紅胡蝶 幻視望  (お侍 習作129)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

彼は味方にとっても奇異な存在だった。
ああまで幼い少年が、どうしてあのような最前線にいたのだろうか。
それも、ああまで奇抜で鮮やかな装束で…と。

幼年学校級の和子が前線に居ること自体は、さして珍しいことじゃあない。
例えば、将官や貴人士官が身の回りの世話係にと、
小姓のような存在として連れていることがままあって、
だが、それはあくまでも司令部に腰を据える級の周辺だから可能なこと。
実弾飛び交い、敵味方入り乱れての混戦状態になった白兵戦の只中、
正しく“戦さ場”へ、そんなか弱い存在を放り込む例は まずはないこと。
よって、お初に接することとなった誰しもが、
まずは怪訝そうな顔になったものだったが、

  ―― 英才動員計画という極秘の施策

まだ幼いうちに、戦闘にまつわる資質が飛び抜けている者を見いだし、
その特性のみを特化させ、特別仕立ての戦力として戦場へ赴かせるという、
そんな突拍子もない計画が中央で秘密裏に立てられており。
せいぜい平均値よりも上級の者を見つけて試せば…などと思われていたところ、
刀さばきと体術とにとんでもなく秀でた身であることから、
早いうちから幼年学校へと送られて来た幼子が、特命士官らの目に留まり、
ただただ戦闘能力だけを鍛え抜かれての出来上がったのが…あの紅胡蝶。
現場担当の兵卒も、
その意志なぞあってないものと、たいがい酷い扱いをされているものだが、
彼はそれ以上に酷な扱い、
人でもないもの、単なる“兵器”扱いをされているのだということが、
戦術に慣れた者にはすぐにも知れた。
身の回りの不自由はないようにと、様々に手厚く構われており、
度を超す寡黙さからの、不敬な態度を多少は許されていたのも、
戦い以外を知らぬ身だから仕方がないという事情に加え、
貴重な“兵器”であるがための配慮であるというのが、ありありとしていた。

  ―― どんな苛酷な戦場へでも躊躇なく投下される、生身の死神。

大戦終盤にその活躍が目覚ましいものとして台頭して来たのが、
意外にも“生身の侍”という、最も基本の単騎な存在。
さすがは長の戦さを生き残った強兵
(つわもの)ら、
覇気を操って繰り出す“超振動”という極意により、
戦艦の主砲が放つ強烈な光弾や熱弾、
いわゆる“気合砲”でさえ弾き飛ばしてしまう身となっての活躍は、
皮肉にも大型化ばかりを追い求めた歴戦の武将らには、小さすぎての追い切れず。
鋼さえ断つ太刀筋に襲われ、却って返り討ちに遭っては殲滅させられている始末。
そんな中での“英才”動員計画なのであり、
戦さにのみ特化された彼の役目は、各々に蓄積あっての手ごわい練達を相手に、
こちらも生身であればこその無限な応用力を繰り出して、
その全てを斬り伏せること。
よって、どんな戦場へも作戦へは組み込まれずの単騎扱いで引き出されたのは、
広域にわたる敵勢力をたった一人で一掃出来る実力を買われてのことだが、
それと同時に…極端な話、壊れたなら捨て置かれる存在でもあったとか。
だからこそ、どんなに無謀で大胆な布陣へも投入されたし、
彼のみが真っ赤な長衣という派手な装束であったのも、
そんな見栄えの彼へ、厄介な侍どもを殺到させることもまた目的であったから。
全ては頭越しに大人たちが決めたことであり、
そうまでの立場に置かれた彼の側にしてみれば、こんな勝手な話もないだろが、
戦略という名の大義の前には反駁も許されず。
きっとしゃにむの死に物狂いで戦っているのだ、
捨て置かれたりしないように必死で使命を果たしているのだと、
その健気さを想像し、健気なものだと案じてやる者もいたけれど。

 『馬鹿者、あれほど復路のことも頭に入れておけと言うただろうが。』

同じ戦場へと駆り出された者らには、
そんな健気な種の必死さなど、微塵もない彼だったことも有名で。
戦場に着けば、手綱から解き放たれた猟犬の如く、先頭切って飛び出してゆく。
戦火に炙られた鈍色の空を切り裂くように、
飛行中の斬艦刀から、紅蓮の外套はためかせ、宙へ躍り出すその姿を見るにつけ。
時には喜々としてその身を躍らす君なのが、
判るほどもの付き合いがあった身には。
その姿が生き生きしていればいるほど、彼には手ごたえのある戦場、
つまりは癖のある練達が多く居そうな難儀さを、否が応にも拾えたものだ。

  ―― その立場を同情するより、暴走を制す方が先。

時間稼ぎにせよ、陽動にせよ、
興に乗っての戦域をいたずらに広げぬよう、
予定内の行動に収めさせるべく、収容するのが仕事だった同じ部隊の者々は、
そんな彼を生きた身のまま収容するのが、そのまま作戦の成功であったし、

  背中に負うた長鞘から、得物の双刀引き抜く態は、
  銀翅紅翼 打ち広げた、伝説の不死鳥、朱雀の如く。

心のない獣のようだの、意志なく動く機械のようだのと
陰口たたく者もありはしたが、
何もかもが歪んで狂っていたあの混迷の時代の中で、
あるいは彼こそ誰より何より真っ直ぐだったのかも知れない。
彼ほど一途で純粋な魂の持ち主はなかった。
どんなにか血飛沫をかぶろうと、その身が黒々と染まろうと、
冴えた眼光は鈍らなかったし、
金の髪にも真白な頬にも、染みも濁りも一点も残らず、
次の戦さを見据える横顔はいっそ神々しかったほどで。

そんな彼を彼たる存在に高めていた背景の方が、
ある日 突然、断りもなく終焉を迎えてしまい。
侍は皆、地上に引きずり降ろされて。
戦さの申し子、紅蓮の胡蝶もまた、
その翅を無残にも引き千切られてしまった筈だったが……。






    ◇  ◇  ◇



 冬ざれた今の時期でなくとも、日頃からもあまり人の通わぬような草深い沼地の畔
(ほとり)に、今にも崩れ落ちんとしている煤けた屋敷があって。そこへいつの間にやら巣食った一味がある。もともとは冬場に村人らが集まって共同で暮らす旨の家屋で、吹き抜けになった大部屋が中央にあり、その周縁、壁に沿った格好で幾つかの階層に分かれている空間が個室といや個室だろうか。もっと雪深い地方の合掌造りの家屋にも似た屋敷だが、ここいらにはそこまでの雪は降らぬし、もう何十年以上前になることか、あの大戦で拓かれた街道に間近い土地へと里ごと移動していたので、此処は長らく無人の廃墟と化していたのだが。数年ほど前から、そこに良からぬ輩が住み着き始めた。戦さで住まいを焼かれた浮浪者か、それとも職を失った食い詰め浪人が転じた、野伏せりと呼ばれる野盗の一群か。数が増えれば気も大きくなるものか、当初はこそこそと潜んでいたものが、此処最近は群れなして里の間近までやって来ては、こちらを眺めて意味深な素振りを見せの、牧草地に入り込んで家畜を盗みのと、悪さの兆候を見せ始めており。さしてる財も蓄えもない、小さな里を相手に何でと、薄気味悪いことよと案じておった長老たちへ、

 「主幹街道に程近い地の利に目をつけたのやもしれぬ。」

 当初はそんな土地だけに、大事起こせばすぐにも役人が来たっての一斉に取っ捕まることを恐れていたものが。所帯が膨らんだことで気が大きくなった末のこと、そんな土地であることを利と見ての、掌握すれば物資の流通をも押さえられると知恵を出した者がいるのやも。ここいらの辺境の小さな州を巡回し、治安の維持にと監督してなさる筋の人、お役人様へと相談すると、
「近年、電信という便利なものがその網羅を広げつつあるのでな。早亀を使って何日もかけずとも連絡が取れる仕組みで、それでのやり取りを基点に、こんな辺境の地へも物資を求める声あらば…と販路を広げんとする商人がいての、どんどんと便利になりつつあるというから。」
 それを見越しての利に走った企みがある輩なのかも知れぬとの、有り難いのやら寝耳に水なやらな助言を下さった。ある意味、力づくではない脅迫というのもあって、ひょんな切っ掛け、下手に刺激したことが弾みとなっての言い掛かりから始まって、その末に何かしらを楯に取られての身動きかなわぬ泥沼になりかねぬ。土地を焼かれるだの、女子供を脅すだの言われちゃあ、どんなに理不尽な要求をされても言うとおりにせねばならぬようにもなろう。
「そんな目茶苦茶な…。」
 他の者へはまだ知られぬよう、里の外れで集まっての顔合わせとその会合であり。そんな場で明かされた恐ろしい例を聞き、声を無くした里の人らへ、
「金のためならどんな卑怯だって厭わぬという輩もいるのだよ。」
 今時の役人の制服、少々色あせた墨染の羽織を詰襟の軍服の上へとまとった姿も様になった、まだまだお若いお役人様。遣る瀬なさげに吐息をつくと、不法な何かを仕掛けてくれば すぐにでも縄打ってやれるが、今のところは様子見だというのなら、こちらから打って出る訳にも行かぬ。それこそそれが言い掛かりの種にも成りかねぬと言い足して、
「何かあったら、この鳩の脚環に書面をつけて飛ばしなさい。訓練された鳩ゆえに、我らの連絡所まで飛んで来る。」
 中からくるくるという鳴き声のする、提げ柄のついた籐の籠を差し出した。それは有り難いことと押しいただいた長老らだったが、


  「それで? その鳩らは、一体どこへ飛んで行くよう躾けてあるのだ?」


 不意なお声が背後からかかる。少し乾いた、だが、力強い張りのある、低くて聞き惚れそうになる声音であり。声の響きはともかくとして、そのお言いようへとギョッとして、
「な…っ。」
 肩越し、声がした方を振り向いた若手の役人が、頭の後ろへ高々と結い上げた黒髪の陰から、鋭い視線を投げやり、そのまま…その尖った面立ちをますますのことキリキリと鋭く歪めさす。彼が見やった先、里への入り口に連なる椿の木立の傍らに、すっくと立っていた人影は、
「あんれ? 与之介様?」
「こちらのお役人様とお役目交替なさったのでは?」
 まずは やはり墨染の羽織をまとったお役人がいて、その羽織の下で白い晒布の三角巾にて片方の腕を吊っており。そんな彼の前へと盾のように立ち塞がっているお人は、里の者らにはまるきり見覚えがなかったが、

 「そのように言いくるめたとはな。身奇麗で口も立てば、信用を得るのも容易かろうて。」

 精悍な面差しの、味のある表情を浮かべていた口許ほころばせ、不敵に笑ったお武家様。背中までかかろうほど長く伸ばした蓬髪に、すっかりと褪めた色合いの砂防服。彼の言いようを持ち出すならば、身奇麗どころか…どこか貧相で怪しいいで立ちに見えなくもないはずが。その身の頑健さを知らしめる毅然とした態度や、自信にあふれた口調から滲み出すものは、初めて相対す者へも十分伝わる、厳然とした厚みのある威容。背後に庇ったもう一人のお役人が、それはキリキリと視線尖らせ睨み据えていた、同僚なはずの黒髪の役人が、

 「…くっ。」

 進退窮まったという顔をして、咄嗟にすぐ間近にいた老爺の腕を取ると、羽交い締めにしての自分の盾にする。
「な…何なさるだっ。」
 もがこうとする鼻先へ、腰に差していた脇差し抜き放ち、その切っ先を突きつけまでして、
「うるさいっ、大人しくしておらぬと腕が折れるぞ。」
 どやしつけたから、馬脚を現すとは正にこのこと。案外と呆気なく尻尾を出した相手へ、ますます表情こわばらせ、うぬと身を乗り出しかけた与之介殿の前へと腕を差し渡し。見交わした視線一つで、逸ることはないと制した壮年のお武家様、
「大方、この里へ迫っておる野盗らの知恵袋。先程滔々とまくし立てておった旨を、そろそろ実行に移すべく、まずは本物の役人との接触を断つために立った替え玉というところかの?」
 語ったお説も半分以上は真実で、いずれはにぎわうだろう街道を通過する荷を目当ての、この里の支配を狙った気の長い計画のその緒端。隠れ蓑とする住人たちを、脅すなり信用さすなり完全に掌握するまでは、役人に嗅ぎつけられてはならぬとの前支度とばかり。本来の役人を引き倒し、替え玉としてまんまと信用取り付けんとしていた男だったが、今こそその仮面を自ら引き剥いでの、もはや逃げを打とうとする構え。人質を取られたは剣呑だったが、

 「お主。」

 獲物を前にした鷹を思わせるような、それは鋭く切れ上がった眼差しや、いかにも理知的な風貌は、焦燥に染まってもあまり歪んではおらず。それが…蓬髪白衣の壮年へと、何かしらを感じ入らせでもしたのだろうか。落ち着き払った態度のそのまま、何とも静かな声をかけてやり、
「物腰といい口利きといい、侍としての気概、まだまだ捨ててはおらぬのだろうに。」
 だというのに…刀をかざしての力づくなその乱行とあって。やや伏せ気味にした顔にて睨み据え、惜しいことよと呟いて見せる。身を隠してこそりと聞いていた、里の者らとの語らいように、ただの狡猾と片付けられぬ、聡明さや実直さが仄見えもしたのにと、そこを惜しいと思うたからだが、
「野伏せりと堕ちてまだ日も経たぬ身であろう。どうだ? 投降し、どこぞかへと仕えてやり直す気はないか?」
 要らぬ騒ぎも立ち合いもなくの、出来れば丸く収めたくてか。そのような言いようで諭しにかかった壮年殿へ、

 「慈悲か? 情け深いことだな。」

 地に足つけての身を立てておることからの余裕か? 昏い眸をしたその男、くくっと短く笑ってそれから。人質の老爺を半ば引きずるように引っ立てながら、じりじりと後ずさるように歩みを進める。

 「俺の知恵を買ってくれたのなら、此処で もひとつ、別のタネも明かしてやろう。」

 鋭角な印象のするその顔を、ややもすると引きつらせ。自棄になったように、まくし立てる彼であり、
「あんたが言うように、俺は此処を掌握したがってる一味の先鋒。交渉決裂、何かしら騒動が聞こえれば、そのまますぐにも突入し、有無をも言わさず占拠するよに手筈を立てたんでな。」
 そうと言うと、どさくさの末に取り落とされて足元に転がっていた籠を蹴飛ばす。すると、中の鳩らが驚いたか、割れた隙からバサバサっと飛び出し、乾いた陽射しの満ちた初冬の青空めがけ、高々舞っての飛び立って行ったものの。

 「ひいぃぃっっ!」
 「どうなるだ、鳩が飛んでくとっ。」

 何も知らない里の皆様が、思わず身をすくめはしたけれど。それ以外は何の気配も物音もしはしない。雄叫びが上がるかどうかすることが打ち合わせられていたのだろうに、そんな気配の欠片さえなかったものだから、

 「な…どういうことだっ。」

 一味の男もまた落ち着きを無くし、忙しなく辺りを見回していたその弾み、何にかつまづいて仰のけにたたらを踏んだの見澄まして、
「わっ。」
 姿勢を沈めて素早く踏み出しながら、鯉口切っての大太刀繰り出し。柄を掴みしめた手の下側にて、盾にされてた人質の老爺の胴を外へと押しやり。その同じ流れの中、大太刀の刃では、相手の男の脾腹をざくと裂いたは島田勘兵衛。背中に跳ねた長い髪やら、足元覆う長々とした衣紋の裳裾、音もなく翻しての、全てが刹那の一連の仕儀であり、

 「が…っ。」

 転びそうになった態勢を立て直さんと、脇差逸らせた隙を衝かれてのことならしいと、さて、気づくことが出来たかどうか。
「騙し討ちのようで済まぬな。だが、一党を雪崩込ます仕儀、発動させんとしたからには、もはや未遂で済まさす訳にもいかぬ。」
 そこまでの周到な仕儀を、この期に及んでも発動させようとしたからにゃ、投降の意志は無しと見るしかない。そこで斬ったということか、力の緩んだ腕から逃れた老人を、後方にいた本物の役人へ、振り向きもせぬまま渡した勘兵衛。まだ何か、断末魔の破れかぶれで抵抗せぬとも限らぬと、太刀を構えたままで片膝つくほどその身を落とした偽役人を、それでも油断なくしっかと見据える。横腹から滲み出す血を押さえつつ、膝を落として頽れかけたその視野へ、街道のほうから歩み来た、別の人影が入り込む。仲間が潜んでいた方向でもあり、そうか、こやつがそっちをからげたかと、今やっと納得が行き。深色の蓬髪に白い砂防服の壮年と、こちらは金色の綿毛を冠のように頭へいただき、真っ赤な長外套をまとった若いの。ああこやつらが噂の“褐白金紅”かと、冥土の土産になったななんて、おぼろげな意識で思った矢先。


  「あ………。」


 後から現れた若い侍の、上等な陶製の人形のような、冷たく整ったその顔へ。何をか思い出しでもしたものか、男の目許が大きく見張られる。白い両手へそれぞれに、変わった意匠の双刀引っ提げ。紅蓮の双眸も、白い頬も、ああ、まるきり変わってはないではないかと。しゃんと伸びた背条も凛々しく、誰よりも無垢な魂のまま、穹を翔ってたその姿のまんまで。ああこうして変わらぬ君と最期に会えたとは、どういう奇縁か。あの頃、君よりずっと大人であったのに、何にもしてやれなんだ、これもその報いだろうか。死にゆく者へ、何の感慨もない眸を向けられるところが、さすがは死神と謳われた紅胡蝶よと言われていたが。そんなことはないのだな。驚いたように目を見張ってる。それともまさか、十余年も経っているのに、この俺へと気がついた君なのか……。

 「………。」

 力尽きてのいつの間にか、こけた頬を地に伏せ倒れ込んでも。その眸をいつまでも紅衣の若いのへと据えていた男であり。そして、

 「………。」
 「久蔵?」

 里の外延へまでそれなりの武装をしての迫り来て、合図を待って躍り込まんとしていた方の奴輩一味を任せ切り。結構な数がいただろう そやつら、こちらへ騒ぎも伝えぬ鮮やかな刀さばきにて、見事にからげ伏せたはず。だっていうのに、こうまで冷然としたままの常態で戻って来たほど、相も変わらず、物に怖じる態を滅多に見せない連れ合いの青年が。
「…。」
 何故だか…表情凍らせて、その場から動けぬままになっていることへと気がついた。抜き身のまま提げていた自分の太刀を鞘へと収めた勘兵衛が、如何したかと間近へまで歩み寄れば。既に事切れた男の視線に縫いつけられでもしたものか、そこへと立ち尽くしての総身がこわばったように動けぬ彼であり。呆然自失に見えなくもない連れ合い殿の、細い二の腕 そおと掴み取り。んん?と白いお顔を間近から覗き込めば、

 「…こやつ。」

 別に、何かしらの呪詛にあったわけじゃあない。はたまた、恐ろしさのあまり金縛りになっていたわけでもない。ただ、

 「…。」

 自分に比すれば小さめの、少ぉし冷たい手が指先が。得物の刀を握ったまんま、近づいた勘兵衛のまとった外套の裾、きゅうと握って見せるので。思うところはあるらしく。

  ―― 如何した。
      俺を知ってた。
      そうか。
      だが、誰かは知らぬ。

 そうと言いつつ、だのに、

 「………。」

 視線を離さぬ彼なのが珍しい。そうまでの関心があるということか、そうと思うと…何故だろか。もはや息絶えた存在だのに、忌々しい奴だとの罰当たりな感慨が、胸のどこかへ年甲斐もなく ちらと浮かびかかった勘兵衛でもあったが、

 「…兵庫に、似ている。」
 「はい?」

 あまりに突拍子もないことを言い出したので。久蔵相手に妙に四角い返事をしてしまった勘兵衛であり。
「似ているって、長い黒髪だというだけで…。」
「顔も少し。」
 言われてみれば…頬骨が高く、鋭角に削いだような印象があって。それで気になったらしい久蔵なのだろが、

 “こやつのこの顔も知っての上で話を聞いたなら。あの御仁でも怒るぞ、多分。”

 細おもてで年の頃も同じくらいか、体格もまま似た類型と言えるのかも。だが、どう見たって“似ている”という範疇ではない、どこか貧相な男にすぎず。第一、勘兵衛だってあの姑…もとえ、虹雅渓警邏隊本部長殿とは、この久蔵を挟んでの因縁浅からぬ身ゆえ、その見目はようよう知っており。似ておれば おややとまずは気づいたはず。
「似てはないと思うがな。」
「いや、似ている。もしやして知己縁者かも知れぬ。」
「…縁者が野盗なのか?」
「……っ。」
 やっとのこと、その表情が弾かれ、こちらを向いたので。そこで“ああそうか、じゃあ違うか”と思うたかと思いきや。

 「内密にした方が良いのかな。」
 「……☆」

 いかにも切迫した、あくまでも真摯なお顔にて。あやつの立場が立場だしと、どうあっても自分の感じたことのほうを優先したいらしい強情ぶりで。この天然っぷりには、さしもの軍師殿もちょいとその身が斜めに傾きかかったものの。次の刹那には、どうしても堪え切れなんだ苦笑がとうとう込み上げて来てしまい、

 「島田?」
 「ああ、すまぬ。
  そうだな、大変な人の最期を見取ってしまったのやもしれぬな。」

 誰かを案じての困惑なんて。きっと初めての体験に違いない。いやいや、もしかして。自分が気づいてないだけで、勘兵衛や七郎次へというこのような気遣いを…慣れぬ身ゆえのどこかで何か履き違えた、可愛らしい気病みや気遣いとやら、既に抱えたことがあった彼なのかも知れず。苦笑にたわむ目許で何度か瞬き、大ぶりの拳で口許押さえて。咳払いを二つ三つと零してから、何とか笑いの発作を押さえ込むと、

 「うむ、何とか彼だけでも、この死に様、内密にしといてやろう。」

 確かに…この男、死に際に久蔵を見て何かしら言いたげな顔にはなった。久蔵が見覚えがあると言ったのも、もしやしたなら大戦時に何か縁があったからなのかも知れず。何をどう連想した末に、こうまで掻っ飛んだ勘違いへと至った久蔵だったのかはともかく。だったら…もう事切れた存在でもあるのだし、触れずにおいてやるのもある意味 慈悲かと思い直した勘兵衛であり。…ただし、久蔵の妙な誤解がいつどこで破綻するかは神のみぞ知る。

 “願わくば、その場に自分が居合わせることのないように。”

 そんな妙なところへ逃げ腰な算段を挙げてしまい。本部への連絡を取る与之介殿までもが、少々怪訝そうなお顔をしたほどに、やはり苦笑が絶えなかった、希代の軍師殿でもあったりしたそうな。

 「…? (島田?)」
 「いやいやいや。大変な秘密を抱えてしもうたなと思うてな。」
 「誰にも。(言うてはならぬ。)シチにも。(内密にな? よしか?)」
 「ああ、判っておる。」

 ……こんな天然さんに見取られたんでは、却って浮かばれないんじゃなかろうか。
(おいおい) 人の子の思惑なぞ知らぬとの、素っ気ない風籟 響かせて。冬の初めの木枯らしが、椿の茂みをがさごそ鳴らし、吹き過ぎてった昼下がりの一幕だった。







  おまけ



     「久蔵、お主、弦造殿を覚えておるか?」
     「? …。(頷)」
     「では、絵師の島谷殿を覚えておるか?」
     「…。」
     「ほれ、虹雅渓で縁のあった。」
     「…?」
     「儂と同じくらいの背格好の御仁で。」
     「??」
     「今少し若いのだがその、確かこんな髭も生やしておって。」
     「〜〜〜〜〜???」
     「判った判った、もう良い、悪かった。無理から思い出そうとせんでいいから。」





  〜どさくさ・どっとはらい〜  08.12.16.


  *何やこれ?な終わり方ですいません。
   おかしいな、
   戦さも遠くなったねぇというようなお話になるはずだったのに。
   これでは“宇宙人なキュウ・久々”ではなかろうか。
(笑)
   ここんとこ こういう間抜けな話が多いような気がするぞ。
(う〜ん)
   それにつけても、
   おまけでは どんだけめいっぱい困惑なお顔をしたのやら。
   誰もがそっくりと認めてる絵師の先生なのにねぇ?
(笑)
   きっとキュウは勘兵衛様に限っては、見た目だけじゃなく、
   匂いや温みや抱き心地やオーラなどで、
   総合的な把握をしているものと思われます。
   なので、何に変装していても一発で見抜けます。
   …それが発揮出来る機会は恐らくないだろけど。
   (あと、何処に潜んでたって見つけられるとか・笑)

   それはともかく。
   虹雅渓へ戻ったら、結局は誰より本人が気になってしまって、
   ついついややこしいことを兵庫さんへ問いかけてみたりするんですぜ?
   同じ年頃の親戚で、行方のはっきりしてない男はいないかとか。
   そいで、何かあったなと勘兵衛さんが呼び出され、
   タヌキなおっさまに のらりくらりと翻弄されての手玉に取られ、
   却って腹を立てさせる結果に終わったりして…。
   難儀な次男です、相変わらず。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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