
 自分のことだのに、そうなの?と訊きたげに、きょとんとして七郎次を見やった久蔵の頬へ。白い手を滑らせての優しく撫でて差し上げて、
「ええ。何を見ても同じなら、どれが優れたものか、どれが上っ面だけ体裁を整えた偽物かなんて区別、つくようにはならぬでしょう?」
 綺麗なものを綺麗だと、思う心の冴えが特化したればこその、育まれた目利きの才でしょうよと。優しいお声が紡いでのそれから、
「勘兵衛様の、人の才を見抜く力だとて同じこと。」
 くすすと微笑った七郎次であり。何だその意味深な言い回しはと、ちょいと意を捕らえ難かったらしき御主が、ますますのこと眉を寄せたのへ、

 「ずば抜けた慧眼とそれから、
  人への関心があればこそ、どんな人物かも見抜けたのではありませぬか?」

 誰であれ、自分からは語らぬだろうこと。どんな重荷を背負っているのか、どんな枷に縛られているのか。腹黒い人性の者でも同じように見抜けただろうが、そちらは用心深さと、利用価値があるかないかを見定めんとする賢しさという“計算高さ”からのこと。その点、勘兵衛にはあまり人とは関わるまいとしたがる傾向があった。自分の中にどのような暗渠を忍ばせているものか、何をもってそこまで自らを疎んじているものかは相変わらずに不明ながら、誰かとの必要以上の縁(よしみ)を結ぶことを頑なに許さず、孤独でいようとし続けていて。

 “キララ殿から訊いておりますよ?”

 最初のうちは、どんなに苦衷な事情を聞かされようと、この人はと見初めたは水晶の導きによるものと、彼女らが神意にまですがっていることを熱く説かれようと、助けてはやれぬと断り続けていたのだとか。

  ―― 正義の心なぞ持ち合わせてはおらぬと言いたげに、
      自分へは関わるなと振り払って。

 だのに。そうでありながらの矛盾したことには。人の性を易々と見通せる、どんな軛木に束縛されているのかを慮(おもんばか)ってやれる彼でもあって。
“練達を集めていたからと、だからという動機背景だけで、理解把握に至れるものでしょうか。”
 殺伐と鋭、ただただ刀を振るうことしか頭になかった久蔵が、血に飢えているのではなく他を知らぬだけなのだと、やはりあっさり見抜いてしまったからこそ。義にのっとった行儀のいい振る舞いをしたり、修羅場での際限のない臨機応変を繰り出せるあの柔軟さが、日常ではかけらも出せなかったりする双刀使い殿だということ。勘兵衛にだけは不思議だ奇妙だと思えなかったのでもあろうし。それへ加えて、そこまでの構いつけの必要なぞなかったはずだのに、折に触れては…孤高に尖った肩を抱いてやり、夜気に凍った頬を大きな暖かい掌でくるんでやり。人としての何やかや、少しずつ染ませてやっていた彼でもあって。

 「…聞いたような口を利きおって。」

 ほら今も。久蔵とさして変わらぬ青二才が大人ぶりおってと、そんな言いように聞こえますよ? そしてそれは、図星を差されたからという誤魔化しにも聞こえるのですがと。苦笑が止まらぬ七郎次であったりし。

 “…。”

 軍にいた頃は、あんなにすぐの傍らにおりながら、なのに、その頑迷さをとうとう解して差し上げることが出来なかった。そんな自分の不甲斐なさとそれから。それほどまでも頑なに、他者への関心は沸かなかった彼だったはずが、出逢ってのすぐさま興味を惹かれ合い、それが引き金になっての加速をつけて、生気を取り戻した御主と、そのきっかけを与えた胡蝶の君とへ。双方ともへの愛惜しさと…少しばかりの岡焼きとを、抱えたまんまのおっ母様。だからこその是非とも、幸せになってもらわねば困るとばかり、不器用さんなお二人へ擽ったげな苦笑を向ける七郎次だったりするのである。








  ◇  ◇  ◇



 さて。積もる話は山ほどあれど、宵も更けての夜陰が嵩めば、ここがどれほど安住の地であるかの証し、旅の疲れが滲んでか眠たそうなお顔になったお人がいるのでと、歓談の場も早々にお開きとなり。いつものように庭先の離れ、好きに使って下さいませと一番豪奢なそれへと案内されて。余程の格の店ででもなけりゃあ、宿の客室になぞまだまだ普及してはいない、真新しい葦草の香りもつんと清々しい畳敷きの間に落ち着いた彼らであったが、

 「…島田。」
 「んん?」

 あらたまっていかがしたかと、そちらを向きかけたのとほぼ同時。まだ湯上がりの香がほのかに残りつつも、そんな親しみやすい匂いと裏腹、色白な頬や金色にけぶる綿毛を、濡れ縁からの煌月の光に映えさせて。いかにも玲瓏な存在が、すぐ傍らへと寄っており。こちらの雄々しく張った肩口に手を添え、膝を折るとそのまま…するりと。当然顔で腰掛けて収まったのが、壮年殿のお膝の上なのも相変わらずなら、

 「見初めたのは、俺が先だ。」

 唐突な物言いもまた、相変わらずの連れ合い様であり。何の話かと一瞬表情が止まった勘兵衛へ、無表情にもいや近い、それはそれは真摯なお顔のままで、

 「お主が俺を見初めたよりも先、俺がお主を見初めたのだからな。」
 「…ああ。」

 目利き云々という先程までの会話の続きであったらしい。確かに、彼らの初見となったあの邂逅は、やたら凄腕の侍が市中にいるとの噂を聞いて、どんな奴だろかと足をわざわざ運んだ久蔵だったから叶ったものであり。順番という見方からだと、
「そうなるかの。」
「なる。」
 だがあれは、噂を確かめに来たというだけだったのだろうが。何を言うか、俺から立ってゆかねば、あんな逢い方は出来なんだ。

 「では、お主が動かなかったなら、荒野にての立ち会いがお初となったと?」

 野伏せりの加勢を得た上で、神無村へと発った彼らを追って来た久蔵と兵庫。そんな彼らが相覲
(まみ)えたのは、式杜人の禁足地の果ての荒野でのことであり、

 「…それは、困るな。」
 「?」

 今度は勘兵衛の側が、顎髭を撫でつつその表情を鹿爪らしくも真摯に引き締め、そんな言いようをする。何が困るのだと訊くように、眉根を寄せつつ精悍なお顔を見上げた久蔵へ、
「あのような乱戦の場にては、互いに互いをよく知らぬままの邂逅・対峙ととなっていただろし。」
「…。(頷)」
 白い砂防服と濃い色の豊かな蓬髪をたなびかせ。多勢に無勢も何のそのと、それは切れのいい軽快な身のこなしにての舞うように、見事な刀さばきを見せていた勘兵衛ではあったので。それへと心動かされた久蔵ではあったかも知れないが、その逆はというと、
「お主がどのような練達かも判らぬうちに、儂は兵庫殿の鉄砲であっけなくも仕留められていたやもしれぬ。」
「…っ。」
 まだ勘兵衛のことをよく知らぬままな久蔵が、仲間の兵庫の意趣を遮っての庇い立てをしたとは思えぬから。となると、あの流れから察するに…そうとなった恐れも重々とあって。あんなところで一巻の終わりとは何ともなと、しみじみした声を出している勘兵衛だったが、

 「…。」
 「久蔵?」

 こうまで間近に寄り添う存在の、細い肩がふるふると震え出し、おやと覗き込んだお顔の中、肉薄な唇をぎりと咬みしめている久蔵だと気づいて。これ、切れてしまうだろうがと窘めながら制しかかった勘兵衛の、その首っ玉へ細い双腕がしゃにむにしがみついて来たものだから。
「久蔵?」
 どうしたことかと声をかけたが、
「〜〜〜。」
 肩へとまとわす蓬髪ごと、ぎゅむと抱えてのまだ少し震えている彼であり。腕を伸ばしたことでかいがら骨の間が開いた細い背中へと。こちらからも武骨な手を添えてやり、よしよしと撫でてやりつつ いかがしたかと案ずれば。

 「…よかった。」

 小さな小さな声がした。震えていて“よかった”もなかろうと、何がだ?と問えば、

 「俺が見初めていて、だ。」

 お互いをよく知る間もないまま、敢えなく終わっていただなんてと。架空の話へ心からの真剣に怯えている彼であるらしい。こんな風に触れ合うどころか、こんなにも間近になっての、瞳の色さえ覗けぬまま。この壮年殿が命を落としての逝っていたかと思うと、
「〜〜〜。」
 その胸がきりりと絞り上げられてしまって痛い。こんな風に頬を寄せることも出来ぬまま、この堅くて温かな胸板が冷たい骸と化していたかも知れぬなぞ。想像するだけで居ても立ってもいられなくなるらしく。

 「…久蔵。」

 こちらも宿衣の小袖に袷といういで立ちの、そんな勘兵衛の胸元へと頬を寄せ。すぐ目の前、重なった前合わせの衿の縁から覗く素肌へと指先を添わせると、そのまま内へ手を差し入れて。懐ろの中、鞣し革のように張りのあって強い肌の感触とその熱さへ、安堵の息をつく彼であり。双刀振るえば天さえ裂けよう希代の剣豪が、そんな他愛もないことへ本気で怯えているなんて。

 “しようのない奴よの。”

 まだまだ足りぬところの多き、幼くも無垢な君。そんな稚いところを見せてくれる彼が、勘兵衛にもそれはそれは愛惜しくてならず。


  ――― そうさの、これはお主に感謝せねばならぬかの。
       〜〜〜。
       どうした? そのように上目遣いになりおって。
       どうせ、何らかの手を打ったに違いない。
       手?
       口八丁で兵庫を誑
(たぶらか)すとか。
       お主、儂をどのような男と見ておるか。


 おやおや。甘やかな雰囲気のままに睦み合いへとなだれ込まれてもコトだなと思っていたものが、それとは真逆の色合いの空気を感じ取り、

 “何だか妙な雲行きになって来たなぁ。”

 勘兵衛様はともかく、久蔵殿はこっちに気づいてないみたいだし。いっそこのまま母屋へ戻ろうかしら…と。枕元へのお水やら口寂しくはないかとの果物やら、差し入れがてらにおやすみなさいを告げに来たおっ母様。離れの戸前に立ったところで、中のなかなか剣呑な空気を嗅ぎつけて、少々出端を挫かれてしまわれたご様子であったりし。夫婦ゲンカは犬も食わぬと言いますが、ほどほどにしておきなされよ? お二人さん。
(苦笑)





  〜Fine〜  07.11.16.


  *途中、お母様と一緒シリーズへ傾きかかりもしたのですが、
   時間軸を鑑
(かんがみ)た末、
   こちらへ寄り切っての払い腰でうっちゃりました。(おいおい)
   if話のなかへ“もしも”を持ち込むとは、
   我ながらややこしくも不毛なことをと、
   今になって ちょこっと反省しております。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

**

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