春は名のみの… (お侍 習作97)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

 
暦の上での春の到来とされる時期は、
よほどに気の早いお人が決めた区切りかと思うほど、
春とは名ばかり、どうかすると一年の間で最も寒さの厳しい頃合いだったりし。
特に寒冷地ということもない、めりはりのある四季が巡るような土地であれ、
夜明け前の冷え込みは、この時期のが最も苛酷と言っても過言ではなかろう。

  ―― 寒い寒いと首すくめ、
      指先爪先、鼻の先、赤く染めての吐く息は白。

だからといって、遅寝が許される者は限られていて。
なかなか明けぬ夜明け前、はたまた風さえ凍る黎明の中。
畑だ山だ、川だ海だへ、
朝飯前の一仕事へと、出て来るお人も多かりて。
そして、

 「…。」

こちら様はお務めからのことじゃあなくのお出掛け。
陽もすっかりと昇った頃合いに、
朝日の金陽に綿毛の輪郭けぶらせて。
こんな片田舎にはなかなかに小粋な、
敷地の境、錦木の茂みにしつらえられたる、庇のついた枝折戸を通り抜け。
逗留先の宿の離れまで、さくさくと戻り来たったは、
金の髪をし、若木のように伸びやかな痩躯も健やか、
されど気性は至って気まぐれなお猫様、こと、紅衣をまといしお侍様。
若い身に似合わず、朝は早めに目覚める性分なのか、
いつまで経っても起き出さぬ、連れ合いの寝顔も見飽きたか、
寝間を抜け出し、そのままふらりと、辺りを回って来たらしく。
質素な作りの板戸の引き戸、
からりと開くと土間からの小上がりになっている框があって。
板張りの短い待ち合い廊下の向こうに居室という作り。
誰に遠慮がいるものかと、声もかけずに襖を開ければ、

 「戻ったか。」

すっかり明けた朝の陽が滲み入っての明るい板の間、
その中央に切られた囲炉裏の縁に、連れ合いの壮年殿が端然と座しており。
いつもの白衣紋にきっちり着替えた平服姿であったのが、
奥の間でまだ寝ているかと思った久蔵には ちょいと意表を衝かれた間合い。
お…っと、仄かに目許が揺らいだの、きっちり拾って破顔して見せた勘兵衛が、

 「それは?」

目顔で訊いたのが、若いのがその白い手に握って戻った小枝の出自。
紅梅、いやさ緋梅だろか。
久蔵の顔よりも長い臙脂の枝に、
咲き始めから蕾まで、結構な数の花をつけたのを、
随分と無造作に握っており、

 「少し先で、貰った。」
 「貰った?」

相変わらずの言葉足らず。
とはいえ、そういやこの宿の裏手には広々とした梅林があったのを勘兵衛も思い出す。
この里では畑作として果樹を育てる家が多く、
柑子にいちじく、葡萄に桃に、枇杷、梨、林檎、栗にザクロ…と多種ある中で、
その梅林では青梅を収穫しているのだとか。
そこを通って戻って来たところ、綺麗なところを頂いた彼であるらしく、

 「実が1粒でも生
(な)らぬよう、花のうちから もいで来たかと思うたが。」

酸っぱい梅の実漬けが、殊の外 苦手な彼だから…と、言外に揶揄すれば、
素早く通じたその証左、ふんとそっぽを向いて見せ、
そのまますたすた上がって来ての、周囲を見回す久蔵で。
さすがにそこいらに捨て置けはしないが、
ならばどうすればいいのかという探し物。
若いののそんな様子へ苦笑を向けると、
板戸を繰り開けた後の障子戸の向こう、濡れ縁の端、
手水鉢が置かれてあった辺りへと、見当をつけての視線を投げやる勘兵衛であり。
それへつられた双刀使い、そのまま ああと思い出しての足さばきも軽快に、
筧もどきの水口をもうけての清水を引いた、石作りの手水鉢へ、
梅の小枝の切り口を、そおと浸して悦に入る。


  ―― 梅の林に和子がいて。
      うむ。
      じさまの手伝いをしておって。
      うむ。
      これをやると。
      そうか。


本当はもっと細かいやり取りがあった。
真っ赤な頬っぺにくりくりと大きな瞳をした女の子が、物おじせずに話しかけて来、

 『お前様は、名主様んトコにおいでのお侍様だろ?』

屈託なく訊かれたのへ是と頷けば、

 『じさまが“まるで梅の精みてぇだ”って言ってたよ?』

散歩代わりの早駈けにと、離れから出てった折の姿を見かけたらしく。
凍るような黎明の寒気の中、
真っ赤な衣紋をひるがえしのたなびかせ、風のように通り過ぎた存在を、
人ならぬものと見まごうてしまったらしい。

 『けんど、見間違えてもしょうがねぇ。お侍様、別嬪だもの。』

背に負うた刀も眸に入っているのだろうに、
凍りついているかのように、冷然としたままのお顔のお侍様を相手にし、
少女はそう言って屈託なくも くすすと微笑うと、
ほれと手を延べ、結構な枝振りのを“持ってけ”と下さった…のだが。
言われたお言いようの半分くらい、実は意味が判らなかった久蔵だったので。
伝えようにも語彙がおっつかずのそれで、
やりとりの次第のうち、一部だけしか口に出来なかったまでのこと。

 「…。」

武骨な石の水たまりに横たわり、
朝の陽に照らされる梅の枝をしばし眺めて、さてと立ち。
居室へ戻れば、仄かに芳ばしい香がし、
壮年殿が無造作な手つきにて急須を傾け、茶を淹れている。
朝餉にと平盆にて運ばれてあったは、
茶飯にしてすすって下さいということか、
冷や飯と刻んだ古漬けが二種ほどに、川魚の佃煮。
奮発したらしき玉子焼きも添えてあり、
久蔵が見て見ぬ振りした小皿には、彼には苦手な梅漬けも添えられて。
こんな寒村にはなかなか豪勢な心づくしの膳であり。

 「小魚は好きであろう?」

肉や大魚は面倒がっての敬遠するくせ、煮干しや佃煮は好きという、
若いに似ない嗜好の変わりだね。
今も、すぐの傍へとお膝を落として座り込み、
うんと頷いたのを催促と受け取って。
行儀は悪かったが指先でじかに摘まんでやって、
すぐ横合いにいる彼へ、ほれと味見に差し出せば。
小さな小魚に琥珀の飴がけがまといつき、キラキラとそりゃあ綺麗なの、
パクリと喰いつき、指まで舐めて。
もぐむぐ咀嚼し、うんうん上出来と頷くところが、

 「ますますもっての猫のようだの。」

愛らしいとでも言いたいか、
目許を細めてくつくつと笑った勘兵衛だったが、

 「…。」

お主の方こそと久蔵もまた、
塞がった口の奥、腹の中にて言い返す。
今朝のような寒い朝なぞ、
首をすくめて衾の中にもぐり込んでのなかなか起きないし。
供寝をしていた久蔵が、さすがに飽きてのなあなあと、
顎のおひげや肩口からこぼれた蓬髪の端を引っ張っても。
半分くらいは起きてるくせして、
寝たふりをしての返答をしないで通す 微睡
(まどろ)み好きだし。

 “前線部隊にいたくせに。”

油断すれば肺腑まで凍気がすべり込む、
そんな天穹を棲処としていた斬艦刀乗りだったくせにね。
常人よりも極寒を知っており、その寒さにも耐え得る身であろうにと、
ちょっぴり呆れもするものの、

 「…。」

いかにも愛おしいと言わんばかり、
それは和んだ視線で愛でてくれるよになった絆
(ほだ)されようは。
こちらにとっても至福の温み、
無粋にも指摘をすることで、元の昏い眼差しに戻られては困るから。

 「…。/////////」

ぽそり、大きな肩へとおでこをくっつければ、
こちらへとお膝の先を回して下さりの、
さあおいでと懐ろ開いてくれる呼吸なのは悪くなく。
堅い肉づきで奥行き深い、割り座の上へ乗り上がり、
そのまま横ざまに腰掛けて。

  ―― 梅の次は、桃か桜か。

早よう暖かくなればよいのだがと、髪を梳いてくれる壮年の言へと、
だが、久蔵はゆるゆるとかぶりを振った。
おややと手を止め、怪訝そうな顔をして、
何ゆえに?と訊かれたのへ、

 「ぬくうなったら、そうそう堂々とこうしてもおれぬ。」

真っ直ぐな眼差しが見上げて来ての、至って大真面目に言い返す彼だったものの、

 「…そういうものか?」

まずは、暑い盛りであれ厭うことなくお膝へ登って来るのはどこの誰だろかと。
それから、堂々とという割に、
人目があるとやたらそっぽを向いて寄りもしないのはやはりどこの誰だろかと。
余程のこと、訊いて質
(ただ)してやりたかったものの、


  “……ま・いっか。”


梅林からだろか、ウグイスならぬヒタキの声が長々と響いて。
障子には桟の陰もはっきりと、濃陽の色が明るく滲み。
お膝には背中を丸めた金の毛並みのお猫様。
あどけないお顔の白さに、ついのこととて小さく頬笑んで、
ああ、春も間近いなと、胸の奥にてこそり感じた、勘兵衛様であったそうな。






  〜Fine〜  08.3.06.


  *痛いとこがあるとどうにも集中しにくいですね。
   でもでも、何となくの春めきについ、
   何か書いてみたくなったのでvv
   お彼岸までには ずんと暖かくなるそうですよ?

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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