wintermoon.jpg 

 

 

  

 

 

   夜陰深閑 (お侍 習作145)

         囲炉裏端 シリーズ より
 


その四方の周縁を、切り立った断崖で縁取られ、
まるで空中に浮かぶ離島のような環境にある村は。
そんな立地のせいか、
この時期には、時折 随分と強い風が吹きつける。
刈り取られるのを今か今かと待つ稲穂の海が、
風の姿を追いながらの西から東へ、
突然の驟雨でも襲い来たかのように さんざめき。
この頃合いでもまだまだ豊かな緑の深い森からは、
梢が揺すぶられてのどよもしか、
遠い遠い海の潮騒にも似たような草籟の声を響かせる。

 「…っ。」

その延ばした蓬髪が躍り上がるほどの風を受け、
顔へと かぶさりかけた房を払いのけるついでのこと。
ふと、見上げた遥か頭上の夜穹では。
そこでも時差のある風が吹いているものか、
随分と速足で翔っている群雲が、
皓々と地上を照らしていた月への紗をかけているところ。
ちぎり和紙のようにまだらな雲の下、
隠れ切るでなし、ぼんやりと面影は残したままの月は、
さして待たせることもなく、再びお顔を覗かせて。
こんな形で、今宵は結構な望月であったらしいと気づいた軍師殿。
哨戒へと出てこそ来たが、伝令だの伝達だの急ぐ要件があるでなし。
その途上の路傍に立ち止まったまま、辺りの気配に意識をひたす。
あの大戦が幕を下ろしてから、
長らく籍を置いていた軍も解体され、
他の侍たちの例に漏れず、彼もまた野に放たれた格好となって。
ここのような静かな寒村へも運んだことがない訳ではなかったが、
それでもこのような趣きのする土地の空気へと、
久しく触れてはなかったことを実感する。
旅の途中途中でその身を置いていたことはあったのだろうが、
自分もまたそんな世界の一部と化してでもいたものか。

 “そうまで呆然自失の態で在ったものかの。”

世を儚んでいたつもりはなかったが、
敢えて言えば、こういった“自然”とは向かい合う立場になろう、
“人”の側にいないままであったせいかも知れぬ。
人との縁やら絆やら、久しく結んではおらなんだ。
頭から厭ってはなかったが、進んで結ぼうと思わなんだのも事実。
そんなせいもあってのことか、
あの虹雅渓へと辿り着くまでは、あんまり一つところに居着かなんだものが。
それが今は、単なる漂泊の態から揺り起こされ、
かつて身を置いた合戦の場へ、再び立たんとしている自分で。
それで“覚醒”したというのなら、
自分はつくづくと戦さ好きな性であるものか…と、
皮肉な事実を噛みしめてしまうカンベエでもあり。

 「…。」

対峙し、若しくは接する側として望む、
野山や森の気配の深さや広さに満ちた、
耳鳴りを誘う無音ではなくの、
風になぶられての躍動に耳を澄ましておれば、

 “…んん?”

そんな中へ、微かにだが違和感を拾う。
ツンと冴えての冷ややかな風の中、
夏ほどではないがそれでも香る草いきれに乗って、
微かながら…あってはならぬ匂いが立った。
それと同時、何物かの気配も感じ取り。
だが、そちらへは警戒も要らぬと、
立ち上がりかかっていた戦闘態勢がゆるやかに宥められ、
その代わりのように口許がほころんでしまったカンベエだ。
そして、

 「……キュウゾウ。」

頭上に感じた気配の名を口にする。
差しかかりかけていたのは木立ち並木の丁度入り口。
そんなカンベエをやり過ごそうとでも思ったか、
夜陰に塗られたそこに留まり、こちらを見下ろしていた影が1つ。
それが…ほんの刹那ほど躊躇してから、
音もなくのひらりと舞い降りて来る。
元は軍服なのだろ、簡素なのだか派手なのだか、どうともとれる外套の、
足首まであるたっぷりとした裳裾をはためかせても、
さしたる物音がしない身ごなしはさすがなもの。
さっきまで見上げていた望月がその分身を分けたかのような、
夜陰の中でもほんのり光る、金の髪を見下ろして。

 「哨戒か?」

訊けば、むっつりと押し黙ったまま是と頷く若いので。
好かれているとも思わぬが、嫌われての態度でもなく。
物事への関心が薄いゆえ、表情もまた薄いのが常な剣豪殿。
この神無村へとやって来た侍たちの中、
寸前まで敵方にいたという、
最も異色な存在でもあろう キュウゾウという名の彼は、
だが、そんな立場の違いには最初から頓着もなかったらしくって。
こたびの騒動の間は、
こちらの陣営に身を置き、立ち働いてもくれているが、
だからと言って、義によっての参加じゃあないのも明白。
それにしてはきっちりと役目を果たしてくれるのが、
むしろ過ぎるほど ありがたいと思えるほど。
とはいえ、

 「随分と遠出をしたのではないか?」
 「…。」

今宵の彼からは、
その憮然とした様が、日頃の無愛想からではないらしいと感じられる、
微妙に際立った“匂い”がある。
先程感じた違和感の元。
微かすぎて覚えがある者にしか判らないだろう、
人工的な存在の匂い。

  ―― 揮発性のある、燃料の匂いに他ならず。

 「野伏せりを…鋼筒
(ヤカン)でも斬ってきたか。」
 「………。(頷)」

率直な指摘へ、その赤い双眸からの眼差しは揺らぎもしない。
最初からそうであったそのまま、真っ直ぐにカンベエを見据えており。
だが、挑むような強さもない。
咎めるならばと開き直っての、
悪びれるでもなく、挑発するでもなくて。
ただ、

 「匂いが薄いが。」
 「…。」

何も語らぬ紅の眸を見やったまま、
さてと顎にたくわえた髭を白手套越しに撫でて見せたカンベエ。

 「此処から随分と引き離してから斬ったか。」
 「…。(頷)」

誰にも悟られずに村へ侵入出来たという辺り、
恐らくは、これから押し寄せる顔触れの率いる斥候というより、
前々から当地にいた見張り役の居残り組だろう。
急に活気だってしまった村の空気に、
さすがに何だか様子がおかしいと感じた者もいてのこと。
間近にまで寄って来た輩を哨戒中に見とがめたキュウゾウ、
侍の在中という情報を持ち帰られぬようにという処断として、
相手を斬った彼であったらしいが、

 「血の香はせぬな。」
 「…。」

ぶざまに返り血を浴びずとも、
例えば太刀に、あるいは風に梳かれた髪などに、
仄かに鉄サビの香が残るもの。
カンベエほどの年季を積んだ侍ならば、拾えぬはずがないのだが。
機巧躯には付き物の、燃料の香は嗅げたのにと小首を傾げてから、

 「そうか。随分と遠くまで引き回したな。」
 「……。(頷)」

見つけた地点で斬っていては、
帰りが遅いと探しに来た残りの仲間へ、
わざわざ そこまで危険な事態だと教えているようなものだから。
怪しい存在として故意に姿を現し、
追いかけさせるか、はたまたこちらから追うかして、
村からを引き離した上で、斬るなり裂くなりして来た帰りだったのだろう。
しかも、殺してしまったのではなくの追い払っただけ。
鋼筒という“足”をなくした身で、
それでも何とかして仲間と合流したそやつから、
何だかよく判らない存在がいたと知らせさせられれば。
村のとの関与も曖昧な謎めいた何物か、
どう対処したらいいか、とりあえずは本陣へ問い合わせみるべという順番となり、
多少なりとも時間稼ぎが出来る。

 “…成程な。”

こたびの戦いは、その場さえしのげればいいという戦さではないからという、
ある種の機転が働いたキュウゾウであるらしく。
そして、そんな機転と的確な処断こそ、
彼があの大戦を生きた侍であることの証し。
行儀がいいばかりで応用の利かない道場剣術や、
若しくは町中での無頼との喧嘩で身につける、
無手勝流とも異なる、考え方や戦いよう。
紛れもない“軍”という組織にいて身についた兵法の基礎であり。
それが自然と対処の下地へ喚起された彼だというのが、
戦後に得た腕ではないと語っているようなもの。

 “…とはいえ。”

従順で通り一遍な兵卒でもなかったに違いないとは、
シチロージもまた、苦笑混じりに挙げていた彼への評で。

 『あの若さですし、何よりあの有り様ですからね。』

悪夢を早よう忘れたいとしてのこと、新しい生き方を突き進んでいるでなし、
世を斜めに見てのくすぶっていたり、刀のみにすがって徒党を組んでいるでなし。
強いて言うなら時が止まったままでいるかのように、
刀とだけ向かい合っているような青年だからで。

 『まま、だからこそ。
  十代くらいであったのでしょうに登用されて、
  しかもしかも生き残れたのでもありましょうが。』

そのくらいの鬼子ででもなけりゃあと、
褒めてなんかない、むしろやる瀬なさげに苦笑をしていた槍使い殿、

 『そんな鬼子を揺り起こしたとは…。』

相も変わらず 人を誑すのがお上手で…と、
遊里で身についたそれだろう、
節つきの口調で、余計な一言までくれた古女房だったの思い出しつつ、

 「…。」
 「ああ、待て、キュウゾウ。」

ではなと、用は済んだと立ち去りかかった若いのの、
すれ違いかかった二の腕を掴み止める。
風にたなびく芒種か柳を思わせる、そりゃあ自然な擦り抜けようでもあったれど。
ならば、捕まったのは意外なことだったはず、
だのに まなじり上げての睥睨が来ないのが、
ああやはりとカンベエへの苦笑を誘う。

 「随分と疲れておらぬか?」
 「…。」

そも、この彼への分担に哨戒を割り振ってはいない。
村のあちこちに設られている柵やら砦やらも形になって来つつあり。
そろそろ侍たちの作業分担を、
いつ襲い来てもおかしくはない、
野伏せりへの警戒や哨戒へも回す頃合いになってはいるが。
それと同じほど、
せっかく滾っている意欲のほどをしぼませぬようにという計らい、
村人らへは弓の習練へ積極的に向かうようにと仕向けてもおり。
随分と集中力がつき、始終ついていなければならぬでもなくなったとはいえ、
監督担当の彼への負担、減ってはないことに変わりはない。
息抜きや仮眠の前後にと、自主的に見回ってくれているのだろうに、
そんな中での思わぬ遠出。
自分なぞとの遭遇なんぞ、気にも留めずにやり過ごせばいいのに、
気配を殺し切れぬだろうと無意識下での憂慮をしてしまい、
通り過ぎるの待とうとした彼だったのかも知れず。

 「これから仮眠なら、詰め所へ戻れ。」

疲弊した身に夜露はよくないと、
在り来りな言い回しで告げはしたが、

 「……。」

今度こそは“構うな”という気色がありありと載った、
鋭い睥睨が容赦なく飛んで来た。
掴んだ二の腕へも力が籠もったか、
手のひらへ くっと筋が張ったのが感じられたが、

 「んん?」

穹を翔っていた群雲が、やっと途切れて立ち去ったものか。
望月の光が煌々と、途切れることなく降り落ちて来て。
それへと照らされた若いのの、
白いおもてへ、前髪の影がふわりと躍る。
日頃から殺気立っているという彼じゃあないけれど、
カンベエへの関心あってついて来たその色合いが、
選りにも選って“太刀を合わせたい”という物騒な代物だからか、
好意的な顔をしてくれることは稀でもあって。
それが今は、よほどの疲弊にまみれているせいだろう、
離せと突き放したいのだろうに、
さほどのこと…斬りつけるような眼差しではないキュウゾウで。
意外なことよと思ったと同時、
随分と気の毒をしているような気にもさせられ。

 「詰め所が厭ならしょうがない。」

馴れ合いたくはないというなら、意を酌んでやってもいいけれどと、
ならば外れる筈な手は、そのままに、
こちらへと引いて行かれた先こそ、
久蔵が常の仮眠の寝処とし、今もそこへと飛び込みかけていた鎮守の森であり。

 「……。」

何だ何だ、何か説教でもする気かと、怪訝そうに眉を寄せる彼を従え、
ずんずんと深くまでを進んで進んでの、さて。

 「ここいらでよしか。」
 「…。」

田圃や草原といった平地を渡る風籟の声も遠のいたほどの深みには、
その代わりのように、さわさわと常緑の梢が擦れ合う囁きが高みから降りそそぐ。
騒がしいほどではないけれど、
静かな分だけ森の精気が濃厚で、
気配に聡い者ならば、やはり落ち着けぬ場所のはず。
だというに、
砂防服の白を薄闇に滲ませた壮年軍師は。
恐れもなく歩みを進め、とある巨樹を見上げると、
その幹を手のひらで叩いて見せて。

 「これでよいか。」

独り言のように呟くと、
連れの手を引き、そのままその根方へと座り込む。
腰からいかつい意匠の太刀まで外す落ち着きようへ、
怪訝そうに眉をひそめたキュウゾウが、
ついのこととて問い掛けたのも無理はなく。

 「…どういうつもりだ。」
 「詰め所が嫌なら、此処で眠れ。」

それは判ったが…と、尚も見やって来る眼差しへ、

 「寒さよけくらいにはなるだろう。」
 「…っ。」

言葉での不意を突くのが、よほどのこと得意な彼であるらしく。
先の立ち合いで以来のこと、ぎょっとした隙を衝かれたそのまんま、
気がつけば…膝を折っての引っ張り込まれた懐ろに、
手際よく取り込まれた後だったりするキュウゾウで。
あまりに無造作に掻い込まれたのも、
ありえない展開への驚きから思考が凍りかけてしまってのこと。
ハッとし我に返ったものの、

 「な…っ。」
 「シチロージからも言われておってな。」

お主が詰め所に寄りつかぬのが案じられてしょうがないと。
あれも軍にいた身ゆえ、
年下へ手をかけたがる世話焼きの性が消えぬらしゅうてな…などとの言を。
どこまでホントか、すらすらと。
響きのいい声で、宥めるように、ある種、圧しかぶせるように言い切れば。
そんな畳み掛けへは、

 「…。」

懐き始めている相手の名が胸のどこかへ響いたか。
こちらへ腕を突っ張っての抗いかけてた、反射的な抵抗が、
するり溶けるように消えたのが、

 “…おや。”

そうまでの思慕になりかかっていようとは。
自分で持ち出しておきながら、意外や意外と驚いたカンベエ。
自分の胸元へ突いたままな白い手を見下ろし、その所作にて苦笑を隠しておれば。
相手も希少な時間を無駄に潰えすだけだと断じたか、
自分もその背から得物である双刀を外すと、
そのまま大人しくなってのもたれてくる素直さよ。
ただ、

 「…向こうと通じていようと疑わぬのか?」

機械油の香がしたということは、野伏せりと接したという証し。
ならば…と、
そこからもう1つの推量も出来ようと言いたいらしいキュウゾウであるらしく。
珍しくも うがったことを言い出したのへ、
喉奥でくっと微笑ってカンベエは取り合わない。

 「今更であろうが。」

ここへと至る途中の砂漠にて、
敵方の主要戦力をばさばさと斬って捨て、
ああまではっきりと相手方へ背を向けた彼だ。
そのようなややこしい策を弄する人性ではなかろうことは明白だし、

 「儂の首をこそ奪りたいのであろうに。」
 「…。」

そのような物騒な言いようをしながら、
なのに…そんな輩を懐ろへと抱えた雄々しい腕は緩まぬまま。
そんな言いようへと含まれた、自惚れなんだかそれとも底無しの楽観だかへ、
毒気を抜かれてのこと呆れたキュウゾウ。

 「…。」

ふ〜んと、何とも気のない声で返し。
向かい合ってた男の懐ろへ…ごそごそと、
上着や内着の布の重なった中へ、頬で割って入っていっての。
居心地の落ち着く場を求めて もそもそともぐり込む。


  時間が止まったかのような森の中。
  その凄腕へと関心持った相手の懐ろに掻い込まれ、
  安んじて眠ってしまえと言われ、従うなんて。
  何だかおかしなことをしている自分であるのは、
  きっと、周囲に満ちたる森の精気のせいかも知れぬ。
  何にもなかった穹しか知らぬ、
  誰もいないも同然の猥雑な街しか知らぬ。
  そんな自分を惹きつけ取り込んだところは、
  そういえば森とも似ているこの男。
  じっとしていても暖かいなんて、
  あの穹ではありえなかった。
  温かいままな誰ぞへ触れるなど、
  あの街ではありえなかった。
  どちらが奇妙かは、生憎と自分には判らない。
  けれど、


   “…悪くはない。”


  凭れたものがいつもの樹よりは居心地がよくて。
  頼もしい腕がくるみ込んでの、向こうからも支えてくれてて。
  どこか懐かしい匂いがして。
  うん、悪くはないなと。
  意識がとろけてゆくの、そのまま受け入れたキュウゾウであり。
  決戦まであとどのくらいか、
  それまでの戯れには悪くはない安らぎへ、
  その身を任せてしばしの安息。
  静かな森の天蓋の上では、かつての寵だった望月が、
  ちょっぴり寂しげに愛し子を見下ろしていた、
  静かな静かな秋の宵…。






  〜Fine〜  09.06.14.


  *お侍オンリーは楽しゅうございましたか?
   遠い西の地で、ああ今頃は…なんて、
   せいぜい羨ましがっておりましたとも、ええ。
   そんな心持ちで書き始めたからでしょうか、
   勘兵衛様の懐ろに、不貞腐れつつももぐり込みたい願望が、
   如実に現れた出来となってしまいましたです。

  *あ、しまった。またやってしもうた。
(汗)
   二人の太刀が行方不明だったので、
   慌てて書き足しました、すいません。

めるふぉvv ご感想はこちらvv

ご感想はこちらvv(拍手レスも)

戻る