世界のあちこちで アイシテル

         お侍extra 三景篇
 


       




二月に入ってからこちら、
時に都心でも吹雪くほどの強烈な寒波が、
北の大地から大きく南下している日々が続いていたのだが。
今日は何とか、そんなまでの寒さからは解放されたようであり。
だというに、窓の外へと眸をやっては、
何が腹立たしいものか、
忌々しいと言わんばかりの険しいお顔になって、
何かといや不平を零しておいでな人物がある。
頭が肩へめり込んだような猪首に、
樽を思わす重そうで横幅のある体つき。
随分と照りの目立つ頭は、
その頂きに僅かに居残った分を器用にまとめてあるものの、
白髪が混じって来たところへ機嫌の悪そうな土色の肌が透けて見え、
あんまりいい見栄えとも思えない。
丸々とした手の中で、結構器用にライターをひらめかせ、
唇に挟んでいたシガーへ火を点けたものの。
日頃だったら美味いはずの紫煙までもが忌々しいか、
しかめっ面のまんま一口だけふかすと、
すぐにも卓の上の灰皿へと擦り付ける。

 「おい、おいっ。誰か いないかっ。」

シックな調度もドタドタした歩みに踏まれた絨毯も、
それなりに価値のありそうな骨董品や逸品だし、
彼のいる部屋自体、いやさ屋敷そのものが、
建築に造詣の深い人が見たならば“おお”と瞠目するだろう、
歴史的にも価値の高いそれだったが、
果たして今現在の主人である彼には、どこまで理解出来ているものなやら。
あんまり趣味のよろしくない、幅広の金の指輪を嵌めた手で、
容赦なくバンバンと叩いた卓には、
それが彼の癖なのか相当に傷が付いていて、
代々でこの屋敷の調度を見て来た、ご用達の修復師が見たら、
きっと泣きそうな顔になること請け合いだったし。

 「お呼びでしょうか、旦那様。」
 「大使はまだ来んのかっ!」

淑々と駆けつけた執事風の男性へ、
相槌の間も惜しいと咬みついた彼だったが、

 「それがその、
  大使様は…具合が悪くなられたので、今日はお越しにはなれないと。」
 「なに?」

先程、お電話がありましてと、
自分の言動ではないのに、後半部は随分と早口になっての
心なしか身を縮めまでする執事へと。
彼がそうしたこれも理由か、
樽のような小太りの主人、
鼻の下でくるんと丸まった、そこはまだ黒々した髭を、
鼻と上唇とで挟み込むようにして、
顔中をぎゅぎゅうっとしかめて見せて、

 「何だどうしたっ。まったくもって度しがたいなっ。」

がうっという擬音がぴったりなダミ声で、
激しくも攻撃的な怒声を上げる。

 「たかだか、小遣い稼ぎをしただけではないか。
  あやつだとて、美味い汁を吸っておったろうに、
  監査役ごときに いちいちびくつきおって。」

ああもう、どいつもこいつもと、苛々としている心象そのまま、
部屋の中をぐるぐると歩き回り始めた主人は、

 「その、憂慮の種を始末してやったというに。
  せめてアリバイの口裏を合わせるくらい、
  加担してくれても罰は当たるまいにの。」

ふんっと鼻息荒く言い放ち、
視線を下げての頭首を垂れて、黙って聞いている執事へと、

 「もう一度、こちらから連絡しろ。」

何ならその足で出向いて行って連れて来いとでも言わんばかり、
彼までもが問題の人物の手先であるかのように怒鳴りつけ、

 「今日中に顔を出さねば、そうさな、
  いっそお前の仕業と仄めかしてやるとでも言えば、
  尻に火がついたように飛んで来ようさ。」

無様なものだと言いたいか、がははと品のない笑いようをする。
そんな主人へ向けて、

 「恐れながら、公主様。」

地味なスーツを隙なく着こなす、
鋼色の髪を束ねたどこか古風な雰囲気を崩さないその執事。
先程までの怯えようはどこへ消えたか、
急に尻腰のある声音になると、

 「大使様は ご自身の身がかわいいからこそ、
  こちらへまかり越さないのでございますれば。」

そんな意外な文言を紡いだものだから、

 「な…っ。」

あまりに突然のこと、
まずは意味が把握出来なんだものか、
何を言い出すのだこやつと怪訝そうに眉を寄せたが、

 「………お前、よく見ればアッサランではないなっ。」
 「ああ。
  今朝から入れ替わっておったというに、今やっと気がついたのか?」

注意力散漫にも程があると言いつつ、
ゆったり鷹揚そうに持ち上げられたお顔には、
何とも強かそうな笑みが浮かべられており。
そこには もはや、主人の顔色をうかがう小心さなぞ欠片も残ってはなく。
むしろ覇者に相応しい精悍さが満ち、
その存在感へ厚みをくわえての、ただただ頼もしくも雄々しいばかりで。

 「き、きさまっ、何物だっ!」

明らかに狼狽えている某国の公主とやら。
内々で片付けんとしていた悪事を、
見ず知らずの存在へペロッと洩らしたことへ、
今更慌てているものか。
傷だらけの卓の上、
小ぶりなブザー型のインターフォンが置かれているのを、
焦ってのことだろ何度も何度も押しつつ、
ダミ声でわめき散らすのへ、

 「なに、
  本国から来られた監査役の代わりに、
  今朝方 お前の下手な射撃の的になってやった男だよ。」

もち重りのしそうな大きく器用そうな手が自身の襟元へ伸び、
首元へ飾られた蝶ネクタイをぐいと引いてむしりとる。

 「ちなみに、
  監査役様は庭を散策なさっておいでだと
  お前へ告げたところまでが本物の執事でな。」

偽者が出て行ったのをきっちり勘違いしてくれた功労者なのでな、
その褒美代わりに、とっとと退場願ったのだと。
それは流暢に、この屋敷を住まいとする人々の本国の言葉で言ってのけると。
すぐ背後へまで迫っていた黒服の護衛の先陣が、
駆けつけるのと同時、ぶんと繰り出して来ていたストレートを、
見もせずに、ほんの身じろぎだけで脇へと躱してしまい。

 「…げっ。」

当たるはずの壁がなくなったことで、
たたらを踏みつつ失速したそやつの腕を、
通過しきる前に横合いからすかさず引っ掴むと。
濡れタオルでも振り回すよに、片手によるほんの一閃で、
そのまま床へと引き倒している手際のよさよ。
あまりの素早さに、後続の顔触れも何が起きたか気づけぬままだったようで。
対象の姿勢が低くなったのをただ避けたと思った一人が、
頭上に振り上げた両手の指を組み、そのまま振り落としにかかったが、

 「ぎゃっ!」

影さえ見えない何かが、横ざまに顔へと襲い掛かって来。
それが相手の、
後ろざまに延ばして来た足のかかとと、果たして判ったかどうか。
その場にずんと尻餅をつき、腕を頭上に構えたまんまで仰向けに沈んだ大男。
先陣の二人を瞬殺した事実が、やっと伝わったか、
殺到して来た護衛官の顔触れが、警戒してのこと慌てて立ち止まったのが。
待っていた主人には、それもまた忌々しかったようだったが。

 「運が悪いな、お前たち。」

あっと言う間に二人ほど、荒ごと慣れした手練れを薙ぎ倒した男が、
何を思ってか…格闘には不向きなスーツの上着、
今になって何とも無造作に、両手を塞ぎの、胸を張って脱ぎ始めたものだから。

 「かかって行かんか、お前らっ!」

何をのんきに眺めておるかと、
こんな隙だらけな行動を許している身内を
間抜けめと叱咤してしまった“樽”公主だったけれど。

 「…………っ、」

踏み出しかかって、だが、
その足をぐっと踏みとどまってしまった彼らだったのは。
無防備な極みというその態度のそこここに、
掴みかかれば上着が鞭のようにすかさず躍り出して来て、
こっちの腕が搦め捕られたろう、
はたまた両腕は塞がれていても、
素早く身を躱す術はいくらでも…といった先までも、
やすやすと想定させてしまった重心の据えようが
体さばきの延長として察知出来たからであり。

 「ほほぉ、なかなかの心得はある顔触れだったのだな。」

ダークスーツを脱ぎ去ることで現れた、白いシャツをまとった上背は、
広い背中といい、かっちりとした双肩といい、
彼らの構えた用心を正解とするほど、それは雄々しくも屈強なことが明らかで。
彫が深くて冴えた印象がする男臭い顔容は、
不敵な笑みによる強かさを載せ、
どれほどの尋をその懐ろに隠し持っているのかという
新たな警戒を護衛官らへと招くばかり。
癖の強い深色の長髪やら、よく灼けた肌色やらに惑わされていたものの、
よくよく見れば日本人に違いない目鼻立ち。
とはいうものの、長く強かそうな四肢といい、
それより何より怖じけるということを知らぬかのような、
威風堂々、強靭な視線と表情といい、

  ―― この国へと来てからこっち、
     こうまで自負猛々しい日本人に逢ったことがないと

そういう意味からも、
立っている足元ぐらぐら揺らがせるような。
それはそれはとんでもない相手が降臨したのだと、
居合わせた者らへ思い知らせた恐ろしさ。
百戦錬磨、王家の公主という名の加護の下、
極秘の暗殺さえ幾度となく手掛けた連中へ、
気を抜けば その場へへなへなと頽れ落ちそうな、
真の恐怖を初めて教えた その彼こそ。
裏世界で伝説の“倭の鬼神”、逃れようのない絶対証人であることを、
誰かに聞く機会が巡るよな“将来(あした)”が訪れればいいのであるが…。







  …………で。


 「後は任せた。
  意識が戻るのを待つまでもなかろうから、
  とっとと本国へ搬送してしまえ。」

 「勘兵衛様、せめてバイタル確認くらいしてって下さいまし。」

さあ一仕事終わったぞという解放感がありあり匂う、
その仕事自体も粗雑粗暴だったことを偲ばせよう態度にて。
先程脱ぎ捨てたスーツの上着、
マントか何かのようにばっさと大きなアクションで羽織り直しつつ、
もう大きなストライドにて部屋から出かかっておいでの宗主様を。
ちょーっとお待ちをと呼び止めたのが、
そんなことは彼にしか出来まい、駿河宗家の隋臣頭の加藤氏で。

 「万が一にも殺してしまっていては…。」
 「問題はなかろう。
  こやつ、儂がなりすました監査役を口封じに殺した男ぞ。」

こやつが死んでおっても向こうは息災だ、
思えばこれ以上の国益は無かろうにと、
黙って聞いてりゃ随分な無茶苦茶を言う御主であり。

 “…………いくら危急の務めだったからって。”

ここまで我を張っての無体を言い、
早く離れたいとの駄々をこねる彼なのは、
はっきり言って滅多にないほど珍しく。
だが、

 “まさかに“そういう日だから”って訳でもないのだろうに。”

そう、
世間で ああと大きく納得がいく特別な日ではあるけれど。
そして、そういう日を供に過ごしたいとする、
大切な伴侶を持つ彼でもあるけれど。

  発祥の地ではともかく、この日本では、
  どちらかといや、十代の子らでもなけりゃあ
  壮年の、しかも相当な重責にある殿御が。

  本気で聖バレンタインデーを祝いたがっていると
  誰が思うことだろうか。




NEXT



戻る