忙中閑あり 〜ご挨拶もかねまして (お侍 習作110)

       〜大戦時代捏造噺
 


 地上1万メートルなどという高層圏はとにかく寒い。浮力を保持するための速度を保つ飛行もまた、凄まじいまでの風に叩かれ続けねばならぬことなので、ただそれらへ対するためとしてのまずは、鎧に匹敵もしよう厚手で頑健な装備が必要となり。機能性も勿論考慮されてはあろうけれど、全装備で一体いかほどとなるのやら、そんな重しをまとったままにて、俊敏鋭利に己れの身を捌くことが出来なければ、突風吹きすさぶ苛酷な穹ではまず戦えない。相手へも条件は同じであり、なればこそ、能力的に優れた方が勝つのは自明の理。あとは…

 “運も馬鹿には出来ない、か。”

 双手へ差し渡して構えた深紅の長柄は、もはや我が腕の延長ほどにも使い慣らしていたはずであったのに。何の弾みか…これもまた手のひらへ馴染んで幾久しい、戦闘用の黒革の手套の中へ しっかと握っていたその支配制御を逃れての弾け出て、宙へと躍り出てゆきそうになったので。わっと驚いたそのまんま、たたらを踏むよに大きく前へ、ともすれば膝をつくほども転げ倒れそうになった瞬間があって。こちらへ向かって駆けて来る、複数の敵との接触間際のこと、相手がこっちの様子へざまを見ろと嘲笑った顔まで見て取れたそれが…一転。姿勢を低くした自分の、その背後からどっと、とんでもない角度と勢いで滑空してった重々しい気配があった。疾風のような機影が自分の背中を舐めたそのまんま、巻き起こった突風にますますのこと押された格好、今度は額の鉢金が甲板へ触れそうなほどになっての、押し潰されたように這いつくばったことが幸いし、こちらには難がなかったその代わりのように。駆けつけんとしていた敵兵数名、着陸しかかっていたとは思われぬ失速状態、随分と接近して来て居た空艇の下部に薙ぎ払われたそのまんま、甲板から宙へ跳ね飛ばされている。もしも前のめりになっていなければ、自分だって巻き込まれていたかも知れず。ほっと安堵しかかったものの、
“…いやいや。”
 敵味方入り乱れて乱戦中の甲板へ、不用意に突っ込んで来た敵機の気配。それを読めなかった自身の未熟さを、口惜しいことよと噛みしめ直す。揮発性の高い燃料油の独特な匂いが立ち込め、何かの拍子に引火したものか、鈍い爆音とともに炎上する焔が黒々とした煙と熱とをばらまく。足元の戦艦と宙を飛び交う斬艦刀と、大小様々な機関音をベースに、堅くて鋭い剣戟の響きがあちこちで弾ける。此処は紛れもない修羅場。集中を途切らせれば命がない。煤の混じった風に遊ばれ、それでもまだ何とかなめらかな光沢の部分が残る、金絲を束ねた引っつめ頭へ。周囲に次々と立ちのぼる火柱の、明々とした炎の陰が躍る。

 「………。」

 方向を見失った訳でもなければ、怯んでの立ち尽くしている訳でもない。駆け寄る影あれば片っ端から畳むだけの反射と覚悟を保ちつつ、だが、軽々しくも動かぬことを故意に構えての微動だにしない彼であり。…と、そこへ、

 「…七郎次っ!」

 喧噪の中を強引にも縫う一閃の矢のように。それは鋭い声が飛んで来て。その芯の強い一声に、

 「…っ。」

 若々しい背条がびんと張る。作戦行動とはいえ、揚陸着艦したそのまま戦端開かれた中へと紛れるのを見送った広い背を追って、どれほど駆け出したかった彼だったことか。その白いマントに覆われた背中の傍らへ、どれほどのこと馳せ参じたかったか。それをこそ無理から圧し止めていた箍を解き放つ合図が、今ようやく掛かったとあって。自分の背丈以上はあろう赤槍の柄を、今度こそはと ぐっと確かに握りしめ、腰を落としてバネをためたそのまま、

 「哈っっ!」

 応じの返事もかねての気合い一閃。腹の底からの声を上げ、鋼の甲板を軍靴にて がつがつと蹴立てるように踏みしめて。囮となって敵の大勢をその身へ引きつけていた勘兵衛が待つ、この艦の空艇射出口を目がけ、一直線に駆け出した七郎次だった。





  ◇  ◇  ◇



 この、広大な大陸を真っ二つに二分してという勢いで繰り広げられている、長い長い大戦において。軍に正式に所属した兵士というと、南軍も北軍も基本的には士族の子弟らが大半で。特に指定や規約、制限があった訳ではなかったが、武道のたしなみがある者がどうしても求められたし、そこへ身元の確かさも合わせるなら、軍人育成を主眼目としている士官学校の出身者が集められたは自明の理。よって、文武に明るい士族の子か、才能を見初め推薦してくれる伝手があった者らが順当に軍部に集められ、次々に前線へ送り出されていった。
 戦線が拡大し、長引いての巨大化してゆくにつれ、表向きには士気高揚のため、実際は戦線維持への予算や人事権の優先と、それへ携わる関係各位の面目を立てるため。個々の兵である“侍
(もののふ)”たちの華々しい活躍ばかりが後方へ報じられ。そんな格好で華々しい活躍を謳われたは、主には前線で血刀振るった侍たちで。そこから、出征して手柄を立てることが栄誉とされる傾向が生じ、階級まで金で買ったものか、無能なくせにやたら高い地位に就く素人が続出…という、戦さの最中に何をふざけたことをと耳目を疑いたくなるよな矛盾した人事が乱れ飛ぶ時期がやって来る。
 そんな悠長なことが通用したのは、あくまでも戦局が膠着状態にあったからだが、とんでもなく無能な司令官などという困った駒を頭上へ投じられる、言わば試練と呼んでいいほどの苦難を味方から与えられたことにより、兵士たちはいい意味でも悪い意味でも淘汰され、媚びや諂
(へつら)いを使いこなし、上官へおもねることで生き残る術を身につける者も増えれば、その一方で、不器用なままに生き残った者はその腕っ節と運の強さに磨きをかけた。
 兵器や戦艦の開発から、果ては兵士たちの体躯の強化や改造までと、様々な技術の進歩や発展から、戦さはその規模が拡大してゆくばかり。より強くより優れた戦力を求めての、気合砲や光弾などが発達。機巧化された兵士たちの巨大化に対抗して、戦艦や砲台の巨大化も進み、そんな悪循環はますますの戦況悪化を招きもしたのだが。

  ―― そんな中にあって

 小回りの利く生身の体の侍たちの跳梁が、大戦の終盤になって戦局を恣に撹乱する存在として頭角を現し始めたのは、ある意味 皮肉なお話で。問答無用でどんな強力な武装をも力押しにてねじ伏せた“切り札”だったはずの気合砲や光弾さえ。その刀に帯びさせた超振動で弾き返せる“侍
(もののふ)”たちが展開した、よくよく練られて柔軟、且つ、機転の利いた活躍と、それによる台頭は凄まじく。それへの対抗策として、人間に近い大きさの機巧侍、白兵戦対応の兎跳兎や甲足軽をあらためて開発・普及させるに及んだほど。苛烈であまりに長引いた戦さは、人をそんな方向でも特化させたということであろう。
 戦意高揚のための英雄譚でも、生身の身体で活躍した空挺部隊所属の斬艦刀乗りの話は数多く語り継がれた。小山ほどにも大きくて、戦艦さえ薙ぎ払えるほど強くて当たり前な鋼の機巧侍ではなく、生身のままだのに滅法強い…と来た方が、後方の、やはり生身のままな市民へも話が受け入れやすいというものだったのだろう。そんな侍たちは、それこそ生身の人間であるがゆえ、鋼の機巧躯の強靭さに対抗するには、心を尚更に鍛える必要だって出ても来よう。頑丈な堅さで敵うはずはないから柔軟さで。されど、青竹のようにどこまでしなっても折れない、強かなまでの…そう、錬鉄の強靭さで。鋭い集中を持続出来、突発事にも揺るがぬ心胆を鍛え上げ、どんな状況下にあっても沈着冷静な判断をこなす。それが最善と誰もが思うことではあったが、

  ―― とはいえ。

     それこそ…生身の人間なのだから、
     出合い頭やひょんな弾みで、
     繊細緻密な屈託に、搦め捕られるよなことも、
     少なからず あったに違いなく…。


 シリーズ化にあたっての長口上な背景説明へ、お付き合いくださり、どうもありがとうございます。
(おいこら)





 北軍南方○○方面支部、第2小隊。自身からして“北軍
(キタ)の白夜叉”などという二つ名を冠され、敵方からも重々恐れられている部隊長・島田勘兵衛が率いる空艇部隊で、それを構成する面々もまた、斬艦刀乗りの中でも精鋭中の精鋭揃いと謳われて久しく。そんなせいで生還率が高いからか、前線担当部署でありながら、随分と久しい間 新しい人員補充が無いままであったのだが。このほど、何年かぶりに生きの良いのが新たに加わり、しかも部隊長付きの副官という立場であるにも関わらず、これが相当な跳ねっ返りで。戦闘時に於いてはそれでこそ頼もしいとの快哉も送れるが、待機中の基地内においても…時たま大嵐の目となって暴れて下さるものだから、

 『おい誰か、島田隊長を呼んで来いっ。』

 収拾がつけられぬまま、そこまでの騒ぎになることも珍しい話ではない日々が、彼がその人性をしっとり強かに落ち着かせるまで、結構長いこと続いたという。

 「せっかく可愛らしい風貌をしておるのになぁ。」

 だというのにああまでも柄が悪いとは勿体ないことよと、しみじみ嘆いた島田隊が誇る双璧の片やへは、
「…お前に言われてもなぁ。」
 その相棒が、やはりしみじみとした言いようで、他の隊士らの心持ちを代弁してみたり。なんでだよ。だから、お前こそ その顔で性格最悪ではないか。
「接近戦が主の乱戦になると、3人に一人は関節技で敵を落とす戦法へ変えるだろうが。そういうややこしい戦いようは改めよと、勘兵衛様から何度言われておることか。」
「血を見るのが苦手なだけだ。」
「もはや公認扱いでウチの方面支部の専属歯医者をこなしとる奴が何を言うか。」

  …まま、個性豊かな部隊だってことは ともかく。
(苦笑)

「こないだの会戦でも、途中から凄まじい怒号を上げてたおシチだったろうが。」
「ああ、あれな。」
 相手が格下だと、それがため太刀筋が容易に見切れるだけに、余計に苛々がつのってしまったらしくって。揚陸戦の最中にいきなり、

  ―― てぇいっ、ちまちまと鬱陶しいっ。いっそまとめて掛かって来んかいっ!

 伸びやかなお声が、かなりの遥々とあちこちへ響いてしまい。あれはさすがに、撤収ののち、御主からも軽い叱責を喰ろうておられた模様。そんな一幕が、されどさほどの仰天事でもなくなっていようほど、跳ねっ返りの“じゃじゃ馬”としての馴染みが皆様の間でも深まりつつあるのが、まだまだ若葉マークの副官殿こと七郎次という新参の隊士殿。本当に金をからめた絲でもあるかのように、つややかさを含むに相応な重みもあっての落ち着いた、されどさらさらとした質のいい髪と。それがいや映える、深みのある白さを呑んだ瑞々しい肌。光を凝縮させた宝石を思わせる青い瞳は、笑みを含んで細められると暖かな深色に染まって、いっそ愛らしいくらいの純朴清廉さを滲ませる…というほど、せっかく端正で可愛らしい風貌をしているというのに。良親殿がつい呟いたように、それを大きく裏切って、そりゃあもうもう血気盛んな言動著しい、困った方向でばかり目立ちまくりの新人隊士殿でおわしまし。
“それだけの実力があるから、致し方がないのではあるが…。”
 しなやかな双腕双手で操るは、赤柄に三つ又矛を収納した仕込みの長槍。風籟まとわせた切っ先で輪を描いては対手を威嚇し、先んじて相手を薙ぎ払える間合いの長さのみへと利点を着目されがちの武器だが、さにあらん。長い柄は防御のための楯にもなるし、短く握れば刀と同じで、背後の敵さえ殴り臥せられ。極めれば極めるだけ、いかようにも応用が利く無敵の得物。それを最も得意の得物とするだけのことはあり、敵を突いたり斬ったりの他、大きく振りかぶっての投擲攻撃は勿論のこと、石突きにて地を衝いてその身を宙空へと躍らせたりと、その捌きようの妙は既にその身へ無駄なく叩き込ませてもいる彼で。若木のように伸びやかな、尋ある腕脚振るっての颯爽と鮮やかな立ち居振る舞いは、さながら優雅な剣舞の如く。三つに分かれし銀穂を光で濡らしてのぶん回す、その切れの鋭さを麗しさに乗せ替えて。相手を幻惑しながらの露払い、先鋒としての進軍の速さはもはや支部でも一番と誰もが推す身であるし。進軍中に周囲へと配る注意の広さ細かさも並以上のそれであり、だからこその縦横自在な戦いっぷりでもあるといえ。

 “それを養ったは、勘兵衛様ということか。”

 ご本人の骨太重厚で懐ろ深い人性へ あっと言う間に魅せられたのみならず。初陣での働きを認められてのそれ以降、戦さ場でその背中をはやばや任されたことで、負けず嫌いな跳ねっ返りは、その実力の尋、どんどんと加速をつけての広げ延ばしたとも言える。慕ってやまぬ御主の背を護るということ。至上の使命なその上へ、それを任せて大丈夫との信頼を常に自分が得ていたいとする、ささやかな、されど純な分だけ根の強い“欲”が、人ひとりを奮い立たせて動かすことへの、どれほどの糧に…いやさ、起爆剤となることか。そうまでの敬慕をい抱かせた、ある意味 魔性さえおびた勘兵衛様の“人誑らし”っぷり。その、一番の要素は何と言っても、

 “ご本人が先陣に立たれるような、気性気概をされた練達だからこそだがな。”

 実際の話、彼ほどの猛将、最近は稀になったと誰もが口にする。単なる辣腕なだけでなく、その身を先頭切って戦火の只中へと投じてしまわれる部隊長は今時には珍しい。いくら少数精鋭とはいえ、戦況把握の必要から慮みても、大将は高みや後方から全体を眺めて采配を振るうのが、基本であり効率もいいはずが。こちらの隊長殿は必ずご自身も突入されるし、その上で見事に陣営を運用展開させての相手を圧倒し、さすが名軍師よと謳われ続けておいで。机上で作戦を立てるだけの知将がいかんとは言わないが、身を切られるリスクの少なからず存在する戦さ場に、策を捻り出した本人もまた立っていることで、1つしかない命を実際に危険に晒している兵らの士気がどれほどのこと高揚するかは明白で。

 『そこまで深々考えてはおらぬのだがの。』

 単に自分の肌合いで風を読んだ方が舵取りに手っ取り早いからだと、そんな素っ気ないお言いようをされるのがオチ。それでも、その見事な太刀ばたらきを直に見られるは至福と、誰もが士気を煽られ、実力を存分に発揮する。

  ―― 重く鋭い斬撃が宙を裂き、
      そこから押し開かれるは、漆黒の闇にも似た虚無の刻。

 それが生み出すは酷薄でつれないまでの“死”でしかないのに。なのに眸が奪われてしまう、凄惨で鮮烈な、存在感のある巧みな太刀さばき。情も熱も一切与えず残さず、現世から切り離されたことにさえ気づかなかったろう“瞬殺”にての仕留めの妙を繰り出す身でありながら、そんな御主が出撃前にいつも言い置かれるは、必ず生きて戻って参れとの誓い。それが守られるのもまた、人望という一言では足りぬほどの何かしら、深くて強い、絆というより“執着”あっての逞しさにて、果たされ続けて来たと言えるのかも。

 「………お?」

 少し遠出となった先日の会戦から帰還したのが昨夜の遅く。出稼ぎになった戦域から直帰したそのまま、なし崩しで休養日となった翌日も、そろそろ陽が落ちる頃合いとなり。よく寝て回復した者は、そこもまた剛の者が多い隊なればこそか、最寄りの町へと繰り出す顔触れが、そりゃあ判りやすくも昇降口のある方へ続々と流れてっており。お前らも出ないのかと声をかけられたのをやんわりご辞退し、早瀬に逆らうヤマメのごとく、官舎を進んだ二人が遭遇した人影はといえば、

 「何でまたこんなところで。」

 廊下のところどこ、談話のための、それから喫煙のための空間にと長椅子を置かれているスペースに、ついのこととて話題にしていた誰かさんがおいで。最初は座っていたのだろうが、それが倒れ込んだか、それとも誰ぞが首が折れぬかとでも見かねて横にして差し上げたものか。3人ほどが掛けられる安物のソファーの座面への横倒し、お行儀としてはよくないものの、すうくうと熟睡しておいでのうら若き副官殿であり。さすがに冬場ほど凍える時期ではないものの、陽の射さぬ屋内は、場所にもよるが時としてひやりと肌寒く。それを示すか、少しばかり身を縮めるようにして丸くなっている態がまた。つい先程まで語りの上へと乗せていた、とんでもない跳ねっ返りぶりを裏切るように、可愛らしいほど稚
(いとけな)い。
「起こして運ぶか?」
 やはり外出に誘おうと思ってのこと、彼をこそ探してやって来た二人ではあったものの、これでは起こすのも忍びない。傍らまで寄り、だが、どうしたものかと征樹殿がふと迷ったのは、熟睡の深さへだけではなくて、
「…何処へだ。」
「うん…。」
 他の隊士同様、確か宿舎内に寝起きの自室を持つ彼ではあり、しかも一人で1室という待遇だったが、それは隊長殿の副官という、様々な方面への臨機応変を要される役職のためで。だが、そんな個室へ戻っているところ、実を言えばあんまり見たことがない。本来、副官の役目とは職務の補佐のみであり、会戦時にあっては、戦況に即した迅速緻密な情報収集に務め、陣営運用への効率いい助言を差し上げ。平時の仕事は、部隊運営上の伝達や隊士管理における雑務のお手伝い。早い話が、資料や記録簿の整理や他の部署との連絡係…といったところなのだが。こちらの副官殿、野趣あふれる隊長殿の、少々男臭さが過ぎる大雑把な日常、身の回りまでもを補佐しておいでになるがため。予備の寝台を出してのことか、それとも…何処までホントの話だか、隊長様の寵童として、睦みを紡ぎ供寝をしての末のこと、一つ布団でお休みか。そこまでは知ったことではないけれど、隊長がお使いの執務室の次の間、仮眠室にて、一緒に寝起きをしておいでなのは知っており。
「大体、何でまたこんなところで寝てたんだろか。」
 またぞろ、何かしらささやかなことで勘兵衛様と揉めた末、顔も見たくはありませんなどと臍を曲げてしまっての、放浪徘徊の末、こんなところに行き着いての不貞寝だとか?
「いや、それならそれこそ自分の部屋へ戻ればよかろう。」
「う〜ん。」
 片やの良親殿が、すぐの傍らに片膝ついてまでしてそのお顔を覗き込んだが、そんな気配にさえ そよとも揺るがぬ眠りよう。手套と軍靴を省いた平服扱いの姿だとはいえ、ジャケットに共のスラックスと、首の詰まったセーターという恰好は、とてもじゃあないが安んじて眠ることへは向いてはいない。幅の狭い座面へ窮屈そうに身を縮めて、それでも熟睡しているとは、昨日までかかってた遠征からの疲れが、まだまだ取れてはないという事だろうにね。何でまた、こんなややこしいことになっておいでかと思案を巡らせていたところへ、

 「…なんだ、二人して。」
 「勘兵衛様。」

 奥向きから通りかかった人影があり、ああよかったと安堵したこちら同様。彼の側でも二人が傍らにいた格好の副官に気づいてだろう。年齢以上の威風を滲ました、どこか気難しい作りのお顔を、見てそれと判ったほどもの安堵の気色に染めてしまわれる。
「探しておいでだったのですか?」
「ああ。」
 特に困った末のことというようなお顔ではなかったようだったから、捜しものだの手伝いの手が要ることへの求めという風ではなかったのだが。おお そんなところに居ったのかと言わんばかり、ほわり頬の線がほどけた様が、何とも言えず優しくて。

 “おやおや。”

 十も年下、無邪気な副官殿が添うた効用は、ここ数年の…困ったようなお顔のほうが多かりし彼しか知らぬ双璧らには、擽ったいくらいの幸いでもあり。とはいえ、
「…勘兵衛様、その匂いは。」
「ああ。判るか?」
 そちら様もまた平服仕様の標準服という格好でおわした勘兵衛様だったが、その濃緑のジャケットのみならず、背中まで届く蓬髪からまで、独特な香が仄かながらも匂っているのへ、すぐの間近にいた征樹が苦笑をこぼした。
「そっか、燻煙剤を仕掛けたんですね。」
 使い捨てカイロや携帯式オーディオ機器のように、とある商品名がその通称として広く知れ渡っている、害虫駆除用燻煙殺虫剤。携帯電話の電波状態を示す言い方にも似ていて、何でまたお外での話にそんなもんが出てくんだろかと、ケータイに縁のない筆者はしばらくほど“???”だったのも今は懐かしい…ってのは、はっきり言って余談ですが。
「もうそんな季節なんですねぇ。」
「つか、もうそんなにも出没してますか?」
 官舎内の防虫消毒は、清掃と同様、定期的に行われており。この方面基地へその拠点を固定して はやン年経つが、個々人が自分で手掛ける例はあまり聞かない対処だったりし。何を言いたい彼らなのかは、勘兵衛の側にも判っているものか。がっつりと重々しかろう大きめの手を引き上げての腕組みをし、双肩をひょいとすくめると、

 「こやつがどうにも落ち着かぬのでな。」

 視線で示したのが、今やいい大人が三人で見下ろして差し上げている、若い副官殿の白い寝顔。雪の多い北方出身なせいだろか、その雪が消え去る暖かい季節がやって来ても、家の中のそこここに虫がわんさとわいての居座るような気候環境ではなかったらしく。ところがこの官舎は、よほどのこと餌が豊かで暖かいのか、黒くていいツヤをした、動きの素早い例のアレが、結構数 無断在籍している模様。そして…戦さ場ではあれほど容赦なく槍を振るい、白夜叉が飼うた先鋒役の白金の狛とまで言われ始めていて、後には“鬼の副官”とまで呼ばれるらしい跳ねっ返りが。その、手のひらに何ぼでも掴めよう小さい虫ごときに、かさりという気配だけで身が凍ってしまうほど怯えておいで。
「やめてくださいな、そんな喩えは。」
「凍りつかないまでも、掴みたいとか握りたいとまでは思いませんて。」
 ああ、これは失礼を。
(苦笑) そんな不吉な存在の気配、くたくたに疲れた遠征から帰った早々に部屋の中へと感じ取ったらしく、昨夜はあまり眠れなかったらしい彼を慮ってのこと、午前中から景気よくも部屋を燻蒸なさっておいでだったとか、
「その間、どこぞかで時間を潰しておれと言うておいたのだが。」
 勘兵衛様のほうは、こたびの遠征で…そちらは物資移送の依頼を受けた関係艦隊の格納庫まで、慰労の宴へのお招きへ挨拶がてら出向いておられたとかで。
『おや、あのお綺麗な副官殿はご一緒ではなかったので?』
 そちら様とは隊士ぐるみで長年の付き合いのある部隊。当てこすりや何やではなくの正直なところ、綺麗どころで目の保養をしたかったのにと、隊長以下、隊士の方々からも残念がられた話はまた後日にご披露することとして。
「ここでぼんやりと過ごしておったようですな。」
 あらためて周囲を見回せば、傍らの小さめのテーブルには文庫本が数冊ほど積まれている。マグカップには紅茶の跡があり、マグネット式のオセロの盤もある辺り、通りすがった隊士の誰かがお付き合いしもしたのが伺われ、

 “まま、この辺りはウチの隊士しか通らぬ不可侵地域ではあるけれど。”

 隊長の執務室が間近い、言わば占有スペースのようなもの。よって、よその誰ぞかが通りすがりに悪さをするという心配はなく。だからこそ、征樹や良親のところへの“どうしたものか”というご注進が飛んで来なかったのでもあろうと想いが至ったと同時、部隊総出でどれだけ猫かわいがりしていることかと思うと、それもまた苦笑を誘ってやまない。そんな征樹に気づかぬか、

 「さっき戻って窓を全部開けておいたのだがな。」
 「それでも…まだそんなに匂うようでは、もう少し待った方がいいでしょう。」

 良親とそんなやりとりを交わしておいでの勘兵衛様で。巌のように頼もしき、屈強精悍な肢体を衣紋の中へと隠し持ち、さして身構えぬ立ち姿でも、野生味あふれて雄々しき佇まい。そんな威容をまといし存在、天下無敵の白夜叉が、何とも所帯臭い次元の話をしておいでで。
「しかし、いいんですか?」
「何がだ?」
「勘兵衛様がお使いのあの部屋には、重文クラスの希少な書籍書簡が書架に収められたままだと聞いておりますよ?」
 歴史的な価値もあろう、古書の数々が居並ぶ書架に、恐らくは何の対処もしないまま、強力な殺虫剤の煙を無造作にも焚いてしまわれたお人であるらしく。
「勝手なことをなさって…装飾が傷んだり装丁の糊が変質したりと、傷ついてしまったらどうしますか。」
 文化遺産への何たらかんたらと、うるさいことを後から言われませんかねと、良親が一応の助言を差し向ければ、

 「何も読めなくなる訳ではなかろうよ。」

 損なわれては二度と戻らぬというほどの、たいそうな美術的な価値があるものならば、この建物の徴収の旨を告げられた折にきっちり持ち去っておるはずだ。その選定に外れて居残されたもの、書物としての内容が大事なのであって、装丁や何やまで気を遣ってたおってはキリがなかろう…と。悪びれもせず、口の達者なところを発揮なされたが、

  ―― 今、生きておる者のほうが大事

 ああ、いつもの信条がお出になられたなとは、征樹、良親、双方共に感じたことで。名誉だ栄誉だ、過去の偉業を記した跡だという手合い。尊敬はするし、学びもしよう。尊い犠牲は悼みもする。だが、それが今現在の生者の生き死にを左右するのは順番が違うと、言って憚らぬ剛毅なお人。自分の価値観をばかり他人へ押し付けることはないけれど、信条だけは頑と譲らぬ強情者でもあって。それでもついてく隊士らは、他所からの引き抜きにも応じぬ、やはり頑固者ばかりだという現状が、どれほどのこと、仁に厚い隊長殿かの現れで。

 “そんな隊長殿が、自分から手を延べての慣れぬ気遣いをお授けになるとはね。”

 世話焼きもまだまだどこかで半人前で、傍らでバタバタと落ち着かぬ、跳ねっ返りに感化を受けてか、褪めてた目許が、心なしか…生き生きして来られたのもまた事実。どうやってからかってやろうかと、面白がってのそれでもいい。他者への尽力と裏腹、自分なぞ置き去れとばかりに先への期待を忘れておいでだったものが。少しでも前向きになられたこと、仄かに嬉しい隊士らなのは、紛うことなき事実だから。

 “ほら、今も。”

 ジャケットの懐ろからつまみ出した煙草のパッケージ。だが、窓のほうへと身を寄せて火を点けなさるのは。酒も煙草も嗜まない坊やが、そりゃあ安らかにすやすやと眠っているのへ、余計な刺激になると思ったからに違いなく。そのくせ、ならばと立ち去りまではしないのは、傍らにいてやりたいからで。何でもないこと、でも、このお人がこなされるのは初めて目にする気配りや態度には、こっちが擽ったくなってしょうがなく。ああもう、困ったお人たちだよな。何で今更、そんな可愛らしいことをしてくださるか。そんなささやかな機微、気がついたこちらが悪いと重々承知だから。浮かぶ苦笑を何とか堪え、誤魔化そうとしたものの、

 「? いかがしたか?」

 目ざとく見つかり、あわわとそっぽを向いた征樹の傍らで、
「いえね。いきなり念を入れての退治されてるゴキブリどもも災難でしょうが、戦さ場にては黒煙に燻され、ここでは勘兵衛様の煙草に燻されじゃあ、おシチが喉を傷めてしまうのも、これまた時間の問題かなと思いまして。」
 そっちもやはり、ついつい苦笑していたらしい良親が、そんな言い訳を捧げて誤魔化せば。そういうものかなと、お髭をたくわえた顎までの口元を全部、覆ってしまうほど大ぶりな手にされていた紙巻きを、ふと見下ろされた御主の可愛げへこそ、あふれ出す苦笑が止まらなくて往生した双璧のお二人だったとか。窓の外には西日の金色。今は、此処だけは、とりあえず平和安泰な北の陣であるらしいです。





  〜Fine〜  08.6.01.


 *シリーズものと銘打ちました以上はと、
  下敷きになってる年代というか空気というかをザッと浚わせていただきました。
  おおまかな設定の方は、コーナートップに連ねましたので、
  お手間でしょうが、そちらをご覧下さるとありがたいです。

 *ネタ自体はちょっち取り留めがなかったですね。
  今話のタイトルがそのままシリーズタイトルになってもよさそうな、
  そんなお呑気な話ばかりを書いてく予定ではありますが。
  勘兵衛様やシチさんが、どんどんと別人になってしまいそうな予感が、
  今からひしひしと致します。
(こらこら)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

ご感想はこちらvv(拍手レスも)

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