かぐわしきは 妙なる君の香 (お侍 習作115)
           *囲炉裏端シリーズ
 


他の生き物に比べると鈍感極まりない感応をしている人間だけれど、
それでも匂いと音という感覚は、
人の記憶へ直裁かつ強く結びついているらしいということが、
近年、学術的にも証明されつつあるそうで。
当時はやった流行歌を聴けば、
鮮明な何かを思い出せずとも、
ああ、その時期はこうだったそうだったと
そんなノスタルジックな気分を掘り起こすことは、
誰しも実感しておいででしょう。
今時は衛生的なそれに変わったそうですが、
私の世代の幼稚園では油粘土が主流でしてね。
あのいかにも油臭い匂いを思い出すだけで、
小さな校庭、小さな園舎、花壇に揺れてたチューリップをも、
ちゃんと思い起こせるから不思議ですし、
わたなべまさこさんのイラストが転写されてた、
サンスターだったか、ベニスだったかの香り消しゴムの匂いで、
小学生時代を思い出すよな、しっかりと年寄りな筆者だったり致します。




  ◇  ◇  ◇



秋の夕暮れはいつの時代であってもどこか印象深いもの。
茜色に暮れなずむ空の下、誰かが呼ぶ声がどこまでも響いて切なく、
枯れた草の立てる細波のような音が、人の心に寂寥感を駆り立て煽る。

 「こんな風景、
  当たり前のこととして毎日のように連綿続いてたんでしょうにね。」

今になってしみじみと感じ入ってるなんて、
どれほど節穴な眸をしていたものか。
いやさ、
こんな素晴らしいものより大事だったもの、
自分なりに抱えてたから目が行かなかったんでしょうかねと。
聞きようによっては大仰な言いようをしたのは、
しばしの休憩をせよと
作業場からゴロベエ殿に追い立てられて、詰め所へ戻る途中のヘイハチ殿。
独り言を言ったのではなく、相手がいての言いようで。
工具をあちこちに詰めた作業衣をゆさゆさ揺らしての急ぎ足、
そんな道すがら、鉢合わせした連れがあったからに他ならず。

 “もしかして、これもシチさんの…。”

計らいというか謀りごとというか。
作業場から適当に離れた辺りで少しほど休んでの折り返し、
ちゃんと休んで来ましたなどというズルをさせぬため。
言わば連行役として差し向けられたのではなかろうかと思ったほど、
少し広いめの畦道をほてほてと、
彼らしくもなくのんびり歩いて来たのがキュウゾウだったからで。
でもまあ、疑るよりも乗って差し上げるのがここは礼儀かと思い直しての、
のんびりとした道中の中途、
まだ刈り取られぬ稲穂の海の向こう、
空が見事なグラデーションになりつつの黄昏どきを迎えたの、
感に入ったように言ってのければ、

 「…。」

相変わらずに寡黙なお人で、確たるお返事はなかったものの。
さりとて関心が無いでもないものか、
赤い双眸、そちらへと向ける彼であり。
黄昏の色に染まる前から真っ赤な痩躯が、
その輪郭を冴えさせているのに対し。
ふわふかな金の綿毛は 時折風に遊ばれており、
だのに、滑稽な風情にはならぬのが不思議。
天の使いが気まぐれに降り立っての、
感慨深げになさっておいでのようなものと、
周囲の地の気までもが遠慮をするからだろかしら。
この時刻ともなれば、そろそろ晩秋の頃だからか、
空気の肌合いもぐんと冷え込むようになり。

 「お…。」

ひゅるぅんと微かに風籟まとわせ、
いたずら坊主が家路を急ぐかのよに、
彼らの真横を吹き抜ける風があり。
髪やら衣紋の裾やらを、
はたはた叩いて通り過ぎたの見送れば、
その視野の中、紅の衣紋を微かに揺らし、
すっくと立つ紅蓮の君の、
何とも儚げな姿が妙に印象的であり。

 “不思議なものですよねぇ。”

こんなにも麗しいお人だというに、
恐らくは、刀捌きではカンベエ殿より上だろとは、
彼らの立ち会い、その目で見たというゴロベエ殿の言いようで。
どちらもそれは素晴らしい冴えと、隙のない巧みさ、
攻勢への機転とか勘の豊かさといったもの、
ふんだんに持ち合わせておいでだったが。
いかんせん、長引けば自然と体力勝負となろうから、

 『ほぼ互角に鍔ぜり合いを続けたならば、
  若いほうのキュウゾウ殿が勝るは自明の理。』

そうなる前に、何かしらの老獪な技でも繰り出せば、
まま判らんでもないがと、
妙に言葉を濁しておいでだったのは、
その“老獪な技”とやら、実は出しておいでの勘兵衛殿であったそうで。

 “惚れた…はないですよね。”

意味不明で頭の中が真っ白になったキュウゾウ殿の隙をつき、
接近戦から一旦離れる切っ掛けとした…らしいのではあるけれど。
色々と落ち着いた今になってそれを持ち出すのは、
それこそ色々な意味から笑えて…もとえ、
色々な方面への百害あって一利なしと思われたものか、
言葉を濁したゴロベエ殿だったらしいのは、まま 今はさておいて。

 「…。」

喩えではなくの小山のような、しかも鋼の機巧さえ、
眉ひとつ動かさず、微塵に切り刻める練達。
戦さの時代にあっては、
彼一人で戦艦の主砲級の働きをこなしたであろうことは明らかで。
だが、それがこなせることと引き換えに、
随分と人間らしさを欠けさせてもいるのが、
帳尻合わせという一言だけで片付けるなんて忍びなく。

 “武器、なんかじゃあありませんものね。”

彼の側からはどう思っているものか、
まだ“仲間たち”とまでの認識はないのかも知れないが。
それでも…そんな自分たちとの日々のやり取りの中で、
少しずつ少しずつ、
その身へと蓄積している何かが確かにあるようで。
それにより、微妙ながらも豊かになりつつある表情が、
おっ母様代わりのシチロージの言いようではないけれど、
こちらにも擽ったくて嬉しくてしようがない。

 “見た目は完璧、しっかと出来上がってるお人だってのに。”

ご城主様はナスのあく抜きなんて御存知ないように、
元帥閣下が縄の綯い方なんて知らなくてもいいように、
それを覚束ないなどと思うのは、こちらの勝手な傲慢なのかもしれないが。
小さな手の中に可愛らしい握り飯を作れたの、
見事ですね、お上手ですよと褒めて差し上げた折の、
嬉しそうにきらきらしていた眼差しは、
ヘイハチにしてみれば忘れ難い代物だったから。
それでのつい、シチロージおっ母様に倣って見守ってしまうのであり。

 「?」
 「あ、いえね。」

まじと見やっていた視線へと、さすがに気づいたか、
どうかしたかと言いたげに、彼もまたこちらを見やって来たものだから。
何でもないないと誤魔化すように、歩みを進めつつ、

 「いい匂いがしたなと思って。」
 「?」
 「ええ。ほら、炊きたてのご飯の匂いがするでしょう?」
 「……。(…頷)」

炊き出しの家からのだろ、夕餉の釜の匂いが、
確かに風に乗ってやって来ており、
こんな香ばしい匂いは空腹にはたまらない魅惑のお誘い。

 「今宵は、ああ、御馳走の匂いもしますねぇ。
  これは焼き魚と、あと…大根の煮物かな?」
 「……。」

飯の匂いは判ったらしいが、
あとの匂いは何がどうだか、判別までは出来なんだのか。
おおとその双眸を少々見開いての、こちらを見やったキュウゾウだったので。

 「なに、好物だったから判っただけですよ。」

誰にだって出来ることとでも謙遜したいか、
そうと言って微笑ったヘイハチ殿。
あと、駆動系の潤滑油の等級も匂いで分かります。
鮮度がよくても誤魔化されやしません…なんてことを付け足せば、

 「…。」

いやホントですってばと、
慌てて言い足さねばならぬよな、
何とも微妙なお顔をして来たキュウゾウだったのも、
進歩といや進歩…だったものだろか?

 「キュウゾウ殿にも、嗅ぎ分けられるものってありませんか?」

話の舵を取るついで、
いかにも疑わしげな眼差しを、何とか緩めさせよとしたその矢先、
並んで てとてと歩んでたその足取りが、

 「…。」
 「? …あ。」

不意に止まった…と思ったら、今度は前を向いたそのまんま、
それでよくもまあそれほどの加速がつくと呆れるほど、
ふわっと駆け出したその姿、風になったかのように宙へと掻き消えて、

 「…おや、お帰りなさい、キュウゾウ殿。」

秋の宵や夕方は、物音が遠くまでよく響く。
村の入り口へ先に差しかかりかけていた誰かさんの背中、
見えたか嗅いだか知らないが、
文字通り風のように あっと言う間に駆けつけて、
その傍らへ、辿り着いてた彼であり。
そんな二人のやり取りのお声が、
まだ距離があるこちらへまで ようよう届いた秋の夕暮れ。

 「ヘイさんもお帰りなさい。
  今宵はいつにも増しての御馳走が待ってますよ?」

だから冷めぬ間にとでも言いたいか、
端正に整ったお顔をほころばせ、にっこり微笑ってのそれから。
よくぞお迎えが果たせましたねということかしら、
傍らの若いのへもとびっきりの笑顔を振り向けたらしき、
甘い香のするおっ母様こと、シチロージ殿。

 “キュウゾウ殿を呼ぶには、シチさんの匂い袋を作って振るのが一番か。”

でもなあ、匂いほど微妙なものってないからなあ。
あの首かけを少しほど分けていただいておくとか…なんて、
人を探査犬のように言う工兵さんが、
傍らまで辿り着くのを待っておいでの、どちらも金髪美形なお二方。
そういえば、昔から美しいことを“匂い立つような”と言うよななどと、
彼にしては洒落たことを思い当たったと同時ほど、
やっとのことで追いついて。
そんな描写のさも相応しき二人に挟まれ、
やあこれでは脱走も侭なりませんねと、
擽ったげにこっそり頬を掻いたヘイハチだったの、
路傍の紫の小花が揺れながら、くすすと笑うように眺めておったそうな。






  〜どさくさ・どっとはらい〜  08.7.22.


  *拍手お礼に使おうかなとも思ったんですが、
   神無村でのお話がここんとこお見限りだったような気がしまして。
(笑)
   微妙にパラレルものばっかのサイトになって来ましたかね?

   あんまりにも匂いがどうこう言われるもんだから、
   『そんなに臭いですか? アタシって』
   袖とかすんすんと匂いを嗅ぎつつ、
   眉を寄せての何だか誤解してしまうシチさんだったりすると、
   ますますのこと可愛くて愛しいと、
   キュウゾウが放っておかないと思います。(何でやねん)
   言葉の足らない彼がどう誤解を解くか、何日かかるか、
   お侍様がたの間で妙な賭けが始まったりして。
   (おいおい、そんな場合かい。)


  *匂いネタといやぁ、
   いつか書きたいと思ってて、でも無理だなと諦めたのが、
   勘兵衛様の風呂ネタで。
   ウチのおさまも どこか大雑把なお人なので、
   何日も風呂に入らなくても平気って人かもしれなくて。
   でもって、鼻が利くキュウがこれは堪らんと、
   傍らのシチさんの懐ろや背後へ逃げ込み、
   (ナウシカのテトちゃんですか?)
   逆に、大戦でもそうだったんで慣れてたシチさんは、
   そんなキュウの様子を見て、ああそろそろ注意せねばと、
   湯浴みを勧めるという物差しになってたりして…と。
   そういう笑い話を考えてたのですが。
   自身のいい匂いに拍車をかけただろ“蛍屋”にいたシチさんですんで、
   いくら慣れがあったって、それこそキュウより先に気がつこうもので。
   キュウさんもキュウさんで、敏感ならば早めに気がつくのだろうから、
   結果として“そんなに匂いますかね?”と
   大雑把さでは似たり寄ったりな
   ゴロさんやヘイさん、キクチヨが小首を傾げるレベルで
   さっさかと対処出来てたり?…と、
   自己完結してしまったんで“没”とさせていただきました。

   のちに
   if話の『千紫万紅』が湯治に出る勘兵衛と久蔵って設定になったんで、
   “神無村ではお主、そんなズボラをしておったのだぞ?”と、
   旅先でしみじみ思い出させてもよかったですね。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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