萩の宿  (お侍 習作120)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


暦は秋。

宵を迎えれば、月の端麗さをこそ愛でられもするものの、
山野を彩る紅葉の錦にもまだ早く、
初秋のうちの昼日中は、
時折 微妙に汗ばむ日も訪のうて。
そんないい陽気に照らし出されて、
大人の肩までありそうな、高い茂みから伸びているのは、
細かい枝々がまといつけたる、淡い紫、白に緋の、
萩の小花の清楚な佇まい。
春に咲く種もあるそうだけれど、
逗留中の鄙びた里の、
名主の屋敷の庭先にあふれるそれは、今が盛りの秋の萩。
たわわに咲いたその可憐さは、
秋の野辺に仄かに滲む、寂寥の匂いを和らげて。
どこかのどかな風情が何とも愛おしいばかり。

 「おや、勘兵衛様、お帰りなさいませ。」

随分と高くなった観のある青い空の下、
どこか表から戻って来たらしき、白い衣紋の壮年の姿を見かけたは、
彼らをこの里へと招いた初老の神主で。
名主の元に顔を出し、世間話のそのついで、
近々予定の鎮守の祭り、
無事に催せますようにとの段取りなぞなぞ、
こそりと進めていたらしく。
一年かけた労苦の結実、
収穫を祝い、実りを奉納する日でもあるその祭りだが、
この何年か、豊饒の祭りと相前後して、
近在の村が次々と野盗らからの襲撃を受けてもいるとの噂。
この実りで厳しい冬越しの支度をせねばならぬからには、
奪い取られてしまってはそれがそのまま死活問題。
そこでと近隣を監督する州廻りのお役人へと相談したところ、
いつ襲うかも判らぬ相手である以上、
びったりと護衛についててやるわけにもいかぬと言われ、
その代わりにと紹介されたのが、こちらのお武家様。

 「収穫の荷、出立は決まりましたかの?」
 「はい。与平の言うには、十一の日がよかろうと。」
 「十一か、ちょうど十三夜だの。」

深色の瞳をやんわりと細め、
神職でさえ忘れていたらしい暦のことを言い。
あっ、と、初老の神主が眸をしばたたかせたのへと、
悪戯っぽい笑み、ほのかに濃くして見せて。
小さく目礼を寄越してのそのまま、庭の先へと歩みを進ませる。
その年頃のせいだろか、堅物そうな印象がまずは立つ、
物腰おだやかな壮年で。
豊かに波打つ濃色の蓬髪を、
背中まで延ばした様がようよう馴染んだその風貌は彫り深く、
陽を染ませたような浅黒い肌には男臭さが程よく滲み、
若かりし頃はさぞや、
闊達な武勇伝を幾つもこしらえた、剛の者だったに違いなく。
武勇といえば、元は軍人であったと聞くが、
成程、切れのいい身ごなしも、衰えぬ肢体も確かに精悍であり。
それでいて、長年を生き生きた末に染みついた年輪というものか、
表情や視線、立ち居振る舞いには、
落ち着いた趣きがあっての重厚で。
だのに、つと、何かの拍子に見せる遠い眸は、
妙に印象的でもあって。
少々枯れた感のある声は、だが、低められると優しく響き、
喉奥を震わせてくつくつと微笑って下さったりした日には、
たまさか居合わせた年若い娘らが…何かしらときめきでも感じたか、
耳まで届くほど頬を染め、
しばらくはお顔を上げられなかったほどだったとかいう話も聞かれており。

 “いやまったく、あれほどのお人が、なのに無禄でおわすとは。”

村人たちには“旅の途中のお武家様だ”としてあるものの、
その本業は“賞金稼ぎ”というから驚きで。
しかも、単なる警護や駆り出しの捕り方なんぞじゃあなく、
その身その腕のみにて、
名のある盗賊、野伏せり崩れを片っ端から狩って来た、
当代随一とも言われるほどの、途轍もない筋のお人なのだとか。

 『こうまで穏やかな土地に、そんな血なまぐさい者が長居しては落ち着けまい。』

勘兵衛様ご自身がそうと言ったため、
その素顔や素性を知るのは名主と神主の二人ぎり。
このような辺境に来たは、戦で傷めた身の養生、
秘湯を巡って行脚を続けているからだと、
口裏合わせての滞在は、そろそろ五日を数えてもおり、

 “十一の日か。久蔵にも告げておかねばの。”

依頼を寄越した顔なじみの捕り方頭からは、
さして逼迫した務めにはなるまいと言われていたものの、
ここ近年という被害の話を聞くからには、
その手口にも堂に入った気配が年々備わっているに違いなく。
ここいらの里が商いをする町は決まっており、
その往来での待ち伏せを仕掛ければ、
行きなら作物の山、帰りなら銭が奪える穴場の街道。
武装した数人がかりに取り囲まれて、刀を突きつけられたなら、
丸腰の民では抵抗も出来ずのひとたまりもあるまいて。

 “さて、どうやって守ったものか。”

我らも出立すると言って出て、
だが行きには襲われなんだなら、帰りは守ってやれぬ。
商いはその日一日のことじゃなし、
ずっと付き添うにはそれなりの口実も必要となる。
そうかと言って、
危ないから護衛につくのだと、前以て吹き込めば吹き込んだで、
その足取りに要らぬ乱れも生じよう。
気の小さき農民たちだけに、
何でもないことへまで浮足立っての、
肝心な商いにまで響いては何にもならぬ。

 「…戻ったぞ?」

宵が間近い寂里の荒れた庭。
萩に囲まれた奥向きへと入れば、
小さいながらもしっかりした作りの離れへと辿り着く。
食事と風呂の提供が報酬代わりという、
地味な土地には似合いの滞在。
自分はともかく、連れの若いのには退屈やも知れぬと、
出来得る限りは共にあって過ごしていたのだが。
定期的な連絡にと、電信の聞こえのいいところまで出る必要があったので、
ほんの数刻、逗留先から離れた勘兵衛であり。

 「久蔵?」

留守にした離れは、小ぶりの農家という作り。
木戸を入ればまずは土間があり、
カマドや水口を据えた同じ続きに、
小あがりや框の上、囲炉裏の板の間となっている造作は、
山野辺にもよく運ぶ彼らにはもはやお馴染みで。
だが、踏み込んだ土間には人の気配も薄くて。
土壁の上の方に抉られた連子窓から、
はや斜めに射し入る秋の陽が照らす他はというと、
妙に静かで虫の声がするばかり。

 「???」

留守番に飽いて散歩にでも出掛けたかと、
応答がないのへもさほど奇異に思わぬまま、
上がり框の方へと運べば、

 ―― 煤けた板の間の上、
     場違いなほど鮮やかに、広げられたる姿があって

金と赤という、気の早い秋錦かと見紛ごう その存在は、
伸びやかな肢体を暗色の床、
はたりと横たえていた供連れの姿に外ならず。
夜陰に馴染む深い彩度の紅をしたたらせたその衣紋は、
陽を吸えば不思議と暖かな赤を滲ませもして。
連子窓から降り落ちた陽だまりの四角を
無造作に投げ出された四肢の中、
二の腕と更にその上、白い横顔辺りまでへと張りつけた様子は、
妙に稚く、さながら子猫の昼寝の様にも見えたりし。

 “刀を手にしておれば、比類なき獰猛な奴だのに。”

それが微塵も匂わぬは、人臭さの薄いがゆえのことかも知れぬと。
彼の特性をあらためて思い出す勘兵衛で。
そんな明るさに照らされてのけぶっている、
淡い金の綿毛に覆われた白い顔容
(かんばせ)は。
出来のいい陶磁器として焼き上げたそれのように、
冷ややかなまでに堅い美貌が、だが玲瓏にしてすべらかで。
上を向いての軽く臥せられた睫毛が、
単なるうたた寝だということを物語っており。
それが証拠に、と言うべきか、

 「……。」

さして騒がず、少々高さのある上がり框へそおと腰掛けた勘兵衛へ、

  むくりと

気配を読んだか、まずは首だけが起きた。
少し伸びて来た髪が邪魔をして、
目が開いていたかどうかを確かめられぬまま、
次には床へと手を突いたらしく、細い肩が浮き上がって来。
だが、それ以上は高さを得ぬまま、
座り込んでの低く身を起こした格好で、止まってしまった久蔵であり。

 「? いかがした?」

陽だまりがずれて、細い肩と綿毛を乗っけた頭とが白く照らされている。
そんな後ろ姿がなかなか動かないので、
怪訝に感じた勘兵衛、
身を起こすと靴を脱ぐのももどかしい様子で、
上がり込んでの大股での数歩、
あっと言う間に傍らまでと間合いを詰めての歩み寄り、

 「久蔵? 大事ないか?」

ばさばさと外套の裾、広げての、
膝を折って屈み込めば。

 「…。」

白いお顔がこちらを向いて上がったと同時、
勘兵衛の突いた膝のすぐ間近、
その身を支えるのに床へと広げられていた白い手が、
そのままこちらの膝へと上がって来ており。

 「…久蔵?」

おや、と。
思うその間にも、もう一方の手も…そちらは勘兵衛の手首を、
逃がす暇間も与えずの、がっしと掴んでおり。
その手に重心をかけてから、痩躯がずるりとにじり寄ってくると、
次は膝にあった手がその側の二の腕まで上がって来、
続いて隣りの手も同じ高さへ。
そして、やっとのこと上を仰いで向かい合ったお顔が口にしたのが、


  「腹が、減った。」
  「お……☆」


囲炉裏端には火には掛けずに置かれた鍋と、
飯が入っているのだろ、竹の輪っぱのお櫃。
そういえば、ここは早寝をする里らしくて、昼や晩の飯どきが早い。
無ければ無いで平気なくせに、
なかなかにいい匂いが立つ夕食を運ばれて、
なのにお預けとなってしまったことから。
ちょこっと焦れてしまっての、ふて寝をしていた彼らしく、

 「先に喰うておれば良かったものを。」
 「〜、〜、〜。(否、否、否)」

何がいやだか、かぶりを振ると、
そのままもっとにじり寄って来。
いつもの如くにお膝へと、わしわし上がる遠慮のなさよ。
貼りつくほどに擦り寄った、天女のように軽い身の君の、
何とも屈託のない振る舞いへと苦笑をし、

 「すまぬな。村の外まで出ぬと電信が入らぬ地形だ。」
 「…。(頷)」

頷いたそのまま、だが、
ふと…勘兵衛のまとった衣紋の衿元へ、
鼻先を擦りつけると、すんすんと嗅ぎ始めた久蔵であり。

 「??」

首元へと下ろされた髪の中、何をか見つけたらしく。
手を延べて差し入れ、摘まみ取ったのは橙色した小さな花。


  ―― キンモクセイ。
      うむ。知っておったか。
      お主から聞いた。


こんな小さくて、なのにこうまで甘くていい匂いのする小花は、
だが、

 「………あ。」
 「〜〜〜。」

食べても不味いと口元歪めてしまったお膝猫さんの、
頭と髪をよしよしと撫でてやり。
いつしか金色に染まった陽だまりが、
奥まった壁を照らす中、
さぁさ、美味しい晩ご飯の方をいただこうぞと促した壮年殿。
のどかな里の陽も傾いて、西へ。
今はまだ穂先も開かぬススキが揺れて、
嵐の前の静けさに、気づきもせずに、
りいりいとコオロギたちが、涼しげな声で鳴くばかり…。




  〜Fine〜  08.10.08.


 *あの急な寒さはどこへやら。
  今日のこちらは何と夏日でございまし。
  夏のお布団をつい懐かしく思ってしまった、
  お昼寝どきでもございました。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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