晩秋更夜
  (お侍 習作141)

        *囲炉裏端シリーズ
 

 不意に風籟の唸りが遠くに聞こえ、それからそれを追うように古い農家のあちこちがゆるゆると軋み始める。作りはしっかりしているので、まさかにそのくらいで崩れ落ちることもないだろし、そこまでの揺れでもなく。ただ、表への木戸ががたがたと鳴ったのと、それと前後して板の間の上を薄くながらも冷たい隙間風がわたったのに気がついて。囲炉裏の火の番をしていたシチロージは、思わずの事小さな吐息をついていた。連日いいお日和が続いていたので、村のあちこちにて繰り広げられている様々な作業も捗っていたけれど。そういえばもう秋も終わり。そろそろ風も素っ気なさを増す頃合いだし、空の案配も さほど待つことなく冬を迎える色へと移りゆくに違いない。今年は夏が例年になく暑かったそうなので、これでも遅い訪のいなんだろうと思われて。野伏せりとの合戦、早く鳧がつかねば、せっかくたわわに実った稲穂も刈られぬままでは気の毒だ。

 “例年になく、か。”

 ここへ来る寸前までシチロージがいた虹雅渓は、広野のただ中に開けた町だったので、実はあんまり気候の変化というものを感じられはしない土地でもあった。季節の巡りはあったものの、とんでもなく暑くなるとか寒くなるとかしないと、実感を伴うほどの差異は感じられず。最低限の装備さえあれば町角でも何とかしのげる、間に合うような。そんなところも人工的な、砦に囲われた中の塒のようなところであり。ただ、商いのために町を通過し行き来するお客人らが落とす話題の中に、そういった気候の話は事欠かなかったので。作物の収穫は、彼らの生業である商売に、しいては彼らが動かす経済につながることなのだから当然で。そして、そんな客らの話について行くのに必要だったのでと、知識常識の補填という格好で、きっちり聞いておく習慣がついてもいて。だが、
“例年といったって。”
 シチロージにとっては、5年前からこっちの情報しか蓄えはない。本格的な商談でもあるまい、せいぜい単なる座敷での四方山話の取っ掛かりに、そうまで古い話は要らなかったのと。それより以前のこととなると、
“………。”
 生命維持装置に押し込まれる直前の、戦さのただ中にあった頃の持ち物しかないからで。そんな昔の、しかも遥か上空に位置した世界の話なんて、地上の遊里においてはとんと役に立たぬものばかり。無理から忘れようとしたつもりはなかったけれど、気がつけば…思い出さねば出て来ぬところへ、どんどんと追いやられつつあったようで。

 「………。」

 そうであったと思い出せるということは、今ようやっと落ち着いたということなのだろか。今からほんの半月も経たぬ夏までの5年ほどをそこで過ごしていた賑やかな街が、もう既に過去の遠いものになりかけている自分に気づく。確かに遠く離れているし、此処とは掛け離れた環境ではあるが、だからと言って“過去”という扱いもあるまいに。人に恵まれて色々と世話になったし、浮世というのがまんま当てはまる独特な里の空気も、何にか封をしたかった身には悪くはなかった。5年も居て親しみだってあった場所。だのに、早々と現実味が薄れているのは、恐らく、今が途轍もない充実に満ちているからだろう。

 “あすこに居たときは…。”

 時々、自分は今起きているのか、それとも何か夢でも見ているのかと思うような、浮遊感を覚えることもなくはなく。これが当処
(あてど)ないということかと、白い頬をゆがめ、皮肉っぽくも苦笑ったことも多々あった。客へのもてなし、宴という舞台、作り事の中で何かを演じ続けることで、別な何かを忘れていたかった自分。シンと静まり返った夜陰の中では いつも、答えの出ない不安に押し潰されそうになったから。やはりもうあのお人とは二度とまみえることは叶わぬのだろうか、よもや既に亡くなられているのではなかろうかと。不安になってはそのたびに、考えてはいけない、思う端からそれが“眞(まこと)”に成りかねないと、かぶりを振って振り払った晩が幾夜あったことだろか。

  それが 今は

 ほんの半月前まであの蛍屋にいたのが、そりゃあ幻想的な空言のようにさえ思えるほどに。まるきり異なる環境に身を置いている自分だ。喩えじゃあなくの夢にまで見た、あまりに焦がれ過ぎてお顔を忘れそうになっていたほどの御主、カンベエ様とも念願の再会を果たせたし、そんな彼が渦中にあった騒動にも、自分から加担をしてのこの現状。かつての軍隊ほどじゃあないにせよ、機銃や鋼の装甲などなど本格的な装備で固めていよう野伏せり相手に、ほんの一桁、しかもこたび唐突に寄せ集められた侍たちと、後は非力な農民という陣営で相対すという、何とも破天荒な仕儀を。だが、カンベエ様は“何とかしよう”と引き受けたのだとか。勿論のこと、彼を見込んだという水分りの巫女の要請、当初は頑なに断り続けたらしく。無駄に騒ぎを大きくし、挙句に全滅の憂き目を招くだけだという一般的な見解と、

 『死ぬの生きるの、若い娘が軽々しくも口にすることではないからの。』

 彼らなりの苦衷が生んだ覚悟であれ、相手を討つということの具体的な意味合い、まだ判ってはいなかろう。何も進んでその手や心持ちを血で汚さずともと、そう思われての諦めさせようと思うたのではなかろうかと。これはゴロベエ殿が語って下さったのだけれども。深いところでお優しい、あの人らしいことだと納得もいって。そして、

 “カンベエ様は…。”

 その風体こそ…軍服も脱いでしまわれての、すっかりと様変わりを見せておられたものの、本質は全く変わっておられない。そうであられたことが嬉しくもあったが、こうして気持ちが落ち着くと、考えさせられなくもない。自分は5年ほど眠っていたとはいえ、それでも彼の人との差異はあまりに大きい。十年もの間、しかも浪人となって何へも誰へも仕えることもなく。なのに ああまで侍の矜持を保ち続けられるものだろうか。戦時中は、組織人であったればこそ、叩かれつつも様々に責を負い、それへの忍を強いられて。そうして強かな粘り強さを育めもしたけれど。いざその組織から解き放たれてしまっては、寄る辺・導べを失っての世を儚み、どうかすると自暴自棄になるものだろに。世にあふれた浪人たちの荒廃してゆく姿を遊里から眺めるにつけ、そんな侍たちの衰退というもの、シチロージもしみじみと実感してもいた。

  ―― だのに、あのお人は

 たったお一人のまま、それでも変わらず、頑健な気骨を保ち続けておいでに見える。凛としてというのともまた違う、むしろ錯綜した強かさ、世に言う“老獪さ”をまとっているようにも見せておいでだが。それは、綺麗ごとを語るだけでは武士ではあれても侍ではないからであり。人へさぶろう侍は、温もりたたえる命を前に 怯まず斬りつけねばならぬ。刀を振るえぬ誰ぞに代わり、道具として立ち働かねばならぬからで、

 “そこんところが果たして、キララ殿やカツシロウには判っているのだろうか。”

 恐らくはあの戦さも他人事だったろう、まだまだ若い彼らは、時々 理想や理屈だけで物を言ってるところが見受けられ。一途が悪いとは言わないが、現実の痛さや汚さに遇い、ひどく傷つきはしないかと、今から案じられてしまうというところ。野伏せりの蛮行を、理不尽だと思いつつも…逆らっては殺されると、しょうがないことだと農民らが甘んじていたように。世の中には正義正道から外れたことがされどまかり通ってもいる。それとは微妙に外れるが、例えば敵へと土下座し、いっときの屈辱に耐えるのも、時と場合によっては立派な勇気だし、笑い者になってもそれで大切な人を匿えるのならそれが一番の正解だったりもするのだと。芝居や何やでは知っていたって、実際に選べはしなかろう。大人は汚いとかどうとか、ジレンマに歯咬みするだけで収まりゃいいが、合戦という物騒な嵐へ刃片手に飛び込もうというのが現状。先々でひねこびるその元凶を拾うかも知れず、

 “…まあ、そこまでを案じてやるのは過保護が過ぎようが。”

 若いと言えば…ということでもなかったが。カツシロウの対局にある人物がふと、シチロージの胸中へと浮かんだ。この詰め所の番を古女房に任せ、周縁部への哨戒に出て行ったカンベエへ、冗談半分、かけた言葉を思い出す。こうまで冷える晩だ、外で眠るのは体によくないから、見かけたら首に縄かけてでも連れ帰って下さいませんかと。そんな言いようで持ち出した、双刀あやつる紅衣の剣豪。

 “キュウゾウ殿…。”

 彼は…一体どんな経歴を経て来たのだろうか。いくら何でもカツシロウよりはずんと年上らしいが、それでも、終戦当時に珍しいほど若手だったクチのこの自分よりも若く見え、それがああまでの練達なのは、どこかで平仄が合わないような。戦後の世界を渡り歩いてああまでの腕になれるものだろか。虹雅渓の差配の用心棒だったのが寝返った彼で、そのような職につけたということは、やはり元は軍属の出なのだろうか? 寡黙で協調性に欠け、当初はキララが同行を拒んだほどに掴みどころのない人物にも思えたが、共に過ごすうち見えて来たのは、腹蔵ある訳でなし、ただ単に極端なほどに“侍”であるだけだということで。

 “…カンベエ様と似ておいでだ。”

 南方の海育ちだと言っていたのを納得させる、褐色の肌に深色の髪と、それらが映える彫の深い面差しに骨太な骨格の強靭な肢体をし。相対す者へは冷徹に厳しいが、懐ろに庇った者へは毅然としていつつも際限無く頼もしく。豊かなお人柄を語らずとも匂わせての、黙ってたって人が寄り集まってしまう誰か様と比べれば。いかにも北領出身を匂わせる淡い髪色肌色をし、若木のようなしなやかな肢体に、凍るような無表情が凄みをともなって冴え映える、玲瓏透徹な顔容
(かんばせ)…と。姿も年頃も体格も違えば、人を寄せつけぬ冷然とした空気をまとっているところも正反対の彼だというに。それでもどうしてだか、シチロージには、あの二人にはどこか同じ匂いが感じられてならぬ。実際に刀を振るったところも見たから言えること。今のこの時代に、ああまでただならぬ存在のもののふであり、しかもそれへの自負があるなんて。希有なこと甚だしいし、だからこそカンベエへも、他の者のように慕ってではなくの執着を持ったに違いなく。

 “アタシとは違う、か。”

 囲炉裏の灰の中、赤く灯った燠火を青玻璃の双眸がぼんやりと見やる。表情を酌みにくい真っ赤な瞳が思い出される。先約が片付くまで待てと言われて、大人しく待っているのは、されど 決して従順さからじゃあない。従う者の目を持たぬ、孤高の獣。人との縁というものを、どれほど貴重か知っていて、だが自分には結ばないでいるカンベエとは そこも逆で、誰のためでもなくの“我”を強烈に放っておいでだが。一つことにだけ実は熱い人物なのかもしれぬと見るならば、そこもまた…もしかしたらば似た者同士な彼らなのかも知れず。そして、そんなキュウゾウという存在を間近に見るにつけ、残念ながら今の自分は…いやさ昔の自分もまた、ああはいかなかったのだと思い知らされる。何せ まずはカンベエの人と成りに魅せられ、目が眩んだのが先だったから。その結果、あくまでもカンベエの役に立てればと、それだけを糧に戦場を駆けていた。人斬りの罪科を彼のせいにしたいんじゃない。むしろ…滸がましいことながら、それさえも自分が肩代わりしたいと思ってた。自分が腐されるのは我慢出来たがカンベエを誹謗されると腹が煮えたし、どんな大将閣下に讃えられてもピンとは来なかったが、カンベエから褒められたなら、それがどんな些細なことでも舞い上がるほど嬉しかった。

 “…まあ、あんまり褒められた覚えもなかったが。”

 というか。無謀をした結果で得た褒賞を、カンベエ自身からはしっかりどやされた例が多すぎる。飛行中の斬艦刀から、畏れ多くも司令官殿を…不意を突いての無理矢理振り落とし、真下に居合わせた味方の空母に着地させ。自身は敵の遊撃陣営を空域から釣り出す役を見事に務めおおせてみせて。その後、撃墜された敵地から、傷だらけの身を引き摺っての3日かかって前線基地まで帰還した副官へ。

 『このたわけがっ!』

 療養棟中の窓ガラスが全部震えたほどの一喝放って、まずはと叱ったカンベエだったことなぞ、苦笑混じりに思い出す。そんな自分であったから、蛍屋にいること、知っていながら逢いに来てくれなんだカンベエであり。こたびの騒動が持ち上がって、侍を必要としつつも“ついて来い”とは仰せにならなんだ御主だったのではあるまいか。だとすれば、やはりあてにはされなんだか、それとも…。

  がたり、と

 表からの木戸が鳴った。よそごとへ気を取られかけていたのは事実だが、人の気配を拾えなんだは、シチロージが腑抜けていたからではなくて。

 「…あ。」

 ハッとした槍使い殿が腰を上げたのとほぼ同時。立て付けの悪い木戸が、それでも比較的すんなりと横へすべり、表にいた人影が躊躇なく入ってくる。夜半の隙を衝いての奇襲を仕掛けて来た、野伏せりの斥候…なぞではなくて。

 「キュウゾウ殿。」

 噂をすれば影が差すとはこのことか。自分と同じで金の髪に白面の青年。肩から腰まではその痩躯へ張りつくような、腰から下は防御装備としてだろか、くるぶしまでを覆う長さの外套の、沈んだような紅色が、ほのかな明かりに浮かび上がる。気配がなかったのは故意にじゃあなく、彼の常の立ち居振るまいがそうだったまで。風に揺れる稲穂の声の方こそ、生気あるざわめきや どよもしに聞こえるほど。この青年はその有り様に隙がない。殺気をまとえば その存在感は研ぎ澄まされた刃のごとくにもなろうというに、日頃の態には無駄な雑音が一切なくて。他者を高みから見下すのでなし、だが…何へも関心を持たずにいると、そうまで透徹な身になれるものだろか。最も年若なカツシロウあたりは、そんな彼の有り様に“もののふの神髄を感じた”とか言って、随分と心酔しているようだったけれど。

 “突き詰めた末の完成形とは、思い難いのですがねぇ。”

 確かにこの青年、無駄なく研ぎ澄まされたような、非の打ちどころのない剣豪殿ではあるけれど。シチロージに言わせれば、色々やってみて練って練って突き詰めたのじゃあなく、邪魔なものを片っ端から削いでったという感がある。人への迎合性や協調性、平たく言うところの“愛想”が恐ろしく足らぬところは、個性かも知れぬので まま置くとしても。子供の手遊びも知らなけりゃ、金平糖も椿油も知らなかったほどに物を知らない。そしてそして、

 「どうしました?」

 小首を傾げもって囲炉裏端から立ち上がったシチロージが、そんな風に問いかければ。土間を進んで来た彼は、

 「…。」

 何も言わないながら、それでも ややたわめたような眸をして見せるので。おやおやこれはと、上がり框の縁へ膝をつくことでシチロージが高さを合わせてやれば、そこへ素直に寄って来て。少ぉし開いて延べられた相手の両の手のひらに、何の警戒もなくお顔を預ける稚
(いとけな)さよ。左の手は見るからに作り物だのに、それでも同じと大人しく触れられるままになってくれる彼であり。

 「おお、こんなに冷えきって。」

 頬骨も立たぬままのすべらかな頬は、まるで十代の少年のそれのよう。そんな頬が、されど今宵は強ばってるように思えるほど冷えており、
「今宵は秋とは思えぬ冷え込みようですものね。」
 カンベエ様も、十分に暖を取るようにと言い置くためにと、わざわざご自身が立ってゆき、あちこちの火の番を回っておいで。おでことおでこをくっつけ合って、覗き込んだは次男坊の真っ赤な双眸。心なしか ちょっぴり焦点が甘いのも、寒さが過ぎてのことかも知れぬ。そのまんま、外は相当に冷えるのでしょうねと囁きつつ、さあさと手を引くシチロージであり。早く囲炉裏にあたって、そうそうショウガ湯も作りましょうねと、暖まってゆきなさいというの、しきりと勧めれば、
「……。(頷)」
 おや。無口なのは変わらぬが、今宵は珍しくも逆らわぬ。他の人々とはちょっとだけの差ながらも、より至近にまで立ち入らせるほど懐いているシチロージが相手でも、この詰め所への長居をさせるのはなかなかに難しく。それが今宵は、何度も言い諭さずとも、素直にそのまま上がってくる彼であり。ああそうかそれほど寒いのだと、ますますいたわるような眼差しを向ければ、

 「……え?」

 間近に寄ると、目線を合わせるにはちょっぴり顎を引くことになるほどの差だろうか、ほんの少し背丈の違うこと、あらためて思い出させるほどに、次男坊がぐんと近づいて来。シチロージのまとう藤色の羽織の胸元へ、その身を擦り寄せてまで来るものだから。
「……おや。」
 こちらからの構いつけでは今更な距離なれど、そういや彼の側からこうもくっついて来たのは、これが初めてじゃあなかろうか。それをおっ母様へと思い出させたのは、

 「…。///////」

 自分の手をどこへ添えればいいものか、ちょっとまごついているのが見下ろせたからで。切り払うとか突き放すとか、逆を行くなら強引に引き寄せるとか。そんな大雑把な接し方しか知らないことが、こんなところにも現れたのが、何だか微笑ましいなと思えてしまったシチロージ。

 「ほら、ここですよ。」

 少ぉし脇を空けてやり、背中へどうぞと彼の手を導いて。自分はその上から、薄い肩ごとやはり背中を抱いてやる。ぱふりと深々、相手の胸元へ自分の頬が埋まるほど。そんな抱きつきようは、そう、大人になってしまうと恋仲になった相手とでもじゃあないと しないもの。そうまでの大胆な甘えようを示した彼だったのは、

 「そうですか、そんなにも寒かったのですね?」
 「…。(頷)」

 綿毛を乗っけた頭が こくりと頷いたのが、視覚でも肌合いでもよく判り、確かに…掻い込んで撫でた頭や肩先もたいそう冷えている。とはいえ、この詰め所も、壁で囲われているというくらいで、そうそうほかほかと暖かい訳ではなく。囲炉裏端という火の気の間近に座っていても、背中や足元がぞくぞくと冷えたほどに、今宵の冷えようは半端じゃあないようで。

 「………そうですね、それじゃあ。」

 寒そうだったからというよりも、この彼が無防備にしがみついて来たなんていう奇跡、もうちょっとほど堪能していたかっただけだったのかも。注意を促すよう、少しほど腕の環を縮めてキュッと絞めつけ。何ぁにと見上げて来たところへ、目元をたわめ、ほころばせて見せると。

 「衾の中にもぐりませんか?」

 こうしていても触れてるところしか温もりゃしません。夜具の中にもぐり込めば、全身がくるまれてそのまま暖められるから、もっとちゃんと温まれますよと。取って置きの内緒話のように囁けば、

 「〜〜〜。////////」

 それほど煌々とした明かりの中でもなかったのに。それでもそれと判るほど、耳の先を赤く染め、その痩躯を微妙に強ばらせたキュウゾウであり。何とも初心なこの反応に、あらまあと胸底をくすぐられつつも、

 「おイヤですか?」
 「〜、〜、〜。///////(否、否、否)」

 引くに引けなくてか、それとも…シチロージを気遣ってのことか。子供のようにムキになってのかぶりを振る様がまた、愛おしくってたまらない。ではと、それほど頑丈でもない引き戸で仕切られた、仮眠用の隣りの間へと促して。


  お召しはそのままでいいのですか?
  そうですね、替えと言っても薄い袷があるくらい、
  そのままの方がマシですかね。
  え? アタシも一緒なら?
  ああそうでしたね、髪をほどかないね。


 他には誰もいないのに、不思議なもので暗がりだと声が低くなる。こしょこしょと囁き合っての互いの寝場所や姿勢を落ち着かせ。これ以上はないくらいに間近になった相手の、衣紋越しとはいえ…それでもしっかと伝わる肉づきやら温みやらを、おや案外と肩は柔らかいのだな、でも腕は堅いぞ、おサスガですねと。確かめているやら擽っているやら、掻い込むついでにさわさわと、あちこち さすって褒めながら。シチロージが胸中でぽつりと呟いたのが、

 “…かわいらしい差し金をなさること。”

 いやに素直に床についたキュウゾウだったのは、もしかしたらば…出先で鉢合わせたカンベエから、この寒さではシチロージが凍えておるやも知れぬと、仄めかされでもしたからかも。そうでもなけりゃあ、この自分がどんなに勧めても、火の気の傍で夜を過ごすなんてこと、しようとしなかったお人なのだもの。だからと言って、示し合わせをしたとも思えない。まだまだ打ち解け切らずに、微妙な緊張感という距離を置いてたお二人だから。ならばと…押すばかりが手じゃあない、引いて見せて追わせるという手もある、目標としているのは他者なのだと思わせ、真の標的の油断を誘って接近するという手もある。その標的さんに協力させて“シチロージのためよ”と持ってゆき、まんまと彼へも暖を取らせてしまおうとは、

 “相変わらずですよね。”

 ああ、こんな悪戯のような駆け引きも懐かしいなと。何の前振りもないまま御主の意を酌めたことと、それからそれから。誰にも懐かぬ聖なる猛獣を、自分にだけは馴らせる優越感とに、ついつい頬が緩みそうになりつつも、

 「?」
 「ああいえ、何でもありませんよ。」

 この分では明日の明け方も冷えることでしょうねと。薄い衾の中、懐ろの中へと掻い込んだ痩躯をより一層深々と抱え込み、寝んね寝んねとあやすふり。誰かと共に聞くと、風の唸りもますます遠くに聞こえるから不思議ですねと。そんな他愛ないこと語っておれば、互いの温みに誘われて、すぐにも心地いい眠りが訪のうて。稲穂の立てるさざ波の音を枕に、窮屈だけれどそれはそれは暖かな、夢の中へと沈み込んでった二人だったりするのである。





   ◇◇◇



 あのときはてっきり、勘兵衛が久蔵をこそ暖かく眠らせたくての策を発したのだと思っていたが。今にして思えば…勘兵衛が仕掛けたは“相手のためよ”と双方へ思わせるようにもっていった末のこと。久蔵には、

 『この寒さの中で寝ずの番なぞしておれば、間違いなくの風邪も引こうに。
  あやつのことだ、意地を張って布団にもぐらずいるに違いない』

 そんな風に吹き込んで。七郎次の側なぞ、何も示唆されぬままにのせられての、まんまと丸め込まれた結果だったのかも知れぬ。勘兵衛をよくよく知っているがため、何の合図もない仕儀を放っても後を任せられるという七郎次と。勘兵衛に限った話じゃあなくの、こんなややこしい仕儀で人を動かせるなんてこと、何にも知らなかった久蔵と。どっちをどうつつけばいいかなんて、あの希代の軍師にかかりゃあ容易かったに違いない。

 “まったく大した策士ですよね、あなた様は。”

 矢来垣に添って葉の茂る紫陽花が、まだ幼い蕾を見せ始めている皐月の半ば。遠い晩秋の出来事を思い出したのは、初夏のようだった暑いほどの陽気が続いていたのが一転、霜が降りそうなほどに冷え込んだ宵になったから。今更訊いても、そして たとえ覚えていたとても。そんな昔の話なぞ忘れたと、誤魔化しておしまいになるのかな? 苦笑交じりに傍らの濡れ縁の先、庭に広がる宵闇を透かし見る。その先の離れには、そのお二人も丁度来合わせておいでだったからで。あの頃は幻のような過去になりかけてた蛍屋に、今は現し身据えている七郎次であり。長らくの旅から戻って来られた、いまだもののふのまんまなお二人を、とりあえずはお休みになってとお通ししたばかり。まだまだ宵の口だとはいえ、今 割り込めば文字通りの“お邪魔”になりかねないかもと、そのくらいの機転は回せる、元・古女房。今は引くけどその代わり、明日の朝餉の折にでも。同じような策を巡らせ、まだまだ幼い連れ合い、手玉にとっておいででないか。訊いてやるのはどうだろかなんて、悪戯っぽく苦笑って見せる。何にせよ平和で夜風も甘い、春と夏の端境の宵のことである。




  〜Fine〜  09.05.16.


  *797を書くつもりが、微妙に勘七ぽいですね、困ったもんです。
   作品中についつい書いた戦中の逸話は、
   どっかで書きたかったけれど前後を考えるのが面倒で
(こら)
   長いこと放ってあった大戦噺のエピソードです。
   こういう無茶ばっかやらかしちゃあ、
   勘兵衛様から叱られる…の繰り返しだった若シチは、
   終しまいには、
   『こんな無茶ばかりする奴では安心して向背なぞ任せられぬ』
   なんて言われちゃってハッとすればいい。
   役に立ちたいお人から、案じられてちゃあ本末転倒ですものねぇ。

  *とゆわけで、次はカンキュウものになります。しばしお待ちをvv

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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