春を待つころ  (お侍 習作132)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

今は冬場だから行き交う旅人の数が少ないだけか。
先日から滞在している小さな里は、
冬の乾いた陽にさらされた町屋の並びも通りの往来も、
閑として静かなところ、寂れた雰囲気があったものの。
だからといって、そうそう片田舎ということもないらしく。
彼らが数日ほど逗留していたのも、
名主の持ち家なぞではない、歴とした宿屋だったし。
日常雑貨のみならず、
旅への物資補充に向いた店屋や食べ物屋も、
どれをと選べるほどの数を揃えていて。

 「……。」

随分と年季の入ったそれだろう、煤けた色合いながら、
そこへと腰掛けて街路を見下ろせるような、
幅こそ狭いが張り出しのついた窓辺には。
この時期でも緑を見せている、素焼きの鉢植えが二つほど置いてある。
朝の食事を運ぶおり、仲居が盆の隅に一緒くたに運んで来る、
小さな湯のみに入れた水をやっている程度の世話ながら。
それでもしっかとした茎や葉を見せている鉢であり。

 『こちらはサクラソウかの?』
 『ええはい、よく御存知で。/////////』

かわいらしい藍染めの前掛けに、
赤く染まったくるぶしの覗くほどという、丈の短い着物を軽快に捌いて。
そりゃあ くるくるとよく働く若い仲居が、
壮年から掛けられた声へ水蜜桃のような頬をパッと赤らめて応えていたが、

 『…?』

それへとこちらがついつい眉を顰めるより先、
久蔵の方を見、ますます真っ赤になったので。
結果として、それへと圧倒されてのたじろいだ若いのへ、
勘兵衛の側が口許へ拳を当てて、こそり苦笑を零したくらい。
実をいや、妙齢の娘ら相手の懲りない悋気を起こす彼の方こそ、
若々しい彼女らには、殊の外 目映く見える存在だということに、
未だ気づいていないのが、
壮年殿には可笑しくてならないらしくって。

 『…何が可笑しい。』
 『いや…なに。』

炊き立てご飯に、香ばしいおみそ汁。
よくよく煮えたフキとひりょうずに、
さっぱり瑞々しい浅漬け、生み立て卵の焼いたのへも。
そりゃあ美味しい心づくしをこそ感じたものの、
いつまでも止まらぬ苦笑の原因とは到底思えぬのも道理。
それらをきれいに平らげてのち、
勘兵衛は、調べ物があるからと、そそくさ部屋から出てってしまい。
さて、それから幾刻経ったか。

 「…。」

ころんと、薄い肩の上で頭を転がし、
ああ、ついて行けばよかったかななんて、
無聊を憂うまでに そうそう暇まはかからなくって。
適度に拓けているその代わり、
この里には誰も入り込まないような林や崖などがないものだから、
こそりと鍛練をする場所がないのが、
久蔵には少々不便というか居心地が悪いというか。
眼下の町並み、鄙びた通りを、
旅人なのだか住民なのだか、のんびり行き交う人々を、
ただただ眺めて過ごすのへも、そろそろすっかり飽いてもいて。

 “…。”

ああでも、以前とは違う。
あの、鮮烈なまでの生を実感し続けてた大戦が、
あっけなくも終わった後はといえば、
潤いもないまま殺伐としていた、
そのくせ、
胸躍らすほどまで緊迫を要すことは、
畢竟 何も起こらなかった日々しか来なくて。
そうであること、諦めた上で慣れかかっていたような、
生きているんだか眠っているんだかも判らぬまま、
虹雅渓で長々と無為に過ごした歳月に比べれば。
こうしている間も、
胸のうちのどこかがしきりと脈打っているのは大きく違う。
直接 対する相手がないのは同じ。
だのに…不安になったり苛々したり、
何らかの感情を転がしつつ居るなんて。
それより何より、

 “…何処まで出掛けておるのやら。”

必ず戻るだろう勘兵衛を、ただじっと待つ身なのが、
当時とは大きに異なる心掛けではなかろうか。
お互いに何処へ行ってしまっても構わない身であるはずなのに、
戻って来ること疑わないし、
勘兵衛の側だって恐らくは同じだろう。
だって“約束”はまだ保留したまんまだから。
いつまでどこまで、この自分が認めて余りある練達でいられるものか。
それが適わなくなりそうな すんでのところで、
他の誰かに滅ぼされるくらいなら、この手で引導渡してやろう…なんて。
もしかせずともそのくらいは、
先の先の先の予定に ずれ込ませている久蔵であること疑いなくて。

 “…。”

だって勿体ないではないか。
含蓄深くて機転も利いて、
狡猾で阿漕で詭弁も奇弁も上手くって。
そのくせ、一旦太刀を抜いてのそれを振るえば一歩も引かぬ。
人でも絆でも、切ると言ったら必ず切ってしまう、
何とも潔い果断さは、もはや何処にも転がってはいない得難さで。
ああまでの侍を、そんなあっさり斬ってしまってどうするか。

 「…。」

そんなしたらば、もうあの声も聞かれない。
あの、ちょっぴり枯れたような男臭い匂いも、
こちらの頬へまでこぼれて来るとくすぐったい、深色の蓬髪も。
頬骨の少し立った精悍な顔が他愛ないことでほころぶ様も、
撫でるとさりさり擽ったい髭をたくわえた顎や、
そこから連なる喉元の、妙に色香のあるごつごつとした見映えも。
堅い胸元の暖かさも、大きな手のひらの重さも何もかも、
一切合切無くなってしまうだなんて考えたくもないことだから。

 「…。」

退屈なくらいはへいちゃらだと。
窓から斜めに、金色の筋を際立たせて差し入って、
あちこち擦り切れた古畳の上や、
久蔵が前方へと投げ出した脚をところどこ覆ってる、赤い衣紋の乱れた上やら。
弾けるほど白く照らして降りそそぐ陽光へ、
何とはなしに見とれておれば、

 「…っ。」

際立ったそれではないながら、馴染んだ気配が戻って来。
それへと気づいたその瞬間、
凭れていた壁から背中が離れ、その身が軽々と浮いている。
足元では無意識に引き寄せた膝が立っていて、

 「討ち入りでもあるまいに。」

がばと身を起こしたのがありあり判る格好な彼へ、
すらりと襖を開いた勘兵衛がさっそく見とがめ苦笑をし。

 「〜〜〜。///////」

言われてみれば…と、そんな自分へはっとして。
そんな態度が何を指すものかに気づくと同時、
照れ隠しか腹立ち紛れか、ふいとそっぽを向きかけた久蔵だったが。

 「…?」

その所作が中途で止まり、その視線をあらためて戻した彼へ、
わさわさと着込んだ白外套もそのまま、畳の上へと座り込んだ勘兵衛。
そんな彼が注視を向けてきたのへ くすりと微笑い、

 「ああ。帰りの道で擦れ違ごうてな。」

今朝方 電信で新しい依頼があったらしく、
それへの下調べや打ち合わせにと、
この里では人通りのないあたりにあった、
役人らが詰めている番屋まで運んでいた彼であり。
そこから宿まで戻る道すがら、
とある物売りの声に注意を引かれた。
そこの宿なら、へえ、器は女将さんにでも返して下さればと、
気のいい親父さんに
そのまま持って帰って下さって構いませんと勧められたるお土産が、

 「…甘酒?」
 「ああ。」

手びねりの武骨な徳利の、口元覆った和紙を除けば。
陽気に照らされた中、湯気がほわりと立ちのぼり。
卓の上へと臥せられた茶碗を手にとって、
縁へ口つけ、そのまま無造作に傾けたれば、
酒精としょうがの甘い香りがほのかに広がる。
かつて神無村に居たころにも、
寒さ厳しい折には体が温まりますよと供された代物。
とはいえ、

 「…。」
 「ああ。以前は飲めなかったのだったな。」

鬼神のような剣豪であることを思えば、
その冷徹な極めようとの差異も大きなこと。
酒精の類いには…料理へ垂らしたものへまで、
ことごとく呑まれてしまっていた久蔵だったので。
七郎次や勘兵衛といった、それに気づいた皆様で、
彼の面目をつぶさぬ気遣いの中、
出来るだけ遠ざけて下さっていたのだけれど。

 「このところは、甘い酒なら飲めてもおろうが。」
 「…。(頷)」

それに…実を言えば、このいかにも甘やかな匂いには関心もあった。
今も昔ほど苦手な香りではなくなっていて。
ほれと手渡された丸い湯飲みの中、
とろみの豊かなこの飲み物とここまで間近になったのは初めてだったが、
そろそろと口許近づけてみて、

 「…っ。///////」
 「おお、まだ熱いぞ。気をつけねば。」

思ったよりも熱かったのへ、ついつい撥ねるように遠のいたの、
笑うでなく、慣れぬ身を案じてくれた勘兵衛へ。
それだけ関心寄せて見守っている彼だと判って…それがまた、

 「〜〜〜。////////」
 「いかがした?」

それがまた、無性に気恥ずかしかったりもした久蔵。
中身が減らぬ湯飲みはやがて、持っている手までも熱くしてゆき、
眉を下げての困ったように、きゅうんと連れ合い見返せば、

 「そうさな、確か…。」

実を言えば、勘兵衛の側もこのような甘味は扱いを知らない。
ただ、そういえば、

 「箸で混ぜれば少しはぬるくもなろう。」

ちょっと貸してみと、大きな手を広げ、
受け取った湯飲みへふうふう吐息を吹きかけながら、
これも備えてあった塗り箸で、
くるくる掻いての冷ましてやって。

 「…。///////」

子供へと粥を冷ましてやるような、
何ということもなかろう、ありきたりなそれ。
なのに、どうしてか。
伏し目がちになった目許や、
吹き飛ばさぬようにと加減をした吐息の強さ。
大ざっぱながらも心砕いた気遣いの現れ、
そのどれもが愛しくてたまらない久蔵であり。
そして、そんな一方では、

 「あまり冷めては意味がなかろう。」
 「…。(頷)」

そう言って差し出された湯飲みが飲みごろなのへ、
今度こそ無事に口をつけられたうら若き供連れ殿の。
先程までの…ずりりとお膝で寄って来て、
こちらの手元を幼子のように一心に見守っていた稚
(いとけな)さやら、
無心な態度のあれこれだとか。

 「…vv(旨)」

今は今で、甘い風味へ幸せそうに頬染める、
含羞み混じりの微かな笑みとか。
それをそれと拾ったそのまま、
じんわりと総身が暖まる気がする壮年殿であったりもし。


  「…。」
  「んん? まだあるぞ?足そうか?」
  「〜〜〜。」
  「儂か? いや、そのような甘い酒は。」
  「?」
  「そうさな。一口だけいただこうか。」
  「♪」


お日和だけなら十分に、春の陽ざかりもかくやという中。
冷徹果断な太刀捌きも鮮やかに、
心なき悪鬼らを容赦なく成敗し尽くす存在だとは、
到底思えぬほどの和やかさにて。
ほの甘い酒の風味を肴に、
早よう春が来ればいいのにということか。
小さな湯飲みを境に、互いの身を擦り寄せ合うて、
すっかりとお部屋の空気をも甘くしていたお二方。
どうかどうか、別口の甘さで悪酔いなさらぬよう、
甘い甘いも ほどほどに………vv





  〜Fine〜  09.01.23.


  *以前にどっかで触れたように思うのですが、
   甘酒は 古来の日本では夏の飲み物で、
   俳句の季語でも夏のものです。
   それと違って白酒は春の季語で、
   こちらはそもそものお祝いのお酒というのを
   模して生まれた桃の節句の酒なので、春のもの。

   それ以外にも大きく違うのが、
   白酒は純然たる“お酒”ですので、
   甘酒みたいに子供が飲んではいけないというところ。
   酒粕を溶かして作る、もしくは麹を寝かせて作る甘酒と違い、
   白酒は米麹で発酵させて出来た下地へ、焼酎を足して醸造する、
   言わば梅酒やリンゴ酒のお仲間なので、アルコール度数も結構あります。
   子供のころに“白酒”を飲んだという人は、
   甘酒を飲んだのを間違えているか、
   ホントは未成年が飲んではいけないのに…ということになるので、
   あんまり公言しちゃいけませんよ?


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv

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