うさぎの とりもち (お侍 習作108)
       〜大戦時代捏造噺
 


 降りそそぐ陽光がそのまま目映く弾けるほどに、梢へと萌え出づる若葉が、繁茂の厚みのみならず、その色合いをもどんどんと深めてゆく頃合いになると。陽の長さと気温も共にぐっと上がって来、ちょっと動き回るだけでもどっと汗が吹き出すようになる。屋内にいると感じない程度のそれであり、陽が翳れば、雨になれば、まだ上着は手放せない、春と夏とが行ったり来たりの端境期ではあるものの。そして、戦さ場という様々に苛酷な状況下、生と死の境という極限状態を掻いくぐって来た蓄積が鍛えた集中力や体機能制御力のお陰様、ちょっとくらい高いめの気温や湿度くらいで だらだらと汗ばむような無様なことは、そろそろなくなってもいるのだけれど。

 「…暑っちぃな〜。」

 ついつい零れたは低い声。習練場で文字通り“一汗かいて”ののちに風呂を浴びて茹だった身。すぐにも衣服を羽織る気には到底なれなくて。ちょいとお行儀は悪かったけれど、学生時代から持ち越しの運動着、屋内着にと着回している筒袴をはいただけ、上半身はまだ裸のまんまという恰好で。よくよく使い込まれてだろう、籐ではあるらしいが随分と古ぼけた床几に片足上げての腰掛けて。曇りガラスのはまった小窓を細く開け、そこからそよぎ込む風に当たって のぼせをのんびり冷ましている。私室にいたとてあまりに腑抜けだと“けしからん”との叱責を喰らいかねない、プライバシーなぞ存在せず、どこに居たって油断のならぬ場ではあるけれど。風呂上がりくらいは気を抜いていたっていいじゃないかと思っていたのかどうなのか。そうまで砕けた恰好のまま、その意をどこへと向けているやら。見るとはなしに窓の外へ、火照った顔を向け、ぽつりと独り語ちていたところ、

 「おお。こんな時間に先客か。」

 がやがやと数人が固まって、湯殿へぞろぞろ入って来た内の一人が、その先客へ聞こえよがしにわざとらしい声を上げる。何を話題にしていたものか、下卑た笑い声を上げながら騒々しくも近づいて来ていた気配は察していたが、別にこちらが恐縮しの気を遣いのと遠慮をせねばならぬ理由も無しと、意に介さずにいただけの話。会釈をしなかったのも、特に愛想を振り撒く必要もなかろと思ったからだが、それを“無視”とでも解釈したものか、

 「なんだなんだ、お高くとまってやがってよ。」
 「飛ぶ鳥落とす勢いの島田隊たぁ言っても、
  ついこないだまで学生だった新入りまでが そんなにもお偉いもんなのかね。」

 その活躍ぶりをして話題独占、支部の中はおろか近隣の花街でももはや知らぬ者の居ないほどという、綺羅秀逸な部隊の一員と。素性は重々存じ上げておりますが、それでも年齢的には自分らが上で先達だとでも言いたいか。この生意気な小僧が童っぱがと言わんばかりに絡んで来る連中で。そんな手合いらへ、こっちを小者と思うのならば そっちこそ構うなよ目に入れるなよと、内心でうんざりした若造の側は。所属だけをご紹介いただきました、北軍南方○○支部 空艇部第2小隊、別名“島田隊”の部隊長付き副官を任じられたる、七郎次という青年隊士で。就任してまだ1年にも満たぬその上に、彼らの言いようの通りの新参者、士官学校を出てすぐも同然の着任だったがため、年齢もまだ未成年の、確かに青二才には違いなかったが。

 “…。”

 こういう“巨大な組織”では、年功序列より優先される“階級”の上下関係がそのまま身分をも定めてしまい、そこから余計な確執やら齟齬やらをも生むのはよくある話。そもは伝達系統を混乱させぬため、それにより統率統制を厳然たるものとするためというのが始まりな筈だのに。人性に見合わぬ地位をいただいた者が、まるで生まれついての厳然とした身分差ででもあるかのようにひけらかし、下の者へ絶対服従を強いたり、礼儀を失した態度を取ったりしたという、見苦しいにも程がある話は腐るほど聞くし、それが原因で本来だったなら起こらず済んだろう悲劇や事件の数々も、枚挙の暇がないほどであり。

 “足軽隊、か。”

 七郎次とて、先達への礼儀や畏敬の姿勢、知らぬ訳でも忘れた訳でもなかったが。彼らもまた戦歴にぎやかなもののふであろうに、個々人の名前さえ呼ばれぬ最下級層の雑兵部隊のお歴々。生まれが下級武家ではどうで出世にも限度はあろうさと、そんな自覚があっての開き直りがそうさせるものだろか。先んじてこうも卑屈に構えられては、鼻白んでのこと、少々閉口気味の気分にもなるのも致し方がなく。きゃんきゃん吠えて五月蝿いことよと、黙したままにて鬱陶しいと言わんばかりの流し目をチロリ向ければ。そんな態度を、これまたどう解釈したものか、

 「訊いておるぞ?
  坊主、その美貌で上官殿をまんまと垂らし込んだそうではないか。」

 不意に声を低めると、わざとらしくも意味深な態度を繕う者がいて、
「本来ならば、ただの書記官にも等しき身分。だというに、愛い奴よ傍らから離れるなと守っていただけるよう取り入って、戦さ場にても隊長閣下のすぐお側、部下らの楯に取り巻かれし安全至極な殿
(しんがり)に堂々居座る立場を得たと聞くが?」
 まるでその眸で見て来たように、誤解まるけな見識を滔々と並べた青髭の言いようへ、
「ほほぉ、それはまた。」
 同年配だろう仲間うちが相槌を打ち、
「美形の床上手ならではの、淫靡で効果的な手管であろうよな。」
 こちらは眼窩の落ち込んだ金壷まなこが、さも関心しきりという芝居がかった素振りにて、深々と頷いて見せたのへ、残りの連中がげらげらと沸いたのもまた、

 “白々しいったらねぇよな。”

 そんなご丁寧に順を追って並べてくれずとも…と、憤怒に震えてやるほどのことでもなし、却って呆れてしまったくらい。何せこちらの白皙の青年。とある経緯
(いきさつ)が絡んでいてのことではあったが、直接その傍についている御主、勘兵衛当人が衆目の中で堂々と公言してくださったそのお陰様、隊長殿の寵童、衆道の契りを交わした者だという肩書が、虚実はさておき、支部内でしっかと浸透してもいて。(千紫万紅・外伝『昔がたり』参照) よって、このような方向からの言い掛かりを吹っかけられて絡まれるのも、今更珍しいことではなく。ただ…一度絡んで来た者がその後もちょっかいを掛けて来たためしはなかった。というのが、

 「お綺麗な副官殿、一体どんな手管であの堅物様を籠絡なされた。」

 彼らのリーダー格なのか、青髭が粘着質な口調でそんな言いようをしたのがどういう合図になっているものか。残りの面々のうち戸口近くにいた者が、へらへらと薄ら笑いを浮かべつつ、入って来た引き戸の錠を降ろしてしまい、金壷まなこが横すべりの動作も素早く、半裸の青年が腰掛けていた床几の脇へまで進み出る。他の面々も彼のぐるりを取り囲もうという動作を連携良く見せていて。その仕儀はまるで、手ごわい獲物を狩るがための首尾よき手筈を思わせる。
「…。」
 そんな彼らを、こちらはさして熱もなく見やった青年士官殿。湯上がりということもあって、普段は奥深いところへ光を沈めたような色白な肌へも淡く赤みが増しており。端正高貴な面差しの中、仄かに朱をはいた頬や血の気ののぼった口唇に滲んでのまとう色香の、何と凄艶で妖冶なことか。日頃はかっちりとした軍服の堅い線に鎧われて、いかにも禁忌な香のする美貌をまとわしておいでの、金髪白面の美丈夫殿。部隊のお仲間、屈強精悍な皆様に囲まれているのを、遠目に見るだけな彼はいつだって、若々しき才気に弾け、凛としていて毅然と構えているものが。それが今は、口を開かずの音なしの構えでおわしまし。たった一人でこのように、肌もあらわに佇んでおいでのその様が、どこか悄然としているようにも思えての…だったら我らにも落とせるのではなかろうかなどと。どこか不埒な血気に逸った輩ども。
「あんたらの部隊の宿舎からは遠い習練棟だ。助けは来ねぇぜ、諦めな。」
 寝起きの場にさえ区別のある相手であり、いかにも高貴で麗しい青年なれど。実のところは汚れ仕事も知らぬよな、制服の折り目が立ってることへしか関心の向かぬほど、そりゃあ か弱い存在に違いない。そんな対比が実証出来ぬは、ただただこの手が届かぬからの話であって。直に相対せば他愛なくも屈服させられよう、さんざんに穢して貶めることも容易だろうと、思い上がっての暴挙に走らんとしているらしく。

 「何なら島田様を呼んでみな。
  可愛いお稚児が手籠めにされそうでございまするってな。
  もっとも、どんなに声を張っても聞こえようがなかろうが。」

 こちらの語りが聞こえているのやら。最初の位置から表情も態度も動かぬ若造へ、せめて怯えでもして見せりゃあ、そこを嘲笑して済ましてやるものをと…却って忌々しく思ったか。彼ではなく彼の上司を持ち出して、煽りつけるかのようにそんな言いようを吹っかけたものの、

 「今日のそやつは、たとえ聞こえても呼ばぬぞ。」

 不意を突いての誰かのお声が、そんな場へ割り込むように放られて。何だ邪魔なと険のある眸を向けた彼らが、だがだが…声のした方へ近い側から順番に、体温を失っての凍りついてしまったのは、

 「し、島田殿っ。」
 「おうさ。此処におっては不味かったかの?」

 からりと開いた湯殿への引き戸の向こうから、いかにも平板な声で応じてのすたすたと。濡れた足跡をいぐさの床敷きに残しつつ、悠然と上がっておいでの偉丈夫に。たちまち脱衣場の形勢は引っ繰り返ってしまう。軽く紐で結って束ねただけの濃色の長髪を、広々とした背に垂らし、鞣した革の強さもかくやという褐色の肌には、清かな雫が幾らかまといついたまま。腰回りに大判の手ぬぐいを巻いただけという、此処ではこれが当たり前な湯上がり姿。よくよく脂が乗っての強かに練られた筋骨が、肩に二の腕、胸に背に腹にと、隆と堅く盛り上がっての陰影を深々と刻む。そりゃあもうもう雄々しくも精悍な体躯をなさっておいでの、まこと歴戦のもののふ殿。

 「な、なんでまた…。」

 こっちの彼への脅しにと、さんざん囃したその本人のお出ましで。まさかこんな間近においでであろうとは思わなかったからこそ、軽んじるような言いようでその名を口にしていたようなもの。そんな無礼がご本人のお耳に入ったとなると…副官の若造とはさすがに格の違う相手だ、怒らせればどんな叱責が飛ぶやも知れぬ。下手すりゃ“無礼打ちだ”とその凄腕にて手ひどく折檻されても文句も言えぬと、一気に焦ったこちらのお歴々。
「あ、あの…っ。」
「これは、そのっ。」
「ただの悪ふざけでっ。なあ?」
「あ、ああ、そうそう。悪ふざけだ、悪ふざけっ。」
 本気でどうこうしようと構えたものじゃあないと、何とか言い訳をし始める面々を尻目に、空艇部隊 司令官殿の方はといえば、
「…。」
 着替えを置いているらしい奥の棚へとすたすた向かい、広げるごとに洗いたてだろう小気味いい音をばさばさと立てる、木綿の下着だのシャツだのを手際よくも身につけておいで。聞こえていない訳ではないようで、

 「悪ふざけ? たった一人へその頭数で、しかもご丁寧に施錠までしてか?」

 それでなくとも此処は子供の遊び場じゃああるまいにと、言い訳にかそれとも…未遂ではあるものの そもそもの卑怯な所業に対してか。呆れたような声にて応じた蓬髪の隊長殿であり。
「このような時間に此処に来たということは、それなり務めを果たしてのちの事だろに。そのような下らぬ“悪ふざけ”までこなせようとは、余程のこと、血の気が有り余ってでもおるものか?」
 何なら次の出撃にては、白兵戦にての介添えの部隊にと、こちらから指名させてもらってもよいがと言い出し始めるに至り、
「そっ、そんな滅相もないっ。」
「そのような大それた貧乏くじ、あわわっ。」
「我らでは力不足もはなはだしゅうございますっ!」
 しどろもどろに言い訳を並べたその挙句、
「で、では、これにごめんっっ!」
 自分らで施錠した戸を叩き割らんという勢いで、無理から押したり引っ張ったり。結果として枠から外してのこじ開けると、脱兎のごとくに逃げ去った。どたどた・がっちゃんと喧しいコトこの上ない騒々しさであり、

 「…にぎやかな連中だの。」

 選りにも選って湯殿で埃を立ておってと、その原因様が何とも味のある苦笑混じりに見送れば、その背後にいつの間にか回り込んでいた気配があって。

 「御免。」

 いつの間に動いていたものか、さっきまでは泰然と床几に腰掛けたままでいた七郎次。それは広々とした御主の背中へ、まだ濡れたままで無造作に垂らされている、濃い色の長い御髪
(おぐし)を手に取ると。双手へ広げたタオルで掬い上げ、挟み込んでの軽く叩いては水気を取る手入れに取り掛かっており。自分の髪はまだ乾き切らぬからか、結いもしないで降ろしたまんまのお手伝い。

 「すまぬな。」
 「いえ。」

 彼からのこういう世話焼きもいつものこととて。余計なことをと振り払いもせず、さりとて恐縮もしないまま。強いて言うなら好きにさせての、じっとしていてやる勘兵衛であり。

 ―― お言葉ですが。
    なんだ?

 たとい先程仰せの“今日の私”でなかろうと、あの程度の無頼を相手に、この七郎次、助けを呼んだりなんぞ致しませぬ。さようか。はい…と。何があったか少々無愛想なまま、黙々と淡々と、お世話に徹する若いのへ。それ以上は揶揄もせぬまま、口元だけを苦笑にほころばせてしまわれた、壮年手前の隊長殿であったりした。





  ◇  ◇  ◇



 こたびはさほど派手に暴れてなんかいなかったのだけれど。そこはそれ、注目されている方々のことなだけに。修練棟のお風呂場での騒動の一件、翌日にはもう、支部の中では知らぬ者が居ないほどという知れ渡りよう。島田隊の隊士と言えば、その派手な活躍と共に、見目よい顔触れが多いことでも有名で。花街での人気も群を抜いていることから、他の連中のやっかみの対象にもなりやすく。よって、どんなささやかなことでも善かれ悪しかれ、パッと広がっての取り沙汰をされる始末だったりし。とはいえ、仲間内にはさすがにどれほどの誇張がかかっているかのさじ加減もしっかと飲み込めており、

 「あれだろ? 誰かさんの憂さ晴らしのための“やっとう”、
  ガス抜きを兼ねての手合わせをこなしておいでの末の風呂場だったんだろ?」
 「ああ。そんな場へ来合わせたのが奴らの不幸ってね。」

 語られている以上の背景までもを把握した上で、まあ、ウチの副官殿へ足軽隊の5、6人じゃあ、どんなに不意を突いて飛び掛かっても軽々とあしらわれるのがオチってもんさね…などと。そのうら若き年頃に見合わず、実践の場でどれほどの修羅場をくぐり抜けた彼かを見知っている面々にしてみれば、それがたとえ素手空手であれ、無謀な所業でしかないと、やはり断じることが出来。

 「そも、ここんとこのおシチにちょっかい出すとは、巡り合わせの悪い奴らよ。」

 そんな言いようをしたは、島田隊の双璧のお一人の征樹殿。今はまだ灯されぬ、シャンデリアを模したかのような大電灯が見下ろす、天井の高い広々とした空間は、息抜きやら遅いめの昼食を取りにやらで訪のうた隊士たちの声が、高いの低いの、ざわさわと程よく拡散しており。そんな中だったから何か聞き漏らしたのかとでも思ったか、
「ここんとこの?」
 はて、何かどこか、常とは違う条件づけでもありますかと。こちらはこの支部の総務課の新米係官殿が、まだ染料の匂いがしそうなほど新品の制服の肩の上、きょとんとして小首を傾げてしまう。仕事の限
(キリ)がいいからと少々時間を外れて訪れた食堂にて、遅いめの昼食をとっていたところへ同席して来たのが征樹殿であり。先だって提出を急かされた、備品補充の届け出、細かいところを聞きたいとの思し召し。それをお答えして差し上げての後の会話がそれであり。だが、
「うんうん。この何日かの副官殿をよくよく見ておれば、避けて通って正解だっていうのにな。」
 これは別の、文士風の物腰穏やかそうな隊士殿が、やっぱり感慨深げにそうとお言い。そして、そんな彼らが見やった先では、彼らもまた少々時間がずれ込んでの今頃になったらしい、噂の当の主たち、島田勘兵衛様とその副官殿が、窓辺の席にて向かい合い、静かに昼食をとっておいで。特に言葉を交わしているとも見えぬのに、醤油ですね塩ですねと調味料を的確に手渡すわ、
「…。」
「お茶ですね。今。」
 全部告げ切る前にはもう腰が椅子から浮いていたほどの間合いで、さっと席を立ってゆかれる副官殿の、戦さ場仕様や式典仕様ではない平服装備でさえ凛々しく見せる機敏さが。がさがさと慌ただしくはない、なめらかで軽やかなそれなため、気忙しさ
(きぜわしさ)を感じさせないところもまた、いかに気を遣った上での、品よく手を尽くしておいでかの現れで。わざわざ言い出されるより前に的確な対処をこなせるほどの察しのよさと、嫋やかな見栄えを大きく裏切って…実は人一倍負けず嫌いなところが由縁しての至れり尽くせり。役職の補佐であるところの、書類の整理や隊士への数々の報告ごとの徹底伝達は言うまでもなく、勘兵衛様ご自身の体調の保全から身だしなみのチェックまで。どうかすれば当人が半分寝ていても支障はないほど、目が届き手が至る尽くしようは、いっそ甲斐甲斐しい奥方か母親の如し…なのも、いつもと変わりなく見えるのだけれども。

 「お待たせしました、島田様。」
 「ん。」

 ヤカンと急須が置かれた配膳台にて、それは丁寧に茶を淹れた湯飲みを盆に載せて運んで来た副官殿。そんな彼が御主へと掛けたお声に、当のご本人は平然としたままながら、それが聞こえたこちらは一斉に肩をすくめて苦笑をし、

 「………はい?」
 「だから。」

 今のだよ、今の。はい? 勘兵衛様を“島田様”と呼んだろうが。あ、はい。それがあやつなりの“怒っております”という、はっきりした意思表示なんだよ。

  ―― え"?

 ほれ、お前んトコの勝浦主事。おシチってば先日、あのお人にさんざん叱られたらしくてな。…はあ。提出が遅れた決裁書が何通かあったのと、それから…私的な出費だからか、こっちへ回されては困るってのが1つあったらしくて。そうそう、それへのお叱りをねちっこくかまされたらしいのだが、
『もうそのくらいで解放してやってはくれぬか。』
 通りかかった勘兵衛様が、あとの職務がまだつかえているのでと、自分に免じて許してやってくれというような言いようをなさったらしいのだがな。その叱責を受けたもろもろは、元はと言えば、全部 勘兵衛様が妙に思案を巡らせなさった結果として遅らせた代物ばかり。宛て先間違いの領収書も、もしかして諸経費として落ちぬかと思って紛れ込ませたとのことで、七郎次の目も掠めての出してみた書類だったとか。そんなもので叱られて、しかも“儂に免じて勘弁してやれ”ですって?と、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしいのだ。

 「ふえ〜〜〜。」
 「そんな気の抜けたような声を出すな。」
 「ですが…。」

 気持ちは判るがと苦笑なさってる皆様がただが、本当に判っておいでなのだろかと。総務課の事務員殿はそっちの反応の方へも感心しきりだ。顛末の滑稽さへと笑っておいでの皆様だけれど、

 “あの勘兵衛様を相手に、
  そんな…怒っておりますなんていう態度を取れるだなんて。”

 上司の言うことは黒でも白と通さにゃならぬ。たとえどんな破天荒で理不尽な無茶苦茶を言われても、普通一般の宮仕えの比じゃあない我慢をし、仰せの通りでございますをただひたすら通さにゃならないのが軍隊というところだってのに。あの若さで、反骨…とも微妙に違うとはいえ、彼なりの意思表示とやらを、それも直接仕える上官へ示していようとは。
“しかも、あの勘兵衛様へ…だって?”
 武勇の誉れを数えたら、まだお若い内の今現在で既に数冊の伝記が著せるんじゃなかろうかというほどもの錚々たる戦歴をお持ちで、しかも才気あふれる軍師でもあり。

 「…もしやして、勘兵衛様は気がついてらっしゃらないとか。」

 それを算段のうちに入れての、せいぜいの憂さ晴らしかなと思って訊いたところが、

 「初日は気がついてらっしゃらなかったみたいだが。」
 「まま、それは毎度のことだしな。」
 「毎度って…。」

 事務仕事をはしょって、気分転換にと手合わせなんぞを構えたあたり、さすがにもはや気がついておいでらしいぞ?だなんて。全くの他人事、対岸の火事のようなお言いようをなさる島田隊の皆様であり、

 「あのままで…よろしいのでしょうか。」
 「そりゃあ、そろそろ ちーと不味かろうさ。」

 あの拗ね方では、七郎次の方でも引っ込みがつかなくなる恐れがあっからな。勘兵衛様はむしろ、気づいておいでの上で面白がっておられるのかも知れずで、

 「大体だ。
  あいつってば、他のもんが勘兵衛様を腐すと、
  どんなささやかなネタでも怒髪天とばかりに荒れ狂うくせしてなぁ。」

 あれじゃね? 奴なりの甘えというか。いやさ“独占欲”なんじゃね? だったら尚更、あいつの側からは引きにくかろうにどうすんだよ…と。今度はいきおい、どうやって収拾をつけるんだろかと……。

 「追い詰められて、泣き落としっぽく謝るに二百銭。」
 「いやさ、謝るのを聞いて差し上げるなんて勝手を言い出すのに二百五十銭。」
 「俺らへ協力をねだって…は来ねぇかな?」
 「あの強情っ張りがか? ないな、そりゃ。」
 「皆様がた…。」

 どこまで本気か、額を寄せ合ってのとんでもない合議となった仲間らの輪の中へ。呆れ返ったお顔の事務官殿と同じく“おいおいお前ら…”と、これへはさすがに閉口した征樹殿が声を掛けかけたところへと、

 「と思って、必殺技を買って来た。」
 「おお、良親。」

 そういえばさっきから姿を見なかった、もうお一人の双璧様が、ひょっこり顔をお出しになった。支部のお外へまでお出掛けでおられたか、かっちりした厚みのある肩や広い背中によく映える、濃緑の上下に黒地のタートルネックという、いかにも重々しい戦さ場仕様の軍服装備を きっちりとまとっておいでで。明るい色したくせっ毛の髪との対比がまた、清廉実直でノーブルな雰囲気を醸しておいでだが、

 “こう見えてこの男、ウチの隊で一番の女好きだかんなぁ…。”

 誰ですか、どさくさ紛れにそんな心の声をこぼしておいでなのは。それはともかく、

 「必殺技ってのは何なんだ。」
 「これよこれvv」

 機能的な所作を優雅にこなしそうな、いかにも大人の男性の御手には少々物足りない、薄い包みをほれほれとかざして見せてから、そのまま問題のお二方のいるテーブルへと向かわれる。どうなることかと興味津々、隊士の皆して こそり見守るその中で、

 「勘兵衛様。」

 通信部の将官殿の付き添い役、無事に行って帰って参りましたと、まずは当たり障りのない報告を告げた長身の中古参。おおそうかご苦労と、ねぎらいのお言葉を受けてから、

 「それと。これは、ご依頼された獅子尾堂のじょうよ饅頭ですよ。」
 「お?」

 何の話だと、目が点になりかかった部隊長様へ。やだなあ、お忘れですか? 北見の陣に出るおりには、買って参れとこっそり仰せだったでしょと、そうと告げてから“あっ”と自分の口許をわざとらしくも手で塞いで見せて、

 「…もしかして、おシチには内緒の買い物でしたか?」
 「いや、そんな訳ではないのだがの。」

 んんっと短く咳払いをすると、懐ろから財布を取り出し、釣りはいいからと多めに手渡す。ではと押しいただいて良親殿が去ったことにさえ気づかぬまま、うら若き副官殿は何へ気を取られていたかといえば、

 「………。//////////」

 テーブルへ無造作に置きっ放しにされた…白地に掠れた筆致にて、野の草花が描かれた和紙の包みを、玻璃玉のような水色の双眸にてじいっと見やっておいでであり。

 「…よければ食うか?」
 「よろしいのですか? 勘兵衛様。」

 ああと鷹揚に頷かれたのへ、やっとのこと…ちょっぴり含羞みを滲ませて、隠し切れない笑顔を見せた七郎次であり。ちょいと指先で摘まめる大きさ、大和芋と上用粉の皮生地にくるまれたこし餡の、小さな雪ウサギの形を模したこのお饅頭が、殊の外 気に入りだという情報。先の歯痛騒動の後日談として、良親殿へとだけこっそり話してくれた、島田隊で一番の末っ子殿だったそうで。微妙な空気をとりなしてくれた小さなウサギを、あっと言う間に半ダースほども平らげた豪傑さんの、何とも幸せそうなお顔には、

 “やれやれだの。”

 北軍
(キタ)の白夜叉も形無しか、彫が深くて気難しげな、いかついお顔をやんわりとほころばせ、擽ったげに苦笑を零されてしまうばかりでおいで。ワケありですぐ傍らへとやって来た、それは無邪気な新顔の彼が、一体どんな風を招いてくれるやら。期待するのは辞めたはずの身へ、かすかに沸き立つ何かしら、間近い夏の気配に過ぎぬとしながらも、看過し切れぬ御主であったらしいです。





  〜どさくさ・どっとはらい〜  08.5.25.


 *妙にあれこれと設定を考えてしまったせいですか、
  北軍・島田隊の小咄…もとえ、小話がぽこぽこ浮かんで困ってます。
  いっそのこと、これでシリーズものにしちゃおうかと思うくらい。
(おいおい)
  といっても、レギュラー陣としては、
  双璧の良親さんと征樹さんくらいしか出て来ないのではありますが。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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