甘くて温ったか  (お侍 習作138)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


その大陸は南北にも東西にもたいそう広かったので、
内陸部に生まれ育った者の中には、
海というもの、見ることなく生涯を終えるお人が珍しくなかったほど。
応用すれば移動にも輸送にもその効率を上げるだろう、
大戦時に発達した様々な機巧がありはしたが。
戦後のしばらくは、
一部の特権階級にばかり恩恵を偏らせて機能していたがため。
人や物の流通は、
そのほとんどが徒歩や荷車という相変わらずの人力で支えられており。

 “だがまあ、そういう歩調の良さというものもあるわな。”

何と言っても世界が広いままなのがいいと、
その大陸をいまだに流浪している身の壮年が、
こそりとした苦笑を精悍な口許へと滲ませる。
よほどの緊急時ででもない限り、
何も光の如く駆け出す必要もなかろうと、
一般の民は、いまだにそういう感覚でおり。
それゆえ、
巡る四季にも土地によっての微妙な偏りがあり、
北へ行くほど冬が長く、南では雪を見たことがないという、
相変わらずの感覚差も健在。
南国育ちの勘兵衛には、暑くない訳ではないけれど爽快な真夏が、
どうやら北領生まれらしい、連れの久蔵には、
避暑地へ逃げ出したくなる苛酷な代物であるらしく。
逆に、高層圏という極寒の戦さ場に久蔵の倍は長くいたはずの勘兵衛でも、
いまだ苦手とする玄冬期の辺境北部では、
寒くない訳じゃあなさそうながら、
それでも胡蝶の舞いのような双刀操る久蔵の身ごなしに、
揺らぎや不自由さは微塵も見られずで。

 “……。”

こうまでも何から何まで相反する二人が、
良くもまあ一緒にあちこちを旅していられると呆れる知己もいれば、
いやいや、だからこそ同じことへと両方が困ることもなくの、
即妙な補い合いが功を奏すのでしょうよと。
そんな言いようをしたのは、虹雅渓で彼らを待つ七郎次ではなかったか。

 『むしろ、お二人は似た者同士ですし。』

そういう生きざまをなさって来られたからしようがないとはいえ、
戦さ仕様の価値観というもの、
後遺症のように人との接しように大きく波及してなさるお人たち。
思いやりがない訳じゃあない、むしろ大きにお持ちだからこそ、
嵐に巻き込みたくはない一心から 素のお顔を見せなんだ勘兵衛様だったり。
はたまた、愛想というものが理解の範疇外なままなので、
縁のなかった“嬉しい”や“愛しい”に出会うと、
困ったようなお顔になってしまった久蔵殿だったりしたのでしょうねと。
本人以上の把握をしていたそんな彼を思わせる、
暖かで淡い色彩の満ちる春が間近い。
寒い間はどうしても、
首回りから口許にかけてと立てがちだった襟巻きを緩めて。
随分と濃厚な陽光を降らしつつ、
なのに霞のかかった色合いが優しい、春めいた空を見上げれば。
どこかで祭りでも催されているものか、
少々場末の町角の空へまで、紙吹雪の余りや迷子の風船が遊びに来ており。

 「…っちだってよっ。」
 「兄ちゃん、待ってよぉ。」

それを追ってか、わっと傍らを駆け抜けてゆく子供らへ、
おやおやと壮年殿の口許が再び和んだは、
北辺へと通ずる街道にあって、
流通の中継地を担ってもいるらしき、
この石畳の街のにぎわいようを感じたからに他ならず。
番所の電信基地まで、伝言がないかを尋ねに運んだその帰り。
目立たぬ宿で待つ連れ合いへの土産、衣紋の懐ろにそおと確かめ、
今度は別口の…仄かにくすぐったいような笑みを浮かべる、
勘兵衛だったりするのである。




       ◇◇◇



じっと陽だまりに身を置くと、日によっては汗ばむことさえあるほどに。
居場所が南下しつつあるからというだけでない、
そんな暖かさを日に日に感じるようになった。
陽差しが目に見えて濃厚になり、見回す景色から雪も消え、
時に思い出したように降る氷雨に、
ああそうか、これが身に滲むほど それだけ暖かくなっていたのだと、
そんな形でも日和の春めきを思い知る。

 「……。」

物心ついてすぐにも軍人という立場や環境に立たされたせいか、
そういう情緒的な知識というか記憶が薄くて。
季節の巡りというもの、感じ取る器官も鈍い方だったはずなのに。
その傍らに居るときは、陽だまりでうたた寝する猫のようにいていいと、
そんな絶大な安堵をくれる連れが出来たので。
今この時の寸暇を 隙なく塗り潰して把握するよな、
万事が万事 張り詰めた生き方ではなく。
見えない先の余計なことを考える余裕が出来て。
そしてその連れが、戦前からの蓄積も多き、
つまらぬことまで詳しい壮年だったため。
花の名前や風の名前、海の話や山の伝承、
時には出鱈目や捏造もほんのちょっぴり交えつつ、
それでも面白おかしく語ってくれたりするものだから。
御伽話といや雪女郎の話くらいしか知らなんだはずが、

 “どこぞかで老爺が灰を撒いているものか。”

宿の窓辺までへと伸びた裸の梢に、
それでも小さな蕾を幾つも見つけ、
そんなことをば何の気なしに想起している久蔵だったりし。
手持ちの為替の両替がてら、
番所まで伝言はないか確かめて来ると出掛けた勘兵衛だったので。
先の予定も未定なままに、
何だか手持ち無沙汰な昼間どき。

 “……。”

不思議なもので、傍らにいないときほど彼のことばかりを想ってる。
生っちろくて細おもて、顔のみならず総身も細っこい自分とは真逆な風貌、
深色の髪に肌、彫の深い面差しに、
骨太でがっつりしていよう体格は、ただただ頼もしいばかりだし。
何がそんなに奇異なものだか、
こちらの言動へ時折見せる表情の変化。
キョトンとしてから ふっと仄かに破顔する、
その微妙絶妙な小さな笑みが。
どうしてだろか、睨まれるよりもこの胸を騒がしてしようがない。
持ち重りのする大きな手も、堅くて広い胸元も。
伏し目がちになると妙に気になる目許とか、
低められると何故だかドキドキさせられる声とか。

 「……。//////////」

肩を覆い、背中までと延ばした蓬髪やら、
浅黒い肌と雄々しい体躯をわさわさと覆い隠す砂防服やら、
何から逃れたくてか、その存在感を覆ってしまわんとしている彼だのに。
そんな程度じゃあ全く足らぬ。
いい加減な根無し草を装いながら、
一度でも言葉を交わせばすぐに伝わるのが、実直さと聡明さであり。
堅物頑迷、
気骨雄々しき重厚感や存在感を、
その内面にも秘めていること、すぐにも拾える感じさせる、
そんな不思議な男でもあって。

 “…それだけじゃあない。”

世間を要領良く渡れぬことだけが 不器用とは言わぬのだと、
彼を見ていると良く判る。
今時“侍”であり続ける自分に関わったとて、
奇禍が降るだけ巻き添え喰うだけ。
だから寄るなと深入りするなと構えていても、
その人性の深さ豊かさが人々を吸い寄せる。
自分もまた まんまと惹かれてしまった身ゆえ、
それほどの男だというのが、誇ればいいやら歯痒いやら。

 「…。」

傍に居る間は彼自身を見ているのに感じているのに忙しく、
居なきゃ居ないでこうまで気になる。
こうまでさせる相手のことを、世間では“意中の人”と呼ぶのだと、
まだ気づかない自覚のなさが。
ここ最近の彼をして、どこか物憂げ悩ましげなお顔をさせてる悪循環。
窓の外を眺める振りして、実際見ているのは自身の内面ばかりな彼であり。
そんなだったせいか、

 「…久蔵?」

宿の居室、襖の向こうからの唐突なお声に。
あわわっと…片膝立てての凭れてた、窓辺から身を起こしたのとほぼ同時、
煙草のヤニだか陽焼けだか、茶いろく変色しかかったそれ、
さらりと開けて入って来た壮年へ、
おやおやとの苦笑を浮かべさせるのも常のこと。

 「〜〜〜。」
 「なに、うたた寝を起こしたのなら済まぬと思うてな。」

何が可笑しいかという問いかけには微妙に外れた答え方をし、
腰の得物を帯から外しつつ、
お留守番していた供連れへ、何事もなかったかと訊く勘兵衛で。

 「〜、……?」

かぶりを振りかけた久蔵の動作が……つと止まる。
すぐの傍らまでやって来て、わさりと上着の裳裾を広げ、
そばへと座した壮年の身へ。
畳へ手をつき、身を乗り出してのお顔を寄せて来、
何やら気になるという素振りを示すので、

 「…さすがよの、もう判ったか。」

さっそく気づいたとは鼻のいいことと、
小さく微笑ってその懐ろから取り出したのが、
粗末な紙袋が一つ。
勘兵衛の大ぶりな手の中に、やすやすと隠れそうなほどの小さなものだが、
そこから聞こえる香りは、随分と濃厚にして甘やかで。
ほれと差し向けられたの、受け取った久蔵、
上辺を合わせて軽くよじっただけの封を解くと、
中を覗いて……、

 「???」

その身が微妙に固まった。
甘い甘い匂いは間違いなく、食す甘味のそれだと思うのだけれども。

 「どうした? 虹雅渓にもあったはずだぞ?」

女性や子供のおやつではあったれど、
あまり腹もちしそうには見えないハイカラさゆえ。
だからこそ、例えば綾麻呂や右京などはよく食していただろにと、
そんな言いようをする勘兵衛が、真上に開いた紙袋の口へ手を入れ、
小さな1つをひょいと指先に摘まんで見せる。
純白の泡のような、目の詰んだ綿のような不思議な固まり。
ほれほれと口元へまで運ばれたそれ、
視線は勘兵衛へと据えたまま、それでも口許薄く開くと、
素直にパクリと食うてみて。

 「……………、…っ。」

強いて言うなら、椅子の中へと詰める緩衝材みたいな感触だったのが、
口の熱に触れるととろけ、しゅわしゅわと雪のようにほどけてゆくのが不思議。
しかもあれっぽちの大きさだったのに、何とも甘くて…面白い。

 「ましゅまろと いうそうだ。」
 「…ましまろ。」

口の中にまだあるから不安定な発音だったか、
そんな舌足らずな繰り返しようをする久蔵であり。
ということは これもまた、
いつぞやのチョコレート同様、知らなかった彼ならしくて。

 “確か七郎次も、
  熱いココアに入れて飲んだとか食べたとか言ってはなかったか。”

卵白とゼラチンと砂糖で作る菓子。
大半が白なのですが、中に桃色のや水色のが紛れていて、
それが子供らの間で取り合いになったものですと笑っていた。
冷麦の色つき緬のようなものだのと、
やや頓珍漢な言いようを返したのまで覚えていたそれを、
だが、そんな古女房と同じ北領出身らしき久蔵は知らぬらしくて。

 「………v」

口の中を甘い風味で満たすそれ、
しばらくすると、しゅわしゅわと溶けてしまってのなくなったらしく。
袋はまだ自分で持ってもいるというのに、
勘兵衛のほうを見、
む〜んと目許を眇める様子が何とも…

 “…ねだり上手になりおって。”

それへも自覚がないものか、
ならば頼むから他所ではするなと思いつつ、
次の蜜綿、摘まんだ勘兵衛だったのだけれど。

 「……。///////////」

目許をたわめ、そりゃあ優しい眼差しになり、
ほれと与えてくれるのは、何も甘味だけじゃあない。
唇へ触れることもある指先とは別、
口許や頬へと触れそうなほどに近づいてくる、
勘兵衛の大きな手の温みもまた、
甘さを増させる大事な要素。
閨房や暗がりでの二人きり、
もっと深く触れ合うことだってあるというのに、
こんな他愛ない今更な温みが、切なくも甘い。
他の誰の方も向いてない、
ただただ自分だけを見ている事実が、
甘味以上に酔わせてくれるのだ…と。
そっちへの把握や自覚も あるやら無いやら。
春も間近の甘い陽に、
蹴散らした衣紋の真っ赤な裳裾を暖めさせて。
金の毛並みのお猫様、甘い時間を堪能中……。





  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.03.25.


  *餌付けシリーズ Part.2ってか?(笑)
   勘兵衛様は甘味を使う、
   現代パラレルのおっ母様といい勝負の……
   甘やかし専門の猛獣使いってトコでしょか。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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