秋錦甘露  (お侍 習作121)

          〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


大時代には羽振りがよかった華族の貴人や、のちには豪商のお大尽などが、
気取ったようにして見せる所作の中に、
扇や笏
(しゃく)で口元を隠すというのがある。
欠伸やくさめなどなどは行儀の悪いこととされ、
そこから、無闇に口元を見せるのは恥ずかしいこととなったのだそうで。
建前はそうでも その実は、
鹿爪らしい物言いをしていても、その魂胆までは隠し切れず、
ついつい感情が滲んでしまうのを隠すため。
そのような無礼を平気でしたのだろうさとは、
そんな思わせ振りの態度でもって、
指令を下される側でしかありえなかった、
兵士戦士の僻
(ひが)めだろうか。

  そして

それを真似てのことだろか、
首巻きを貸すとそれで口許までを覆ってしまう、
そんな妙な癖がいつの間にかついていた久蔵だと、
勘兵衛がようやっと気づいたのは何年目の秋冬だったか。
そうでもしないと居られぬほどの、
寒い土地にも出向くが それよりも。
そうして口許さえ隠しておれば、
そこへと浮かぶ笑みを誤魔化せるのだと、
そうと思うてのことであるらしく。

  だがだが

もともと、そうまで判りやすく
口許ほころばせて笑うような人性なんかじゃあないくせに。
それとも、ここ数年はそうでもなくなったという自覚があるのだろうか。
眸が合えばいつも、眼光鋭くして睨んで来ていたのは、

 “そういえば…とうにしなくなってはいたか。”

その代わり、ふいと視線を逸らすようになった、
何ともつれない供連れの君。
その際、おどおどと視線が泳ぐところが可愛らしいと、
さすがにこれは、言ってやらぬと決めている勘兵衛だが、

  そう

印象的なその目許が、十分 物を言う彼だのにね。
どんなに口許を隠したとて、
その上で瞬く紅珠の双眸、
やわらかくたわんでの細められてりゃあ、
欣喜にほころぶ口許など、見ても見なくても関係ない。

 “ああ、これも…。”

当分は、この胸にだけ秘めての内緒にしておこうぞと、
それこそくつくつ笑ってしまい、

 「島田?」

却って怪訝そうな顔をされてしまったり……。





  ◇◇◇



 暑さ寒さに偏らず、4つの季節が順を追って巡る土地は結構あるが、それでもやはり、土地土地によって、その早さ長さは微妙に違う。春の訪のいがずんと遅いのに、秋は駆け足でやって来る土地もあれば、年によっては雪が降ったり降らなかったりする里もあり。それでも四季が巡るということは、その時々に訪のう風があるということ。それを律義に追うてのこと。春には花に酔い、夏は水遊びで暑さをしのぎ。寒さに閉ざされる冬を前に、五穀豊饒、結実の秋を堪能し…と。空と大地を相手に格闘する人々は、風との戯れ方もようようご存じで。

 「さあさ、お武家様も一献。
 「ここいらで自慢の吟醸酒でございます。」

 夏の日照りも長引かず、秋の長雨もほどほどで上がった。収穫された作物は、米も野菜も果実もいい出来で、馴染みの市場でも評判を呼び、そりゃあもうもう よう売れて。この冬はどれほどの雪になろうと困りはせぬほどの蓄えが出来た。それというのも、この数年に渡って、ここいら界隈を荒らして回ってた、憎っくき無頼の野盗の一団を、頼もしい賞金稼ぎの方々がねじ伏せて下さったからで。田畑や原っぱの向こう、遠く近くにとりどり望める、山々の尾根から下って来ての、里へも至った紅葉の錦。今を盛りと綾なす様が、得も言われぬ眼福よと、しみじみ堪能することしきりの、今日はめでたい奉納の祭り。白小袖に緋袴まといし、娘ざかりの早乙女ら、打ち揃っての巫女舞いも披露され。仕事が済んだと去りかけた、頼もしいお武家様のお二人、せめて祭りのひとしきり、一緒に祝って下さいませと。半ばねだるように引き留めての宴席へ、顔役らが次々、銚子や徳利をかたむけに来る。

 「いやはや、勘兵衛様のあの威容といったら。」
 「ほんに。まさかりのような大きな刃物が、一瞬にして砕けたのは物凄い。」

 群がるように襲い来た野盗の一団の前へと立ちはだかり、静かに迎え撃った、そりゃあ頼もしいお侍様のお二方。巷では“褐白金紅”と呼ばれていなさる、近ごろ評判の凄腕の賞金稼ぎだと。ここいらの州を幾つも統括なされる、お役人様がご紹介下さったお人らだったが、

 『…たったのお二人で?』

 その身へ幾重にも染ませた戦歴も豊かそうならば、重たげな大太刀を自在に操り、失速を知らぬ体さばきで、触れるもの皆、鮮やかに薙ぎ倒した剛腕の練達。さぞや名のある武将であらせられたのだろう、精悍なその身へ重厚なまでの威容を満たし、力みを張っての鋭い眼光だけで 大の大人を怯ませる、ただならぬ貫禄もおありな蓬髪の壮年様はともかくも。その供連れのお若いお人が、最初は奥方かと思えたほどに、麗しいばかりの存在で。故に、いよいよの迎撃となった場へ、二振りの太刀、背に負うた勇姿を運びかかった彼を見て、却ってその身を案じてしまったほど。

 『…久蔵様も、おいでになられるだか?』

 細い二の腕、薄い肩。体の幅も胸板や腰回りも、筋骨隆々と頼もしい風情はまるでなく。金の髪を戴き、涼しげな双眸にすべらかな頬という、いかにも玲瓏端正な風貌と相俟って。嫋やか典雅な、枝垂れ桜か柳の枝を思わせるばかり。こうまでの痩躯のどこに、それだけの膂力や馬力があるものか。くるぶしまでを覆うほど、裳裾の長い紅の衣紋を、脇に入った深い切れ込みで風を逃がしての、軍旗のように大きく勇壮にひるがえし。太刀と双腕、銀翅紅翼、鋭く打ち広げての高々と。人の頭上という信じられない高さまで、自力の跳躍のみにてその身を躍らせる奇跡の胡蝶。地を翔れば虚空にその身を掻き消すほどの、人とは思えぬ身ごなしにて襲い掛かる剣撃は、どんな強靭な防具さえ貫き通すほど鋭くて。斬られたことさえ気づけぬままに、倒される賊らがあっと言う間に山と化す凄まじさ。腕に覚えがあろうとなかろうと、驚かずにはいられぬ使い手と、凄まじいまでの戦闘に鳧がついてのようよう、納得させられた里の衆であり。

 「いやはや、ああまでお若いにそれでも練達でおわすとは。」
 「勘兵衛様も先が楽しみでございますな。」

 どういう勢いがついたものか、いつの間にやら、その久蔵、勘兵衛の弟子か何かのようなものだと思われているのも いっそご愛嬌。否定して、では何物かとの説明をするのもつや消しかと、曖昧にただ笑って流しているばかりの勘兵衛がついていた席から、少しほど離れた木陰に佇んでいた久蔵だったのは。相変わらずに人が寄る場が苦手だったからで、それ以外の他意は無く。

 “すぐにも発つと…。”

 言っていたのがこの流れ。まま、今に始まったことじゃあないし、何より勘兵衛のせいでもない。世捨て人のようにいたいのか、人とのかかわり、余計には持ちたがらぬ当人の意志に反し、険を収めた彼の周囲には、気がつきゃ人の和が出来るのもいつものこと。一見しただけだと、身なりも粗末で胡散臭い浪人に過ぎぬものが、物腰や物言いに折り目正しき品格があっての誠実に見えて。それが窮地に居合わせたのならば、即妙な手管で助けてくれて。枯れた壮年とは真っ赤な偽り、庇われた背中の広さや、掻い込まれた懐ろの深さも精悍にして頼もしく。ふとした拍子に遠い眸をするのが何とも言えず気を惹かれる、それは罪な男であるのが肌身で判ってしまうから。このごろでは、彼が立ってゆくより先んじて、久蔵がまずはと飛び出すこともざらになり。
『人の難儀を黙っておれぬとは見上げた器量だが、そうそう何にでも首を突っ込むものじゃあないぞ?』
 などと、人の気も知らない朴念仁から、そんな説教を垂れられることもあったりするほど。魂抜かれた細腰のご婦人に言い寄られたら困るからだと、

 『判るようなら苦労はありませんや。』

 ああそういえば、それに関しちゃ七郎次も苦笑していたなと、そんなことまで思い出しつつ、
“……。”
 親御の御用を待つ幼子のような心持ちで、少々手持ち無沙汰な身を持て余していた彼だったのだが。

 「…あの、久蔵様?」






 少しばかり離れたところ、席とも呼べぬほど外れた木陰にいた彼へ。妙齢の娘御ばかりが寄って来たというのも珍しく。勘兵衛がいなくてのあしらいようが判らずに、さりとて追い払ったり逃げ出したりするのも大仰かと思い止どまり、無難に相手をしてやった久蔵だったらしいと偲ばれて。そうそう誰へでもも威嚇的な態度を取るような彼じゃあない。日頃の普段は寡黙なままに愛想のない顔でいるだけのこと。それでも、整い過ぎて冷たい風貌でのそんな態度ともなれば、ちょっとした田舎の村や里では、村ぐるみでの箱入り状態にされていての、それはそれは内気な娘が多いせいで、ともすりゃあ怖がられての遠巻きにされるのが通例で。だというのに、こたびは…娘さんたちの側がそうまで大胆なことが出来たのは。恐らくは…危険が去ったという安堵と祭りの宴だということからの浮かれもあろうが、それよりも。数に任せた勢いが勝ってのことだろうと思われる。そして、

  「…? 久蔵様?」

 ふと、不安げな雰囲気が持ち上がり、誰か きゃあと甲高い声を上げた子までいたものだから、周囲の人々の目が一斉に集まって。酒の出ている席だけに、酔いが回った若い男衆の誰かしら、勢いづいての娘らへ無体をしかかったのではあるまいか。そんなだらしのない奴はどこの誰だと、顔役のお歴々が首を伸ばして見やった先には、真っ赤な何かが見えたので、

  ――― え?、と。

 わいわい盛り上がっていた喧噪が、その調子を幾段か下げたのも致し方がなかったこと。そこまで派手な色みの衣紋を身につけている人物は、村の衆にはいやしない。凄腕のうら若き剣豪様、娘らと並んでも一番綺麗だったお顔に似ず、実は手も早かったのだろかと…いやそこまで露骨なことを思った者はなかったが。

 「ど、どうなされましただ?」
 「久蔵様? 大丈夫だか?」

 そうこうするうち、今度はそんな気遣いの声が次々に聞こえ出し。それを聞いて、ああこれは…と、それだけで事態が見通せた白い砂防服姿の壮年殿。苦笑混じりに やおら立ち上がり、立ち尽くす人々の間を縫ってすいすいと、さしたる手間もかからずにそちらへまで足を運んでおり。

 「いかがした。」
 「あ、勘兵衛様。」

 訊きはしたが、見下ろせば事態は一目瞭然。驚いたらしい娘らが、膝立ちになったり立ち上がったりもしつつ取り巻く輪の中に、まだ青い下生えにいや映える、紅蓮の衣紋のその裳裾、ややしどけなくも散らかして横たわるのは、こたびの功労者の一人、誰もがたまげたほどの練達だった久蔵その人であり、
「すまんこって。あのその…。」
「ほんのちょびっとだけ。お酌をさせていただいて…。」
 祭りの酒は、祝いと清めのめでたい供物。そうと言い張っての、こちらの殿御へ飲ませた彼女らだったのは。ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ、羽目を外しては下さらぬかと、そんな下心があってのことで。冴えたお顔の取り澄ましたお武家様。でもきっと、酔いが滲めば、ほろ酔いにでもなれば、その眼光も もちっと柔らかくなって下さるかもと。そんな無遠慮なこと、つい企んでしまっての薦めたところが、

 「最初の一杯でそのまま伸びてしまわれて。」

 まさかこうまで酒精に弱い方だったとは。そういえば、しばらくほど盃を手の先に持て余しておいでだった。そうそう、それをおみっちゃんが。何よ、おしなちゃんだって、さあさどうぞって しきりと言ってた。誰が悪いかの責め合いになってしまいそうな気配を察し、

 「いやはや。実はこやつ、ちょっと前までとある願かけをしておったものでな。」

 くたりと萎えている痩躯の傍らに屈み込んでいた勘兵衛が、浚い上げるようにしての軽々と。供連れの青年をその腕へと抱え上げつつ、そんな言いようを持ち出して。
「それが一念、叶うまではと酒を断っての何年がかりか。やっとのことで成就したのがほんの先日。そうまでの久方ぶりに口にした酒だったものだから、回りも早くて昏倒してしまったに違いない。」
 だからどなたもお気になさるな。例祭のお神酒が厄落としの一口となったのだ、体に障るよな悪い酔い方はすまいよと。相変わらずの弁舌ですらすらと、鮮やかな口上もどきを述べ上げてから、

 「とはいえ、これはさすがに しばしの休息を取らせたいので。」

 どちら様もよしなにと。鼻につかない程度の鷹揚さで会釈をぐるりへと届かせてから、滞在先にと借りていた、里の長老の屋敷の離れ、なんの大慌てで片付けなさった空き家だったらしき杣家へまで。心配させまいとのこと、出来るだけゆったりと歩んで見せての退場を演じた壮年殿であり。

 「大丈夫だべか。」
 「勘兵衛様がああ仰せだ、大丈夫だろ。」
 「ほんに、この性悪娘らが。」
 「許してけれ〜。」
 「んだ、すまねだ。」
 「あンお二人だったから,あれで済んだだぞ?」
 「そだぞ、そだぞ?」
 「普通やったら“恩のある身で無礼者め”と成敗されちゅうところ。」

 口々に案じ合ったり誉めそやしたりと、なかなか心落ち着かぬ様子ではあったけれど、それでもなんとなく、強ばっていた空気も和みを取り戻しつつはあった模様。ただ、


  「………それにしても。」
  「んだ。それにしても。」
  「勘兵衛様、軽々と抱えなさってまあ。」
  「しかも、えらいこと 様になっておわしたこと。」


 芝居の中に出て来よう、たおやかな仙女をその双腕で掻っ攫ってゆく、雄々しき武神もかくあらん。長くてたっぷりとした紅の衣紋の裾 泳がせて、頼もしき懐ろへすっぽりと収まっていた痩躯の君であり。それは絵になる構図に収まっていた彼らではなかったかと、今頃になってその艶な立ち姿への吐息を洩らす、善良な皆様方だったりしたのである。

  そして

 炊事や作業用の土間の先、奥向きに框で段差を取った板の間があって、その中央には囲炉裏が切られているという、典型的な農家の作りの小さな杣家へと戻った、当の二人はといえば。本当ならばそのまま発つ予定だったのでと、一通り片付けはしたけれど、使っていた夜具は部屋の隅にそのまま残されてあり。だが、板の間へまでは上がったものの、夜具を広げる様子もない勘兵衛であり。ばさばさとした砂防服の裾を適当に広げての腰を下ろすと、抱えた来た相方の、目許閉ざされた白いお顔を覗き込む。そして、

 「いい加減に眸を開けぬか、久蔵。」

  はい?

 「飲んでもおらぬに酔える身になれたのか?」

  おや?

 やわらかく降りた額髪の陰、まぶたの縁が繊細な線を描く目許は、そおと閉じられたままだったが、

  ―― 力なく萎えての、勘兵衛の胸板へ倒れ込んでいた白い手が片方、

 こそりと動いて、その首元から襟巻きを引っ張っており。しょうがないと応じてやって、ぐいと引き抜き手渡せば、ぱちり開いた眸が潤みの中でゆらゆらと和む。
「よく判った。」
「一口にしては酒の匂いが強すぎるからの。」
 さては袖口にでもこぼして、盃は干したと誤魔化したなと言及すれば、
「……。」
 返事をせぬまま、奪った襟巻きを首へと巻いて、さて。口許は覆っての、目線だけをこちらへと上げてくる。赤い双眸が瞬いて、

  「飲み足らぬか?」
  「いや。そろそろお開きとした方がよい頃合いだ。」

 もうそろそろ夕方で、このままもう一晩滞在させてもらうことになりそうだが、明日こそは出立せねばならぬ身。酒精が残ったままでの徒歩
(かち)の旅となると、距離もさほどは稼げまい。引き上げるのにも丁度いい切っ掛けにはなったぞと言い重ねれば、

 「……。/////////」

 表情の発露を隠しているつもりだろうが、やはり…あんまり効果はなくて。目許の瞬きようが心なしか弾んでいたし、襟巻きを内側から咬みしめてしまっては、口許だって見えているのも同様で。そんな稚い工夫の拙さや愛らしさへこそ、ついの苦笑が誘われてしまう。それに…

  “娘御らに囲まれてしまおうとは…。”

 上手に逃れたことは褒めてやりたいが、その一方で…もっと早く気づいてやればよかったと、勘兵衛としてはほのかな後悔がなくもない。必要ならば威嚇し怖がらせることも辞さぬ彼へ、もう少しでそれを選ばせていたところ。助けてとの何かしら、機転も利かねばそんな方向へは行動を選ばぬ彼だろうから。

 “さりとて、常に傍にいよとも言えぬし。”

 まま、幸いこれからは寒さ厳しくなろう冬へと入るから。居てくれねば寒うて堪らぬとの、それとなくの甘えようを繰り出すかと。妙なことをばわざわざ算段されている、軍師殿であったりし。

 『別にわざわざ取り繕うことでもないでしょうに。』

 寒いからもそっと寄っておくれと、肩を張らずの素直に言うだけで済みますものを。元副官殿が呆れそうなこと、いちいち企んでおいでのタヌキ様。そのお膝に上がったまんまの金のお猫様へだけは、どんどんと甘い対処を取るよになったこと、はてさて一体いつ気がつかれますことやらで。灰に埋ずめた囲炉裏の炭、火箸で再び燠こして暖を取りつつ、さっきまでその場にいた宴の賑わい霞ませる、さわさわと梢揺さぶる風の声へこそ、秋を感じる二人だったりするのである。






  〜Fine〜  08.11.02.


  *お膝猫のブーム再燃でしょうか。
   例の番外パラレルで、あんまりカンキュウが書けなかったのでvv
   あ〜〜〜、スッとしたvv(欲求不満か・笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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