肌涼み
 (お侍 習作116)

        〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


何処か遠くで蝉が鳴く声がする。
朝晩が“凪”の時間帯なのは、一応知っているけれど。
まだ黎明に間近いうちなのだ、
そよとくらい吹いてもいいのにと。
軒の下、簾の陰に申し訳なさそうに下がった風鈴の、
びくとも動かぬ短冊を、寝床から横目に見やった若いのが。
そうまで細いのにもかかわらず、さも億劫そうに持ち上げた腕、
ぱたりと落とすように倒した寝所の中、
彼以外の存在は既になくて。

 「…。」

北領生まれの身にすれば、
何かしら…光弾レベルの威力や効果、
少しくらいは持っているのじゃあなかろうかと思わせるほど。
それはそれは強烈な陽が照りつける季節がやって来た。

 「…。」

あの凄惨な大戦を何とか掻いくぐっての戦後まで、
命つないで生き延びられた軍人だから。
それが生身の体でも、
一般の民に比べれば体力には自負もあるのが“侍”だけれど。
日陰へ逃れても炙られたそのままの温気がじっとりまといつく、
そんな性根の悪い蒸し暑さには。
そんな蓄積があろうとなかろうと関係なく、
ただただ不快な想いしか湧かぬもの。
暑い寒いを感じなくなったら危険だろうが…とは、
戦中を共に過ごした奴の口癖で。
いつもいつも指先を冷たくしていたの、
ちゃんと暖めておかないかとよく叱られた。
そうだ、穹は極寒の地だったから、
寒さへの対策ばかりへ重きをおいていたのだ。

 「…。」

視野の下のほう、夜具の上へ投げ出した自分の手が見える。
冷たいままにしていて、刀がうまく振るえなかったらどうすると、
ぶりぶり怒ってた彼からも。
冷たいままにしていて、
『傷でも負っていて、なのに気づかなかったらどうしますか』と、
案じてくれたあの人からも。
どーらどーれと手を取られての、事あるごとに暖められていたからだろか。

 「…。」

試しにきゅうと握ってみたが、さして冷たい指先だとは思えないし。
引き寄せてから胸の上、パタリと倒してみたけれど、
起きぬけなせいもあってか、冷たい…とは感じない。
そうこうするうち、
横になってる寝床の綿が、自分の温みで暖められて来たよな気がして、

 「…。」

億劫だったがこれ以上の“暑い”は堪らぬと、
むっくり、身を起こしての辺りを見回し。
寝間になっているこの部屋に誰の姿もないのなら、
先程からかすかに届くこの気配は…と、
窓とは対面にあたる側、立ちはだかる板戸を見やる。
いいつやの出た濃褐色の違い引き戸、
ただただじっと睨んでいただけだのに、

 「…起きたのか?」

板戸の向こうからそんな声がしたのは、
果たして…これもまた以心伝心の一種というものなのだろか。



 ◇  ◇  ◇



数日ほど前から滞在している此処は、
蝉の声がなくとも、潮騒の音が夜通し聞こえていた海辺の里で。
性悪な海賊一味を成敗してほしいとの依頼に応じ、
海上にての乱闘討伐、一気に畳んだその船で、
湾を渡っての辿り着いたのが、
沖合にあった静かな孤島のこの里だ。
やはり賊らに苦しめられていた人々から、
お礼がてらに逗留をと勧められ。
では、縄を打った賊を連行してった役人らが船もて迎えに来るまでと。
暑気払いには持って来い、
大海原を堪能出来る小さな空き家を借り受けて、
半月ほどとなろう長めの逗留を決め込むことにしたのだが。

 「どうした? まだ眠っていてもよかろうに。」

隣りは板の間の広間になっており、部屋の片側が広々と、
海へ向かっては壁がすっかりないものと思えるほどの潔く、
何もないままの明けっ広げになっている。
その昔はご領主様の療養のための寮ででもあった離れだろうか、
縁側に向いた雨戸鎧戸といった板戸が全部、
きれいさっぱりと取り払えるような仕立てになっていて、
そこから見渡せるのが、
他の家やら垣根やら、およそ人の手がかかった何かやら、
手入れの要るよな大松の一本さえ、
遮るものは何もなくの素通しの眺望。
大海を全部独占したかと思えるような、
青と藍で二分割された、見事な絶景がこれ広がっており。

 「高いところからの眺望は、今更珍しくもないはずなのだがの。」

南の海の近くに住んでいたと、そういや語ってなかったか。
そんな彼にはこの絶対的な存在が、何だか懐かしいものなのだろか。
随分と早くから起き出して、自分で雨戸を取りのけ開け放ち、
板の間に敷かれた円座にゆったりと座し、
視野一杯に広がる海を、ただただ眺めていたらしい勘兵衛で。
いかにも精悍に笑んでいる、快活そうな横顔を見遣りつつ、
久蔵の側でも思い出したことがあったりし。

 「…。」

ああ、そうだった。
この壮年は、壮年のくせに暑いのは苦手じゃあないのだったな。
この暑いのに濃色に波打つ鬱陶しい髪を好き放題に伸ばしおって。
浴衣なんかではない、淡灰色の小袖をきっちり着付けて澄ましていやる。
こっちは暑いのがあんまり得手ではないというに、
そんな気鬱も知らず、涼しいお顔でいやるとは。
昨夜だってそうだった。
熱い手のひらで腕を掴み取っての押さえ込み、
人のこと かっかさせての好き放題しやったくせに。
断りもなくの勝手に起き出して、
こんなところで一足先に、清々しくも しゃきりとしていようとは。

 「…。」

言いたいことは山ほどあったが、
くだくだと連ねるのが面倒なのはいつものこと。
よって、何にも言わない彼だとて、
それを不審とは思わない勘兵衛だったが。
だからと言って、自分までもが寡黙さでお揃いになることもあるまいと、

 「…久蔵?」

彼にしてみりゃ 待ちに待ってのようやっと、
起き出して来てくれた麗しの伴侶。
その名さえ口にすると甘く感じるものだから、
如何したかと つい訊いている。
寝乱れてのはだけていた胸の合わせや裾などは、
さすがにそれなり整えていたようだったものの。
他には誰もいないのをいいことに、
寝間着代わりにした白地に藍柄染めの浴衣のまんまという恰好で。
寝間から のそのそと出て来ての間近まで、
ぺたぺたと素足が床を鳴らすまま、
無造作に寄って来る様子が何とも稚
(いとけな)く。

 「出来るだけ静かにしておったのだがの。」

それでも気配を拾っての起こしてしもうたか、
だとすれば済まなんだのと。
彼を取り巻く眠気の温みが、ほわり伝わって来るほども、
触れそうなほどもの間近、ぺたりと立ち止まり、
そこへそのままお膝をついた若いのへ、
肩越しの声、掛けた壮年だったのだけれども。

 「…。」

依然としてむむうと むくれたようなお顔のままだのに、
それでも風貌の端麗さはあまり損なわれていない。
若木のように嫋やかな肢体も、いっそ艶とした風情に映る、
金髪紅眸、至って寡黙な起きぬけの君は。
やっぱりむっつりと黙ったまんま、
袖口の大きく開いた浴衣から、
白くてきめの詰んだ肌に包まれた腕、
肘まであらわになるほど伸ばすと、

 「お…?」

ぐいと引いたのが…壮年殿の着ている小袖の、
広い広い背中の真ん真ん中で。
油断があった訳じゃあないが、
それを言うなら攻勢の気なぞ全くないままな久蔵が相手。
警戒するのがおかしいというものであり。
うなじが抜き襟となったほども引かれた勘兵衛、

 「何だ。」

一応は訊くと、
低いお声がぼそぼそと返して曰く。

 「涼しいうちは温存していたかったものを。」

ちぃよいと恨めしげなお言いようが、
短いながら…これでもかなり言を尽くしたお言いようだと判るだけに。
あい判ったとの苦笑混じり、
それでも自分で腕を袖の中へと引っ込めて、
懐ろからげての双肩肌脱ぎになってやれば。
腰骨辺りの低いめに、落とし結びにくくられた帯まで、
惜しげもなくの広々と、あらわになったは、
隆と締まった肉置
(ししお)きの 陰影も見事な、
褐色の肌にいかにもな男臭さの滲む、剥き出しの背中。
すると、

 
「……。////////

本当に本当に微妙なそれながら、
口許の端の窪んだ奥底あたりという微妙さで、
ちょっぴりながらも笑んで見せつつ。
だとすればいそいそと、すぐ目の前へと剥かれた広い背中へ、
その身を寄り添わせる若いのだったりするものだから。
あれだけ不服そうだった、あれだけ偉そうだったのに、
何とも可愛らしく見えるから不思議なもので。

 「…。」
 「如何した?」

何か言いたげな気配を読んだのか、
そちらから訊いてくれる壮年殿だったが、
何と言えばいいものか、上手くは言えなくてのその代わり、

 「…。//////////

緩めた胸元だけでは足りぬと、頬までつけてのすりすりと、
よぉく鞣した革みたく、少し堅くてひいやりする肌へ、
張りついての添わしたところを増やした連れ合い殿であったりし。
いつもの夜な夜な組み敷かれている堅い肌。
夜具の上ではいつだって、
触れた端からじわじわと、総身に広がる熱が生まれるそれなのに、
どうしてだろか、なんてことない平生は、
筋骨雄々しき同じ体躯を感じつつ、
何故だか ひんやりしていて気持ちがいい。

 「もうよいか?」
 「まだだ。」

まるで童遊びの隠れんぼのよに、
訊いては まだよと掛け合いあって。
潮騒のさざめきも蝉の声も置き去りに、
互いの鼓動を愛でながら。
潮の香のする、何とも長閑な朝ぼらけ、
やっとじんわり堪能出来た、双刀使い殿であったらしい。







  〜どさくさ・どっとはらい〜  08.7.26.


  *拍手御礼に上げようかと思ったのですが、
   ちょっと不謹慎な匂いがするかもと思われましたので、
   そっちは諦めることとしました。

  *それにつけましても、
   蒸し暑い昼日中に読むと鬱陶しいこと請け合いですね。
(笑)
   かといって、爽やかな朝に向いているとも思われませんので、
   後は寝るだけとかいうどさくさ紛れに、
   ちらっと掠めていただくというのはどうでしょうか。(訊くな。)
   きっとこの後、ぬるくなって来たら突き飛ばされるんですぜ。
   でもでも、美人な仲居さんとかが朝餉を持って来たら、
   逆にぎゅうとしがみついて離れない、判りやすい新妻だったりするんです。

    「そういう時はネ? 久蔵殿。たまには知らん顔をして通すのです。」
    「?」
    「ぷいと拗ねてどっか行くのもいいですね。
     いつもと違うなと追って来たのへ初めて文句を言うと、
     やや妬いてくれたのか可愛いなと相好を崩される。
     たまにだから新鮮で…。」
    「こらこら。何を教えとるか、七郎次。」
    「振り回される前に振り回しておやんなさいと、その秘訣なぞ。」
    「…、…。(頷、頷)」

   仲がいいんだかどうなんだか…。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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