雷霆、穹を翔る (お侍 習作105)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


今日は陽が落ちるのが いやに早くて。
街道沿いに長々と連なる、若葉を茂らせた木立が、
湿った風にあおられては、落ち着きなくざわざわとやたらに騒ぐ。
見上げた空には、いつの間にか、
重苦しい色合いの雲が垂れ込めており。
鈍色の雲と黒い雲とが鬩ぎ合うかのように入り混じり、
互いを取り込み合うよう、するすると重なってゆく様は流し絵のよう。

  ―― 空気の密度が増す。
      錆びた金気の匂いもうっすらとする。

雨が近いようだなと察したところで、不意に手を取られた。

 「急ぐぞ。」
 「…。」

確かに濡れるのは厄介だが、
言えば判るもの、何でそうまでして急
(せ)かすのか。
いつでも何でも侭にさせてくれる連れ合いが、今は少しばかり強引で。
その大きな手で、ぐいと手を掴まれるのも、
響きのいい声で、端とした言いようを投げられるのも、
嫌いではないから従いはしたが。
なんでどうしてという微かな疑念は、ごろんと胸へ抱えたまんま。

 「…お。」

白と赤、二羽の胡蝶が、
緑の木立の中を縫い、まろぶように翔けてゆき。
少し駆けると、道具小屋だろか屋根が見えて来た。
木立の先に覗いたそれへ、迷いなく向かっての中へと飛び込めば、
それと入れ替わるような間合いで、ざっと振り出したのが大粒の雨。
丸太組みの厚い屋根は雨脚も吸うのか さほどうるさくはなく、
やれやれと息をついた勘兵衛の手が唐突に離れたのへこそ、
ちょっぴり身勝手な感触を覚えて、ムッとする久蔵で。

 「し…。」

ああまで急かした理由を言えと、
問いかけようとしかかった久蔵の声にかぶさったのが、

  ―― ごろろん、どおおん

どこか遠いところを駆ける、鉄の轍のような重い音。
そしてそれへと追随したのが、
換気用の小窓くらいしか窓とてない小屋の中へまで、
板壁の隙間の一片も逃さず貫き通った閃光と、

  ―― か…かららっぱりぱりぱり、ぴしゃーんっ、という

さながら天穹に張られた玻璃の膜を、
大槌で叩いてひび行かせ、粉々に砕いたかのような、
乾いた破壊音が轟々と轟いたので。

 「…いかがしたか?」
 「〜〜〜。(否、否、否)」

もう訊く必要はのうなったと、
金の綿毛をふさゆさ振って、かぶりを振って見せた久蔵だった。

 “…かみなり。”

震え上がるほど怖くはないが、
その只中にいるのは、あまりいい気分がするものでもなく。
特に、穹を戦さ場にしていた空艇部隊にいた身には、
計器を狂わせ、気流を乱し、
機体へさえ落ちかねぬ忌ま忌ましい電磁の柱の脅威にさらされる飛行が、
どれほど神経を使わされたかをつい思い出すものだから、

 「…。」

日頃はあまり動じぬ金髪痩躯の紅衣の若いのとて例外ではないものか。
入って来たその位置に立ち尽くしたままでおり、
周囲への注意を殊の外に払っている模様が見て取れて。

  … と。

そんな久蔵ほどには外回りへの警戒をしてはおらぬのか。
小屋の中をぐるりと不躾にも見回した壮年殿。
壁へ作りつけられた棚に燭台を見いだすと、
使いさしのままなロウソクへ手際良く火を灯し。
火気を近づけてはならぬものを検分してから、
適当な木箱の上へと腰を下ろした。

 「この様子だと一晩中降るやもしれぬ。」

今宵は此処での野宿だと、そういう言いようをする勘兵衛であり。
それへの異存はなかったものの、

  ―― ぱりぱり、かかかかっ、と

再びの間近い雷鳴についつい気を取られる久蔵で。
ちりけもとに産毛が立ち上がるような気がしてならず。
夜空を引き裂き、切り裂くように、
縦横無尽に翔けておるのだろう、白刃のような閃光は、
さながら、
猛禽でもないのに我が物顔で空を占拠している、獰猛な獣のようなもの。
小屋の板壁の隙間から、鋭くも突き通る稲光にも、
感覚が鋭いところが仇になり、ついつい視線が追ってしまっての、
警戒が否が応にも高まってしまう。
そんな連れ合いへ、

 「んん?」

まさかに怖いのかと揶揄する顔ではないながら、
それでも気遣うような壮年殿の視線が向いての…それから。
ただ立ち尽くす久蔵の手を、暖かい大きな手が包むと、
そのままぐいと、下へと引いた。

 「…っ。」

強引だったし、不意のこと。
バランスを崩したまんま、傍らに座していた勘兵衛の、
ちょうど膝の上へと倒れ込み、
相変わらずに堅くて分厚い胸板が、
揺るぎもしないで若いのの痩躯を受け止める。
何をするかと噛みつきかかった出端を挫いて、

 「鋭敏なのも考えものだの。」

これが人間相手なら、もちっとは泰然と出来ようものをと、
言いようは窘めるような文言だったが。
またがるような格好で頽れ落ちて来たのを抱きとめたまま、
懐ろに収まった久蔵の、肩や頭をそおと撫でてくれる勘兵衛の口調は、
その手触りと同じほど、ただただ穏やかで柔らかなそれだったので。

 「…。」

見上げた久蔵を“んん?”と見下ろしてくれた深色の眸は、
落ち着いていて とても頼もしかったので、

 「…。」

まあいっかと気を取り直し、
倒れ込むのではなく、凭れるようにと身の安定を微調整し、
そのお膝へと座り直してしまう、紅胡蝶の双刀使い殿だったりし。

  ―― 静かな夜陰に響くのは、
      さあさあ、ばたばたた、という雨の音と。
      それを時折掻き乱す、雷鳴の轟きと。

怖いわけじゃあない。ただ、落ち着けなくてしようがない。
頬を寄せた先にあったは相方の砂防服の硬い感触。
ああ、これでは物足りないと、手をかける。
少しでも温みへと懐ろの合わせを勝手に掻き分けて、
現れた内着の上へと伏せ直す。
精悍な匂いとそれから、じわり、熱が染み出て来て、
やっとのこと人心地ついたらしい久蔵が、
「…島田。」
「んん?」
今頃になって訊いたのは、

 「何故、雷雨と判った。」

周囲の木々や茂みを叩く、雨脚の到来はともかくとして、
結構間近いらしい雷雲の到達までもを予測していたようだった。
だからこそ、雨宿り先をと急いだに違いなく、

 「ああ、それか。」

金気の匂いがしておったろうがと、応じた側は事もなげだ。
もっと夏場の蒸し暑い頃合いならもっと判りやすく匂ったはずだ、
潮の香や錆びの匂いとも仄かに違う、重さを伴った気配と匂い。
それを察したまでのことだと、応じた勘兵衛もまた空艇部隊の出ではあったが、
これはむしろ、彼自身の経験則から得た代物だろうと思われた。

 「儂の故郷は夕立や驟雨が多い土地だったからの。」

南方の出身で、それで。
嵐や台風には慣れもあるのだと、そんなことまで話してくれて。

 「…。」

ああ、何だか落ち着いて来た。
髪を梳く手の重さが心地いい。
肩に回された腕の堅さも頼もしい。
低められた声は、夜陰に沈んで甘く広がり、
見上げれば、薄暗がりの中、
彫の深いお顔が見下ろしてくれるのが、
…目許をやんわりと細めて微笑ってくれるのが、
慣れぬことだろにと思えば、それもまた愛しくて。


  ただ
  雷に動じない勘兵衛なのが、少し憎らしかった。


きっとあれは、人の原初の感覚への誘
(いざな)い。
血を、肉を騒がし、
人を戦さへと駆り立てる何かを孕んだ、太古からある どよもしで。
じっとしておれば腐ってしまうぞと躍らせて、
増え過ぎた存在を淘汰しておった、
人ならざるものの下しおる、形の無い仕業なのかも。

 「…。」

そんなものへさえ、自分の芯を揺るがせない、
そんな勘兵衛の図太さが、年経て得た老獪や年輪かは知らない。
悲哀を分厚く積み重ねた蓄積が紡ぎ出したる、
(おどし)や錣(しころ)が形成した鎧かどうかも知らない。
ただ、

 「…。」

髪を梳き、頭を撫ぜる手が心地よく、
懐ろの深みが、殊の外に居心地がいいから。
もはやこの肌には慣れた熱のまろやかさや、
耳元で愛しい愛しいと囁き続ける拍動が、世界への錨。
眠ってもいいよという安心をくれるから。

 「寝る。」
 「そうか。」

引き留めはしない端とした声に送られて、
気に入りの寝床へと取り込まれ、
あっさり寝入った図太さは、
この若いのとて似たり寄ったりの神経ではなかろうかと感じつつ、

 「…。」

幾度目かの稲光に、だがやはり、
それが頬へと届いた気配にも、動じはしなかった勘兵衛が、
ただ、その胸中にてぽつりと呟いた一言があって。


 “儂を差し置き、あのようなものへ気を取られておるではないわ。”


この綺羅らかで玲瓏な風貌が物語るよに、
たとえ穹で生まれた身であっても許さぬと、
間近に眠る和子の温み、掻い込んでの抱え込む。


  雷霆からさえ護るように…奪われぬように。





  〜どさくさ・どっとはらい〜 08.5.11.


  *久蔵さんは、早いうちから軍に入って戦地で暴れ回っておいでだったので、
   理屈すっ飛ばして感覚が鋭くはなったものの、
   なんでどうしては後づけの人だろうと思うのですよ。
   (しかも、戦後はマロ様の屋敷住まいだし。)
   なので、雨の気配や雷の気配、雪の降る音、
   これがそうなんだっていう明確な、
   aからAという道理の流れは形成されてないことが
   結構いっぱいあるのじゃないかと思います。


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv **

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