桜花夢幻 
 (お侍 習作139)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


日を追うごとにどんどんと、
昼間ひなかの暖かさが増してゆく。
真夏のそれの比ではないながら、
それでも冬場に比べりゃずんと青みが増した、
紫がかった空にいや映えて。
この国では大概のどこででも見られる“春の使者”が、
それは鮮やかに ほころんで咲き笑う。
白に間近い淡い淡い緋色が、
梢の先にて重なりおうて。
花々がその厚みの嵩を増すほどに、
人の視線を余すことなく吸い寄せて。
底の見えない、奥行き遠い、
不思議な空間へと迷い込む。

練絹のような、絖絹のような可憐な花々。
実るほどたわわに咲けば、
絶対の華やかさ、富貴な印象までするものが、
月光に濡れての妖冶な佇まいでも、
人々を夢幻へ誘い込み、魅了させもする存在なものが。
頃合い過ぎての、時 迎えると、
引き留めようもないまま、一斉に散ってゆく凄絶さもまた、
人々を魅了して離さない。
ささやかな風にもはらはらこぼれ、
とめどなく舞い散る吹雪のようなその様は。
潔さだの世の無情だのより、
胸を心を振り絞られるよな、そりゃあ切ない寂寥感で。
立ち去り難くなるほどに、
人の心を縫いとめる……。




       ◇◇◇



旅先での数日がかりの逗留ともなると、
それが仕事のためであれ 骨休めであれ、
土地の勝手を知りたいものか、
人並み外れた身の軽さにて、
外延ぐるりを翔って来るの、習慣にしている若いので。
鄙びた土地なら木立ちや森を、
荒野の間近い山麓なら自然の要衝である断崖を。
山鳥や野鹿ででもあるかの如く、
その高みへまで軽々と駆け上がってしまえる奇跡の存在。

 “…こんなところに。”

激情に声を荒げたりすることもなく、憤懣に眉を顰めることもなく。
感情を持たないのではと感じるほどに、
多少のことじゃあ動じない彼ではあるが。
どれほど冷然として見えたとて、
まだまだ若いそのせいか、それとも封を解かれた本性が実は躍動的であったのか。
獲物相手ならいつまでだって待っていられる、忍耐強い身であるはずが。
穏やかな日であればあるほど身を持て余すという性分でもないらしいのに、
時折 思い出したように、
自前の脚での遠駈けにと、何も言い置かず出かけることがある久蔵で。
案じさせたくないからか、
こちらも出掛けている間とか、いっそ寝ている間とか。
そんな間合いを選んではいるらしく。

  とはいえ

こちらだとて、まだまだ気鋭は鈍らぬもののふ。
同じ衾から離れた気配にはさすがに気づいたし、
そのままこちらの気配を伺い、
お顔を寄せて来、くんくんと何をか嗅いで見せたの、
必死で吹き出さぬようにしつつ耐えもして。
それから…どれほど経ったろか。
昨夜遅くに辿り着いたるこの里は、
さして鄙びてもいない宿場であったので。
あれほど身の軽い彼なら、一回りするにもさして刻限はかからぬはずが。
静かなばかりでなかなか戻って来る気配がしない。
まさかとは思うが何かあったというのだろうか。
若木のような痩躯やら、
ものの精霊ででもあるかのような、
とりとめない佇まいであるにもかかわらず、
あれほど頼りになる侍も滅多にないが、
いや待て、血なまぐさい厄介ごとで無ければないほど、
対処に困るらしい久蔵だったのと思い出した勘兵衛。
黎明もとうに明けての冴え冴えとした空気の中、
迎えがてらに表へ出てみれば。

 「………。」

彼らが通されていた離れの裏手。
土地の境の目印か、結構な枝振りの桜の古木が立っており。
その、豪奢な咲きようをほどよく眺められる距離残し、
いつもの赤衣に双刀背負ったしなやかな背中が、
すらりと立っているのが視野へと収まる。
微かに夜陰の名残りの冷たさを残した空気の中、
生け垣の錦木の赤い若葉が萌え始めているのも、
沈丁花の甘い香がほのかにするのも、
いかにも春の訪のいを感じさせ。
そんな中に立ち尽くす久蔵の後ろ姿は、
何とも物騒な双刀を共にしているというのに、

 「……久蔵?」

どうしてだろか、勘兵衛には妙に悄然として見えた。
彼の視線の先にあるのは、
どうしたってまずはそれを眺めよう、
威風堂々とした存在感に満ち満ちた古桜。
これまであんまり、草花だの風景だのへ、
これといった感慨抱いたことは無かったと言っており。
それが…あの騒動で勘兵衛らと出会ったその折に、
熾烈を極めた戦さとはまた別の何かしら、
感じ入ったり拾ったりもしたらしく。
小鳥や仔猫を手のひらに懐かせては和んだ眸をしたり、
微妙な感情、少しずつ見せるようにもなっており。
こちらが何にか気を取られ、その視線を向けておれば、
それを同じように辿ってみせたり名を聞かれたりもしていたもので。

 「久蔵。」

かけた声への応じがないので、おやと思って歩みを進め、
すぐの傍らまで寄れば。

 「……。」

能面のように、整ったそのお顔は、
やはり桜へと向けられている。
意志のこもった真っ直ぐな眼差しに、
きりりと引き締まった口許といい、惚けているようには到底見えぬし、
事実、よそごとに気を取られている彼ではなさそうだと、
勘兵衛には見通せる。
今が盛りか、青い空にいや映える、
緋色の花毬、どの枝にもみっちりと実らせて。
重たげに垂れた枝先へまで、
したたり落ちそうなほどの花を満たしたその威容へ。
だが、ただ見とれている久蔵でもないようで。

 「……。」

確かに魂ごと吸い寄せられてもしょうがない相手。
何にかこうまで気を取られるの、この青年には悪いことじゃあないだろと、
理屈じゃあ判るが…

   少々妬ける。

滅多によそ見をしない、隙のない彼の、
端正な横顔を望めることが出来たのは、思わぬ眼福なれど。
花王のあまりの威容や美しさへ呑まれ、
言葉もないまま、忘我という様子にまでなられると、
大人げないが気が揉めて。
日頃から“独占欲も熱情もとうに枯れて久しいです”と、
淡白を装い、納まり返っての飄々としているような壮年殿が。
ついつい桜よりも気になってしまい、
彼のほうをばかり、案じるように見やっておれば、

 「…あれにはかなわぬ。」

こちらの気配に気づいてのこと、
そんな呟き、ぼそりと落とし。
あれ?と、目許和ませ問う勘兵衛へ、
やっとのことで、ちろりという目線をくれてから、

 「シチが…。」

やはりぽそりと続けた言いようによれば、

 『口を利く花
(こ)にゃ負けないが、桜にだけは敵(かな)やせん』

そんな文句の、独々逸だか小唄だか、教えてもらったことがあり。
花街や遊里に限らずの、綺麗な娘を“花”だと喩えて。
姿のみならずの愛想もいい、
生きてる、口利く“花”相手なら、こっちも負けぬと思いもするが、
口を利くはずもなく、媚もしないものだのに、
それでも桜にだけは敵いませんと、そんな不思議な言い回し。

 『???』

口も利かない、愛想も振らない、
甘えてのこと擦り寄りもしないただの花。
それが名代の花魁でも“敵わない”と言ったというのが、
何でどうしてと、納得出来ずにいたらしかったのだが、

 「昨夜、ここへ着いたおり…。」
 「……うむ。」

ああと、やっとのことで話が通じ、勘兵衛へも合点がいった。
随分と遅い時分の到着となった彼ら、
出迎えた女将は、手配した顔見知りの役人からの指示通り、
彼らを離れまで案内したのだが。
その途中にあったこの桜へと、
おおと見ほれて立ち止まりまでした勘兵衛であったから。
篝火だの有明だのという明かりもない夜陰の中、
月光だけに照らされて、
自ら光ってでもいるかのように浮かび上がっていたこの桜へ。
ほぉと声を洩らしてまで気を留め、しばし見とれた。
心奪われたよに、だが、嬉しそうに口許ほころばせていた彼だったの、
遠駈けから戻ってすぐにも眸に入った艶姿から、
するすると思い出してしまった久蔵だったらしく。

 「…七郎次は、桜を見て“お主のようだ”と言うておったがな。」

苦笑混じりにそうと言い、
だがだが、胸の裡
(うち)では別な苦笑が浮かんで止まぬ。
その視線、その意識を、自分以外の存在へすっかり奪われている様が、
何とはなく癪に障っていたはずが。
何のことはない、昨夜の勘兵衛がそうであったの、
今になって思い出し。
強敵相手に、それでもどうしてくれようかと眺めやってた彼だったとは。
南軍
(ミナミ)の死神、紅胡蝶とまで呼ばれた剣豪が、
何とも可愛らしい 嫉妬・悋気に、気を揉んでいたなんて。
どう見たって惚れられる側の、
どこにも隙のない美貌の佳人だのにと見とれておれば、

 「…島田?」

その双眸が…どこか物問いたげな色合いにて こちらを向いたのへ。
ああいや、何でもないないと、
ごつり大ぶりな手を上げ、顎髭こすって苦笑を誤魔化して。
ああまだ自分なんぞの洞察は、足りてないものだのと、
菫色に染まりつつある空見やり、
誰へともなく白旗挙げた、勘兵衛様だったらしいです。





  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.04.09.


  *桜の美しさや存在感は、バラやボタンの豪華さや富貴さとは別格ですね、もう。
   川べりや公園に植えられた並木や木立も壮観だし、
   樹齢何百年ていう一本桜の威風堂々とした佇まいも、
   言葉を忘れて見ほれちゃいますし。
   もうもう“桜が好き”って連動反応は、
   鰹節とか昆布だしを 味わい深くて美味いと感じるのと同じで、
   日本人のDNAに組み込まれてんじゃあないかと思うほどです。

   そして……相変わらず、
   どんなに綺麗な桜でも、そこからおっ母様のことを思い出しても、
   根っこにあるのは勘兵衛様のことならしい久蔵さんで。
   これって一応は成長……なのかなぁ?

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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