春寒料峭(りょうしょう) (お侍 習作100)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


    それはそれは華やかに、颯爽と嫣然と、
    一種にて百花繚乱に匹敵するだけの花の闇を紡ぎだし、
    あでやかな春のいよいよの到来を喧伝する主役といえば、
    何と言っても“さくら”をおいて他になく。

    大概の樹花が、陽当たりの加減などから枝のあちこち、
    上から南からと 徐々に順々に咲いてゆき、
    半月ほどはどこかに花があっての、長々楽しめるのに対し。
    桜はほぼ一気に梢の全部で花開き、
    一週間ほどの満開を経てののち、
    意を合わせたかのように一斉に散る凄絶さもまた特徴的であり。
    満開の間の何とも言えぬ豪奢で富貴な存在感と、散るときの潔さと無情。
    いかにも両極端なそれぞれの絶頂を、
    媚びることなくの誇らしげに披露するところが、称賛されもする花であり。

    青葉は後から芽吹くため、
    練り絹のように奥深い色合いの、
    緋白の花びらの重なりのみが、枝をたわわに埋め尽くし。
    どこまでもを桜のみにて塗り潰す、
    奥行きある風景を織り成す満開の様も圧巻だけれど。
    そのたわわが限度を越えての、ほろほろほどけ。
    制する手を擦り抜けての、止めどなく降りしきる涙雨のごとく。
    わずかな風にもはらはらと、
    まさしく零れ落ちて舞う“落花”の様もまた、
    観る者の心をぎゅうと鷲掴んで離さぬ、
    凄絶さや寂寥、それから得も言われぬ色香があって。

    唐突に寒の戻る春先、
    無情の風や冬名残りの時雨に冷たく叩かれて、
    咲きそろったばかりのそれを、無残にも散らすもよくある光景。
    せめてせめて、その盛りを誰ぞが眸に留めてから、
    散ってゆければいいのだけれど…。





  ◇  ◇  ◇



 春の早朝はまだまだ寒気が強く、殊に、いいお天気になりそうな日であればあるほど、朝の寒はすこぶる厳しくて。これを指しての“料峭”という言葉があるくらい。

 “…朝、か。”

 薄い和紙を少しずつ剥いでゆくかの如くに、意識が少しずつ鮮明になってゆくにつれ。現
(うつつ)の肌合い、明るさや音、そして寒さが、寝具越しにも察せられ。すぐの表に よほど立派な枝振りの樹でもあるものか。勢いのある驟雨に叩かれてでもいるかのような、潮騒のどよもしにもよく似たる、木葉擦れのざわめきが轟いており。その響きがそのまま、冴えた黎明を我が物顔にて駆け巡る、東風(こち)の強さをも思わせる。壮年殿におかれては、それのみならずのこと、

 “…これは。”

 かつてはこの身を置いていた、渺々たる景を彷彿とさせる風籟でもあって。もう随分と遠くなった戦さ場の、本丸や空母の甲板で。刺すような風の中、たなびく髪や装備の裳裾をなぶられながら、今しも雲間から覗くだろう陽の出を待ったのをふと思い出し。

 “そんなものへと郷愁が涌くとは…。”

 何とも侘しい蓄積ではなかろうかと。それでも誘われるように浮かび上がりかけた意識は…だが。風の音よりもっと存在感のあるものが、身の上へのしかかって来たのを察知して。何への名残りか、ゆっくり瞼を上げたれば。予想があったそれより至近に、人の顔が待っており。

 「………久蔵。」
 「…。」
 「そうやって乗るのは、出来れば勘弁してくれぬか。」

 確かに彼とは体格に差があって。互いの向背を預け合うよに、背中合わせに構えると。こちらの身体の幅の陰へ、肩から腰からすっぽり隠れるほどの、痩躯の君だと知ってはいたが。かてて加えて、まるで天女か羽衣か。重量というものがないかのように、たいそう軽いということも。日頃から膝に上がられるのが常なせいで、重々承知でいる相手だが。

 「重いか?」
 「いや。」

 重さは難ではないが、これでは起き上がれぬのでな、と。たいそう間近から覗き込んでくる赤い眸へ、目許を細め、愛おしげに笑んで見せた勘兵衛だ。いっそ腹へと跨がられているのなら、そのまま身を起こせもするのだが。丁度 猫が炬燵の上へ乗るかの如く、両脚を膝から折り畳んでの、その身を小さく丸めるようにして。仰臥していたこちらの胸板から腹にかけての上、うずくまるように ちょこりと、全身で乗っかって来られると。体の構造上と、それから、彼が転げ落ちてしまうかも知れずで、起き上がることが出来なくて。
「〜。」
 あまり表情は動かぬが、慣れた勘兵衛には渋々だと判る態度にて、少しほど身を起こすと足を降ろしての跨がり直せば。それを合図にむくりと起き上がって来た壮年殿の、双腕の中、懐ろへ。薄い布団ごとあっさり取り込まれてしまったものだから。
「…っ。」
 捕まえた手際の何とも鮮やかだったことと言ったらなく。呆気にとられてか、ぽかんと見上げてくる素の顔も一瞬。ふふと愉しげに微笑う連れ合いの、実はとうに覚醒していたらしき様子へと、

 「〜〜〜。」

 むうとむくれつつの、そのくせ。目の前の胸板へ頬を埋めて来る甘えようの衒いのなさよ。礼法作法を身につけていてのその上で、奔放なところが多い久蔵なのは。若さゆえかそれとも、人との和合に縁が薄かったせいだろか。その稚
(いとけな)さへこそ、甘やかな愛しさを覚えてしまう勘兵衛としては、

 ―― ああでも昨夜は、同じこの彼が なかなかに艶ある態でいたのだが。

 早春の甘やかな宵闇の中。湯上がりであったがために、仄かに頬を染めていた彼が、その痩躯へまとっていたのは宿衣の小袖。日ごろは立った襟に隠れているうなじの細さや、胸元へ鋭角に切れ込む衿元の、やや思わせ振りな合わせ目の陰や。袖口から肘近くまでを覗かして、無造作にもあらわにしていた腕のなめらかな肌なぞが。有明のみという朧な明るさの中にあっては、何とも言えず妖冶に艶で。小さな白磁の盃をその指先に捧げ持ち、ほれとつがれた甘い酒、ちろりと舌で舐めてみせ。気に入らねば盃ごと突き返すものが、昨夜は甘く濡れたる口許ほころばせたものだから。夜寒の風も気にならず、差しつ差されつ過ごした一夜。そんなやくたいもないことを思い出しつつ、

 「何か話があったのではないのか?」
 「…っ。」

 起きてと言いたいがため、ああまでの乗っかりようをしたからには、よほど急いていたに違いなく。とはいえ、情人の懐ろの温みに捕まり、そのまま大人しくも虜となっておれたほどの身。焦る様子は欠片
(かけら)もないまま、

 「…。」

 勘兵衛の懐ろからこちらを見上げていた視線をだけ、ついとなめらかに、外へと向ける彼だったりし。顔が後から追うような、堂に入ったる落ち着いた様子は、さながら舞いの所作のようでもあって。そんな視線に誘
(いざな)われ、こちらもそちらを向いたれば、

 「…お。」

 室内が妙に寒かったのも、風籟の音が大きかったのも道理。庭に向いた側の間口を全部、板戸も障子戸も諸共に、左右に大きく開け放っており。室内の薄暗さを白く四角く切り抜いた、枠のようになっている戸口の向こう。黎明の仄白さにも大きに勝
(まさ)って、

  ―― 風に揺られて大きく小さく、
      梢が揉まれる様はそのまま、正に緋色の波濤のように。

 まさに たわわとしか言いようがないほどの密度にて、そのほとんどの枝へ隙間なくのみっちりと。可憐な花々まとわした、立派な大樹が泰然と据わっている。山吹や椿や、つつじに芝草、萌え初めの様々な緑を従えて。ソメイヨシノではなくのコデマリか、淡い緋色がなのに冴え映え。今は彼の天下であると言わんばかりの威容が、何とも言えずの圧巻であり。

 「…さくら、か。」

 背丈はないが、その分だけ横へと平らかに。枝振りに幅があるのが、いよいよ豪奢で華やかで。枝々の重なり合った様子がそのまま、花たちに埋もれた空間へ奥行きを作っての趣きも深く。
“そうか、この樹から…。”
 昨夜の静かな語らいの場へ、どこからか迷い込んだ花びらが、数片ほどあったのだけれど。その大元が、寝間の側の、こうまで間際にあったとは。判っておれば花見酒と至ったものをと苦笑をし、そのような太平楽な想いへこそ、苦言の一つも零されようかと、依然として懐ろにある、連れ合いのお顔を見下ろせば。

 「…。//////////」
 「? いかがした?」

 こうまで間近にありながら、だのに…視線も意識も桜花に奪われていた勘兵衛だったと。放り出されていたも同然だったとばかり、常の彼ならさぞかし憤慨しているところだろうに。それが今は、彼の側もまた…何を見てのことなやら、ずんと満足そうなお顔をしておいで。どうかしたかと問われて言うには、

 「シチが、言うておったの、思い出した。」
 「七郎次が?」

 うんと、稚くも頷首して。勘兵衛がその精悍なお顔の顎へとたくわえた、剛いお髭へ手を延べ、指の腹にてすりすりと、撫でさすったりする彼であり。七郎次といえば、今は虹雅渓においでの、久蔵の敬愛するおっ母様…じゃあなくて。
(苦笑) 多くを述べずとも全てを心得ていてのその上で、水をも洩らさぬ周到さにて、上官だった勘兵衛への滅私奉公を極めていた、金髪白皙の元・副官殿。機転も利いて知恵者で、人心掌握への手筈の緩急もよくよく心得た、そりゃあよく出来たお人だったが、

 『勘兵衛様の御為
(おんため)と、物事の勝手を定めていたからですよ』

 不遇の中で叩かれ続けたお人はそれだけお強い。ただ寛容なだけじゃあない、あの何もかもが歪んでいた時代にあって、秀でた軍師でありながら不器用なくらい頑迷でもあったため。その人望を上からは睨まれての随分と、報われないお立場を強いられてもおいでだったのだけれども。そんな苦境にあっても決して俯くことはなく、ただただ雄々しくいらした御方。ホントの強さを教えてくださった、そんなお人に心底惚れて。そんな勘兵衛様から褒めてもらおう、お役に立とうという欲があっての仕事だったから頑張れたのだし、
『喜んでもらうことがそのまま、アタシの“嬉しい”だったから。』
 だから、どんな我慢も辛抱も何ァ〜んにも苦ではありませなんだと、けろりと微笑っておいでだったおっ母様。

  ―― 好きな人、大切な人の“嬉しい”は、自分にも嬉しい。

 それを堪能出来るのならば、自分が二の次になってもいいというお言いよう。聞いたそのときは、どうにも理解出来なかった久蔵だったのだけれども。それが今、自分にも判ったと、何とも無邪気な言いようをする紅胡蝶の君で。大好きな母上の想いを体感出来たのが嬉しいか。それとも、魂を奪われたんじゃあないかというほど、桜に見ほれていた勘兵衛の様子が、なのに自分にもまたほこほこと嬉しかったと。大好きなお顔がウットリしていたその穏やかさ優しさを、自分の手柄で導けたこと、実感しての欣喜の態か。他人にはやはり判りにくかろ、ご機嫌な彼であることへ、

 “…そのような顔をしおって。”

 日頃は研ぎ澄ました刃のような気配を帯びた風貌が、今だけは甘やかにまろやかに和んでおいでの久蔵へ。その昔にはあの槍使い殿へも、そんなお顔をさせてたくせに。今の、この彼へだけ気づいてやっての、我のものではないのかと秘やかながらにやきもきしている。春寒よけの懐ろネコさんをお膝に見下ろす、そんな御主の朴念仁さ加減への、もしかしたならこれもまた、おっ母様からのささやかな意趣返しになるのやも? 性懲りもない人達ですねと思うたか。遠い昔日にも見た光景へ、もの言わぬ花たちまで、くすすくすすと咲き笑うばかり。






  〜Fine〜 08.02.〜4.03.


  *“料”は肌に触れる撫でること、“峭”は険しい厳しいという意味で、
   その2つから成る“料峭”とは、冷たい風を指し、
   主に春先の冷たい風や寒さを表すときに使われます。
   いまだに『広辞苑』だの英和辞典だの季語集だの、
   重宝がって身近に置いてる変なおばさんは、
   お部屋にもドレッサーの代わりに蓋式の書き物机を置いたまま。
   みんな、こんなややこしい大人になっちゃあダメだぞ?
(笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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