孤 月  
(お侍 習作119)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


寝間着にしていた小袖越し、
わずかに重なる身の質感とか。
骨の節がごつりと立ってて重たい手の大きさ。
髪の匂い、肌の熱。
それらへ頬で擦り寄れるほど、
こうまで間近にある彼だというのに。
眠りの底へと沈んだまんまの無心なお顔は、
何とも素っ気ないばかり。

 “……。”

庭へと向いた壁一面の、
煤けた障子戸が白く浮かび上がっているのは、
夜陰の空に青ざめた月が、
今頃のやっと、昇っているからに違いなく。
夜具の峰や調度のへりが仄白く浮かんで見える中。
秋の宵の薄ら寒さが、離れの杣屋にはしんと満ちていて。
その双腕にて掻い込まれていた名残りだろうか。
心持ちこちらへと身を傾けた格好で眠っている、
壮年殿の深みのある懐ろの中は暖かで。

 “……。”

今は間近になりすぎて見渡せないが、
その雄々しくも締まった躯の、隆とした筋骨を縁取った、
ごつごつとした陰影までもが煽情的で、
夜陰をまとって それは精悍な艶を増していたのを思い出す。


  ああまで熱かったのが嘘のよう。


怯まぬ意気地を示すよに意地を張り、
見苦しくも乱れまいと気を張っておれたのも、
どこまでの話だったことだろか。
首元の肌を吸われた熱に始まって、
その痩躯を軽々と、
雄々しき双腕の中へとくるみ込まれてしまってた頃にはもう。
身も世もなくのあられもなく、
目の前のこの肩へこの背中へと、指を立てての思い切り縋ってた。
眩暈が襲ってはどこぞへか攫われてゆきそうなほど、
それはそれは強烈な刺激や熱に翻弄されて。
逃げ出したくてか もがくのへ、
容赦はせぬとの強引に、力づくにて引き戻されたのが、
恐らくは最後のまともな記憶で。
急くよに吐いてばかりいた息と、どこまでも速まっていた脈のざわめき。
それから…自分のものとは思えぬ蜜声に意識を掻き回されて。

 「……。」

ああ、ここはなんて静かな空隙か。
あれほどうるさく絡み合ってた吐息も聞こえぬ、
汗も引いての清められ、全てが幻だったよう。

 「……。」

こんな風に夜陰の底へと置き去るな。
全て奪ってゆけ 余すことなく。
生ぬるい甘さ、やさしさなんか要らない。
灼くような熱で煽り上げたそのまま、
意識もろとも魂も、全て攫って持ってゆけばいいのに。


  村の外れの寥とした枯れ野にて、
  その身を風になぶらせて、
  いつまでも佇んでなんかいないで…。





  ◇  ◇  ◇



逗留先の宿から、
何も言い置かずにふらりと姿を消すことがあるのはお互い様で。
途中で見かけた枝振りのいい木立ちや傾斜のきつい岩崖などを、
思う存分翔って来たくてと飛び出す久蔵に引き換え。
勘兵衛のほうは、もっぱら竹林だの草原だの、
森閑とした佇まいや渺漠とした風景へ、無音を聞きにと立ってゆくようで。
そんな中に独りで立つ、寂寥あふるる背中を見つけると、
声をかけるのさえ憚られての、
何とも言えない心持ちにさせられる。

  ―― 勘兵衛様は、風のようなお人ですからねぇ。

以前、七郎次が言っていたことを思い出す。

 『ああまでお強いお人はそうはいない。』

日頃からも勘兵衛へ何かと心酔している彼の言だが、
それでもそれへは久蔵も頷ける。
だって自分は、彼が強い雄だから惹かれたのだ。
染みついて もはや抜けない戦さ場の匂いをまとい、
刀の技は勿論のこと、独特のしたたかさを裡
(うち)に秘め。
桁外れの強靭さを孕んだ存在感を、だのに民草の中へと埋もれさせ。
どれほどの業を呑んでのことか、一際 昏い眸をしていた男。
勘のよさと無尽蔵な蓄積とが絶妙に連動し合ってのそれ、
刀での立ち合いにおける並外れた練達ぶりは、
もはや“魔性”と呼んでもいいくらい。
脂の乗り切ったころに出会っていたならば、
およそ怖いものなしだった久蔵だとて、手も足も出なかったかも知れぬほどの、
まさに“鬼神”だったに違いなく。

  ―― そんな彼との出会いを、こんな僥倖はないとまで思ったからこそ

どうしても再び手合わせしたいと総身が騒いでやまず、
どんな条件でも呑むし、待てと言うなら待つと、その後を追ったほど。
誰の手にも、その首 堕とさせはしないと、
押し寄せる有象無象を蹴散らすように薙ぎ払い、
自分の身への危険も顧みぬほど、そうまで執着した存在が。
いつしか…自分の手でさえ、斬れない対象になっていて。

 “…。”

さんざ待たされた末に手に入れたその時から、
今度は手放すのが惜しくなった。
懐ろ深くて 堅物重厚。
知恵者だが頑迷なところがあり、自分のことには口が重い。
沈着温和な軍師でありながら、刀を振るえば十分練達で。
鋭にして豪、それは冴えての精悍な風貌で、
野性味あふるる獰猛さを見せもする。
年輪を経てまとったものが多すぎるから、
ついつい何事へでも 多面性があると解析してだろか。
真っ直ぐ当たれないような、どこか錯綜している人性で。

 「…。」

そんな瑣末なことはどうでもいいと思うほど。
失うなんてとんでもないと。
出来ることなら…どうせなら、
その膝へ乗り上がったそのまま、
離してなんかやるものかと。
双手でぎゅうとしがみついたままで、
ずっとずっといたくて堪らず。
だのに、こやつは相変わらずで、

 「…。」

寂しげに微笑ってするりとこの手をほどいてしまい、
漂うばかりの我なぞ捨て置けと いつ言い出すか。
それを思うと不安でならなくなるほどに、
こちらへ背中ばかり向けていることが多々あって。

強いからこそ惹かれたはずが、
孤独でいる彼の姿、寂しげに見えてしまうのは何故だろう。
気を張らず我を張らず、自分にばかり厳しい男で。
請け負った人斬りへ、
油断を挟まずの口許食いしばり、
それはそれは厳しい顔にて臨むのも見て来たけれど。
その折々に繰り出されていた、
巧みで自在な、冷たく研ぎ澄まされた刃の冴えへ。
焦がれるあまり、その前へと飛び出したくなった衝動、
こちらも幾度押さえつけて来たことか。
それほどの気魄を保ったままな男が、なのに。

  白い外套、夕陽に染めて。
  戦さ場でも懐かしんでか、
  渺々とした草原に立ち尽くす姿の、
  傲岸なほどのつれなさには、何とも近寄り難くって。

想いとか情とかいうものは、
常に間近にいるだけで満たされるものじゃあない。
すぐ隣りにいながら、心は遠くを見やっている人の、
間近な温みや匂いの何と空しいことだろか。


     「…久蔵?」

        「…っ。」

     「眠らぬのか?」

        「〜。(否)」


こちらが慄いたほど、それは唐突に呼ばわったくせに。
何を慮してのことだろか、
掠れるほど低められての届いた声は、
鼻先を撫でた吐息とともに、甘く響いて頼りなく。
ごそもそとした身じろぎの後、
背中へ回された大きな手がそおと伏せられると、
そのまま眼前の胸元へまで、余裕の加減で引き寄せ直されて。


     「………まだ夜中だ。」

        「…。(頷)」


小袖の薄い布越しに、
やさしく背を撫でる 堅い手のひらの微熱が心地いい。
生きてる証し、こんなことからも得られると、
この身へ刷り込み直してくれたのも、この彼だ。

  だが。

荒ぶる強さで灼いていい。
どこへでも引き摺ってけばいい。
そも、自分は凌駕し合うことが目的で近づいた身なのだ。
なのになのに、こうまで手厚くされるのが、
翼下へ庇った窮鳥扱いでいるものかと思われて。

 「…。」

再びゆるやかに刻まれ始めた寝息へ安堵しつつ、
その安堵さえ持て余すジレンマよ。
心許した相手だからか、それとも。
どうしていいのか判らずに、立ち尽くすばかりな久蔵だからと、
見かねて傍らに置いててくれているだけなのだろか。
だとすれば、こんな歯痒いことはないと、
哭いてわめいて騒ぎ立てる術さえ知らない胸の底、
何かがひりひり、痛んでやまぬ。



  ―― 群雲さえなく、深く深く澄み渡った夜空には。
      誰ぞによく似た孤月が青く、ただただ冴えて いるばかり…






  〜Fine〜  08.9.29.


  *シリーズを立て読みしてゆくと、
   直前の話からは少々逆行しているような内容かもですね。
   やさしい年上の情人が、時にじれったい久蔵殿らしいです。
   でも、だからって容赦なくかかられたなら、
   あっさり沈没しかねぬ初心者のくせしてね?
   新妻のジレンマというところでしょうかvv

   いやいや、
   こたびのは“そっちの話”じゃなかったんですけれどもね。
(苦笑)


めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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