遅寝一景
 


  ふ…っと、目が覚めた。


何かしらの物音がしたということもなし、
その身を揺すられた訳でもなし。
部屋を見回した視野の中、天井の板目が明るいのと、
きちんと合わせ損ねたカーテンの隙間から、
室内を縦断せんと洩れ入る光の帯がかなりくっきりしているから、
陽が昇ってから相当な時間帯となるらしく、
だとすれば寝足りた末での目覚めなのだろうが。

「…。」

そこはまだまだうら若き身の彼のこと。
日頃から規律正しい生活をと刷り込まれてでもいるならともかく、
自堕落に構えれば、それこそそのまま1日中だって寝ていられる。
昨夜だってきっちりと働いた上で未明という遅い時間帯に帰って来たのだ、
誰に文句を言われるでなしと思えば。
意識のどこか、僅かに覚醒仕切らぬ部分があるのも相俟って、
気に入りのベッドの中、心地いい寝相のまま、
もうちょっとほど寝てようか、どうしようかしらと迷ったのも束の間のこと。

「………。」

視線のすぐ先、見慣れているけど見飽きない、そんな存在に気づいて…するすると、
二十代の寝起きどきの躊躇もルーズさも、何もかもが一気に吹っ飛んでしまう威力は、
果たして、その対象が持つものかそれとも彼の側の現金さから沸くものか。

 どっちにしたって大したものだが。
(苦笑)

 「………。」

そんなにも凝視していると終
(しま)いには穴が空くぞと言われるほど、
店にいるときも手が空けば視線が必ず向く対象だが、
あれは そこにいるのを確かめるという気色が強い。
ついでに…あんまり面白くはない光景だったりもするものだから、
憤懣が募るばかりで見てたって良いことなんてこれっぽちもないのだが、
それでも視線はこの彼を探してしまうのだから仕方がない。
こちらは基本、カウンターの中から離れられない身の上なので、
こんなまでの間近、肌と肌が触れ合うまでなんていう至近にはそうそう居られず。
そのバランスの良い体躯や人好きされるその姿、
頭の先からお顔に肩に、
機能的に動くのが見栄えのいい手とか、
その手が顔にかかる後れ毛をついと避ける所作などなどを
ロングで眺められるのはいいとして。
手の届かぬ位置にて、そちらもそれが基本、こっちを向かぬままの君へと、
じわじわ苛立つばかりの夜は、いつもいつも長い。

「…。」

同じ夜具の中、そちらはまだ穏やかに眠り続けている彼は、
自分より年齢も上だし、上背もずんとあって。
おそろいと意識した訳じゃあない、2着で激安だった同柄同サイズのパジャマは、
大柄な彼のほうへと寸法を合わせた結果、
こちらは子供が親のを悪戯して着ているような案配になっており。
それでも袖や裾を詰めないのは、
時々わざとに間違えて、相手のを着て残り香にくるまれて寝てしまおうという、
何とも涙ぐましい乙女チックな魂胆があったからなのは…まだ内緒。

「…。」

やや俯くようになってのこちらへと向いて、
無心に眠り続ける端正なお顔に、つい見とれる。
眠っていても凛々しいままな、彫の深い面差しのみならず、
肩も二の腕も、胸板も腰や腿も、充実していて力強い体躯がまた、
自分なぞ比較にならぬほど精悍で。
隆と練り上げられた逞しい筋骨を包むよに、
よくよく鞣した革のようにしっかりと張りのある浅黒い肌といい、
顎にたくわえられたひげや背中までを覆う濃色の豊かな蓬髪といい。
それらが野生味をも加味する雄々しき風貌は、
彼の持つ重厚な空気や頼もしさ、奥深い人性などなどをも引き立てて余りあり。

 「…。」

そう、てっきり。
若いころは古刹や遺跡を訪ね歩いて過ごしたその末、
どこぞかの大学の研究室で、分厚い古書など紐解いている歴史学者だとか、
はたまた、
スーツ姿のジャケットは途中から脱いでしまい、
軽く腕まくりをした着崩し方も品があっての知的に。
教室を埋め尽くす学生を前に古文書の解説とか何とか、
小難しい講義を手際良くも展開する教授だとか。
出会ったばかりのころは、そういう職柄が似合いと連想していたのにね。

「…。」

くせがあるのに伸びるに任せているらしく、
長毛種の犬とか羊とかを思わせるよな、豊かで厚みのある長髪が、
肩からこぼれてのあちこちへ広がっているその端を そおと指先に掬い上げ。
退屈だから早く起き出してほしいような、
声を聞きたい、他愛ないことへ微笑って細められる目許とか見たいと思う傍ら。
でも、そうなると…何だか落ち着いていられなくなって、
この端正なお顔を こうまでずっとじっと見つめていられない自分なのも重々承知で。
どうしてやろうかという甘いジレンマ、
切なくも遺る瀬ない想いを、胸の底へと持て余していたところへ。

  pi pi pi pi pi pi pi pi pi ………

びくぅっと肩が撥ねそうになったほどの唐突に、いきなり電子音がして。
そんな甘い一時なんて、一気に払拭されてしまう。
自分もそうだが、この音は彼の。
最初の設定からいじってないらしい携帯からの呼び出しだと気がついた。
せっかく気持ち良さそうに寝入っているのに、無粋なことをと、
勝手に切ってやっても良かったが、

「〜〜〜。」

ああもう遅い。
目覚めてしまったらしい彼が、向こう側へゆったりと寝返りを打ちつつ。
掛け布団の下から腕を伸ばすと、
脇卓代わりになっているカラーボックスの上、
ごつりとしたフォルムの腕時計と一緒に無造作においてあった携帯を、
大きな手で掴み取る。
電話ではなくのメールだったらしく、
少々間延びした、テンポの悪い操作音がしての、間があって。のち。
「…。」
ことり、携帯を戻すとそのまま、
う〜んという、溜息にも似た長々とした吐息をついたのは、
きっと眠りへ見切りをつけたから。
そういうけじめのいいところも、夜の稼業に身を置くお人とは思えなくって、

「久蔵、起きているのか?」
「………ああ。」

向こうを向いてしまった壁のように大きな背へ、ぱふりと頬をつけ、
もごもご、くぐもらせた返事を返した。
こちとら閉店した後のカウンターやグラスの洗い場やらの片付けまでが担当だけれど、
片や、いつまでたっても慣れないらしい、
脱いだ着物や帯、装具。
髪から外した装飾品の片付けに毎度手間取る彼が、
やっとのことホールへ戻ってくるのと、示し合わせずとも同じ頃合いとなる身。
補充の要り用なボトルや、割れたり欠けたりしたグラスの報告、
仕入れ先の業者や客や
“ホステス嬢”からの伝言などなどをオーナーママへと告げていれば。
すっかり着替えて出て来た彼の、
今頃だと…シンプルなデザインの綿シャツに折り目の立ったスラックス、
ざっくりした網目のセーターなぞを重ね着ていて、
腕にはコートという当たり前の姿に、
やっとのこと、何とはなくのホッとする毎日で。
一緒の帰宅となっているのだ、
こちらだけが寝不足ということはそうそうありえない。

「メール?」
「ああ。五郎兵衛からだ。」
「〜〜〜。」

あああ、今日という1日は今始まったばかりだってのに。
何でまたその名を、こんな早くから聴かにゃあならんのだ。
嫌いではないサ、何たって自分の雇い主だし、
人柄だって…ちょっと剽軽だがそれは仕事上の話で、
波乱の人生の中、それなりに酸いも甘いも噛みしめて来た人らしく、
いざという時には頼りになる、度胸の据わった信頼できる人性ではあるし。
ただ、そう…ただ。

「贔屓のM氏から呉服の仕立て券を預かっているとか。
 今日はそれをな、店まで見に行くことになっているのだ。」
「………。」

 そんな話は聞いてない。
 ああ、そうだった話してなかったな。お主は関心がなかろうと思うたからな。
 Mというと、あのバーコードか。
 バーコード? そのような符丁を使われても、私には解らぬのだが。

接客仕事には手を抜かず、身を入れての熱心なくせに、
こういう知識を覚えようとしないのは…ああそうだった、
そんなもの覚えなくていいと、前に一度、

 “俺が怒ったことがあったからだ。”

こんな仕事にどこもかしこも染まる必要はないと、
同伴だのヘルプだのという、基本中の基本でさえ、口にさせるのは嫌がったので、
蓮っ葉な風俗用語とか、一切使わなくなった彼であり、
但し、

 『こんな仕事という言い方はいただけぬな。』

自分は別段、恥だとかいやいやだとか思いつつ手掛けてはいないから。
久蔵がそう思っているのが判って、
それが手痛いと…そんな笑い方をしたのが胸にチクリと来たのとそれから。

 『いつまで経っても物慣れない感じがして初々しいってvv』

古株なのにどこか不慣れなままなんて部分があるギャップが、
却って受けているらしいという、
残念な効果をもたらしていると知った時の苦々しさまで思い起こされて。

 「…久蔵?」

黙り込んでしまったこちらに気づき、気遣うような声を掛けてくる。
張りがあって響きのいい、低めの声。
もさもさと膨らんでる蓬髪に顔を埋めたままで聞いていると、

 「…男が着飾るのは嫌いか?」

静かな声でそんな風に訊かれた。それへと、

 「〜〜〜。(否)」

かぶりを振ったのはホントの気持ちから。
赤に緑に朱金に黒、
色彩豊かで婀娜な錦を艶に織り出した大振袖を、
どこの花魁ですかというよな着付け、
うなじを大きく抜き襟にしての身にまとい。
金襴の帯を胸高の華々しく結んで、夜な夜な店に出ている彼であり。
当初は冗談抜きに冗談はよせと後ずさってしまった久蔵だったが…、

「色味がもっと、落ち着いてるのとかモノトーンとかなら、
 似合うと思うし………嫌いじゃない。」

光沢のある白地の柄織り、
大きめの柄として金糸銀糸で模様や縁取りを縫い取られた
黒い胡蝶が身頃の裾や長い袖へと舞い飛んでいた、
先の正月に着ていた、西陣だったかの大振袖。
あれは特に好きだと正直に言う。
玉虫色に光る糸を梳き込んだ漆黒の帯を高々と、
胸前へ大きく結んでの、それへまとわした紅蓮のしごきがまた映えて。
ああまで豪奢な恰好が、なのに負けてはいなかった存在感は、
中途半端な芸妓よりもずっと華やかであでやかで、
物に動じぬ久蔵でさえ、威圧されたように言葉も出なかったほど。
そんないで立ちに合わせてのこと、
束ねて持ち上げた髪を、かんざしやら笄
(こうがい)やらで飾るのも、
度が過ぎなければ、やはり“綺麗だ”と正直思う、が。

 「それは…島田が堂々としているからであって。」

たまさか女性の装いをその身へまとっているだけ。
女に成り切ってる訳でもなけりゃ、しなを作って媚びをうってる訳でもない。
笑いを取りたい訳でもないし、
贔屓客のほうだってそんなつもりで逢いに来る奴は稀だ。
来たとしても彼の担当するところが判れば、指名を変えるか早々に出てくか、

 “俺が摘まみ出すか、だしな。”

他のお兄…お姉さんたちはどうかまでは知らないが、
彼の担当はあくまでも、
複雑微妙な綾に搦め捕られた心のその憂さを、
此処で晴らしてお行きなさいと構えているだけ。
勘兵衛を贔屓としている客のほとんどは、
名前を出せば同業者ならまずは恐れおののくだろう一流企業の、
しかもしかも現場でキーマンとなることがザラな、練達や重鎮が殊の外多い。
どんな百戦錬磨のキャバ嬢であれ、所詮は畑違いな世界の話。
仕事上でのちょいとした齟齬に、焦れたり歯咬みしたその不快な鬱屈、
前振りなしでは深いところまでは判るまいと思うから。
何より愚痴のようでみっともないとも思うともう、
誰にだってそうそう零せやしないまま、腹に沈めて石と化す。
そんな微妙な、でも一番に理解してほしい痛痒を、
微に入り細に入りホントに判ってくれる、しかも包容力のありそな存在が、
うんうんと聞いてくれるのが癒される。
そんな相手が堅苦しい背広姿じゃあ、どこぞかのカウセリングみたいでしょうがと、
リラックスしてもらうため、その取っ掛かりにあのカッコしてるんだって、
そうと思えば良いのよと、何でだか久蔵を説得したゴロ美ママだったほど、
彼の抱えた切なくも遣る瀬ない想いは、あっさり見通されてたらしくって。

 “…そうまで明け透けだったのかなぁ。”

いやいや、こういうことには聡い人なのだ、あれは。
だからこそ、夜の盛り場での仕事、
客もスタッフも入れ替わりの激しい中、
翻弄されてしまうこともないまま、
一つところで長く続けていられるのに違いない。

 「…久蔵?」

いつの間にか、こちらへと寝返りを打ち直していた勘兵衛が、
ふわふかの手触りもやわらかな、連れ合いの金の髪、
不器用そうな手つきながらも、愛おしげに梳いており。
この人にしても、
まとうのが女装だと判ってはいても、馴染もうとまではしていないのだし。
何より、それはこちらにも判ってる。


  ただ。
  よその誰かと意気投合し、
  睦まじくしている様、眺めることが不快なだけ。


そんないい顔で 笑うな褒めるな慰撫するなと気持ちが尖り、
勧め上手なそのところどこ、
客にせがまれてとはいえ、あんまり飲んでは明日に障るぞとか。
そんなこんなで鬱屈が溜まるこっちはどうしてくれる…とか。
転がり込んだ身でそんなこと、
偉そうに思うよな、何とも勝手で狭量な自分がまた、
それはそれで情けなく。

 「久蔵?」
 「…済まない。」
 「何がだ?」
 「何でも彼
(か)でも全部。」
 「???」

宙で止まった手を捕まえて、節の立った指を捧げ持ち、
敬慕を込めて口づける。
ちょいと仰々しかったかなと居たたまれなくなってのこと、

 「俺もその呉服屋、ついて行くからな。」
 「? 構わぬが、どうした?」
 「何がだ。」
 「お前も何か誂えるのか?」
 「〜〜〜っ。////////

敬虔な反省も、ついでに低血圧もぶっ飛ぶ発想に、
気持ちの上では素晴らしい反射で総毛立ったものの、
あまり回りのよくない口が太刀打ち出来る訳もなく。


  ―― 人のことは言えぬが、愛想を振れない身では、
      ホールを担当しても五郎兵衛が困るばかりぞ?

      〜〜〜っ、だ・か・らっ。/////////


俺がホール係に回る日は来ないと、
ぎりぎりそうとだけ伝えるのが精一杯。
ちょっぴり前途多難な恋であるらしいこと、
図らずも再確認できた、遅寝の朝の一景でございます。







  ◇  ◇  ◇



『あれよあれ。
 公園なんかにお母さんと連れ立って出て来てサ、
 もう一人で遊べるもんって、甘えん坊じゃないもんって言いたげに
 その手元からとっとと離れてくくせに、
 他所んチの子へお母さんが構いつけてると
 たちまち落ち着けなくなっての駆け戻ってくる、アレ。』

『ああ、そうですね。そんな他愛ない焼きもちに似てますよね。』

『しかも、そういうことでイラッとしてる久ちゃんだってこと、
 肝心の勘兵衛さんが気づいてないと来て。』

『ええっ、気づいてないんですか?』
『ええ。』
『全然?』
『全然。』

『…それはまた、報われてませんねぇ。』
『いや、そこがまたそんなこともないから不思議というかややこしいというか。』
『はい?』
『(うふふんvv) ほらほら、
 他の子の話題で盛り上がるなんてアタシに失礼ってもんよ、ヘイさん♪』
『あ、いやいや。そんな、あのその。///////





  〜 おそまつ 〜  07.12.06.


  *萌えのみならず素晴らしい作品まで、
   もらってばかりでは申し訳なくて、
   こちらのお話でもいっぱい萌えを頂いてることだしと、
   ついつい書いてみた一景もの。
   何だか取り留めがなさ過ぎかも知れませぬが、
   よろしかったなら、ご笑納下さいませですvv


                            いかっち様へ、 Morlin.参る