あらまほし (お侍 習作95)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


あれはいつのことだったろか。
まだまだ寒さも厳しいながら、暦の上では春に入っていた頃合いのこと。
北の辺境、山野辺の寒村に、それは巨大な人喰いヒグマが現れて。
それでなくとも男衆は南の街へと出稼ぎに出払っており、
居残りは年寄りや女子供しかいないという頼りなさ。
そんな住人たちの難儀を聞き、
湯治場巡りの通り道でもあるしと立ち寄って、
着いたその日に見事討ち取ったは、
元は軍人だったという、老若二人のお侍様。
特に売り出している訳でもないのにその名が広まりつつあった、
蓬髪の壮年殿と金髪痩躯の若武者という、賞金稼ぎ“褐白金紅”のご両人。

 『そんな通り名まで用意したのは、お主か?』
 『おやおや、そんな滅相もないvv』

まだその当時は、若い連れ合いの傷を癒すことの方が主目的。
だってのに、様々な成敗嘆願の文や書状が、
転々と移動する旅先、ともすれば日替わりとなる彼らの居場所へ向けて、
異様なくらいに正確に届くは理屈がおかしいと。
そこいらを正しにと、二人が訪のうたのが虹雅渓というにぎやかな街で。
人生の転機とも言えるほどもの鮮烈な出会いや再会を、
彼らへ齎した一大事件の、舞台となった荒野の街の底。
歓楽街“癒しの里”の名うての大店、
料亭“蛍屋”にお初の里帰りをした折のことではなかったか。





  ◇  ◇  ◇



 先の大戦の終焉からこっち、人々は…表向きは節度ある平和で安寧な毎日を送っていたものの、その大戦時から着々と蓄えた財のある者、アキンドらの利己的な台頭は目覚ましく。街住まいの一般人は、流通という経済を回す存在の、所謂“消費者”だから、搾取の側にいられるとしてさして構わなかったその代わり。無から生み出す“生産者”にあたる各地の農民を掌握するため、侍くずれの“野伏せり”という輩らを組織し、作物を略奪させ、蹂躙跋扈させるという悪虐非道を働かせた、真の黒幕でもあったりし。

 “薄々 察してはいましたが、
  侍の時代じゃあないのはしょうことなしと思ってもおりましたしねぇ。”

 そんな複雑怪奇な世情や、上つ方が構えし陰謀に巻き込まれ。単なる“野伏せり退治”から、世間を引っ繰り返したほどもの大仕掛け。最大の権勢者であり諸悪の根源でもあった“天主”筋の長老共を、超弩級大型戦艦ごと叩き落としての薙ぎ倒した侍たちは、だが。そんな事実や真実を清濁引っくるめて胸の奥底へと秘めての封じ、それぞれ口を噤んだままで四方に散った。血刀下げての乱暴狼藉への訴追を恐れて逃げたのではなく、前へ先へと進むための出発であり、殊に、すぐ真後ろの昨日を“過去”として切り替えての、将来へ向けての出発をなさった御主を送り出した七郎次には、色々と感慨深かった節目となったのが。丁度1年前にあたろう、春まだ浅い頃合いのこと。一緒に居たのはほんの半年足らずという短さだったのに、何とも深く印象づけられたお仲間の皆様との出会いは勿論のこと、時からさえ置き去りにされての別離に悲嘆した末、いっそ追い腹切ろうかとまで思い詰めたその御主にも、再会した上、今度こそはとその背中を見送っての送り出せたことをば至福と噛み締めてののち。世話になった女将への奉公半分、心砕いて見守ってくれた彼女との優しい絆を温めて、自分の幸せにやっとのこと向き合うこととした彼だったのだが、


 “………え?”


 夜こそが本番の遊里の常で、陽に晒される昼間のうらぶれた風景は、ただただ乾いて味気無くも間延びして見えるばかり。そんな中に忽然と現れた彼らを…どこで揃えたそれだろか、見慣れぬ冬用の装備をまとっていたにもかかわらず。その姿をすぐにも見極め、それと同時に胸が跳ね上がるほどものざわめきに、ついのこととて懐ろへと手をやって抑えたほどだったたのは。人知れずのいつも、心の抽斗
(ひきだし)の一番手前に置いており、手擦れがするほど撫ぜては懐かしんでいたその証しか。お顔や羽織を見るだけで、どこの大店の旦那衆かを見極められる融通よりも素早く。それも…胸の一番深い奥底からの、熱い熱いほどびをともなっての色々を、じんわりと想起させてくださったお顔が二つ。まだまだ陽も高い、お化粧前の“癒しの里”の大通りをやって来た、そんな彼らの姿を見つけて。吹き抜けの上、高々と設けられたる高階段を危うく転げ落ちそうになった、蛍屋の男主人であったりし。

 「勘兵衛様、久蔵殿っ。」

 もう幇間ではないのだからと、動きやすかったけれどどこか蓮っ葉でもあった、筒袖筒袴というあの当時の恰好ではなくの。羽織に袷という粋に小じゃれた恰好に収まっていたことが、この際は何とももどかしい。気ばかり急く身を操って、大戸を半分だけ開けていた玄関口、三和土の土間までを駆け降りてくると、
「シチ…っ。」
 まずは…そちらからも足を急がせてくだすった、金髪痩躯の次男坊をその双腕
(かいな)へと捕まえて、懐ろ深く抱き込める。
「お帰りなさい、久蔵殿。」
 泣く子も黙る双刀使いの紅胡蝶。女性と見まごうほどの優美玲瓏な姿でありながら、鋼の機巧躯が自慢の野伏せりたちをさんざん震え上がらせている存在へ。それと重々知っていながら…なのに、
「ああ、相変わらずになんてまた細い子でしょうね。ちゃんとお肉もお魚も食べておりますか?」
 勘兵衛様がまた甘やかして、好き嫌いがあっても叱らないのではありませぬかと。めっきりと母親ばりの気遣いを降りそそぐところが…何ともはや。
(苦笑) それからそれから、そんな二人を何とも微笑ましいと眺めやる壮年のお連れへと、

 「お久しゅうございます、勘兵衛様。」

 甘露のごとく垂れたる蜜に、花もほころぶ蝶も舞う。そんなほどもの甘やかな笑みをふんだんにも滲ませて。すっきり冴えたる青玻璃の目許をやんわりと細め、優美にも口許ほころばす七郎次には。謹厳実直な哲学者もかくやという、厳格そうなお顔をすることの多かりし壮年殿も、ついのこととて苦笑を滲ませ、目礼を返しつつ破顔するしかないようで。
「もっと早くの寒い時期にこそ、お戻りくださればよろしいものを。」
 いつお戻りになられてもいいようにと気を張って、どれほどお待ち申し上げたことかと、恨めしそうなお顔を作ったは…反語的なお言いよう。寂れ鄙びた寒村では、物資も少なきゃ寒さに震えるばかりになるのが冬場。何かとお困りだったでしょうにと、いたわりのお声を掛けたれば、
「なに、そのような時期こそ名湯秘湯に浸かった方が効能も多かれと思うてな。」
 ギプスこそないがそれでもまだ一応はと、革の装具で右腕を吊っている連れ合いに眸をやって、さて。
「このような飛び込みでも逗留は出来ようかの?」
 何と言っても名代の大店。布団部屋へでも泊まりたいと所望する贔屓衆は、引きも切らないのではなかろうかと、暗にお訊きの御主へと、
「出来るも何も。ここはお二人のご実家と思うて下さいと、言っといたはずですよ。」
 くすすと笑ってのそれから、背後に気配を察していたらしく、
「なあ、雪乃。」
 上背がある彼のその背後、すっかり隠れた格好となっていた自分の妻、この店の女将を振り返れば、
「ええ、ええ。そんな野暮で水臭いことは言いっこなしですよ、旦那。」
 こちらさんもまた、城さえ傾ける勢いの美貌を輝かせ。久しいお客の来訪へ、殊の外 嬉しそうに目許を細めておいでだが、

 「?」

 そんな彼女が大事そうに腕へと抱いているものがあり。寝かせておけずに抱えてきたは、家族も同然のこのお二人にいち早くのお目通りをさせたかったからこそのこと。真綿を織ったるおくるみに、ふわふわほかほか包まれた、小さな小さな宝物。それへと気づいたからこそだろう、七郎次おっ母様の腕からそおと身を離し、そちらへ向けた視線を先杖に、女将の方へと ほてほて足を運んだ久蔵が。おおとその紅の瞳を見張ったそのまま、女将の白いお顔を見上げ、物問いたげなお顔になったのへ、

  「…ええと、ウチの子です。////////

 真っ赤になったは…七郎次の方。金の髪を綺麗に結い上げた後ろ頭を、照れながらだろうほりほりと掻く彼へ。ええとはなかろうと苦笑をした勘兵衛も、どらと足を運んでの覗き込めば。生まれてから数カ月は経っているものか、それなり愛らしく収まりが着いて、個性も出ている頃合いの、幼いお顔が見上げておいで。綿雪のように白い肌の上、淡く散らした赤みが柔らかそうな頬を彩り、うー・やうと何ごとかを稚くも紡ぐお口は、よく熟れた茱萸
(グミ)の実のように瑞々しくて。髪は黒くて母御に似たか、だがだが、大きく見開かれた瞳は、宝石のような青みを虹彩の外へまで滲ませての、父上のそれとそっくり同じ。
「これはまた、何とも可憐な愛らしさだの。」
「ありがとうございます。」
 勘兵衛からの感慨はともかくとして、

  「女将に似てる。美人だ。」

 雄々しく隙なしの練達め、一手仕合うてもらおう…が万人へ通じる世辞だと思っているのじゃなかろうかと思われるほどの生え抜きの侍で、女性への褒め言葉なぞ知らぬはずの朴念仁の久蔵が。そんな一言、ポロリとこぼしたものだから。かつての主従二人が、ほぼ同時にギョッとして、久々に呼吸を合わせての“えっ?”と眸を剥いたほどだったりしたのに対し、
「あらあら、久蔵様に太鼓判をいただいたとは。」
 これは先が楽しみでございますと、ころころ涼しげに微笑った女将の方がよっぽど、肝が座っていたのかも知れませぬ。






 何しろ初めての里帰り。そこへ加えて、七郎次の子という驚きの新顔もありて。真新しい畳のいぐさの香も青々とすがすがしい、家人のみが使う棟の広間に移ったご一同。仰々しい外套を脱いでの、お馴染みのいで立ちとなったお二人を前に、話はずんと弾んでの絶えることはなく。殊に、

 「…あんなお顔がお出来になったとはね。」

 日頃の凍ったような仏頂面はどこへやら。麗しくも端正ではあるけれど、作りものめいていて いっそ怖いくらいの冷然とした貌が基本となっていた筈の久蔵が…今この場が初対面な人間がいたならば、そんな話は絶対に信じやしなかろうほど、それはそれは柔らかに和んだ表情を浮かべており。伏し目がちとなった目許は、嵩じた情が放つ微熱にうるうると潤んでいるようだし、あやしようを知らぬことがもどかしいらしい口許も、蜜を含んでの甘く濡れ。いつまでもどこまでも、飽きないまんまに赤子ばかりを眺めておいで。我らには幸い運んだ名前ゆえ、カンナと名付けたのですよと言ってやっても、果たしてちゃんと聞いていたものか。

 「子供がお好きだったとは。」
 「いや。そんな素振りは旅の間にも見たことがなかったぞ?」

 それどころか、勘兵衛が構った小さな坊やにまで性懲りもない焼きもちを妬いた彼ではなかったか?
(くすす) 無理に引きはがしても角が立とうから此の際は、気が済むまでそっとしといてあげましょうと。母屋の座敷に落ち着いた大人らも、微笑ましげに眺めておいで。そんな対処となったのは、こちらは赤子の側からの、ちょっとした“不思議”もあったせい。さあさお疲れでしょうお上がりをと、広間までを移動したおりのこと。廊下に満ちていた寒の気配にでも擽られたか、母御の懐ろにてちょっぴりぐずりかけたカンナ嬢だったのが、
『???』
 おやおやどうしたと久蔵がのぞき込むと、そりゃあ速やかに機嫌が直り、きゃうと声上げ笑ったものだから。そんな顛末へと、
『あら、これは初めてだよ、お前さん。』
『ああそうだね。』
 今度は若夫婦の側が目に見えての驚いたほど。というのが、
『この子は殿方へはなかなかの人見知りをする子でしてね。』
 顔を見りゃ泣き出すというほどにはひどくもないが、機嫌を曲げたのをあやすのは、女性でないと絶対に無理。
『どうかすりゃあ、父親のアタシでも手に負えないほど泣き叫ぶんですのにねぇ。』
 物腰がなよなよしてまではないながら、それでも役者のように嫋やかで線の細い印象のする、ハッと眸を引こう美丈夫な七郎次のお顔でも、あやすこと適わぬ場合の方が多かりしなカンナ嬢のむずがりを、たったの一瞥で止めたは異例。それでという信頼を得た双刀使い殿はといえば、

  「可愛いとはこういうことを言うのだな。」

 小さくて愛らしく、拙く儚げで、そこが愛おしい。そんなものへと込み上げる切ない感情。理屈も何もなくの、何物からでも護ってやりたくなる、そんな存在へと抱だく気持ち。成程そうかと、今初めて理解が至ったか、ほおとどこか夢心地のままに吐息をついた久蔵であり。
「…。/////////
 そりゃあ巧みな しんこ細工のように、この小ささに果たして必要なのかと思われるほど小さな小さな爪まで揃った小さな“ぐう”が。何へとどうご機嫌さんか、よいよいよいと振られるの。やはり見守る雪乃と額同士が当たらぬかというほど その身を乗り出し、飽かず見つめ続けるばかりの連れ合いの真白き横顔へ。その至福のお顔こそが愛おしくてたまらぬとばかり、和んだお顔をなさる御主の様子、

 “あーあ、やに下がってしまわれて。”

 北の白夜叉が聞いて呆れるとの苦笑が出るも。そうやって見守る自分もまた、そんな勘兵衛様と大差無いかと、そこは気づいての我に返った七郎次。そんな拍子に、
“ん?”
 お廊下に人の気配を察すると、ちょいと失礼と席を立ち、そこに来ていた店の者と何やら言葉を交わし始める。特に語気が荒くもならなんだものの、そのまま連れ立って階下へとたとた降りてゆく彼であり。此処の主人である彼が面と向かわねばならぬ客人があったか、それにしてはこちらに座を外す断りを入れぬは七郎次らしくない不調法。ちょちょいで戻って来られるから…という判断をし、それでと取り急ぎそちらへ向かったということだろか。

 “………。”

 1年逢わなかっただけでそうそう変わる気概や人性でもなかろうと、それより気になったものがあっての、そおとこちらも席を立った壮年殿。屋敷の間取りは以前に滞在したおりのままと心得ていたし、この虹雅渓ほど温暖なところでは、もはやさほどの厳寒期でもないからか、通風穴を兼ねた連子窓などが開いていての人声が届いたのへと誘われて。さほど気配をひそめることもなくの泰然と、階段を降りて向かったのが。出入り口近くに設けてあった、帳場のようになった小部屋の手前。こちらには商売の客は入れぬ棟。とはいえ昔はそうではなかったものか、足元、地袋の位置に、小さな抽斗がたんとある、作り付けの棚があり、その上へと置かれた…大きなダイヤルと、針が左右へ触れる小窓のついた機器と向かい合い、漏斗のような形の小鉢を耳に当て、七郎次が何にか聞き入っている。
「…そうは仰せですけれど。あのお二人は、お役人でもなけりゃあお尋ね者でもないのですよ? だってのに、その行き先や居所を、そちら様へ逐一お知らせする義務はないはずですがね。…判っておればそのような、横柄な訊き方は出来ぬ筈。何でしたら、兵庫殿へと言伝てする格好でのみ、連絡網を敷いて差し上げましょうか?」
 毅然とした物言いが、途端に…勘兵衛にかつての昔を思い起こさせる。大本営からのあまりに無体な指令や、家柄は上流かもしれないが位は下士官からの分をわきまえぬ横柄な口利きへ、すっぱりきっぱり口答えをしていた…そっちも立派に横柄だった、うら若き副官殿の横顔が、今の彼のそれの上、ひたりと重なって見えたのへ。何とも言えぬ感慨が起きてのつい、くつくつと吹き出してしまったところ、

 「…じゃあ、そのお話はまま伝えてはおきますが。」

 あまり当てにしてはくれますなと念を押した上で、大急ぎで通信を断った七郎次。そのままそろぉっと戸口に立つ元上官を振り返り、
「聞こえてましたか?」
「まあな。」
 御主へは聞かせたくないことだったからこそ、黙って呼ばれた彼だったらしいと。合点がいっての苦笑が絶えぬ。ぱちりぱちりとあちこちのスイッチを下ろし、回線を封鎖する手順を敷きつつ、
「…何ですよぉ。」
 いつまでもくつくつ笑っておいでの勘兵衛へ、怪訝そうに頬を膨らませた彼だったのは。御主の前で少々居丈高な物言いをしたこと、大人げないと照れての反動だったのかも知れなかったが、

 「いやなに許せ。」

 勘兵衛としては。自分らへの盗賊・野盗退治の依頼があまりにも、間がよく届くことへの不審と疑問、この彼へと遠回しにぶつけての腹を探ってやろうかと。そんな企みをしていたものだから…今のやり取りの憤慨振りから、答えは出たも同然と。あまりの呆気なさに苦笑がこぼれて止まらない。何とか落ち着いてから改めてその旨を訊いたらば、

  ―― あ、それはひどい。

 そんな危険でややこしいお仕事を、どうしてこのアタシが勘兵衛様や久蔵殿へ押し付けましょうや。やっぱり憤慨して見せた後で、
「あ、でも。ゴロさんからどうしてもと、たっての依頼のあった案件へだけは、お二人が捕まえられるようにという網を張っての協力してもおりますが。」
「…おい。」
 おおお、勘兵衛様がツッコミを入れなすった。
(笑) だってですよ? まだまだ腕に物言わせての無体を通すお馬鹿は絶えません。そんな輩が蹂躙したお陰様、せっかくの湯治場が潰れてしまっては、結局勘兵衛様だってお困りになられるのではありますまいか。口の減らない元副官殿の言いようへ、

 「…判った、もういい。」

 それで命を取られるような、あまりな無理難題を吹っかけられた覚えは無しと。そこいらへの限度や制御は怠らぬ彼なのを買ってやり、それ以上の非難や言及は止すことにした壮年殿。ほうと胸を撫で下ろした七郎次を前に、

 「役人たちに顔が知れるのは、いっそ面倒がなくて良いのかも知れぬしの。」

 そんなお言いようを重ねてしまわれる。侍同士の諍いや切り結びは、一般人が引き起こす殺人とは道理や何やの次元が異なる。名誉に唾されての抜刀…なんてな、人斬り同士の理屈の上での諍いは、それでなくとも物騒極まりなくて、素人が割って入っての止めよもなく。そこで、浪人や野伏せりへの対処として、いまだに様々な例外がついて回る土地も少なくはない。悪行を働く存在を、縄を打っての召し捕るのへと持ち出す法規は同じだが、侍同士で切り合った結果の殺傷へは、斬られた側もばつが悪かろと、よほどに訴えがない限り、自損に近い処断が下され。殊に、悪行三昧な手合いを掃討する行為へは、賞金稼ぎの成した“成敗”と見做し、罪を問わないとする土地がいまだに多い。
「賞金稼ぎであるぞと登録させる州もあるとか聞きますが。」
「それはさすがに御免だがの。」
 侍だという看板は下ろしておらぬが、だからと言って生業
(なりわい)にしてどうするかと。今度こそは目許を眇めた勘兵衛へ、すみませんと俯いた七郎次だったものの、

 “生業にしてしまうと、久蔵殿への負担が増しますものね。”

 もしやして、あの騒動への関わりがなかったならば。そんな登録とやらへ、その名を連ねていた勘兵衛だったかも知れぬと、ふと思った。先にご自分でも言ったこと。その方が面倒はないかも知れず、周囲への迷惑も少なくて済むと断じてのこと、人別帳には留めなかった名前を、そういう物へは記した彼かも。だが、そんな立場に身を置けば、連れ合いの久蔵にまで妙な格好での義務を押し付けることとなるやもしれぬ。彼の将来
(さき)への選択肢を狭めることはしないと、そんな思慮を感じさせるお言いようでもあって、
“そういうところも変わられましたね。”
 先のことを考えるようになったのは、久蔵殿だけじゃあないようですねと。微笑ましいことよとの苦笑をし。そこへと店の母屋からの使いが来たのを切りに、それじゃあ夕餉の折にでもと、簡単に目礼を交わしての表へ出てった七郎次を見送った勘兵衛。

 「…?」

 ふと、視線を感じて視線を巡らせれば、自分たちが降りて来た同じ階段の半ば辺りに、ちょこりと腰掛けている人影がある。年端のゆかぬ子供が親御のお話、済むのを待っていたかのような素振りにて。頬杖をついてのこちらを見下ろしていた彼であり、

 「久蔵。」

 いかがしたかと問い掛けかかった勘兵衛の声が、はっと息を引いたのへ呑まれての、中途で途切れてしまったは。ふらりと立ち上がった頼りないその動作の連なりの果て。重さというもの、まるきり感じさせないそのまんま。前方へと倒れ込むかのように…ともすれば転げ落ちて来るかのように、ふわりと宙へ、その身を躍らせた久蔵だったから。

 「な…っ。」

 先程までの、赤子に向けていた豊かな表情もどこへやら。少し重たげにまぶたを下ろした無表情にて、そこから頽れ落ちるかのように、頭上から降って来た彼であり。何を血迷ったかと慌てつつ、真下へと足早に駆けつけてやれば、

  ―― それはそれは軽やかな、
      天女の羽衣のような、現のものとは思われぬような存在が

 反射的に受け止めんと広げられていた勘兵衛の腕の中。測ったように降り下りて来ての、広がりかかった紅の長衣紋の全てごと、すっぽりしっかり収まって。
「…久蔵。」
「大事ない。」
 怪我もなければ、いきなり目眩いがしたわけでもないと。言及を受ける前に、冷然と短く言ってのけた彼だったけれど。それにしては…しゃにむにしがみついてくる様子が尋常ではなく。他愛ない稚気の為した、単なる悪戯とも思えなくって。

 「久蔵?」
 「〜〜〜。」

 明らかに不審ぞと、雄々しき腕でその懐ろへと掻い込んでやりつつも、案じるように訊く勘兵衛へ、いやいやとかぶりを振るばかりの彼であり、

  ―― 七郎次と話をしたかったのか?
      …そうだが、違う。

 自分でも判らないということか。戸惑うようにかぶりを振っては、そのままその痩躯をしゃにむに勘兵衛の身へと擦りつけるばかり。途轍もない握力で刀をさばく筈が なのに節くれ立ちもしないまま。指も拳も至って形のいいまんまのその白い手が…片やは二の腕を回っての背中へ、もう片やはすぐ目の前の懐ろへ。相手の衣紋をぎゅうと掴みしめての離さぬところが、

 “それが答えなんじゃあないのでしょうか。”

 店側の母屋へ至るすぐ手前、ぎりぎりのところで振り返った七郎次が、その光景へと苦笑を見せる。浅黒い肌に充実した肢体。精悍で野性味あふるる風貌に、奥深い知性が深みを差しての頼もしく。思慮深い人性は情も深くて、だが、意外なところで気が利かない。恋情に不慣れで野暮天で。だけれど、そんな焦れったいところは、瑕にもならずの却って誰をも惹き寄せてしまうだろう、飛びっきりの蠱惑でしかなくて。

  “とうとう気がついちまったらしいですな、久蔵殿も。”

 春がいきなりの突然やって来るのではなく、少しずつ少しずつ訪のうように。自分でも把握し切れぬ、だが確かにそこにある想いというものが。とうとう本人の意識するより強く働き、しゃにむな行為で表へ出たまでのこと。居心地のいい人、だから好きだったおっ母様よりも。離れがたいと、捕まえねばと、目の前の壮年殿へそうと感じ、その身が意図しないうちから衝き動かされたまで。侭に操れる言葉がまだ足りぬ彼だから尚のこと、伝わらぬ想いへ感じる歯痒さも人一倍深いに違いなく、

 “今度は勘兵衛様の側が、いろいろ自覚なさらねばなりませんねぇvv”

 愛しくてならないとする彼から、だのに…だからこそ、焼きもちを妬かれる身となったこと。ちゃんと自覚していただかねばと。それは楽しそうに鼻歌混じり、母屋へ向かうこの屋の旦那殿であり。そして、

 “ホント。春はそこまで来ているようですねぇvv”

 こちらさんもまたその目許をやんわり和ませて。窓の下をゆく自分の夫が、何を見て聞いて浮かれているのかへの察し、あっさりつけての頬笑んだ、若女将だったそうでございます。





  〜Fine〜  08.2.18.


  *相手の力量を読める練達は、何も刀に関わる存在ばかりじゃあない。
   その場の空気なんてもの、コトの次第の流れや何や、
   見ずとも読めてこそこういう商売の練達ですよと、
   さらりと把握し こなしてしまうような粋な人。
   何を隠そう、雪乃さんは一番贔屓したい女性ですvv
   だからして、勘兵衛様だとて、
   彼女にかかりゃあ“可愛いお人”だったりするんです、はい。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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