翠の禁苑
(お侍 習作143)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

神の降りて来る“御座”としての御神木信仰は、
昔からの各地で見られるものではあるが。
草木の恵み豊かな土地ほど、
自然の生命力や森の精気の神秘を畏れるものか。
殊に樹齢の長い大樹は、
桜や梅、松などというお目出度いとされる木に限らず、
楓や銀杏、杉にナラにケヤキなどなどと、
種類を選ばず崇められるようであり。
しめ繩や幣を提げられて目印とし、
ものによっては触れることさえ恐れられたり、
供え物を欠かさなかったりとの大仰に、
護り神として大切にされているところも少なくはない。

 “…よう寝て。”

旅の途中で二人が訪のうたこの地にも、
里の一部がそのまま連なる、小山のような丘へ向け、
結構な森だか林だかが繁茂しており。
その入り口に間近い辺りに、
なかなかの樹齢を思わせる大きな樹が見受けられ。
そこへ接する里は静かな農村だし、
その林には鎮守の社もあるのだろう、
年寄りが花を手に入ってゆきもするようだから。
その樹はきっと、里の始まりより年経た“御神木”か何かであろうに。
畏れ多くもその根元に凭れかかるようにして座っている人物があり。
しかもしかも、

 「…っ。」

不意なこととて、
ちきぃ・きいきい…という空気を引っ掻くような鳥の声が響いても、
頬に淡い陰落とす 繊細な睫毛を震わせもせずの、
目許を伏せたまま、身動きをしないところを見ると。
陽あたりのいい芝草の、ふわふかな座り心地なのをいいことに、
特等席扱いにして居眠りに勤しんでおいでの模様。
何の樹かは知らないが、
幹の結構な太さは、確かに凭れるには都合がいいようで。
森への遠慮か信仰心からか、人通りも少ない一角は、
梢のざわめきや、時折 鳥の声がするくらいで、
それさえ無音と解釈出来るほど、しんと静かなこともあり。
人の集まるところが苦手な彼の眸には、
格好の憩いの場として映ったものか。

 「……。」

若々しい痩躯へとまとった紅蓮の衣紋は、
足元まである長い裳裾の数ヶ所が大きく切れ込むという、
この土地でも奇妙な型として目立つそれであり。
しかもその背景には、新緑あふれる深い森。
気配を消す術を知る彼ではあるが、
眠っているとあってはその心得も発揮されてはいなかろう。
瑞々しい翠の苑の中、
真っ赤な衣紋の部外者という存在は、注意すればすぐにも目につく。
ご神木に何たる不敬かと、
不快を招いての土地の者から非難されるのじゃあなかろうかと、
何とはなく、思わないではなかった勘兵衛だったが、

 「…あ。」
 「…。///////」

こちらの気配に気づいてだろう、
あわてて頭を下げつつ立ち去った娘らがいたくらい。
白い砂防服という勘兵衛のいで立ちは、
それほど侍の威容を感じさせはせぬはずだが、
腰に大太刀提げていれば意味はなく。
だが、それを言うなら、もっとややこしい太刀を、
隠しようのない背中へ負うている久蔵であり。
それを外しての懐ろへ、杖のように抱え込んでの眠る様、
おっかないからと遠巻きにしていたというよりも、
勘兵衛が来合わせるまでは、
若いのの転た寝の様、大人しくも静かに眺めてでもいたらしく。
さながら、神聖なものの眠りを見守っていた神獣の牝鹿らが、
人の気配に怯んでそっと立ち去るかのごとく。

 “…ということは。”

自分は禁苑を侵した野暮な狩人あたりであろうかのと、
そんなところへ想いが至ったものの。
そのあまりの夢見がちな描写へと、
我ながらの苦笑を洩らしてしまいもし。
とはいえ、

 「……。」

若武者の端正な白いお顔は、
成程、
純朴な娘らが声もなく見惚れても不思議はないほど、
玲瓏にして神々しい。
陽の明るさに照らされている冠のような金の髪に、
頬骨の立たないすべらかな頬は、
ともすればもっと年の若い少女のようでもあって。

 「…。」

足元にはまだ萌え始めの柔らかい芝。
よって、意識せずとも足音は立たない。
そんな勘兵衛の気配にも気づかぬか、
陽が高いが故の短かな影が、
その存在の上へかかりそうになるほど近づいても、
身じろぎひとつ見せぬままでいる彼であり。

 “そういえば…。”

あれも御神木であったかどうかは定かじゃあないが、
あの神無村でもこんな風にしているところ、
たまに見かけた構図ではなかったか。
だが、あの当時はというと、
こうまで深く寝入ってはいなかった彼だったような。

 “まま、あの時は…。”

いつ野伏せりらが押し寄せるかも判らぬ状況だったから。
久蔵とて休む間でさえ油断なくいたからこその、
感度の鋭さでもあったのだろうし。

 “それに…。”

勘兵衛を…いやさ、周囲の誰をと限っても、
味方だと思っていたかどうかからして怪しいもので。

 「…。」

安らかに眠るものを、
こちらは立ったままで見下ろしているというのが、
何だか不遜な態度のように思えて来。
何より、もっと間近に眺めやりたいとの茶気も起きてのこと。
長々とした衣紋の裾を器用にさばき、
片膝ついての身を屈め。
他でもない自分の旅の連れ合いを、
明るい陽の中、まじまじと見やることにする。

 “…愛らしいものよの。”

眠っていても油断してはないということか、
寝顔にも姿勢にも見苦しいまでの弛緩はなくて。
されど、太刀を手にしての、
物騒な躍動の最中にある時ほどの、
危険で鋭い冴えも見られない。
微睡みという安穏とした空気に包まれているせいだろか、
少しほど顎を引いた細おもては、
臈たけたという描写が何とも馴染んでの嫋やかで。
真白い頬の縁に伏せられた、瞼のなめらかな細い線。
明るい陽の下、
その稜線が頬の白さに交じり入らんとしている細い鼻梁や、
今にも離されそうなほど、やわく合わさった唇の淡い印象の、
何とも儚げなことだろか。

 「……。」

この彼もまた、自分と同じく、
あの大戦では…いやさ今の今でも、
間違いなくの変わらずに、
“人斬り”という、鬼にこそ間近い存在だというのに。
樹齢百年を越そうかという神木に、
馴染んで親しい、神聖な存在に見えてしようがない。
罪なき早乙女らが ぽうと見惚れるような、
無垢で穢れのない存在。

  ああ、そうか。

こやつは、あの大戦中、
ずんと子供であったから。
この自分のように、
事ある毎に嘘をついてはいなかったのかも。
奇弁も欺瞞も繰り出さず、
あくまでも自分に素直に正直に、
人を切ることにまつわる罪さえ知らぬまま、
生きたいように生きていたから それで……。

 「……何を。」

何をまた、馬鹿げたことを今更思うておるものかと、
我に返ってかぶりを振った勘兵衛で。
白夜叉とまでの異名を成した人斬りに、
そんなことをまで思わすほど、
何とも清かで罪な寝顔、
無防備にもさらしておいでの連れ合い殿であったが、

 「…………………、…。」

薄い胸元がわずかに上下し、
深々とした吐息を一つつくと、
ようやくのお目覚めか、億劫そうに眸を開く。

 「……よう寝ておったの。」
 「…………? …………、…っ!」

すぐの目の前、鼻の先。
旅のお供の壮年殿の、
今では見慣れている筈なお顔を認め…………た久蔵はと言えば、

 「〜〜〜〜っ! /////////」

寝起きとは思えぬ反射で大きく目を見張っての立ち上がり、
どこぞかへ逃げ出そうとしてだろう、
あわわと後ずさりかけたそのまま、
背中に当たった大樹に阻まれた…という一連のあれやこれやが。
丁度、昔の知己のゴキブリ嫌いを彷彿とさせるほどの反応だったので。

 「……久蔵?」

こういう格好で逃げ出すほどもの苦手、
彼にあったとはまだ知らなかった勘兵衛が、
もしかして実はそこまで苦手とされている自分なのだろかと、
やはり驚いたように目を瞠ってしまったほど。

 「驚かせて済まなんだ。」
 「…っ、違…っ。」

目線の高さが逆になった相手を見上げ、
やや寂しげに、深色の目許たわませつつ、
謝意を告げつつ立ち上がったそのまま、
立ち去りかかった壮年殿へ。
慌てて手を延べ、二の腕つかみ、
待てと制した若いのが、
真っ赤になりつつ、さぁて何と言ったやら。
見下ろしていたご神木様だけが知っている……?




  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.06.04.


  *こんなことへも微妙に策士…でしょうか、勘兵衛様。(苦笑)
   どんなに愛しい相手であれ、
   目が覚めたばかりという一番無防備なところへ、
   想いも拠らないほど間近からの視線があれば、
   誰だって多少は驚きますってば。
   それか…どんな夢見てた弾みで驚いたんでしょうかね、久蔵殿。

めるふぉvvめるふぉ 置きましたvv

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